「あなたはキリストの復活の証人」
マルコによる福音書16章1から11節
牧師 小林智彦

【あなたはキリストの復活の証人です】

「さて、安息日が終わったので、マグダラのマリヤとヤコブの母マリヤとサロメとは、イエスに油を塗りに行こうと思い、香料を買った。」マルコ16章1節

イエス・キリストの復活!それは世界で最も驚くべき出来事でした。
キリストの復活はまさに、世界をひっくり返す、ビックリ仰天の知らせです。
この驚くべき出来事を最初に目撃したのは一体、誰だったのでしょうか?
イエスさまの11弟子でしたか? 違いましたね!
この時、11弟子たちは失意の中におり、部屋の中に引きこもっていました。

ほんの一週間前は、誰が弟子の中で一番偉いのか競い合っていました。
能力や、忠誠心を競い合っていたのです。しかし復活の最初の証人にはなれませんでした。
人間的な優劣ばかりに気を取られていて、一番大切なものを見失っていたのです。

私たちの信仰の基礎であるキリストの復活、この栄誉ある最初の証人となったのは、マグダラのマリヤ、ヤコブの母マリヤ、サロメの三名の女性たちでした。
普段は目立たない、また人前に立つこともない女性たちでした。
この女性たちには特に優れた能力、特筆すべき働きは無かったかもしれません。
しかし、この女性たちはどんなことがあっても、イエスさまから離れない、イエスさまへの深い愛と信仰がありました。

キリスト教の信仰、信仰の土台は、キリストの証人たちによって立て上げられました。
証人とは、目撃者のことです。見たこと、体験したことをそのまま証言する人のことです。

神がご自身の教会を建て上げるのに用いたのは、キリスト教信仰を上手く説明できる、能力があり、頭の良い人たちではありませんでした!
神が用いられたのは、キリストの復活の証人たちでした。
自分の目で見た証言、自分が体験した証言には、力があるからです!

神は今日でもキリストの証人を求めています!
頭が良く、上手くキリスト教信仰を説明できる人も必要ですが、最も必要とされているのは、いつの時代でもキリストの証人です。なぜなら、証言には力があるからです。

あなたもキリストの証人です!

キリストの証人になるのは難しいことではありません。特別な能力も要りません!
最初の復活の証人になった三人の女性たちも、優れた能力はありませんでした。
ただ彼女たちはキリストから離れなかったのです。いつもキリストを見ていました。
証人に必要なことは見ることです。遠くからでも近くからでも見続けることです。

三人の女性たちは、いつもイエスさまを見ていました。
カルバリへの道を十字架を担いで歩むイエス様を彼女たちは見ていました。
十字架で苦しむ姿、そして息を引き取る瞬間も、遠くからでしたが見ていました。
十字架から取り下ろされ、布に包まれ、墓場に入れられる時もイエスを見ていたのです。

彼女たちはガリラヤからエルサレムまでイエスに従いました。ガリラヤでイエスさまが奇跡を行い、病人たちを癒すときも一緒でした。いつもイエスさまを見ていたのです。

イエスさまの働きが順調な時も、十字架に付けられる絶望的な時も、いつもイエスを見ていました。そして遂に、墓から甦られた栄光の主を見たのです!

あなたがおかれている状況はどうですか?全てが上手く行く順調な時ですか?
それとも、とても辛い状況に置かれていますか?辛く、不安な状況ですか?
順境でも、逆境でも、私たちとともにおられる主を、絶えず見上げましょう!

なぜなら、あなたは主の証人だからです!

全てが上手く行く状況で神を賛美し、見上げるのは簡単かもしれない。
しかし、最も大切なのは逆境に置かれた時、不安と絶望で押しつぶされそうな時に主を見ることです。なぜなら、そこにこそキリストの復活の力は現されるからです!

キリストの最大の奇跡、復活は何処に現されましたか?
キリストが多くの病人を癒し、多くの人々が、私も弟子にして下さいと山のようにやって来た時でしたか?そうではありませんでした!

自分の弟子たちにさえも見捨てられ、群衆からは罵られ、捨てられ、天の父からも見放され、墓に納められて三日目に、その絶望的な状況の中に、復活の力は現されたのです!

「もうダメだ!」ダメもダメ!絶望的な状況の極みに、神の驚くべき力は現されるのです!

三人の女性たちは、イエスを離れず、イエスが死んでもイエスから離れませんでした。
人間的には希望などあり得ない墓の中で、最も嬉しい知らせ、復活を目撃したのです!
彼女たちはまさに、主の復活の証人であり、主も彼女たちの証人を用いられました。

あなたも主の復活の証人です!

あなたも絶望的な状況の中に、人間的な限界の中に、輝くキリストの勝利、キリストの復活の力を体験するように選ばれているのです!

あなたとともにおられるイエスさまを、どんな時でも見上げましょう!
主はあなたの生活の中に、体験の中に、ご自身の驚くべき奇跡を起こして下さいます!
主の栄光のために、あなたを通して現される主の栄光を証言して下さい。

主は今も生きておられ、その復活の力を、死を打ち破り、絶望を希望に変える驚くべき力をあなたの上に現して下さるのです!

私たちは日々、様々な困難に直面します。健康の問題、お金の問題、人間関係、仕事の問題、近所付き合い等々。嬉しく楽しい時もある、しかし、時にどうしたらよいのか分からない、途方にくれる時もある。その中に働かれる主の驚くべき解決を待ち望みましょう!

イエスは死からよみがえられた救い主です!あなたをあらゆる絶望的な状況からも救いだし、活かし、用いることが出来るのです。主を見上げ、主に期待しましょう。

あなたは主の復活の証人です!

【あれほど大きな石だったのに、その石がすでにころがしてあった】

「そして、週の初めの日の早朝、日が上ったとき、墓に着いた。彼女たちは、『墓の入口からあの石をころがしてくれる人が、だれかいるでしょうか。』とみなで話し合っていた。
ところが、目を上げて見ると、あれほど大きな石だったのに、その石がすでにころがしてあった。」マルコによる福音書16章2節から4節

週の初めの日の早朝、これが日曜日に礼拝を持つ始まりになりました。
週の初めの日の早朝、イエスさまが死を打ち破り、復活されたからです。
日曜日の朝に礼拝を持つ理由は、キリストの復活を記念し復活の力に満たされるためです。

しかし、だからといって日曜日の朝に礼拝を持たなかったら復活の力に満たされないと言うことではありません。決して日曜日に礼拝を守ることを律法にしないで下さい。
大切なのは礼拝を持つことです!霊とまことによる礼拝が大切なのです。

天の父が求めておられるのは、真の礼拝者です!
真の礼拝者とは人生そのものが、神を礼拝する生き方です。
御言葉に従い、神を賛美し、どんな時にも祈り、心の全てを神に分かち合い、平安の中に神とともに歩む人生、それが礼拝者の生き方です。

あなたも真の礼拝者です!

神を礼拝する人生、そこにはあらゆる障害、妨げは取り除かれていくのです!

三人の女性たちが墓の中のイエスさまに会いに行く時、確かに問題がありました。
「あの大きな墓石をどうすればよいのか?」と言う、現実的な問題でした。

お隣の人に尋ねましょう!
あなたもの心にも、不安にさせる大きな石がありませんか?

目を閉じると、誰かの顔が浮かんできませんか?家族の顔かもしれない、会社の同僚、上司の顔、取引相手の顔、あの問題、この問題。
「そうだ!日曜日に休んでなんかいられない、まずあの問題を解決しなければ!」

しかし、どうでしょうか?問題は解決しても解決しても、次々と新たな問題が起きるのではないでしょうか?問題に振り回され、圧倒され、私たちは気付いてみれば問題に仕え、問題を恐れ、問題を礼拝する人間になってしまうのではないでしょうか?

大切なのは、まず神を第一とすること!まず神を礼拝する人生です。
主を礼拝する歩みを妨げる大岩はないのです!
問題がないのではありません。問題はある!
しかし、主がその大岩をころがして下さるのです。

あなたの大岩は、すでにころがしてあります!
なぜなら、あなたは天の父が喜ぶ礼拝者だからです!

主を第一にして歩む時、礼拝者として人生を歩む時、私たちの能力を上回る大岩は、神が御使いを使わして、取り除いて下さるのです!
取り除かれない問題は?大丈夫です、あなたの能力で易々と解決できるでしょう!

【クリスチャンに墓はない!】

「それで、墓の中にはいったところ、真白な長い衣をまとった青年が右側にすわっているのが見えた。彼女たちは驚いた。青年は言った。『驚いてはいけません。あなたがたは、十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのでしょう。あの方はよみがえられました。ここにはおられません。ご覧なさい。ここがあの方の納められた所です。』」
マルコによる福音書16章5.6節

イエスさまが納められていた墓に入った三人の女性たちは驚いたことでしょう。
あの大岩が転がしてあったのも驚きですが、もっと驚いたのはイエスさまの死体もなくなっていたことでした!死体がない!

するとビックリ、今度は「真白な長い衣をまとった青年」、これは天使を指していますが、何と天使が彼女たちに語りかけ、イエスは甦られたと言うのです!墓は空っぽでした!

イエスは復活しました!死を打ち破り、甦られたのです!墓は空っぽになりました。
イエスさまに墓は必要ありません。永遠に生きておられるからです。

あなたは永遠を何処で過ごしますか?永遠を墓で過ごしますか?

しかし、イエスを自分の救い主、神の一人子と信じる私たちは、キリストとともに永遠を神の国で生きるのです!墓は永遠の場所ではありません。キリストが復活したからです!

信仰の宣言をしましょう!「私は墓で終わりません!永遠を神とともに生きます!」

そうです!イエスが復活したように、イエスを信じるあなたも復活するのです。

クリスチャンは死から解放されました!死こそ、人類の敵でした。この敵に主イエスは勝利され、私たちもその勝利に組み入れられたのです。
私たちは復活のキリストにあって、人生の完全な勝利者になりました!

あなたはキリストにあって完全な勝利者です!

野球に喩えると分かり易いでしょう。私は野球が苦手です。キャッチボールも出来ません。私が野球のチームに入ったら大変だと思います。しかし、私もキリストのドリーム・チームに組み入れられているのです。私が三振しても大丈夫です。キリストがいつもホームランを打つからです。私が相手の打ったボールを取れなくても大丈夫です。
キリストの投げる球を打てる者はいないからです。私が下手で、ドジで間抜けでも、大丈夫なのです。キリストが全て穴埋めをしてくれて、私を含め、チームを勝利に導くからです。私も、あなたもキリストにあるのなら完全な勝利者なのです!ハレルヤ!

小さな失敗や、自分の出来ない苦手なことに目を留めるのは止めましょう。
自分の出来ないこと、苦手なこと、失敗ではなく、キリストの勝利を見つめましょう!
キリストの勝利は、あなたの勝利です。キリストの得点は、あなたの得点なのです!

【お弟子たちとペテロに】

「ですから行って、お弟子たちとペテロに、『イエスは、あなたがたより先にガリラヤへ行かれます。前に言われたとおり、そこでお会いできます。』とそう言いなさい。」
マルコによる福音書16章7節

天使は続けて言いました「ですから行って、お弟子たちとペテロに・・・」と。
イエスさまはあの11弟子たちを捨てませんでした!忘れてもいませんでした。
自分を知らないと嘘をついたペテロも、主は特に覚えておられました。
「お弟子たちとペテロに・・・」、この言葉を聞いた弟子たち、そしてペテロはどんなに心が癒されたことでしょうか?

イエスさまは、私たちの大きな過ちも、小さな過ちも赦しておられます!
イエスさまは、罪と弱さによって傷ついた弟子たちの心を気遣っておられます。
同じように、主はいつもあなたとの関係のことを気遣っておられるのです。

イエスはあなたのために、十字架を背負い、血を流されたのです!
そのあなたが、心を痛めていないか?躓いていないか?信仰を諦めていないか?
絶えず、私たちの心を心配し、天においてとりなし祈って下さっているのです。

私たちの弱さ、罪深さを責め、裁いているのはイエスさまではなく、悪霊であり、サタンです。悪魔とイエスさまを勘違いしないで下さい!
悪魔・サタンは恐れや律法であなたの心を縛ります。
しかし、主は愛とあわれみであなたの心を優しく包み、弁護して下さるのです。

イエスさまは裁きません!イエスさまはいつも、回復の時を用意して下さいます。

「あなたがたより先にガリラヤへ行かれます。・・・そこでお会いできます(7節)」

人間的に見るなら、確かに壊れてしまったようなイエスさまと弟子たちとの関係。
しかし、イエスさまは、ご自身から先にガリラヤで待っていると言われたのです。
ガリラヤは弟子たちの故郷でもあり、イエスさまと初めて出会った、出会いの場所です。
ガリラヤで弟子たちはイエスさまに選ばれ、直接、教えと指導を受けた場所です。
ガリラヤ湖での嵐の時も、一緒に大波の中を過ごし、嵐を静められた場所です。

ガリラヤで会えるとは、もう一度関係をやり直そう!と申し出ておられるのです。
今までの失敗、それを全部赦している!もう一度、関係をやり直そうと。

キリストの復活の命は、神との関係また、あらゆる人間関係に癒しと和解をもたらします。
そして全ての関係の癒しと和解は、神との関係の和解から始まります!

イエスさまの方から弟子たちに赦しと和解を申し出ました。
神はもし、あなたとの関係が壊れているのなら、いつでもやり直そうと語っておられます!

「あなたがたより先にガリラヤへ行かれます。・・・そこでお会いできます(7節)」

たとえ私たちが主から離れてしまっても、主はあなたを離しません!
私たちが神を愛したのではなく、神がまず私たちを愛して下さった、ここに愛があります。
もしイエスさまとの関係が冷たくなっているなら、壊れているなら、今、主の前に告白し、赦しを受け取りましょう。主の初めの愛があなたに注がれるように祈ります。