「ダビデの信仰に学ぶ、勝利から勝利の人生」
第一歴代誌10章から20章
牧師 小林智彦

今週の聖書通読箇所は、第一歴代誌10章から20章になります。
この箇所は、神を熱烈に賛美し、礼拝するダビデ王がイスラエルの王国を確立していく歴史が書かれています。

「このように主は、ダビデの行く先々で、彼に勝利を与えられた。」第一歴代誌18:13

ダビデ王の生涯は、勝利から勝利への生涯でした!
そしてその勝利は、ダビデが頑張って勝ちとったののではなく、主が与えたものです!
この第一歴代誌10章から20章には、まさにダビデ王が勝利の人生を送った秘訣が書かれています!今日は、それを分かち合いたいと思います。

【サウル王とダビデ王の違い】

「このように、サウルは主に逆らったみずからの不信の罪のために死んだ。主のことばを守らず、そのうえ、霊媒によって伺いを立て、主に尋ねなかった。それで、主は彼を殺し、王位をエッサイの子ダビデに回された。」第一歴代誌10章13.14節

10章にはダビデの前の王であったサウル王の惨めな最後が記されています。
歴代誌では、サウル王をまるで敗北者のように、落伍者のように扱っています。

サウル王は決して能力の無い人間ではありませんでした。
ダビデと比較しても、決して引けを取ることは有りませんでした。
サウルを王に選ばれたのは神さまご自身でした。神がどうしようもない人間を、イスラエルの王に選ばれるはずがありません!サウルは人間的には非常に優秀で、魅力に溢れた人物だったのです。

しかしイスラエルの国は、サウル王の時には繁栄しませんでした。
いつも隣国ペリシテの脅威に怯える弱小国家のままでした。
そしてサウル王自身も、ペリシテ人の攻撃によって、惨めに戦死するのです。

勝利から勝利へと歩んだダビデと、サウルは何に違いがあったのでしょう。
先ほども言ったように、サウルとダビデに能力的な差は無かったと確信します。
それなら、何が違ったのでしょうか。

信仰です!それも、神のことばに対する信仰の差と言えるでしょう。

「サウルは主に逆らったみずからの不信の罪のために死んだ。主のことばを守らず、そのうえ、霊媒によって伺いを立て、主に尋ねなかった。」第一歴代誌10章13.14節

厳しいようですが、聖書はハッキリと私たちに教えています。
どんなに、人間的な能力があったとしても、神のことばを守らず、神のことばに聞き従わず、却って占いや悪霊の声を求めるようならば、神からの勝利は期待できないのです。

神のことばに対する態度、これがサウル王とダビデ王とではまったく違っていました!

【神のことばに生きたダビデ王】

「全イスラエルは、ヘブロンのダビデのもとに集まって来て言った。『ご覧のとおり、私たちはあなたの骨肉です。これまで、サウルが王であった時でさえ、イスラエルを動かしていたのは、あなたでした。しかもあなたの神、主は、あなたに言われました。「あなたがわたしの民イスラエルを牧し、あなたがわたしの民イスラエルの君主となる。」』」
第一歴代誌11章1.2節

ダビデはサウル王が戦死した後、国を動かしたのではありませんでした。
サウル王が国を治めていた時も、実際にイスラエルのためになる働きをしていたのはダビデでした。国民はみな、そのことを認めていたのです。

ダビデはこの時30歳でしたが、10数年も前にサムエルによって王としての油そそぎを受けていました。神は既に、彼が少年だった時、王として彼を選んだのでした。

それから、10数年、彼は王になるまでただ待っていたのでしょうか?
人々から王に選ばれて、やっと王として国のために働くようになったのでしょうか?
そうではありませんでした!

彼は神に選ばれ、サムエルから王としての油そそぎを受けた時から、すでに王として神と人々に仕えたのでした。主と、主から預かったイスラエルのために最善を尽くしたのです。

まだ少年であった時から、人々からはもちろん王様どころか、大人の男とさえ認められない時から、もちろん権力も家来の一人もいない時から、彼は王としての自覚を持って歩んだのだと私は確信するのです。

ダビデにとって王とは、神と人々に仕え、信仰の模範を示す生き方であったと思います。
だから少年ダビデは、ペリシテ人の巨人ゴリアテがイスラエルと神を侮辱するのを聞いた時、黙っていられませんでした。彼の心の中には、少年であっても王としての自覚が有ったからです。人々が認めなくても、王として彼は、神とイスラエルが侮辱される時、立ち向かわなくてはならないと思ったのです。

ダビデにとっては、自分に語られた神のことばが、そのまま自分でした。
自分を見る時、他人が自分を判断し、自分を見る見方ではなく、語られた神のことばを通して、彼は自分を見たのです。

ダビデにとっては、神が語られた神のことばが全てでした!
ダビデは少年の頃から、神のことばを中心に、人生の土台として生きてきたのです。

そして、サムエルが戦死し、状況が整ってから、人々はすでに王として歩んでいたダビデを正式に王として迎え入れたのでした。

これが信仰です! これが聖書が教える信仰であり、実を結ぶ命のある信仰なのです。

11:1 信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。
11:2 昔の人々はこの信仰によって称賛されました。
11:3 信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。
ヘブル人への手紙11章1節から3節

サウルには、この信仰が有りませんでした!
人間的な賢さ故に、彼は状況を見て、判断することは優れていました。
そして実際に目で見て、手で触れる状況を、神のことばよりも優先してしまったのです。
サウルは、目に見えない、また現実とズレている神のことばを信頼することが出来ませんでした。目に見える現実を信じ、目に見える現実にしがみつきました。
その結果、彼は、いつまで経っても否定的な現実を突破することが出来なかったのです!
なぜならサウルは、目に見える現実だけに縛られていたからです。

現実の世界は、いつも変化します。変わらない物は存在しません。
そして、全ての状況は、そのままならば、必ず悪い方向に進むのです。
現実だけに縛られ、目に見える物以外の物を信じられない人は、現実を変える力を持っていないのです!

現実を打破する力、マイナスからプラスに現状を変えていく力は、実は目に見えない神のことばにこそ有るのです!

聖書のことばは四千年の間だ、変わることなく伝えられてきました。
四千年の間だ、世界は目まぐるしく変わってきました。しかし、聖書は変わらない!
そして、聖書に約束された神のことばは、ことごとく実現しているのです。

ダビデは目に見える現実に縛られることなく、(もちろん現実逃避ではありません)彼に語られた神のことばを信じました。語られたことば、彼が王として選ばれたこと、そのことばは彼の現状とはかけ離れていても、彼はそのことばを信じたのです!
そして、神の定めた時に、ダビデに語られた神のことばはことごとく実現したのです。

これがダビデの勝利から勝利への人生の土台でした。
その土台は、揺るがない神のことばへの信仰でした。
私たちも、神のことばの上に人生を築き上げましょう。
あなたの人生も、勝利から勝利への人生に変えられていきます!

【あなたに語られている神のことば】

あなたは、あなたに対して語られている神のことばを受け取っていますか?
ダビデに勝る祝福と約束のことばが私たちには与えられていることを覚えましょう!

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」ローマ8章28節

「私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。」
「しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。ローマ8章35.37節

私たちのために、御子イエスを十字架に付けたもうほどに私たちを愛された天の父なる神、天のお父さんは、私たちをキリストにあって勝利から勝利への人生へと歩ませて下さるのです!

サウルのように日々変わる現実の世界に縛られるのではなく、ダビデのように、変わることがない神のことば、時が来れば必ず実現する神のことばの上に人生を築き上げましょう。