「愛には恐れがありません」
第一サムエル記から
牧師 小林智彦

【霊媒師を訪ねるサウル王】

「サウルはペリシテ人の陣営を見て恐れ、その心はひどくわなないた。それで、サウルは主に伺ったが、主が夢によっても、ウリムによっても、預言者によっても答えてくださらなかったので、サウルは自分の家来たちに言った。『霊媒をする女を捜して来い。私がその女のところに行って、その女に尋ねてみよう。』家来たちはサウルに言った。『エン・ドルに霊媒をする女がいます。』サウルは、変装して身なりを変え、ふたりの部下を連れて、夜、その女のところに行き、そして言った。『霊媒によって、私のために占い、私の名ざす人を呼び出してもらいたい。』するとこの女は彼に言った。『あなたは、サウルがこの国から霊媒や口寄せを断ち滅ぼされたことをご存じのはずです。それなのに、なぜ私のいのちにわなをかけて、私を殺そうとするのですか。』」第一サムエル28章5~9節

聖書は霊媒や占いが大きな罪であると教えています。
なぜなら神の民である私たちは、聖書を通して神さまの御心を知ることが出来るからです。
多くの人は、将来に起きることを心配に思い、また現在直面している問題が解決するだろうか、そのような不安を抱えて占い師のところに行くのでしょう。
聖書は、神を愛する者には、神は全てのことを益と変えて下さると約束しています。
また、越えることの出来ない試練や苦難は決してこないとも約束されています。
神の民であるクリスチャンは、占いや霊媒はまったく必要がありません!
占いや霊媒のほとんどは悪霊の嘘です。私たちは、このような物から離れましょう。

サウル王も占いや霊媒は罪であること、また神が憎まれていることを知っていました。
彼はイスラエルから、占い師や霊媒を徹底的に追い出した、優れた王でした。
彼は占いや霊媒が悪と知り、自分で追いだしたにもかかわらず、この箇所では自ら霊媒師のもとを訪ねています。


罪だと分かっていながら、その罪をサウルは犯してしまうのです。
何がサウルを占い、霊媒の罪に走らせたのでしょうか?

「サウルはペリシテ人の陣営を見て恐れ、その心はひどくわなないた。」Ⅰサム28:5

サウルの心は恐れ、その心はひどくわなないたとあります。
恐れが、強い恐怖が、サウルを罪に走らせてしまったのです。

恐れがない時は、サウルは占い、霊媒師を憎み、国から追放したのです。
しかし、強い恐れが、サウルの心を迷わし、判断を狂わせ、罪を犯させたのです。

第一サムエル記にはサウルが王として選ばれ、戦争で死ぬまでの全ての生涯が記されています。サウルの成功も失敗も、克明に記されています。サウルは不幸な人生に終わります。
イスラエルの最初の王として選ばれながら、悲しく、不幸な人生を歩みました。
彼の人生を狂わせたものは何でしょうか?

それは、恐れ!でした。

【恐れに支配されたサウルの生涯】

サウルの生涯を観察すると、彼は王としての大事な局面において、恐れに支配されたことが分かります。恐れが彼に間違った選択をさせたのです。

「サウルはサムエルに言った。『私は罪を犯しました。私は主の命令と、あなたのことばにそむいたからです。私は民を恐れて、彼らの声に従ったのです。』」Ⅰサム15:24

イスラエルの敵であるアマレク人との戦いに於いて、神は聖絶することをサウルに命じました。サウルはアマレク人を打ち負かしましたが、立派な家畜は自分たちのために残しておきました。サウルは完全に神の命令に従わなかったのです。
その理由が、この24節です。「私は民を恐れて、彼らの声に従ったのです」

私たちは、恐れると、恐れたものに支配されるようになることが分かります。
サウルは神よりも、民を恐れ、彼らの気に入るように行動してしまいました。
サウルは国民の人気、国民の支持を失うことを恐れたのです。

サウルはペリシテ人のゴリアテのことばを恐れたとあります。(Ⅰサム17章11節参照)

しかし、サウルが本当に恐れたのはゴリアテではなかったと思います。
彼が本当に恐れたのは、ゴリアテに負けて、国民からの支持を失うことにあったと思います。彼は失敗を恐れて、この大切な勝負の時、何も出来ませんでした。
そして、勝利と名声はダビデに与えられました。

サウルはダビデを嫉妬し、恐れるようになります。
そして、サウルは精神を病んでいくのです。

恐れは大きな問題です。私たちを罪と破滅へと進ませる破壊的な力です。

サウルは名誉を失うことを恐れ、人々からの支持を失うことを恐れました。
恐れがサウルを消極的な人に変え、自分を守るためだけに生きる人生に彼を追い込みました。彼は親友を疑い、親しい関係は壊れていきました。
恐れが、彼の人生を破滅へと導いたのです。

私たちの人生にも、恐れが大きな力を及ぼしてはいないでしょうか?
恐れは、私たちの人生にも破壊的な力を及ぼします。

恐れからの解放はどこにあるのでしょうか?

【愛には恐れがありません】

「愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。」第一ヨハネ4章18.19節

恐れからの解放、それは愛しかありません!
恐れないように、どんなに意識を他に向けたりしてもダメです。
恐れから逃れようと、焦れば焦るほど、さらに深みにはまる、底なし沼みたいなものです。

しかし、愛は私たちの中から湧き上がり、恐れを無力にします。
恐れは、自分に思いを集中させますが、愛は、相手に思いを集中します。
恐れは、自分を守りに向かわせますが、愛は外に向かって大胆な行動をさせます。

ダビデ王は、この愛に満たされて主と国民に仕えました。
ダビデがペリシテの戦士ゴリアテと戦ったのは、神への愛が彼を動かしたのです。
ゴリアテが、イスラエルと、イスラエルの主を汚すのを聞いた時、彼はじっとしてはいられませんでした。神への愛が彼を大胆な行動に走らせたのです!

彼が神を愛し、神への愛が彼の力となったのは、神がまずダビデを愛したからです。

ダビデは羊飼いでした。ライオンやクマがやって来て、子羊を奪うことがありました。
ライオンやクマがやって来たら、普通は恐れます。しかし、ダビデは奪われた羊への愛情の故に、恐れは消えてしまったのです。羊を愛し、羊を救いたい一心で、彼はライオンの後を追いかけ、そのヒゲを掴んで殴り殺したのです!

ダビデはライオンやクマに対して勝利しましたが、彼は神の守りの中にあることを覚えていました。自分に力と勇気を与えて下さったのが、神であることを知っていたのです。

神はこの羊飼いの仕事を通して、ダビデを戦士にするために彼を訓練したのです。
神はダビデを選び、ダビデを訓練し、彼を守りました。
ダビデはその一つ一つの中に、神の愛を覚え、神を愛するようになりました。

私たちが恐れから解放されるのも、まず愛されることが必要です!
私たちは愛される時、初めて自分と隣人を愛せるようになるからです。

イエス・キリストは私たちを死と滅びと、そして恐れから解放するために、来られました。
イエスは私たちを愛しています!イエスは私たちのありのままを受け入れています。

ダビデが羊を飼いながら、神の愛を覚えたように、私たちもまず、神の愛と守りの中で養われましょう。神は日常起こる一つ一つの小さいことの中で、私たちに神の守りと愛を教えられます。そこから生まれる小さい自信が、やがてはゴリアテをも恐れない力になるのです。

愛が私たちを恐れから解放します!
まず、キリストが私たちを愛して下さった十字架の愛を覚えましょう。
そして、日々の生活の中で主の愛と守りを覚えましょう。
キリストの愛によって成長する時、私たちは恐れから解放されていくのです。