「私たちは神との平和を持っています」
ローマ人への手紙5章1節から11節
牧師 小林智彦

ハレルヤ!天の父なる神を賛美します。
今週も神の一方的な恵によって私たちに与えられた救いの素晴らしさを覚えましょう。
この救いは私たちに神の永遠のいのちを与えます。神のいのちに満たされて、この新しい週も力に溢れて歩みましょう。

【神との平和】

「ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。」ローマ5章1節

私たちが救われるのは、信仰によってです!行いや努力、修行や善行ではありません。
知識でも能力でもありません。血筋や家柄によるのでもありません。信仰によるのです!

あなたは、信仰によって救われています!

信仰とは、単純に、心からイエスを唯一の神が遣わした救い主として心に受け入れることです。イエスは私の罪の身代わりとなって十字架を背負われ、死なれ、私を義とするために三日目に復活された。このことを信じることが信仰です。

イエスを信じるあなたは救われています!そして、神に義と認められています!

義と認められるとは、イエスを信じることによって神との関係が変わったことを意味してます。罪とは、神との関係が断絶している状態を表しています。
義とはイエスによって神との関係が和解し、正しい交わり、親子の関係が持てる状態です。

イエス・キリストの十字架の死と復活が、神との和解の道を開いたのです。
パウロはこの箇所で、父なる神と私たちの関係には平和があると言っています。

「平和」とは、単に争いがない状態ではありません。
この箇所では(ギ)エイレーネが用いられていますが、これはヘブル語のシャロームの訳語です。
パウロはユダヤ人ですから、「平和=シャローム」を普通の挨拶に用いていたはずです。
ユダヤ人は今でも「シャローム」と祝福を込めて挨拶を交わします。

「平和=シャローム」は、精神的、物質的、個人的、社会的にあらゆる良いもので満たされている状態を指します。精神的な安定、物質的な繁栄、家族関係が愛で満ち、地域とも愛のつながりがある状態。これが「平和=シャローム」です。

そして、私たちは父なる神との関係に於いて「平和=シャローム」なのです。
私たちと父なる神との関係は、良いもので満ちあふれる関係です。濃い関係なのです!

父なる神との関係に於いて、先ず満ちているもの、それは愛です!
愛の反対は、憎しみではなく無関心だそうです。
父なる神はあなたに対して最大の関心を持っていらっしゃるのです。

イエスさまは天の父は、私たちが祈り願う前から、私たちの必要を知っておられると言っています。天の父は息子・娘の必要を満たしたい、良いもので満たしたいと願っています。
神の愛に心を開きましょう!

私たちは信仰によって、この平和の関係に導き入れられたのです。
不信仰と疑いは、せっかくの神の愛と好意を自ら閉ざし、拒否することになります。
神の愛、あなたに向けられた最大の関心を受け入れることです!

神は私たちの心の痛み、苦しみ、悲しみも、辛さもご存じです。父なる神は無関心ではないのです。あなたの苦しみをともに背負いたいと願われるのです。
負いきれない重荷を引き受けて下さるのが、私たちの救い主です!

自分一人でクリスチャン・ライフを送らないで下さい!
クリスチャン・ライフは難行・苦行のような修行ではありません。
生ける真の神と、一緒に永遠の道を歩むのが本当の信仰生活です。
もちろん谷も山も険しい道もあります。その時こそ力溢れる神を体験する時です。
負いきれない重荷を背負い、谷に橋を架け、荒野に道を開かれる神を見るからです!

【患難さえも喜んでいます】

「そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。
この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」ローマ5章3から5節

このパウロの言葉は、私たちに強い励ましと希望を与える言葉です。
「患難」さえも喜べたら、どんなに素晴らしい人生になるでしょう!
ある牧師はこの箇所から、「クリスチャンはたとえノックダウンされても、決してノックアウトされない!倒されても、倒されても、必ず起きあがり、最後には試練をノックアウトして勝利する」と説教されていました。

私の好きな映画の「ロッキー」のようです!
クリスチャンも決して完璧ではありません。試練や患難に対していつでも喜べるわけではありません。しかし、決して試練や患難に押しつぶされることは無いと言っているのです。時には「もうダメだ!」と弱音を吐きたくなるような時も、私たちのうちにおられるもう一人の方が励まし、力を与えて下さるのです!

その方とはもちろん神の霊である聖霊様です。
聖霊は父なる神の満ちあふれる愛を、平和の道を通って私たちの心に注ぎ続けられます。私たちは穴の空いた風船で、空気が漏れてしぼみそうでも、それを上回る愛の風を吹き入れて下さるのです。

聖書には沢山の素晴らしい約束があります。しかし残念なことに、試練に会わなくなると言う約束は何処を探してもありません。しかし、試練を乗り越えられることは約束されています!

あなたは、聖霊によって注がれる神の愛によって、どんな試練にも耐え、乗り越えることができます!

パウロは患難によってもたらされる成熟した人格、人格の実をここに記しています。
まず忍耐です。そして練られた品格、そして失うことのない希望です。

これら三つの成熟した人格の特徴は、どうやったら身につけることが出来るのでしょうか?聖書の中で忍耐は優れた徳に上げられています。また私たちがどれだけキリストに似た者であるのか、キリストにあって成熟したものであるのかを測る尺度は忍耐です。

忍耐、練られた品性、失うことない希望、どうしたら私たちは得られるのでしょう?

「あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。」
ヤコブ1章5節
ヤコブは、知恵を神に願いなさいと教えています。そうすればきっと得られると。
これも凄い約束です。願えば与えられる徳もある。しかし忍耐は願っても与えられるものではないのです。忍耐は与えられるものではなく、試練の中に培うものだからです。

「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。
信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。
その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。」ヤコブ1章2から4節

神があなたに試練を許されるのは、あなたが成長を遂げた完全なものになって欲しいからです。子供の成長を願わない親は一人もいません!オムツをしている赤ん坊ももちろん堪らなく可愛いのですが、永遠にオムツを付けていることを願う親はいないと思います。

買って与えられるものなら、何でも必要に応じて神さまは下さいます!
しかし、買って与えられないものは、エクササイズ(運動)プログラムを通して、私たちに身に付けさせて下さるのです。

最近、「エバン・オールマイティー」という映画を見ました。コメディーです。
主人公は家族の愛を祈るのですが、次々と起こる不思議なことに家族は崩壊寸前になります。しかし、その試練を通ることで家族は今までにない固い絆で結ばれていきます。

ラストのシーンで、神とのユニークな語り合いがあります。
神は、愛を下さいという祈りに、次の日、目が覚めたら突然だれでも愛せる愛の人になっていた、そんな方法で祈りに答えるか、それとも、愛せざるを得ない状況をその人に与えるかどちらだと思うと尋ねるシーンがあります。(ちょっと不確かな記憶!詳しくはDVDを購入するかレンタルで見て下さい)

私たちが愛の人になるのも、忍耐も同じです。人格の実を身につけるのはエクササイズが必要なのです。神は一人ひとりに特別な成長の計画を立てておられるのです!

今、あなたが直面している試練、困難、それは必ずあなたを成長させます!
あなたは必ずその試練を乗り越えることができます。また、必ず助けがあなたに与えられます。あなたはその試練の中に生ける神を見ます!

もちろん、ただ理不尽な相手の要求にただ屈服しろなどと言っているのではありません!
悪には断固、抵抗し、改善すべき状況は改善し、あらゆる取り組みをすることです。
忍耐とは、決して悲劇のヒーロー、ヒロインを演じることではありません。
良い子になることと、忍耐とは違います。

忍耐も、練られた品性も、失わない希望も、心に神の愛が注がれ、私たちの霊が神のいのちに満たされ、いのちに輝いた状態なのです!

死に勝利したイエスの復活のいのちは、あらゆる困難な状況でも潰されないのです。
打ち倒されても、立ち上がる力はキリストの復活のいのちが注がれているからです。

いのちがない時、私たちは不平・不満が口から出てきます。自分が置かれている状況を呪い、自分を圧迫する人たちを呪い、憎しみと怒りと不安に打ちのめされます。
気付いて下さい!自分は自分の頑張りだけで、乗り越えようとしていないかを。
気付いて下さい!人間には、使えば少なくなっていくこの世のいのちしかないことを。
気付いて下さい!私たちには、信仰によって神との間に平和があることを、神はキリストの永遠のいのち、無くならないいのちを私たちの心に注いで下さることを。

押しつぶされそうな時、神を体験する時です!キリストに心を開き、静かに主を待ちましょう。感じても感じなくても、神はあなたにキリストの復活のいのちで満たして下さいます。

立ち上がる力を下さい!立ち向かう力を下さい!心が折れないように支えて下さい!
キリストを死から立ち上がらせた、そのいのちを心に注いで下さいと祈りましょう。

「そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。
この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」ローマ5章3から5節