「神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。」
ローマ人への手紙8章1節から16節
牧師 小林智彦

【キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません】

「こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。肉によって無力になったため、律法にはできなくなっていることを、神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪のために、罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、肉において罪を処罰されたのです。」
ローマ人への手紙8章1から3節

イエス・キリストは私たちの罪のために、身代わりとなって十字架に付けられました。
私たちは本来、それぞれが犯した罪の罰を受けなれればなりません。
罪から来る報酬は死であると聖書は教えています。そして、その死とは永遠の滅びです。

天の父なる神は、一人として滅びることがないために、救いの道を開かれました。
それがイエス・キリストの十字架です!
イエス・キリストは何の罪も犯されたことがない、完全な義人です。
罪の全くない方だからこそ、全人類の罪を身代わりに背負うことが出来たのです。
キリストは、私たちの罪を十字架に背負い、私たちの代わりに死の罰を受けられたのです!

誰でもイエスを神が唯一遣わした救い主として信じ、イエスは自分の罪の身代わりとなって十字架で罰を受けて死なれたこと、しかし三日目に罪と死を滅ぼして復活したことを信じ受け入れるなら、救われるのです!

救いとは、完全に正しい神の御前に、罪無しとされることです!
過去、現在、そして未来に犯してしまうかもしれない罪も、すべて赦されたのです!
救いとは、罪に縛り付けられていた古い生き方から解放されることです。
救いとは、神の子どもとされ、神の霊に導かれ、自由の中に愛の実を結ぶことなのです。

キリストの十字架の死は、あなたの罪を赦し、あなたを救う力があります!
キリストの十字架の死は、あなたを罪と死の束縛から解放する力があります!
キリストの十字架の死は、あなたに本当の自由を与えます!

パウロは「キリスト・イエスにある者(1節)」と言っています。
キリストは全人類の罪のために十字架に付けられましたが、十字架の救い、十字架の解放、十字架の自由を確かに受け取るには、自分の意志でキリストを信じ、受け入れなければなりません。キリストを個人的に信じたことがないのなら、今、イエスを信じましょう!

「私を罪と死の滅びから救い出すために十字架で死に、復活されたことを信じます。
あなただけが、私の救い主、私の神です!」と心の中で祈り、信じるなら、あなたは救われるのです。キリストを信じるあなたは、「キリスト・イエスにある者」なのです!

【御霊に従って歩む私たち】

「それは、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、律法の要求が全うされるためなのです。肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます。肉の思いは死であり御霊による思いはいのちと平安です。」
ローマ8章4節から6節

イエス・キリストによって救われた者、罪と死の原理から解放された私たちは、心の思いと行動がまったく新しくなります!
罪と死の実を結ばせる古い生き方、古い考え方から解放されて、神に喜ばれる、愛といのちの実を結ぶ新しい生き方を歩み始めます。御霊に従って歩む人生です!

パウロは6章から8章まで、罪の奴隷、律法に縛られている状態、肉に従う者と、様々な表現で、神を知らない状態を表現しています。

私たちはイエス・キリストを信じるだけで救われます!
そして、その救いは取り去られることはありません。あなたの救いは完全です!
しかし神の子として完全に成長した、成熟した者になることとは違います。

救われるためには、たった一度イエスを信じるだけで良いのです。
救いに必要な業は、私ではなく、キリストが完全に行って下さったからです。
私たちは、それを信仰によって受け取るだけで良いのです。

私たちも、人間として生まれたのは一度だけです。何度も生まれることはありません。
神の子も同じです。劇的であろうがなかろうが、感じても感じなくても、神の子として生まれ、永遠のいのちを受けるのは、ただ一度だけなのです。

しかし、成長は日々、継続して起きることです。
人間の成長は身長や体重、筋力や学力などで測られるでしょう。
クリスチャンの成長は、ただキリストの人格と行動に似た者になっているか?
愛の実を結んでいるかによって測られるのです。

もちろん成長も人間の努力によるのではなく、成長させて下さる神に因ります!
そしてクリスチャンの成長は、まずキリストの死につながること、つまり罪の奴隷、罪深いに肉に死ぬことによって、成長するのです。

私たちは日々、キリストにつながりましょう。キリストにつながることが成長をもたらします。キリストを離れた努力によっては、霊的な成長・成熟はあり得ません。

ローマ人の手紙は3章から5章までは信仰義認、つまり信仰による救いについて書かれ、6章から8章はキリストの死と復活につながることによって、古い生き方に死に、新しい生き方に生きること、肉に死んで霊に生きること、クリスチャンの霊的な生き方についての真理が明確に語られています。

この6章から8章はクリスチャンの成長について大切な真理を教えています。
これらを具体的に理解すること、具体的に自分に適用することが大切です。

罪の奴隷とは具体的に何か?実を結ばない古い生き方とは何か?
御霊に従うとは具体的にどう生きることなのか?御霊による思いとは何か?

これは自分の霊的な成長のために、自分で6章から8章を整理して考えることを勧めます。
聖書の真理が、自分の過去・現在を照らし出します。自分の人生と聖書のことばが重なって見える時、神のことばはあなたの人生を具体的に導く力、いのちのことばになります。

注解書や、神学書を利用するとも勧めますが、ぜひ自分のことばで、自分の人生と重ね合わせて聖書を理解することを勧めます。注解書や神学書は極端で間違った解釈に陥ることを防ぎ、確かな道筋を示す上では大切ですが、単なる知識で終わってしまうことがあります。大切なのは、みことばが開かれること、自分の体験として知ることです。

さて、「罪の奴隷」、「肉に従う者」ですが、私は具体的にこのように理解しています。
「罪の奴隷」とは、「本当の愛を知らない自分」、「ありのままで愛されたことがない自分」であると理解しています。

また、「よい子になって愛されようとする自分」「よい子じゃなければ愛されないと思い込んでいる自分」だと理解しています。

私たちは本来、無条件で愛され、あるがままで価値を認められる存在です!
神がそのように、愛を持って一人ひとりを創造して下さったのです。
一人ひとりは、神が計画を持って造られた最高傑作です。神の作品なのです。

「何でも鑑定団」という番組があります。時々見ているのですが、こんな汚い小さな絵は、大した金額にはならないだろうと思う絵が何と何百万もの値が付けられるのです。それに対して、大きくて美しい掛け軸が数千円にしか値が付かない時があります。
何が違うのか?作者のオリジナルかどうかにあるのです。
有名な芸術家の作品なら、凄い値段が付けられます。
美しくて、立派でも、贋作、つまり偽物は価値がほとんどないのです。

私たちは一人ひとりは全能の神のオリジナル作品です!
値が付けられないほどの価値があるのです。
神は私たちが滅びないために、たった一人が滅びないためにも、御子イエスさまを捧げて下さったのです。神の御前には、私たち一人ひとりは御子イエスさまと同じに高価で尊いのです!これが私たちの本当の価値、本当の姿なのです。

ところが罪は、神と私たちを切り離し、真の神が分からない状態で私たちは生まれました。生まれながらの罪人とは、神の愛を知らずに生まれ、育った状態を指しています。

私たちは生きるために、愛が必要です。自分の価値に確信を持つ必要があります。
人は愛されず、誰からも必要とされないと思う時、生きる意味を見失います。

しかし、神さまのいないこの世は、ありのままでは誰も愛してくれません。
よい子にならなければ、親からも愛されない、認めてもらえないのです。
だから必死に親から愛されよう、回りの人から愛されようと、努力し、無理をし、演技するのです。これが古い生き方です。

「愛されたい!本当の自分には価値がないから!」、愛されるため、価値を認められるために無理をしている自分、演じている自分、それが肉に従って生きることです。
どんなに良いことをしても、それは演技にしか過ぎないのです。
なぜなら本当の自分、オリジナルの自分を生きていないからです。
どんなに美しく、立派でも、贋作、つまり物真似には価値はないのです。

私たちがありのままの自分、オリジナルの自分を自信をもって生きるには、私たちを一人ひとり特別な存在として創造して下さった真の神に出会う以外に道はありません。

イエス・キリストがその道なのです!
イエス・キリストは神を見えなくさせていた罪、神と私たちを隔てていた罪を十字架の上で滅ぼして下さったのです!キリストを通して、私たちは私たちを創造された真の神と初めて出会うことが出来るのです。

キリストを通して真の神と出会う時、私たちは初めて自分の価値を知ります。
自分の価値を知らず、愛されることを知らずに滅びの道を彷徨っていた私たちのために、神は一人子イエスを与えて下さった、これほどまでに、私たちは愛されている!

キリストを通して神と和解し、真の神とその愛、神にある自分の価値を知る人が「御霊に属する人」なのです!

神の霊は、救いを受けた私たちの霊(心の中心)でいつも私たちへの愛を叫んで下さっています。「あなたは神の愛される息子・娘だ!」と絶えず叫んで下さっているのです。
「あなたはありのままで愛されている!あなたは神のオリジナルだ!」と絶えず語りかけて下さっている御霊の声に励まされて生きることが、御霊に従って生きることなのです。

8:4 それは、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、律法の要求が全うされるためなのです。

自分の価値を知らない時は、誰かに認められようと、物真似の生き方をしてました。
愛の人を演じ、善人を演じ、求められるままに自分を変えて生きてきました。
しかし、律法は物真似を認めません。律法は本物の愛しか認めないからです。

しかし、キリストにあって、ありのままで良いんだ!自分は神のオリジナルであることが分かると、私たちは物真似人生を止めます。偽りの生き方を止めます。
神が造られたありのままの自分を生きること、これが律法の要求を満足させるのです!

神は愛です!愛の神があなたを造ったなら、あなたは愛なのです!

いま、私たちはキリストにあって自由です!
私たちは、いま二つの生き方を選択する自由が与えられています。
神を知る前は、選択の自由はありませんでした。奴隷に自由はありません。
しかし、今は自由だから選べるのです。
今まで通り、誰かから認めてもらうために、偽りの自分を演じながら生きる生き方。
これが肉に従って生きることです。絶えず回りの目を気にして、気に入られるように自分を変える、自分のない生き方。

そしてもう一つは、キリストに証明された本当の自分の価値に喜んで生きる生き方。
神が造られたオリジナルの自分として、ありのままの自分を生きる生き方です。
これが御霊に従って生きる生き方です!

あなたはどちらの人生を歩ますか?
これをいつも意識的に選択して生きるのが、私たちの実際のクリスチャンライフなのです。

【私たちは御霊によって、「アバ、父。」と呼びます】

「神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父。」と呼びます。私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。」
ローマ人への手紙8章14節から16節

人に気に入られよう、人から価値を認められようと演技する生き方は疲れます。
また絶えず自分がどのように思われているか?不安でたまりません。
私たちの霊(心の中心)は、天の父なる神の暖かい懐以外に安息の場所はないのです!

「愛情タンク」を知っていますか?
誰もが「愛情タンク」を持っています。
「愛情タンク」が空っぽのままでは誰も生きることは出来ないのです。

あなたは自分の「愛情タンク」を誰から満たしてもらっていますか?

小さい子どもは、誰から自分の「愛情タンク」を満たしてもらえるか知っています。
転んだり、何か困ったことがあると、一目散にお母さんの懐に飛び込みます。
「痛いよー!」「眠いよー!」と、不満や不平を全部、お母さんにぶちまきます。
お母さんは優しく「うん、うん、大変だったね」と愛情を持って受けとめます。
その時、子どもの愛情タンクは満たされるのです!

あなたにも、あなたの愛情タンクがあります。あなたは誰から満たされていますか?

大人になると、愛情タンクを本当の愛情で満たすことが段々難しくなります。
子どもの頃は、飛び込めたお母さんの懐も小さくなり、「あんた!いつまでも甘えるんじゃないよ」と叱られてしまいます。

でも、大人になっても愛情タンクを満たしてもらう必要があるのです。
そこで、本当の愛以外のもので愛情タンクをいっぱいにして誤魔化そうとします。
お酒、ゲーム、薬物、異性、お金、酔って中毒になれるもの、悲しみと痛みを忘れられるもので何とか愛情タンクを満たそうとします。しかし、そこに本当の満たしはありません。

私たちの愛情タンクを本当の愛で満たせる場所、そこは天のお父さんの胸のなかです!
「私たちは御霊によって、「アバ、父。」と呼びます。(:15節)」
全能の神を、「父ちゃん!」と呼べる特権が私たちに与えられているのです!
そして「父ちゃん」と神を確信をもって呼ぶ時、私たちは父なる神の胸の中にいるのです!

私たちが父をお呼びし、父の胸の中で痛みや苦しみ、辛さ、怒りを父に伝える時、聖霊は私たちの心に平安を下さいます。それは父が私たちの苦しみを全部受け取って下さった印です。私たちの愛情タンクが満たされるのです!

イエスさまのゲッセマネの祈りは、まさに愛情タンクを満たしてもらう祈りでした。
十字架を背負うことは、理性で考えるなら理不尽です。しかし私たちを愛し、救うための唯一の道であることを知ってイエスさまは苦しまれるのです。
イエスさまは父に訴えました。心の苦しみ、痛みを。
父にすべての苦しみを聞いてもらい、受け入れてもらってイエスさまの愛情タンクは満たされたのです。

イエスさまですら、愛情タンクを満たされる必要があったのです。
私たちは、イエスさまと同じ父から愛を満たしていただける特権が与えられているのです!「お父ちゃん!」と天の父に向かって祈りましょう。
父から愛情タンクを溢れるまで満たしてもらいましょう。

人々から誉められること、認められることで愛情タンクを満たすのは止めましょう。
束の間の満足を得るために、私たちはこの世の奴隷に引き下げられるからです。
アルコールや、過食、正しくない異性との関係、薬物、ゲームなどの中毒によって寂しさを誤魔化すことを止めましょう。私たちには本当の愛で満たされる希望があるのですから。

父の懐に帰りましょう!一日の始まりを、いつも天の父との親しい交わりから始めましょう。あなたは神の御霊に導かれる神の子どもです!