「空の空、神に背を向ける人生の結末」
伝道者の書
牧師 小林智彦

今週の聖書通読箇所は「伝道者の書」です。
「伝道者の書」はダビデの子のソロモン王によって書かれたました。
この書は、神のおられない人生の空しさを私たちに教えます。

私たちは聖書的な価値観と、神を認めないこの世の価値観の狭間に置かれています。
神を信じていても、神を認めない価値観から完全に解放されるには時間が掛かります。

自分の持っている価値観について、ぜひ考えて見ることをお勧めします。
価値観と私が言うのは、自分の人生のゴールを何処に置くのか?と言うことです。
人生の目標、また生きる目的を何処に定めているのか?と言うことです。
何が意味のある人生なのか?自分は何のために生きているのか?
それらの問いに対する自分の答えが、その人の価値観になります。
ある人は価値観ということばよりも、人生哲学と言った方が分かりやすいかもしれません。

だれでも自分の価値観、人生哲学を持っています。
自分の持っている価値観、人生哲学に従って、私たちは自分の行動を選択しているのです。

伝道者の書を通して、神を認めない人生、この世の価値観の空しさを覚えましょう。
自分の内にあるこの世の価値観をすべて放棄して、神の価値観に生きましょう。

「エルサレムでの王、ダビデの子、伝道者のことば。
 空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空。
 日の下で、どんなに労苦しても、それが人に何の益になろう。」
伝道者の書1章1節から3節

「空」とは、空しさを意味しています。意味がない、無意味だと言うことです。
「空の空」ですから、全く意味がないという、強い否定の意味になります。
つまり、「あー、神を第一としない人生は空しい!神を第一としない人生は、報いがない」と伝道者は嘆いているのです。

この朝、皆さんに尋ねたいと思います。

皆さんの人生は、空しさを覚えていませんか?
自分の人生を振り返って、「自分は何のために生きているのか分からない」、「自分のしていることに意味が見いだせない」、そのような思いはありませんか?

もし私たちが自分の人生を空しい!人生は無意味だ!と感じているのなら、私たちは聖書的な価値観ではなく、この世の価値観に思いが支配されているかも知れません。

霊的な戦いということばを、聞いたことがあるでしょう。
私たちは、確かに霊的な戦いの最前線に置かれているのです。
霊的な戦いというのは、価値観の戦いです。
私たちが神を拒絶する、この世的価値観ではなく、聖書的な価値観、神を第一にする価値観を保ち、この価値観に従って生きることが、まさに霊的な戦いなのです。

テレビを見ても、映画を見ても、小説、ゲーム、マンガ、神を讃えないすべてのものの根底には、この世の価値観が横たわっています。(神の価値観に基づくものも沢山あります)
神なしに満足できる生き方のモデルを、私たちに提供しようとしているのです。
神がいなくてもお金があれば幸せになれる。神がいなくても美しい異性がいれば楽しい人生を送れる。神がいなくても、人々から注目を浴びれば満ち足りた人生が送れる。
神を人生から排除して、自己満足だけを目指す生き方、自分を神とする生き方、これがこの世の価値観です。

しかし、伝道者が言うように、神のいない人生は空しいのです!
神を第一としない人生は、意味が無く、報いの全くない人生です!

伝道者は、神のいない人生に意味が無いことを証明するために、敢えて、この世の中が誉め讃え、価値を置く生き方を追求してみました。

【知恵が多くなれば悩みも多くなり、知識を増す者は悲しみを増す。】

1:16 私は自分の心にこう語って言った。「今や、私は、私より先にエルサレムにいただれよりも知恵を増し加えた。私の心は多くの知恵と知識を得た。」
1:17 私は、一心に知恵と知識を、狂気と愚かさを知ろうとした。それもまた風を追うようなものであることを知った。
1:18 実に、知恵が多くなれば悩みも多くなり、知識を増す者は悲しみを増す。
伝道者の書1章16節から18節

伝道者と自分を呼ぶソロモン王は、知恵こそが人生を豊かにすると考えました。
知識と知恵こそが、豊かな人生を保証すると考える人は、今でも少なくありません。
ソロモンは多くの知恵と知識を得ました。しかし、その結果は、「知恵が多くなれば悩みも多くなり、知識を増す者は悲しみを増す」のでした。

私たちは、あまりにも知りすぎると、不幸になることは沢山あるのです。
知の感受性が強まると、明日のことが不安で、眠ることも出来なくなります。
豊かな知性は、決して満足できる人生を保証しないのです。

ソロモンは次ぎに、快楽に人生の満足を求めてみます。

「私は心の中で言った。『さあ、快楽を味わってみるがよい。楽しんでみるがよい。』
しかし、これもまた、なんとむなしいことか。笑いか。ばからしいことだ。
快楽か。それがいったい何になろう。
私は心の中で、私の心は知恵によって導かれているが、からだはぶどう酒で元気づけようと考えた。人の子が短い一生の間、天の下でする事について、何が良いかを見るまでは、愚かさを身につけていようと考えた。」伝道者の書2章1節から3節

ソロモンは快楽を追求しました。笑いと酒を求めました。しかし空しさだけが残りました。

次ぎにソロモンが取り組んだのは仕事でした。
事業を拡大することに人生の喜びと満足を求めたのです。

「私は、私より先にエルサレムにいただれよりも偉大な者となった。しかも、私の知恵は私から離れなかった。私は、私の目の欲するものは何でも拒まず、心のおもむくままに、あらゆる楽しみをした。実に私の心はどんな労苦をも喜んだ。これが、私のすべての労苦による私の受ける分であった。しかし、私が手がけたあらゆる事業と、そのために私が骨折った労苦とを振り返ってみると、なんと、すべてがむなしいことよ。風を追うようなものだ。日の下には何一つ益になるものはない。」箴言2章9節から11節

ソロモンのすべての事業は拡大し、彼は中東世界で一番の大富豪になりました。
しかし、そのために支払った犠牲の大きさを考えると、空しさだけが残るのでした。

イエスさまも同じことを仰っています。
「人は、たとい全世界を手に入れても、自分自身を失い、損じたら、何の得がありましょう。」ルカ福音書9章25節

伝道者は、この世の中で価値あると思われる生き方を徹底的に調べていきます。
神なしに満足できる生き方があるのだろうか?その結論は、伝道者の書12章1節です。

「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また『何の喜びもない。』と言う年月が近づく前に。」

伝道者ソロモンの結論は、「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ」です。
人生の晩年を迎え、自分の人生は何と空しかったかと嘆く前に、神を覚え、神を第一とする人生、聖書の教える価値観に従って人生を歩むことです。

私たちの人生は、神に背を向けて歩いても、空しさと、滅びに進むだけです!
本当の満足できる人生、それは神との出会いから始まるのです!

イエスさまは言われました。

「わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。(ヨハネ10:10)」

私たちを本当に満たすことの出来る方は、神のみです。
天の父なる神は、ひとり子イエスをお与えになるほど、私たちを愛されました。
私たちが何をしたから、何が出来るから愛されたのではありません。

何も出来なくても、いや!神に逆らっていた時にさえ、私たちを愛して下さったのです。
神の愛は決して変わることがありません。
この神の愛を人生の土台とする時、私たちの人生は決して空しく終わることは無いのです。

この世の価値観は、全く反対です。
人と比較して、出来る人、より多くの者を持っている人が価値有りとされます。
いつも比較であり、競争です。そしていつかは皆、空しく人生を終わるのです。
私たちの心を空しさで満たす、この世の価値観を福音によって取り除きましょう。

私たちはイエスにあって、だれもが神の子どもにされたのです!
ありのままの私たちを、神は受け入れて下さったのです。
あなたは、天の父なる神の子どもです!天の父は自分の子どもを比較しません。
イエスさまの貴い血潮で買い取った者を、父は価値がないなどと決してされないのです。
天の父の目には、皆さん一人ひとりは、イエス・キリストと同じ価値があるのです!

あなたをいのちで満たし、さらに豊かにして下さる神を第一にして歩みましょう!
今、心を開き、聖霊様を心に歓迎して、神の愛を余すところ無く注いで頂きましょう。

イエス・キリストにあって、あなたの人生は「空の空」では決してありません!
満足・満足・大満足です!