「バビロン捕囚から解放されたイスラエル」
聖書箇所:エズラ記1章
牧師 小林智彦

【エズラ記1章と時代背景】

今週の聖書通読箇所は、旧約聖書のエズラ記です。
エズラ記は、祭司であり、旧約律法の学者であったエズラによって書かれました。
エズラ記を学ぶには、その時代背景をある程度、理解する必要があります。
エズラ記の前に置かれている、第二歴代誌36章を見ましょう。

36:11 ゼデキヤは二十一歳で王となり、エルサレムで十一年間、王であった。
36:12 彼はその神、主の目の前に悪を行ない、主のことばを告げた預言者エレミヤの前にへりくだらなかった。

36:13 彼はまた、ネブカデネザルが、彼に、神にかけて誓わせたにもかかわらず、この王に反逆した。このように、彼はうなじのこわい者となり、心を閉ざして、イスラエルの神、主に立ち返らなかった。
36:14 そのうえ、祭司長全員と民も、異邦の民の、忌みきらうべきすべてのならわしをまねて、不信に不信を重ね、主がエルサレムで聖別された主の宮を汚した。
36:15 彼らの父祖の神、主は、彼らのもとに、使者たちを遣わし、早くからしきりに使いを遣わされた。それは、ご自分の民と、ご自分の御住まいをあわれまれたからである。
36:16 ところが、彼らは神の使者たちを笑いものにし、そのみことばを侮り、その預言者たちをばかにしたので、ついに、主の激しい憤りが、その民に対して積み重ねられ、もはや、いやされることがないまでになった。
36:17 そこで、主は、彼らのもとにカルデヤ人の王を攻め上らせた。彼は、剣で、彼らのうちの若い男たちを、その聖所の家の中で殺した。若い男も若い女も、年寄りも老衰の者も容赦しなかった。主は、すべての者を彼の手に渡された。
36:18 彼は、神の宮のすべての大小の器具、主の宮の財宝と、王とそのつかさたちの財宝、これらすべてをバビロンへ持ち去った。
36:19 彼らは神の宮を焼き、エルサレムの城壁を取りこわした。その高殿を全部火で燃やし、その中の宝としていた器具を一つ残らず破壊した。
36:20 彼は、剣をのがれた残りの者たちをバビロンへ捕え移した。こうして、彼らは、ペルシヤ王国が支配権を握るまで、彼とその子たちの奴隷となった。
36:21 これは、エレミヤにより告げられた主のことばが成就して、この地が安息を取り戻すためであった。この荒れ果てた時代を通じて、この地は七十年が満ちるまで安息を得た。第二歴代誌36章11節から21節

この箇所には南ユダ王国の最後の王ゼデキヤと、その他指導者の腐敗が書かれています。
王国の腐敗はゼデキヤに始まったものではなく、ソロモンの偶像礼拝から、王国は徐々に信仰的に堕落し、幾人もの良い王がいたにもかかわらず、積み重なった罪のために、神の裁きを招いてしまったのです。

イスラエルは神との契約によって建てられた国家でした。
そのイスラエルが、自分を救い、国を与えた神を退けるのなら、イスラエル民族も神から退けられる、これは初めからモーセを通して与えられていた警告でした。
イスラエルは神の選びの民であり、国でした。その目的は、ユダヤ民族、またイスラエル国の繁栄を通して、生ける真の神がおられることを国々に示すためでした。

その役割を知りながら、神を捨て去ったイスラエルは、自らもまた、神によって捨てられてしまったのです。

捨てられて当然のイスラエル、しかし、神はイスラエルを完全に捨てたのではありませんでした!神はイスラエルに回復の計画を用意していました。

神は正義の神ですから、悪は必ず罰しなければならない。しかし、神は正義であるとともに愛の神です。神は罪悪を憎んでも、罪人は愛し、憐れまれるのです。
神は預言者エレミヤを通して、あらかじめイスラエルへの裁きと回復を宣言していました。

25:8 それゆえ、万軍の主はこう仰せられる。「あなたがたがわたしのことばに聞き従わなかったために、
25:9 見よ、わたしは北のすべての種族を呼び寄せる。――主の御告げ。――すなわち、わたしのしもべバビロンの王ネブカデレザルを呼び寄せて、この国と、その住民と、その回りのすべての国々とを攻めさせ、これを聖絶して、恐怖とし、あざけりとし、永遠の廃墟とする。
25:10 わたしは彼らの楽しみの声と喜びの声、花婿の声と花嫁の声、ひき臼の音と、ともしびの光を消し去る。

25:11 この国は全部、廃墟となって荒れ果て、これらの国々はバビロンの王に七十年仕える。
25:12 七十年の終わりに、わたしはバビロンの王とその民、――主の御告げ。――またカルデヤ人の地を、彼らの咎のゆえに罰し、これを永遠に荒れ果てた地とする。
25:13 わたしは、この国について語ったすべてのことば、すなわち、エレミヤが万国について預言し、この書にしるされている事をみな、この地にもたらす。
25:14 多くの国々と大王たちが彼らを奴隷に使い、わたしも彼らに、そのしわざに応じ、その手のわざに応じて報いよう。」エレミヤ書25章8節から14節

エレミヤによって預言されたことは、全て実現しました!

南ユダ王国はバビロンの王、ネブカデレザルによって滅ぼされ、住民は捕虜となって遠くバビロンまで連れて行かれ、そこで奴隷とされたのです。
しかし、神は定められた荒廃の七十年の後、預言された通りバビロンをペルシャ帝国のクロスによって打ち破られたのです。そして、ペルシャの王クロスは、奴隷であったユダヤ人を解放し、祖国に帰り、エルサレムの神殿を再建することを命じました。

これはしかし、考えられないことです!決して偶然ではありません。
神があらかじめ語られたこと、そのことが全て、預言の通りに実現したのです。
バビロンによって滅ぼされた国々は多数ありました。しかし、奴隷から解放され、神殿まで再建させてもらい、再び国として再生できた民族は他にありません。

イスラエルはバビロンの地では奴隷でした。彼らは自分では自分をどうすることも出来なかったのです。ペルシャの王クロスによって解放され、恵に与ったのですが、クロスが特別、気前の良い王様だったのでしょうか?そうではありません!

神がペルシャの王クロスに力を与え、イスラエルを解放する使命感を彼に授けたのです。
なぜならクロス王の登場と、彼によってイスラエルが解放されることも、あらかじめ預言されていました。クロス王が即位する百三十年も前に、預言者イザヤによって預言されていたのです。

44:26 わたしは、わたしのしもべのことばを成就させ、わたしの使者たちの計画を成し遂げさせる。エルサレムに向かっては、『人が住むようになる。』と言い、ユダの町々に向かっては、『町々は再建され、その廃墟はわたしが復興させる。』と言う。
44:27 淵に向かっては、『干上がれ。わたしはおまえの川々をからす。』と言う。
44:28 わたしはクロスに向かっては、『わたしの牧者、わたしの望む事をみな成し遂げる。』と言う。エルサレムに向かっては、『再建される。神殿は、その基が据えられる。』と言う。」
45:1 主は、油そそがれた者クロスに、こう仰せられた。「わたしは彼の右手を握り、彼の前に諸国を下らせ、王たちの腰の帯を解き、彼の前にとびらを開いて、その門を閉じさせないようにする。
45:2 わたしはあなたの前に進んで、険しい地を平らにし、青銅のとびらを打ち砕き、鉄のかんぬきをへし折る。

45:3 わたしは秘められている財宝と、ひそかな所の隠された宝をあなたに与える。それは、わたしが主であり、あなたの名を呼ぶ者、イスラエルの神であることをあなたが知るためだ。
45:4 わたしのしもべヤコブ、わたしが選んだイスラエルのために、わたしはあなたをあなたの名で呼ぶ。あなたはわたしを知らないが、わたしはあなたに肩書を与える。
45:5 わたしが主である。ほかにはいない。わたしのほかに神はいない。あなたはわたしを知らないが、わたしはあなたに力を帯びさせる。
45:6 それは、日の上る方からも、西からも、わたしのほかには、だれもいないことを、人々が知るためだ。わたしが主である。ほかにはいない。
45:7 わたしは光を造り出し、やみを創造し、平和をつくり、わざわいを創造する。わたしは主、これらすべてを造る者。」
45:8 「天よ。上から、したたらせよ。雲よ。正義を降らせよ。地よ。開いて救いを実らせよ。正義も共に芽生えさせよ。わたしは主、わたしがこれを創造した。」
45:9 ああ。陶器が陶器を作る者に抗議するように自分を造った者に抗議する者。粘土は、形造る者に、「何を作るのか。」とか、「あなたの作った物には、手がついていない。」などと言うであろうか。
45:10 ああ。自分の父に「なぜ、子どもを生むのか。」と言い、母に「なぜ、産みの苦しみをするのか。」と言う者。
45:11 イスラエルの聖なる方、これを形造った方、主はこう仰せられる。「これから起こる事を、わたしに尋ねようとするのか。わたしの子らについて、わたしの手で造ったものについて、わたしに命じるのか。
45:12 このわたしが地を造り、その上に人間を創造した。わたしはわたしの手で天を引き延べ、その万象に命じた。
45:13 わたしは勝利のうちに彼を奮い立たせ、彼の道をみな、平らにする。彼はわたしの町を建て、わたしの捕囚の民を解放する。代価を払ってでもなく、わいろによってでもない。」と万軍の主は仰せられる。 イザヤ書44章26節から45章13節

130年も前から、イザヤはクロス王の登場と、彼がイスラエルを捕囚から解放し、エルサレムと国の再建を助けることを預言しました。

預言とは、将来に起きることを占いのように当てることではありません。
預言とは、神のご計画を、あらかじめ語ることです。
クロス王が何をするかを、当てたのではなく、神があらかじめ語られたことを、クロス王を用いて、行わせたのです。

聖書の預言が実現するのは、神が相応しい時に、あらかじめ語られた言葉を実現するからです。占いの予言のように、将来を当てるのとは全く違います。

預言を通して、イスラエルの主なる神こそ、天地を創造し、これを支配する唯一の神、国々も歴史も支配する全能者であることを明らかに示すためでした!

これがエズラ記の書かれた時代背景であり、またエズラ記1章の内容です。

このエズラ記1章の内容と、その時代背景、またそれを実現させた預言から、私たちは何を学び、何を教訓とすることが出来るでしょうか?主は今日、エズラ記を通して、何を私たちに語りかけているのでしょう。

①まず第一に、神は歴史を通して、ご自身を明らかにしておられることです。

「神がいるのなら、見せてみろ」という人がいます。しかし、神は私たちが見る以上に、疑うことが出来ないほど明らかに、ご自身を証明しておられます。
神は歴史を通して、ユダヤ人の存在を通して、真の神がおられることを明らかに示しているのです。預言が、どのように歴史の中で実現したのか?これこそ、否定できない神の存在の証明です。今日、引用した聖書箇所がエズラの時代に、ことごとく実現したことを何度も読み返してみて下さい。

②第二に、神は選びの民イスラエルを決して、捨てないことです。
イスラエルは、何度も主を捨てて、偶像の神々に仕えました。
主はイスラエルの偶像礼拝と堕落を厳しく罰しますが、必ず回復を与えます。
時には、バビロン捕囚、そしてローマによる世界への離散という途方もなく大きな罰を与えますが、しかし主は、必ず回復を定めているのです!
神は決してご自身の選びの民、イスラエルをお捨てになりません!

このことは、何を私たちに教えているのでしょう。
神が契約の民イスラエルを捨てられないなら、ましてや神の御子イエスの血によって、子どもとされた者を捨て去ることは無いと言うことです!

神はアブラハムを愛されました。ダビデを愛されました。だから彼らと契約を結ばれたのです。イスラエルを神の民とする契約です。

しかし、私たちはそれよりも優れた契約で神と結ばれました。
それは神の御子、イエス・キリストの血によって結ばれた恵の契約です!
神はイスラエルを見放さなかったのですから、ましてや御子イエスの血によって、ご自身の子どもとした、私たちを見捨てたり、見放されることはあり得ないのです。

神はイエスによって、私たちの天の父となられたのです。
この関係は天地が滅びても、決して変わることがありません。

私たちは自分の弱さの故に、また悪習慣、過ちの故に、自分を神の子どもに相応しくないと思ってはいませんか?神は私たちの弱さ、罪深さを、全てご存じの上で、私たちを御子にあって赦し、受け入れて下さいました!

天の父は、私たちの罪の故に、私たちを見捨てたり、諦めたりは決してなさらないのです。父の愛を信頼しましょう。父は、罪と悪を憎み、怒りますが、罪人を愛し、憐れまれるのです。罪に勝つ力は私たちの努力や頑張りの中にはありません。ただ父の愛と御子イエスの復活のいのちにあります。いつでも天のお父さんから、愛と命を受けましょう。
遠慮せず、また弱い時、罪の中にある時こそ、大胆に天の父の助けを求めましょう。

③第三は、神は私たちの回復を用意しておられることです。

イスラエルは70年の間、異国の地、バビロンで捕囚の生活を過ごしました。
自由は奪われ、外国人から苦しめられる日々が続きました。
しかし、その苦しみは決して永遠に続くものではありませんでした。
神は初めから、解放の日を定め、イスラエルが回復するための計画を建てていました。

イスラエルのバビロン捕囚は、自らの罪が招いたものでした。しかし神は、イスラエルに回復を用意しておられたのです。神は赦しの神であり、愛の神です!

ましてや、御子イエスによってご自分の子として下さった私たちには、さらに良くして下さらないことがあるでしょうか?神は私たちを御子イエスによって、一方的な恵によって、罪を赦し、神の子どもとしての特権を与えて下さったのです!

もし皆さんが、いま苦しい状況に置かれていても、必ずその苦しみには終わりがあります!
神は、愛する息子、娘、一人ひとりに回復の計画を用意しておられます。

神はイスラエルを解放するために、ペルシャに勝利を与え、クロス王を動かされたように、神はあらゆる状況を動かして、あなたを苦境から解放することが出来るのです!

ですから、神を信じ、神に祈り求めましょう!
神の助けを求めましょう。また一人で苦しんでいないで、信頼できる兄弟姉妹に祈ってもらい、また知恵やアドバイスを求めて下さい。神は教会の外にも、あなたを助けるためのクロス王のような存在を用意しておられるかもしれません。

神はあらゆることを働かせて、あなたの益に変えることが出来るのです。

④バビロン捕囚は、イスラエルの信仰を純粋にした。

バビロン捕囚は、イスラエルにとっては辛いことでした。しかし、神が敢えて捕囚を許されたのは、イスラエルを苦しめるためではなく、イスラエルを成長させるためでした。

イスラエルは長い間、それは出エジプトの時から偶像礼拝が止められませんでした。
イスラエルにとっての、悪習慣です。何人もの優れた預言者が警告を与えてきました。
優れた王たちが、信仰を清めようとしました。しかし、効果が無かったのです。

しかし、バビロン捕囚の後は、偶像礼拝の悪習慣から解放されたのです!
それは、バビロン捕囚と解放を通して、生ける真の神は偶像の神ではなく、聖書を通してご自身をあらわしておられる主、お一人以外にはないと言うことを体験したからです。

神が愛する者に、時に許される試練、苦しみは、決して私たちをただ苦しめるためではなく、私たちが信仰に於いても、人格に於いても、成長し、清められるためなのです。

137:1 バビロンの川のほとり、そこで、私たちはすわり、シオンを思い出して泣いた。
137:2 その柳の木々に私たちは立琴を掛けた。
137:3 それは、私たちを捕え移した者たちが、そこで、私たちに歌を求め、私たちを苦しめる者たちが、興を求めて、「シオンの歌を一つ歌え。」と言ったからだ。
137:4 私たちがどうして、異国の地にあって主の歌を歌えようか。
137:5 エルサレムよ。もしも、私がおまえを忘れたら、私の右手がその巧みさを忘れるように。
137:6 もしも、私がおまえを思い出さず、私がエルサレムを最上の喜びにもまさってたたえないなら、私の舌が上あごについてしまうように。詩編137編1節から6節

バビロンでの苦しみは、神への純粋な愛と信仰を呼び覚ましたのです。
私たちは罪と悪習慣に酔う時、生きる意味や、命の大切さ、また真に価値あるものを見失ってしまう時があります。苦しみが罪の酔いを覚まし、試練が私たちの信仰を呼び起こす時があるのです。苦しみは決して苦しみに終わらず、信仰によって、私たちを成長させる力となるのです。

いまの苦しみを決して嘆くのではなく、神がこの試練、苦しみを通して、自分に何に気付いて欲しいのか?何を学んで欲しいのか?積極的に、祈りの中で主に尋ねましょう。
主は、必ず答えを下さいます。

イスラエルを回復させた主は、いま、あなたとともにおられます!
あなたの人生も、主によって導かれ、回復し、成長し、イエス・キリストの人格にまで成長することを天の父は願っています。

父が用意しておられる回復の道を、主とともに今週も歩み続けましょう!