「ヒゼキヤ王の信仰から学ぶ」
第二列王記18&19章
牧師 小林智彦

【神を愛する者にも試練はやって来る】

「こうして、ラブ・シャケはつっ立って、ユダのことばで大声に呼ばわって、言った。『大王、アッシリヤの王のことばを聞け。王はこう言われる。ヒゼキヤにごまかされるな。あれはおまえたちを救い出すことはできない。ヒゼキヤが、主は必ずわれわれを救い出してくださる、この町は決してアッシリヤの王の手に渡されることはない、と言って、おまえたちに主を信頼させようとするが、そうはさせない。ヒゼキヤの言うことを聞くな。アッシリヤの王はこう言っておられるからだ。私と和を結び、私に降参せよ。』」
第二列王記18章28節から31節

アッシリヤ帝国の軍隊がエルサレムを包囲しました。
アッシリヤの高官ラブ・シャケは激しい言葉で降伏を迫りました。
「ヒゼキヤ王と彼の信じる神は無力で国を守ることが出来ない、今すぐ降参せよ!」と。
絶体絶命の危機が、ヒゼキヤ王とエルサレムの住民に訪れたのです。

ヒゼキヤ王は優れた信仰者です。心から神を信頼していました。
試練は、心から神を愛する者にもやって来ます。
試練、苦難は決して神からの罰や、不信仰の結果ではありません。

試練には必ず意味があります!また乗り越えられない試練を神は許しません。
試練は私たちの信仰を鍛え、成長させます。
また私たちに与えられている神の使命を明らかにします。
試練に会わなかった信仰者は、聖書の中には一人も登場しません。

神は試練とともに、解決する力も、助けも与えて下さいます。
もし、今あなたが試練の中にいるのでしたら、試練に打ち勝つ力、また慰め、励ましを神に求めましょう。神は天の父ですから、豊かにあなたの必要を満たして下さいます。
試練を通して、あなたは更に神を知るものとなり、揺るがない信仰者に成長するのです。

ヒゼキヤ王が、この試練をどのように信仰によって勝利したのかを学びましょう。

【ヒゼキヤは試練の時、何処に行くべきかを知っていた】

「ヒゼキヤ王は、これを聞いて、自分の衣を裂き、荒布を身にまとって、主の宮にはいった。」第二列王記19章1節

皆さんは、自分の力では解決できない問題が起きた時、何処に解決を求めますか?
ヒゼキヤ王は行くべき場所を知っていました。それは神の神殿、聖所でした。

私たちも試練の時、また平穏無事の時も、いつも賛美と祈りをもって神に近づきましょう。
また神の愛と義、そして私たちへの約束のことばが書かれてある聖書を開きましょう。
エリシャからも学んだように、信仰の目が開かれるなら、私たちは決して一人ではないことが分かります。エリシャもアラムの軍隊に包囲されましたが、彼は信仰の目を通して、神の助けを見ていました。エリシャは信仰によって、自分とともにいる神の助けの方が、アラムの軍隊よりも多いことを見ていたのです。

私たちも神に近づく時、信仰の目が開かれます。試練の中にも神が用意している確かな助けを見いだすのです!賛美、祈り、約束のみ言葉、これらが私たちを神に近づけます!
どんな時も神を賛美し、祈り、また神の言葉を信仰を持って告白しましょう。

【ヒゼキヤは祈りの友を持っていた】

「彼は、宮内長官エルヤキム、書記シェブナ、年長の祭司たちに荒布をまとわせて、アモツの子、預言者イザヤのところに遣わした。彼らはイザヤに言った。「ヒゼキヤはこう言っておられます。『きょうは、苦難と、懲らしめと、侮辱の日です。子どもが生まれようとするのに、それを産み出す力がないのです。おそらく、あなたの神、主は、ラブ・シャケのことばを聞かれたことでしょう。彼の主君、アッシリヤの王が、生ける神をそしるために彼を遣わしたのです。あなたの神、主は、その聞かれたことばを責められますが、あなたはまだいる残りの者のため、祈りをささげてください。』」:第二列王記19:2~4節

ヒゼキヤ王は自分自身が祈りの人であり、また祈りの力をよく知っている人物でした。
彼は自分自身が宮に入って祈るとともに、預言者イザヤにとりなしの祈りを頼みました。

自分で祈ることも大切ですが、祈りのパートナーを作ることはとても大切です。
ヒゼキヤは自分の力のなさを正直に打ち明け、イザヤにとりなしの祈りを頼んだのです。
謙った心、謙遜な心でなければ人に祈りを頼むことは出来ません。
神が喜ばれるのは謙遜で、謙った心です。神は謙る者に恵みを注がれる方です。

ぜひ皆さん、祈りの友を作って下さい。そして互いに祈り合いましょう。
神は心の謙った者と共に住まわれると聖書に書いてあります。
自分の弱さ、また罪を神の光の下にさらけだす時、私たちは神と共に歩めるのです。

祈りの友がいないという方、ぜひ牧師に声を掛けて下さい。ともに祈りましょう。

【神を知ることはヒゼキヤの力であった】

「ヒゼキヤは、使者の手からその手紙を受け取り、それを読み、主の宮に上って行って、それを主の前に広げた。ヒゼキヤは主に祈って言った。『ケルビムの上に座しておられるイスラエルの神、万軍の主よ。ただ、あなただけが、地のすべての王国の神です。あなたが天と地を造られました。主よ。御耳を傾けて聞いてください。主よ。御目を開いてご覧ください。生ける神をそしるために言ってよこしたセナケリブのことばをみな聞いてください。主よ。アッシリヤの王たちが、すべての国々と、その国土とを廃墟としたのは事実です。彼らはその神々を火に投げ込みました。それらは神ではなく、人の手の細工、木や石にすぎなかったので、滅ぼすことができたのです。私たちの神、主よ。今、私たちを彼の手から救ってください。そうすれば、地のすべての王国は、あなただけが主であることを知りましょう。」:第二列王記19章14節から19節

神を知る知識は、ヒゼキヤにとっては力でした!
皆さん、皆さんの神を知る知識は、皆さんの力になっていますか?

J・I・パッカーは神を知ることと、神について知ることは違うと言っています。
神について知るとは、知識が頭の中だけにあって、その人を変えるまで至らないのです。
しかし、神を知っている人は、その知識よって、生き方が全く変えられた人です。

神について知ることも大切です。先ず聖書や信仰者の証を通して、神について知ります。
しかし神を知る段階とは、神のみ言葉が、私たちの血となり肉となる段階です。
それは試練を通してこそ知るのです。自分の問題を通して、神を体験するのです。

神については、教会の勉強会や、神学校、また信仰書で知ることが出来ます。
しかし神を知るのは皆さんの生活の中で、試練の中でしか知ることが出来ないのです。
試練を、神と、また神の約束を信じて解決するとき、私たちは生ける神を知るのです。

ヒゼキヤ王は人生最大の危機であるアッシリヤによる包囲の前にも、幾つも試練がありました。ヒゼキヤはその小さい問題を、一つひとつ主とともに解決していったのです。
それが神を知る真の知識になりました。それはヒゼキヤの実際の力となったのです。

ヒゼキヤ王はセナケリブから脅迫状が送りつけられたときも、その手紙を宮に持って行き、主のみ前に広げたのです。「御耳を傾けて聞いてください。主よ。御目を開いてご覧ください。」ヒゼキヤ王は目に見えない神を、まるで見えるように、触れることが出来るように捉えていました。

ヒゼキヤは神が私たちの問題を見て下さり、悩みを聞いて下さることを知っていました。
私たちもヒゼキヤ王のように、神を知るものになりましょう!
神をみ言葉から、信仰書から、そして何よりも体験を通して知るものになりましょう。
神を知ることは私たちの力です!

そして、神はご自身を知る者を守り、ご自身を知る者に力を現されます。

「その夜、主の使いが出て行って、アッシリヤの陣営で、十八万五千人を打ち殺した。
人々が翌朝早く起きて見ると、なんと、彼らはみな、死体となっていた。」
第二列王記19章35節

神はご自身を知るものに力を与え、勝利と解放を与えられます!
ヒゼキヤ王とエルサレムの住民は神によってアッシリヤの軍隊から解放されました。
これはフィクションではなく、歴史的な事実です!

信仰者にも試練は訪れます。しかし、神はその試練を上回る力と助けをあなたに与え、また試練を通して神ご自身を私たちに体験させて下さるのです。

賛美と祈りを持って神に近づきましょう!信仰の目を開いていただきましょう。
み言葉によって神が約束して下さっていることを受け取りましょう。
試練の中にも、あなたとともにおられる神を見上げましょう。
神はあなたにもヒゼキヤ王に与えた勝利と解放を与えて下さいます!