「ザアカイ。急いで降りて来なさい。」
ルカによる福音書19章1節から10節
牧師 小林智彦

【ザアカイ】

ザアカイはどんな人物だったのでしょう。彼は取税人の頭で金持ちであったとあります。
彼はなぜ取税人に、それも取税人の頭(長官)になったのでしょう。
取税人はローマ帝国に代わって、ユダヤ人から税金を集める職業の人達です。
彼らは権威を悪用し、税額以上に取り立てて私服を肥やすこともしていました。
ザアカイは、その取税人の頭でした。ザアカイは富と権力の両方を持っていました。
しかしその金は、不正であり、ユダヤ人からは敵国の手先と見なされ、憎まれていました。
ザアカイは取税人になれば、ユダヤ人から嫌われ、憎まれることは分かったはずです。
それにも関わらず、なぜ彼はお金と権力を望んだのでしょう。
力や金に固執する人の多くは、心に強い劣等感を抱えているのかもしれません。

自分に自信が持てない時、ありのままの自分では恥ずかしい、認めてもらえないと思う時、私たちは内面を外面で隠そうとします。強うそうな自分を演じてみたり、ファッションを変えて着飾ったりします。
ある人はお金や名誉、学歴、また異性によって自分を飾ろうとします。
価値あると思える物で着飾って、内面の寂しさ、劣等感を隠すためです。

アダムとエバは罪を犯した後、自分が裸であることに気付いたとあります。
アダムとエバは、自分の裸を隠すために、いちじくの葉で自分を隠しました。
私たちはアダムとエバの子孫です。そして、隠し方が巧妙になりました。
イチジクの葉ではなく、お金、地位、名誉、学歴、能力で自分を隠すのです。
自分の存在に自信がない、劣等感が強いほど、自分を隠したい願望が強くなります。

しかし、自分の本当の姿を隠すと、人と人の心の距離も離れてしまいます。
本心を隠しては、本当の心の交わりは持てないのです。これは神様との関係も同じです。
ザアカイは富と権力を手に入れたものの、心の寂しさを覚えていたのではないでしょうか。
3節にザアカイは「背が低かった」とあります。
これが彼の劣等感の原因であったかは分かりませんが、確かに影響はあったのでしょう。
世の中は、外見で人間の価値を決めてしまうことがあるからです。
いったい身長、体重、外見の見た目で、人の価値が量れるでしょうか。
しかし多くの人が、見た目で人の価値を勝手に定め、同じ間違った尺度で自分をも測っているのではないでしょうか。

今は、あまり聞かれなくなりましたが、「三高」と言う言葉がよく使われていました。
結婚の条件として、女性が男性に望むものとして「三高」。
高収入、高学歴、そして身長が高い、この三つで「三高」だそうです。

背が低いことは、どんなに努力しても、どうすることも出来ません。
ザアカイは、身長差を権力と金で埋め合わせようとしたのかもしれません。

私は、このザアカイの気持が良く分かります。
私も、大学生の頃はボディービルのジムに通ったり、格闘技を熱心に練習したりと空しい努力をしていた時があります。
私が大学生の時は、「ロッキー」、「ランボー」のスタローンやシュワルツネッガーなどの肉体派の俳優が活躍していました。私も聖書を読む前は、「空手バカ一代」がバイブルだった時もあり、強い男に心から憧れていました。

いま思えば、強くなったら人から認められる、ムキムキのキン肉マンになったら愛されると勘違いしていたのです。

「ムキムキのキン肉マンが映画の中では認められ、崇められ、愛されている。
だから自分もきっと、あのようになれば!認められ、愛されるに違いない!」

ザアカイも、同じ気持ちだったのではないかと、私は思うのです。

「ありのままのあなたで良いんだよ!」と、私はありのままの自分で受け入れられ、愛された体験がありませんでした。
人から優れていると誉められ、人より劣っていると叱られた。
いつも、比較の中でしか、自分の価値を見つけることが出来なかったのです。

愛され、認められるには、人より優れていなければならない。
誰かと比較して、劣っているなら愛される資格がない。
テレビ・ドラマや、映画は、このような価値観を肯定し、また強めていると思います。

しかし、自分ではない自分を演じること、背伸びすることは疲れるものです。
また努力し、演じれば演じるほど、心が通じ合わなくなってきます。

ザアカイは力とお金を持てば、認められ、愛されると考えた。
死にものぐるいの努力をして、莫大な富を手に入れ、取税人の頭にもなった。
人々からも認められるようになり、愛された。
しかし、人が愛し、認めたのはありのままのザアカイではなく、彼の権力であり、彼のお金でした。ザアカイの心は、いっそう空しさを味わっていたのだと思います。

「ありのままの、お前で良いんだよ!ありのままの、お前が良いんだよ!」
ザアカイは、自分の存在を、ありのままで受け入れてもらいたかったのです。

【ザアカイと名前で呼ぶイエス様】

「イエスはちょうどそこに来られて、上を見上げて彼に言われた。『ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。』」ルカ19章5節

「ザアカイ!」とイエス様は、ザアカイを名前で呼ばれました。
イエス様はザアカイの名前を知っていたのです。
聖書では名前には大きな意味があります。
聖書では、名前はその人自身、存在の全てを表していると考えるのです。
私たちが「イエスの御名によって」祈るのはそのためです。

イエス様が「ザアカイ!」と呼ばれたとき、イエス様はザアカイの全てをご存じでした。

「ザアカイ!わたしはあなたの寂しさを知っているよ!」
「ザアカイ!わたしはあなたがなぜ、取税人になったのかも知っているよ!」
「ザアカイ!わたしはあなたの罪を知っているよ!それを背負うために来たのだよ!」
「ザアカイ!わたしはありのままのあなたを愛し、受け入れているよ!」

皆さん!イエス様はザアカイだけでなく、私たち一人ひとりの名前もご存じです。
私達の全てをご存じです。そして、その全てを受け入れて下さっているのです!

【急いで降りてきなさい!】

いちじく桑の木に登っていたザアカイに向かってイエス様は「急いで降りてきなさい」と呼び掛けられました。「もう愛され、認められるために頑張らなくて良いんだよ」と、ザアカイに呼びかけられたのです。

背伸びしたり、演じているなら、心と心の触れ合いは始まりません。
イエスさまは、ザアカイと心と心の通い合う、本当の関係を結びたいと願われたのです。

「ザアカイは、急いで降りて来て、そして大喜びでイエスを迎えた。」ルカ19章6節

ザアカイは、急いで降りてきました!
お金が有っても無くても、変わらずに愛してくれる!
力が有っても無くても、変わらずに愛してくれる!
愛され、認められる努力をしなくても良い、無理して背伸びをしなくても良い、ありのままで愛し、認めてくれる人に初めてであったからです。

ザアカイは大喜びでイエスを迎えました!
この喜びは、ありのままで愛し、受け入れられる喜びです。

【あなたの家に泊まることにしてあるから】

イエスさまは、ザアカイの家に泊まられました。
家に泊まるとは、親しい、親密な交わりを築くことです。
イエスさまはザアカイだけでなく皆さんとも、親密な交わりを築きたいと願っています。

「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」:黙示録3章20節

あなたは、ありのままで、愛されていますか?
あなたの心は、愛されるための努力、認められるために背伸びをして、疲れていませんか?

誰も自分のことを理解してくれないと、あなたの心は叫んでいませんか?
ありのままの自分では愛してもらえないと、本当の愛を諦めていませんか?

イエスさまは、ザアカイの名前を知っていました。
イエスさまは、あなたの名前も知っています。イエスさまはあなたの友となるために来られました。あなたをありのまま、受け入れ、愛し、命を分かち合うために来られました。
いま、心の扉を開いて、イエスさまを心に迎え入れましょう。

そこに喜びがあります!ザアカイの心が喜びで満たされたように。
イエスさまは、あなたの過去も、現在も、未来も知りながら、あなたを受け入れて下さいました。あなたを友として下さったのです!

イエスは、あなたが本当の自由を得るために、あなたを縛っているあらゆる束縛に対して、自分の命を代わり支払い、あなたを解放して下さいました。

あなたが心に抱える、苦しみ、辛さ、痛みをすべて主に打ち明けましょう。
主はあなたの重荷をともに背負い、あなたの負いきれない重荷を取り除いて下さるのです。

神に愛され、赦され、認められるために、努力や頑張りは必要有りません!
イエスは、「ありのままのあなたで良い!」と言われるのです。
「ありのままのあなたを、わたしは愛している」とイエスは言われます!
神の愛の中に安らぎましょう!神の愛の中に、自分の本当の価値を見つけて下さい。

イエスの復活の命と、救いの喜びが、イエスを受け入れる全ての人にありますように!