「あなたがたの内なる人を強くしてくださいますように」
エペソ人への手紙3章、4章
牧師 小林智彦

【キリストの測りがたい富】

「すべての聖徒たちのうちで一番小さな私に、この恵みが与えられたのは、私がキリストの測りがたい富を異邦人に宣べ伝え、万物を創造された神の中に世々隠されていた奥義を実行に移す務めが何であるかを明らかにするためにほかなりません。」
エペソ人への手紙3章8.9節

「キリストの測りがたい富を異邦人に宣べ伝え」とあるように、パウロはエペソ人への手紙1章と2章で、神の私たちに対する愛と恵、祝福を分かち合っています。

私たちはこの手紙を通して、自分が「天にあるすべての霊的祝福をもって」祝福された者であることを知りました。(エペソ1:3)
また私たちは、自分が「世界の基の置かれる前からキリストのうちに選」ばれた者、愛されるために生まれた神の子どもであることを知りました。(エペソ1:4.5)
私たちは、「御子の血による贖い、すなわち罪の赦しを受けているのです(エペソ1:7)」。

これが「キリストの測りがたい富」です!

先ず神が無条件に私たちを愛し、選び、最高の贈り物を与えて下さったのです。
そして神は更に私たちを呼び集め、地上で神の栄光を表す神の体の部分とされたのです!地上で神の栄光を表す神の体とは、エクレシア(教会)のことです。

これが「キリストの測りがたい富」なのです!

「万物を創造された神の中に世々隠されていた奥義」とは、エペソ書3章にあるように、ユダヤ人も私たちもキリストの十字架と復活によって一つとされ、ともに神と和解し、ともに神の体であるエクレシア(教会)を建て上げることでした。

これが「世々隠されていた奥義」であり、「神の豊かな知恵(3:10)」であり、「神の永遠の計画(3:11)」なのです。一言で言うと、全人類の救いの計画です。

エクレシア(教会)こそ、神の豊かな知恵!
エクレシアこそ神の奥義!エクレシアこそ全人類の救いの計画なのです!

このエクレシア(教会)が健全に建て上げられ、神が計画されたように成長し、機能する時、
地上に神の栄光が表されます!神の偉大な愛と恵が明らかにされ、全人類がキリストにある救いを喜び、愛といのちに満たされるのです。

私たちが、この神の偉大な計画を実現する者として選ばれ、呼び集められたことを覚えましょう。これがエペソ1から3章の内容でした。

さて、4章からは神の栄光を表すエクレシア、神の体であるエクレシアのふさわしい歩みについて書かれてあります。エクレシアのふさわしい歩みとは、私たち一人ひとりが神の栄光を表すために、どのように生きるべきかが書かれている実践の部分なのです。

【キリストにある富を自分のものとする】

さて4章の内容に移る前に分かち合いたい大切なことがあります。

それは聖書を順序正しく読むこと!決して後ろから読まないことです。

パウロの手紙、特にエペソ人への手紙は後ろから読んではいけないと思います。
またパウロが最も強調していることを先ず、しっかりと受け取ることです。
パウロが最も強調していることは、私たちが救われ、キリストの十字架の死と復活に結び合わされ新しい人となること、それから愛と恵を受けて成長し、ふさわしく歩むことです。
そして霊的な武器を身にまとい、霊的な戦いに勝利することです。
この順番を決して変えてはならないのです!

パウロはエペソ人への手紙の1.2章の内容を「キリストの測りがたい富」と呼びました。天にあるあらゆる祝福を受けていること、神に一方的に選ばれたこと、無条件で愛され、赦されたこと。キリストの十字架の死と復活に信仰によって結び合わされ、私たちは霊においてまったく新しい者にされたこと、これが「キリストの測りがたい富」でした。
この「キリストの測りがたい富」を自分のものにすることが大切なのです!

天の父なる神が、キリストを通して与えて下さった恵が「測りがたい富」と信仰をもって受けとめられないなら、4章からの「ふさわしい歩み」は重荷にしか感じられないのです。

聖書が難しいと言う人が沢山います。難しく感じる部分は人によって違うのでしょうが、恵の実感無しに、キリストにある十字架の死と復活の体験なしに、クリスチャンらしく生きようとすることは、本当に難しいことだと思います。難しいどころか、不可能です!

恵と新生を体験せずに、クリスチャンとして生きることは難しいし、不可能です!
(新生とは、キリストの十字架の死と復活を、自らの体験とすること。ガラテヤ2:20)

天の父なる神の愛と恵を知り、キリストの十字架によって罪深い性質に日々死に、日々、聖霊によって新しい人として生かされているなら、「ふさわしい歩み」は易しいのです!

決して「頑張ってキリスト教をやろう!」と思わないで下さい。
決して「頑張って聖書を読み、努力して良いクリスチャンやろう!」と思わないで下さい。
これではパリサイ人と変わりません。偽善な宗教家にしかなれません。

努力目標として聖書を読むから、聖書が難しく、詰まらなくなるのです!
聖書を努力目標として読むと「〜すべき」「〜しなさい」しか、心に残らないのです。
戒めしか心に残らないのです。

だから多くの人が、エペソ人への手紙を通読しても、4章以降しか心に残らない。
「子は親に従え、妻は夫に従え、奴隷は主人に真心から従いなさい・・・」
「〜すべき」「〜しなさい」もう止めて、と叫びたくなりませんか?

しかし一番大切な1から3章が心に残らない!
それは努力しなければいけない、頑張らなければ神に愛されない、喜ばれないとの誤った認識が心を覆っているからなのです!

「頑張らなければ、愛されない!」「よい子にならなければ、受け入れられない!」
「〜しなければ祝福されない!」
この間違った思いこみが、聖書の最も大切な真理、神の恵みと愛を覆い隠しているのです。

天の父はよい子しか愛さないのですか?頑張らなければ、受け入れない方ですか?
天の父は、ご自分に敵対する者さえ愛し、救いと幸せのための計画を建てて下さる方なのです!だからこそ、パウロがこの恵を伝える者として選ばれたのです。

4章以降を学ぶ前に、先ず私たちは「頑張ってみ言葉を実行しよう!」「努力して良いクリスチャンになろう!」とする、頑張りと努力を十字架に付け、葬り去りましょう!

大切なのは、日々、キリストの十字架と復活を体験することです!

「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。
(21)私は神の恵みを無にはしません。もし義が律法(頑張りや努力)によって得られるとしたら、それこそキリストの死は無意味です。」ガラテヤ人への手紙2章20.21節

毎日、聖霊に生かされていることを実感すること!天の父に無条件に愛されていること、選ばれたこと、父なる神の幸せの計画の中を歩んでいることを覚えることです。
これが神の子どもを活かす聖霊の命、原動力なのです!

キリストから流れてくる聖霊の愛と恵によって感動し、活かされる時、私たちはいつまでもなくなることのない聖霊の実を結びます。

しかし、キリストから離れて、努力と頑張りでクリスチャンらしく生きても、偽善と疲れ、怒りの実しか結べないのです!

だから!天の父なる神に、どれほど私たちが愛されているかを知りましょう!
神の愛、神の恵み、主イエスの十字架と復活を体験として知りましょう。
キリストとともに歩むことが、クリスチャンのふさわしい歩みの始まりなのです!

【あなたがたの内なる人を強くしてくださいますように】

パウロは4章の実践部分「ふさわしい歩み」に入る前に、1から3章の部分を終えるに当たり、大切な祈りを捧げています。

3:14 こういうわけで、私はひざをかがめて、
3:15 天上と地上で家族と呼ばれるすべてのものの名の元である父の前に祈ります。
3:16 どうか父が、その栄光の豊かさに従い、御霊により、力をもって、あなたがたの内なる人を強くしてくださいますように。
3:17 こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。また、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、
3:18 すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、

3:19 人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。
3:20 どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方に、
3:21 教会により、またキリスト・イエスにより、栄光が、世々にわたって、とこしえまでありますように。アーメン。

エペソ人への手紙の中で、パウロが私たちに一番強く願っている部分はどこでしょうか?
「〜しなさい」「〜すべき」と書いている部分でしょうか?そうではありません!
パウロが天の父に祈っている祈りこそ、私たちへの一番の願いなのです!

パウロがエペソ人への手紙を書いたのは、パウロがクリスチャン一人ひとりの「内なる人が強(められ)、・・・キリストが、・・・あなた方の心のうちに住んで」下さるようにとの強い願いからです。

そして、「人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。(19)」

このパウロの祈り、これはパウロのうちに働いた聖霊、神ご自身の願いなのです。
私たちはパウロが強調していることを、先ずしっかりと受け取りましょう。

パウロは私たちの内面が先ず強められるようにと祈り願っています。
外の、目に見える行動が変わることではなく、先ず内面が強められるようにと願うのです。
内面が強められ、変えられるなら、行動や態度は自然に内面にふさわしく変わるのです。

しかし、内面が変えられていないのに、外側だけを変えようとしても、一時的なものに終わってしまうし、それは変化や成長ではなく、演技でしかないのです!

パリサイ人は外側だけを熱心に整えました。
立派な神殿、立派な宗教的な儀式と伝統、しかし内面は変わっていませんでした。

「目の見えないパリサイ人たち。 まず杯の内側をきれいにしなさい。 そうすれば、杯全体がきれいになるのです。いまわしい人たちよ。 パリサイ人、ユダヤ教の指導者たち。 あなたがたは美しく塗り立てた墓のようです。 外側がど
んなにきれいでも、中は死人の骨や汚らわしいもの、腐ったものでいっぱいなのです。自分を聖人らしく見せようとしているが、その信仰深そうな外見とは裏腹に、心の中はあらゆる偽善と罪で汚れているのです。」マタイ福音書23章26から28節

外側は努力や頑張りで変えられる。しかし、それは演技でしかありません。
内側が大切なのです!しかし内側は、決して努力や頑張りでは変えられないのです!

私たちの内面はキリストの十字架の死と復活を信じる信仰によって、一度死んで、新しく生まれない限り、内面は決して変わらないのです!

私たちが出来ることは、キリストが自分のために死なれたこと、死んで復活されたことを信じること、自分もキリストと一緒に死に、一緒に復活したことを信じることです。
そして神の命である聖霊をいつも求め続けることです。

パウロが祈っているように、私たちの内面を新しくし、強くして下さるのは聖霊の働きです!神の業なのです。私たちは日々、信じて、待ち望むことしか出来ないのです。

自分の弱さ、罪をいつも天の父に分かち合い、神の愛と慰めを受け続けること、神との人格的な交わりを絶えず求める時、気が付かないうちに、私たちの外側は変えられていくのです。それは決して宗教家のような、宗教臭いクリスチャンとしてではなく、生き生きとした神の子どもとして、変えられていくのです!

天の父なる神の愛と恵をいつも覚えましょう。天の父なる神との親しい人格的な交わりを絶えず求めましょう。エペソの1から3章の恵と祝福、キリストの無条件の愛が、心から自分の宝ですと思えるように、聖霊様に説き明かしてもらいましょう。
天の父に自分の弱さを分かち合い、内なる人を強めて下さい!と心から求めましょう。
目に見える外側ではなく、内面の変革を神に求めて下さい。

【キリストの愛を知ることが出来ますように】

「人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。」エペソ3章19節

聖書の全ての戒めが目指しているのは、愛です!
パリサイ人はこの一番大切な視点を見失っていました。
パリサイ人が、この大切な点に気が付かなかったのは、愛を知らなかったからです。

パウロは私たちが先ず「キリストの愛を知ることが出来ますように」と祈っています。
私たちは愛されなければ、愛することは出来ません!
愛を知らなくては、本当の意味で聖書の戒めの一番小さいものをも守れないのです。

天の父は御子イエスを十字架に付けるほどに、あなたを愛されています!
御子イエスは私たちが罪で滅びることがないように、私たちの罪を身代わりに背負われました。私たちが新しくされ、清められるために、ご自身の血を流されました。
聖霊は弱い私たちを助けるために、私たちの内に住まわれ、私たちをいつも助けてくださいます。

聖霊の助けを受けて、真の神を見上げる時、私たちは神の愛を知ります。
神は愛であり、愛を知ることこそ、真の神を知ることなのです!
キリストが私たちを愛してくださったように、私たちも互いに愛し合うこと!

先ずキリストの愛を受け入れることから始めましょう。
聖霊により、キリストの愛を日々体験しましょう。
必ず心の底の硬い岩が砕かれ、キリストの愛が泉のように湧き上がります!
いま心を開いて、聖霊に神の愛を注いで頂くように祈り求めましょう。