「わたしはあなたがたとの契約を決して破らない」
士師記2章1節から4節
牧師 小林智彦

「さて、主の使いがギルガルからボキムに上って来て言った。『わたしはあなたがたをエジプトから上らせて、あなたがたの先祖に誓った地に連れて来て言った。「わたしはあなたがたとの契約を決して破らない。あなたがたはこの地の住民と契約を結んではならない。彼らの祭壇を取りこわさなければならない。」ところが、あなたがたはわたしの声に聞き従わなかった。なぜこのようなことをしたのか。それゆえわたしは言う。「わたしはあなたがたの前から彼らを追い出さない。彼らはあなたがたの敵となり、彼らの神々はあなたがたにとってわなとなる。」』主の使いがこれらのことばをイスラエル人全体に語ったとき、民は声をあげて泣いた。」士師記2章1節から4節

【わたしはあなたがたとの契約を決して破らない】

「わたしはあなたがたとの契約を決して破らない(1節)」。
神はイスラエルの先祖と結んだ契約を決して破らないお方です。
アブラハム・イサク・ヤコブと結んだ契約、カナンの地をイスラエルの永遠の所有とする約束。この約束を神はモーセ、ヨシュアを通して実現されました。
そして今日、この契約から四千年を経ても、パレスチナの地にイスラエル国が存在することを通して、神は決して結ばれた契約を破らないことを証しておられます!

イスラエルにカナンの地を与えた神は、ご自身の言葉に忠実、必ず約束を守られる方です!

この同じ神が、イエス・キリストを通してさらに優れた契約を私たちと結ばれたことを、覚えましょう!さらに優れた契約です。

私たちはイエス・キリストが十字架の上で流された血潮、この血こそが新しい契約を結ばせるのです。キリストが流された血、それは私の罪を赦すために流されたことを信じ受け入れる者、自分の罪を主に告白し、イエスを神の子、救い主と信じ受け入れる者は、誰でもこの新しい契約に入るのです!

私たちはこの新しい契約により、全ての罪が赦され、神の子供とされました。
私たちには永遠のいのちが与えられています!永遠の資産を受け継ぐ者なのです!
神は変わらぬ永遠の愛をもって、私たちを愛し続けておられます。
神の愛から、私たちを引き離すものは何も無いのです!

私たちはイエス・キリストによる新しい契約が真実であることを知っています。
なぜなら、神はイスラエルと結ばれた古い契約を今日に至るまで守っておられるからです。
「わたしはあなたがたとの契約を決して破らない」。この言葉は変わらずに真実なのです!

旧約聖書から、特に士師記から知ることが出来る神さまの御性質、それは約束を守り続ける真実な方であることです。そして決してイスラエルを見捨てない、愛と憐れみに満ちたお方であることです。

「『あなたがたはこの地の住民と契約を結んではならない。彼らの祭壇を取りこわさなければならない。』ところが、あなたがたはわたしの声に聞き従わなかった。」士師記2:2

神の真実さに対して、イスラエルは不誠実でした。神の言葉に従わず、信仰から離れ、何と偶像を拝み、神の忌み嫌う異民族と契約まで結んでしまいました。
神は当然イスラエルの不従順に対して怒られました。しかし、しかし、イスラエルをその不従順の故に、その罪の故に捨ててしまうことは決して、今日に至るまで無いのです!
なぜなら、神は契約を決して破ることが無いからです。

神の真実さ、神の愛、神の契約はイスラエルの罪によって変わることがありませんでした。
これが神の恵みです!神の一方的な恵によって、イスラエルは捨てられなかったのです。

神はなぜイスラエルを選ばれたのでしょうか?
神は全能の神です。イスラエルの中にある反抗的な性質を知っておられたと思います。
しかし、神はイスラエルを選ばれた。

イスラエルが士師記の中で犯した罪は、霊的姦淫の罪です。
契約を結んだ正式な夫がいながら、新婚ほやほやの時に、別の男性と関係を持つようなものです。イスラエルは浮気性でした。バアルや他の様々な偶像と関係を持ちました。

しかし神はこの浮気性のイスラエルを怒りましたが、それでも捨てなかったのです!
愛と恵を示し続けた!ひたすら自分のもとに帰ってくるのを待ち続けた。
なぜですか?

それは、あなたのためです!

神はこんなあばずれ女のイスラエルを愛し続け、赦し続けることを通して、神の愛がどんなに大きく、深いのか。神の驚くべき恵と、赦しの大きさをあなたに示すためでした!

こんなイスラエルを神は、「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している(イザヤ43:4)」と言われるのです!

私たちとイエス・キリストにあってさらに優れた契約を結ばれた神は、私たちを熱烈に愛しておられます。もちろん罪は怒られます。それは罪を犯すものは、その罪によって傷付くからです。神は愛する子が傷つくのを願われません!
神は罪に対して怒られますが、決して罪とともに愛する息子、娘を切り捨てることはされません!キリストにあって神の子とされた私たちを永遠に愛し、導き続けられます!

カナンの地に入って、直ぐに主を裏切ったイスラエル。しかし神はこのイスラエルに対する愛をホセアを通してこのように語っています。

「イスラエルが幼いころ、わたしは彼を愛し、わたしの子をエジプトから呼び出した。
それなのに、彼らを呼べば呼ぶほど、彼らはいよいよ遠ざかり、バアルたちにいけにえをささげ、刻んだ像に香をたいた。それでも、わたしはエフライムに歩くことを教え、彼らを腕に抱いた。しかし、彼らはわたしがいやしたのを知らなかった。わたしは、人間の綱、愛のきずなで彼らを引いた。わたしは彼らにとっては、そのあごのくつこをはずす者のようになり、優しくこれに食べさせてきた。」ホセア11章1節から4節

「エフライムよ。わたしはどうしてあなたを引き渡すことができようか。イスラエルよ。どうしてあなたを見捨てることができようか。・・・わたしの心はわたしのうちで沸き返り、わたしはあわれみで胸が熱くなっている。わたしは燃える怒りで罰しない。わたしは再びエフライムを滅ぼさない。わたしは神であって、人ではなく、あなたがたのうちにいる聖なる者であるからだ。わたしは怒りをもっては来ない。」ホセア11章8.9節

神は変わらぬ愛を持ってイスラエルを今日も導き、養い、また同じ愛を持って私たちもイエス・キリストにあって救い、神のこどもとし、愛し、養い、導いて下さっています。

【主が彼らのためにさばきつかさを起こされる場合は・・・】

「主が彼らのためにさばきつかさを起こされる場合は、主はさばきつかさとともにおられ、そのさばきつかさの生きている間は、敵の手から彼らを救われた。これは、圧迫し、苦しめる者のために彼らがうめいたので、主があわれまれたからである。
しかし、さばきつかさが死ぬと、彼らはいつも逆戻りして、先祖たちよりも、いっそう堕落して、ほかの神々に従い、それに仕え、それを拝んだ。彼らはその行ないや、頑迷な生き方を捨てなかった。」士師記2章18.19節

「喉元過ぎれば熱さを忘れる」と言う言葉がありますが、イスラエルはまさにこの言葉の通りの状態でした。問題がやって来ると泣き叫んで主に立ち返り、問題が去ると再び偶像礼拝と、罪との妥協する生活に戻っていく。「頑迷な生き方を捨てなかった」とあります。

しかし主もこの頑迷なイスラエルを捨てることはなかったのです!
親の愛は何よりも強いです。主は親の愛をもってイスラエルを愛し続けました。

わがまま勝手な子ども、親の言うことなんかまったく聞かない子ども。でもその子どもが熱を出し、お腹が痛いと泣いている時に放っておける親はいません!
同じように、神はイスラエルが痛み苦しんでいる時に放ってはおけないのです!
必ずさばきつかさと言われる士師を起こし、イスラエルを敵の圧迫から救い出しました。

神はイスラエルの叫びを聞かれたように、あなたの叫びも聞いておられます!
神はイスラエルに救いの手を差し伸べられたように、あなたも必ず問題から救い出します。

「いや!私は助けてもらえない。私は大きな罪を犯し、その罪のせいで苦しんでいる。
神は私を罰しているのであって、決して助けてはくれない!」と思い込んでいる人はいませんか? 

神の愛はそんなに小さいですか?神の愛は私たちの行いに左右されるのですか?
神はあなたが何処にいても、どんな状況でも、救い出すことが出来るのです!
神の愛を割り引かないで下さい。神のあなたに対する愛は限りなく大きいのです。

天のお父さんは、あなたを、あなたが考える以上に大きな愛で愛し、赦しておられます!
助けが必要な時はいつでも、主を呼び求めましょう!
「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。(ローマ10章13節)」のです!

【主はこれらの国民をただちに追い出さないで、残しておき・・・】

「それで、主の怒りがイスラエルに向かって燃え上がった。主は仰せられた。『この民は、わたしが彼らの先祖たちに命じたわたしの契約を破り、わたしの声に聞き従わなかったから、わたしもまた、ヨシュアが死んだとき残していた国民を、彼らの前から一つも追い払わない。彼らの先祖たちが主の道を守って歩んだように、彼らもそれを守って歩むかどうか、これらの国民によってイスラエルを試みるためである。』こうして、主はこれらの国民をただちに追い出さないで、残しておき、ヨシュアの手に渡されなかったのである。」士師記2章20節から23節

私たちが主を叫び求めても、問題が完全に無くならない時があります。
その問題や困難な状況が、私たちの心をチクチクと刺し、悩ます時があるかもしれません。

「なぜ祈っているのに、神は問題を完全に解決してくれないのだろうか?
やっぱり自分は愛されていないのか?祈りが足りないのか?行いが足りないのか?」
そのように自分を責めたり、神の愛を疑う人はいませんか?

神が愛するイスラエルに異民族を残しておいたのは理由がありました。

「彼らの先祖たちが主の道を守って歩んだように、彼らもそれを守って歩むかどうか、これらの国民によってイスラエルを試みるためである。」士師記2書22節

私たちを取り巻く困難な状況がなかなか無くならないのは、私たちが常に主の道である、信仰の道を踏み外すことが無いためなのです!絶えず主を呼び求めることを怠らないためなのです。

神は私たちを取り巻く困難な状況を通して、私たちの信仰を強め、成長させようと計画しておられます。私たちは問題を通して成長し、また強くなるのです!

神さまは決して罪の罰として、私たちに問題を残されるのではありません。
神の親御心を決して疑わないようにしましょう。

生まれたばかりの赤ん坊は、ウンチやオシッコは垂れ流しです。
しかし、それを叱りつける親は決していません。それを変だと思う親も、罰を与えようと考える親も決していません。

救われたばかりのヨチヨチ歩きの私たちが、弱さによって罪を犯してしまう、悪習慣と向き合ってもなかなか勝利できない、神はそれを叱りつけ、罰を与えるような親では決してありません。

お父さん、お母さんが喜んで赤ん坊の下の世話をするように、主は私たちの罪・汚れをすべて十字架の上で処罰して下さったのです!

しかし、愛のある親はいつまでも子どもがオムツのままであることを喜びません。
子どもが成長し、自分で自分の下の始末が出来ることを喜びます。
自分で立ち上がり、トイレに行けるようになったら、親はもう手伝いません。

神さまも同じです。私たちが乗り越えられない試練は決して与えませんが、私たちを強め、成長させるために、ほどよい試練を一人ひとりに許されるのです。

乗り越えられない試練は決してないと確信します。もし乗り越えられない試練が来たならば、神は必ず士師を起こされたように、助け手を送って下さいます。これは神の約束です。

だからヤコブは試練に会う時は、それをこの上もない喜びと思いなさいと教えています。
試練を喜べるほどにまで信仰が成長するには時間が掛かるでしょう。
しかし、ぜひ試練は私たちを成長させるチャンスだと信仰を持って受けとめましょう。

職場で顔を合わせる苦手な同僚や上司、学校や職場でのトラブル。健康の問題。経済の問題。将来に対する不安。様々な問題があるでしょう。

でも!信じましょう。あなたは決してこれらの問題で押しつぶされることはありません!
あなたは神の子です。あなたは神の勇士です!あなたはこれらの問題を通して着実に成長しています。必ず乗り越えます!神が必要な全ての忍耐、力、助けを与えて下さるからです。主の愛を信じて進みましょう。主があなたとともに歩んで下さいます!