「主に従い通したカレブ」
ヨシュア記14章6節から15節
牧師 小林智彦

さて今週はヨシュア記から信仰を学びましょう。
今週の聖書通読箇所はヨシュア記の13章から24章までです。
13章からはヨシュア記の後半部に入ります。前半は約束の地カナンへの侵入と戦いが中心でしたが、後半はカナンの地を12部族に分配することが中心になります。

さてヨシュアがカナンの地を分配するに先立って、カレブがモーセを通して主が約束されたヘブロンの地を、相続地として与えるように願い出ます。
ヨシュアは主の約束に基づいて、ヘブロンの地をカレブに相続地として与えます。
ヘブロンの地は農作物が豊かに実る優れた農作地であり、アブラハム、イサク、ヤコブが葬られているマクペラの墓地がある場所です。イスラエル民族にとって大切な土地を、部族に先んじてカレブが相続したことは、大きな特権でした。
なぜ彼に、これほど大きな特権が与えられたのでしょうか?
今日はこの勇者カレブの優れた信仰をご一緒に学びましょう。

それでは、まずヨシュア記14章6節から15節を拝読します。

【主に従い通したカレブ】

さて、カレブの名前ですが、ヘブル語では「犬」になります!「犬」は動物の中で最も人間に対して忠実な動物です。その名の通りに、カレブも主に忠実に仕えました。
14章の6節から15節の間に、三回も彼が「主に従い通した」と書かれています。

ヘブロンの地がカレブに相続地として与えられたのは、カレブが忠実に主に従い通したからでした。主に忠実な者、主に従い通す者には驚くほどの祝福が用意されています!

カレブは主に忠実に従い通しました。皆さんは、誰に?また何に?忠実に従っていますか?

私は誰でも人間は、誰かに対して、また何かに対して忠実であると思います。
だから問題は、何に忠実、誰に忠実であるか?従い通す相手が大切なのです。

カレブは主に忠実で、従い通しました。主もカレブには忠実に報いて下さいました。
私たちは自分が忠実に従う相手から、必ず報いを得るのです。

隣の人に尋ねてみて下さい。「あなたは何に忠実ですか?誰に従っていますか?」
自分でも自分の心に尋ねて下さい、「一体自分は誰に従っているのだろう?」と。

【カナン偵察隊】

「主のしもべモーセがこの地を偵察するために、私をカデシュ・バルネアから遣わしたとき、私は四十歳でした。そのとき、私は自分の心の中にあるとおりを彼に報告しました。
私といっしょに上って行った私の身内の者たちは、民の心をくじいたのですが、私は私の神、主に従い通しました。」ヨシュア記14章7.8節

カレブが40歳の時、モーセがカレブとヨシュアを含む12人の偵察隊を約束の地、カナンに送り込みます。それは主が約束されたカナンの地が、主の約束通り農作物の栽培に適した肥沃な土地であり、地上で最も素晴らしい場所であることを見せるためでした。
その報告を通して、イスラエルの民を励まし、信仰を持って約束の地に進ませるための偵察だったのです。

ところが12人の偵察隊が40日間の調査から帰ってくると、その報告内容は二つに割れました。

「彼らはモーセに告げて言った。『私たちは、あなたがお遣わしになった地に行きました。そこにはまことに乳と蜜が流れています。そしてこれがそこのくだものです。しかし、その地に住む民は力強く、その町々は城壁を持ち、非常に大きく、そのうえ、私たちはそこでアナクの子孫を見ました。ネゲブの地方にはアマレク人が住み、山地にはヘテ人、エブス人、エモリ人が住んでおり、海岸とヨルダンの川岸にはカナン人が住んでいます』。 
そのとき、カレブがモーセの前で、民を静めて言った。『私たちはぜひとも、上って行って、そこを占領しよう。必ずそれができるから。』
しかし、彼といっしょに上って行った者たちは言った。『私たちはあの民のところに攻め上れない。あの民は私たちより強いから。』彼らは探って来た地について、イスラエル人に悪く言いふらして言った。『私たちが行き巡って探った地は、その住民を食い尽くす地だ。私たちがそこで見た民はみな、背の高い者たちだ。そこで、私たちはネフィリム人、ネフィリム人のアナク人を見た。私たちには自分がいなごのように見えたし、彼らにもそう見えたことだろう。』全会衆は大声をあげて叫び、民はその夜、泣き明かした。」
民数記13章27節から14章1節

偵察隊の10人は先住民を見て、恐怖を心に抱きました。
彼らの心は恐怖に縛られ、問題に押しつぶされそうになりました。
先住民が巨人のように見え、自分はイナゴのように見えたと言っています。(33節)

この10人の偵察隊は何に忠実だったのでしょうか?何に仕えたのでしょうか?

この10人の偵察隊は自分の否定的な考え方、否定的な物の見方に忠実でした。
否定的な考え方、否定的な物の見方。これに忠実だと、何でも否定的、消極的になります。
問題はとてつもなく大きく見え、自分は限りなく無力、イナゴにしか見えなくなります。
自分では解決できないと思い込んでいるので、いつも人を恨みます。

皆さん!否定的な考え方、否定的な物の見方に忠実に仕えないで下さい!
その報いは滅びです。その報いは死です!

しかし、カレブとヨシュアは肯定的な考え方、肯定的な物の見方をしました。

「そのとき、カレブがモーセの前で、民を静めて言った。『私たちはぜひとも、上って行って、そこを占領しよう。必ずそれができるから。』」民数記13章30節

なぜカレブとヨシュアは同じ問題を見ても、問題に押しつぶされることが無かったのでしょうか?同じ問題を見ても、カレブは必ず出来る!と確信を持ち続けました。

カレブとヨシュアは否定的な考え方、否定的な物の見方に仕えず、主に忠実に仕えていたのです。主に忠実に仕えるなら、問題の方がイナゴのように小さく見えます!

あなたは否定的な考え方に忠実ですか?それとも主と主のことばに忠実ですか?

ぜひ、お隣の人に尋ねてみて下さい。
「あなたは問題がイナゴのように見えますか?それとも自分がイナゴに見えますか?」

もし自分がイナゴのように無力で惨めに見え、問題だけが巨人のように大きく見えるのなら、今日から仕える相手を変えましょう。否定的な考え方、否定的な物の見方に仕えるのを止めて、主と主のことばに忠実に仕えましょう。

【否定的な考え方、否定的な物の見方が氾濫している】

否定的な考え方、物の見方は驚くほどの早さで人の心に伝わり、恐怖で人の心を縛ります。そして否定的な考え方の奴隷にしてしまうのです。

イスラエルの人々も否定的な10人の偵察隊の報告を受け入れてしまいました。
その結果、10人の偵察隊は疫病で死に、またこの報告を受け入れて、主を信じなかったイスラエル人は皆、荒野でのたれ死にました。約束の地に入れなかったのです。

信仰を否定し、私たちの心を恐怖で縛る否定的な考え方、物の見方は日本中に溢れています。皆さん、キリストの血潮によって魂を否定的な霊から清められましょう。

私はラジオとテレビが大好きですが、否定的な思いがどんどん流れています!
最近のニュースは否定的なものと言うよりは、恐怖を煽る内容のものが多いです。
皆さん、「パンデミックス」という言葉を聞いたことがありますか?
特効薬のない新型インフルエンザが大流行することだそうです。
「感染列島」なんて恐ろしい映画も上映しますね。それを見に行ったら、映画館でインフルエンザをうつされそうな感じがしますが。新型インフルエンザの恐怖で、逆に寿命が縮まりそうです。特効薬が無いなら、どうするんですか?
解決を提示しないで、問題ばかりを突きつけると、多くの人は恐怖を抱きます。

経済もそうです。百年に一度の経済危機なんて聞きたくもありません。
去年よりも今年、今年よりも来年はもっと悪くなる!
これはもう否定的、消極的、恐れの霊で日本を縛ろうとする悪霊の働きです!

最近は公園で遊ぶ子どもの姿も見られなくなりました。変質者が多いからです。
小さい子どもを持つ親御さんは、もう安心して子どもだけで外で遊ばせられなくなっています。声を掛けてくる大人がいたら、まず疑うことを教えています。

いったい日本はこれからどうなるんだろうか?いや、自分はどうなるんだろうか?

さて、隣の人に尋ねて下さい。「問題がイナゴのように小さく見えますか?それとも自分がイナゴのように小さく見えますか?」

【カレブのように信仰の勇者になりましょう】

私たちを取り巻く否定的な考え方、恐怖は自分の頑張りや、から元気だけではなかなか跳ね返せません!「前向き・肯定的、頭では分かっていても、心はまだおびえています」、これが私たちの本音かもしれません。

私たちはカレブから信仰を学びましょう。
いったい彼の肯定的な力は何処から来るのでしょうか?

@カレブの力の源、肯定的、積極的な思いは主なる神から来ます!

「ただ、主にそむいてはならない。その地の人々を恐れてはならない。彼らは私たちのえじきとなるからだ。彼らの守りは、彼らから取り去られている。しかし主が私たちとともにおられるのだ。彼らを恐れてはならない。」民数記14章9節

カレブは「主にそむいてはならない」と言いました。つまり「主に忠実でありなさい」と言うことですね。そして「主が私たちとともにおられるのだ。彼らを恐れてはならない。」と彼の信仰を宣言しています。

天と地を造られ、今日もこれを保ち、私たちを全ての災いから守り、必要を満たして下さる主が私たちとともにおられる!私とともにおられる!何を恐れようか!
これがカレブの信仰、これがカレブの力の源、肯定的、積極的な考え方の土台でした!

主はあなたとともにおられます!
隣の人に言って下さい。「主はあなたとともにおられます!」と。

私たちは主を見上げ、主を見続けるのなら、問題の真ん中にいても安心です!
しかし、主から目をそらし、問題に集中する時、問題が大きく見え、平安を失います。

ペテロがガリラヤ湖の上を歩いた時、彼はイエスさまを見つめ続けました。
ペテロがイエスさまを見上げていた時は、イエスさまの招きによって水の上でも歩けたのです。しかし、彼が一瞬、主から目を離して風と波を見た時、恐怖に心を縛られました。恐れと疑いが大きくなり、彼は沈み始めたと聖書に書いてあります。
イエスさまはペテロの不信仰を叱られました。

信仰とは、イエスさまを第一に見上げること、見続けることです!
問題がやって来ても、主と主の言葉を通して問題を見ることです。
そうするならば、どんな問題がやって来ても、イナゴのようなものなのです。

なぜなら主は耐えることの出来ない試練に私たちを会わせないと約束されているからです(第一コリント10章13節)必ず解決があるのです!

しかし、主と主の約束のことばから目を離してしまうと、私たちは簡単に問題に飲み込まれてしまいます。カレブのように忠実に主を見上げましょう!

さあ!勝利の宣言をしましょう。信仰によって告白しましょう。
まず自分の今の問題を思い浮かべて下さい。そしてイエスさまの御足がその問題を踏みつぶしていることを想像しましょう。そして信仰によって宣言しましょう。
「問題よ、お前はイナゴだ!私は主にあって勝利者だ!」と。

A肯定的な言葉、信仰の言葉を語る。

カレブに見られる信仰の原則の二番目は、耐えず肯定的な言葉、信仰の言葉を語ることです。カレブは不信仰や疑いの言葉を口に出しませんでした。

ちょっと、これには注意をさせて下さい。
これは自己啓発セミナーのように何でもかんでも前向き積極的になれ!と言っているのではありません。ダビデは信仰の人でしたが、自分の弱さ、自分の苦しさを切々と主に語りました。多くの人は自分の辛さ、弱さを語るのは不信仰だと誤解しています。
自分の辛さ、苦しさを抑圧して、何でも出来る!とやっていると必ず無理が来ます。
それは自分の力で頑張っているからです。自分の頑張りで積極的になれと言っているのではありません。

聖書的な肯定的、信仰の告白は、「私は主にあって出来るです!」
主を抜かしては何も出来ないのです。私は弱いです。でも主にあって強いのです。
私は出来なくても、主は何でも出来るからです!
あなたは、ありのままで良いのです。なぜならありのままで主が受け入れ、愛して下さっているからです。あなたに出来ないことは、主が栄光を現して下さる場所です!
私たちは無理せず、自分には出来なくても、主は出来ます!と信仰にあって肯定的な言葉、信仰のことばを告白しましょう。

「死と生は舌に支配される。どちらかを愛して人はその実を食べる。」箴言18章21節

B忠実なライフ・スタイル

皆さん、忠実であることは大きな実を結びます。
カレブは主に忠実に従い通したので、ヘブロンを相続しました。
85歳になっても、若さを失いませんでした。

カレブの人生は一時的な頑張りでは真似が出来ません。日々の積み重ねによるものです。
皆さんにまずお勧めしたいこと、それは自分の時間のほんの短くても結構ですから、主に聖別することです。聖別するとは、主のためにだけ用いる時間をほんの僅かでも確保することです。神さまと親しく交わる時間です。神の愛を思い起こし、神の励まし、慰めに満ちた言葉を黙想する時間です。聖霊様はその時、あなたの心を力づけ、あなたの心を強くします。

忙しくて、なかなかと言う方もいるでしょう。日曜日の礼拝を守るのが精一杯という方もいるでしょう。日曜日の礼拝を守ることも素晴らしい、時間の聖別です!
いや、それすらも!と言う方もいるかもしれませんね。
そういう方は、遠慮無く牧師にメールか電話して下さい。牧師が代わりに祈ります。
聖霊様は私たちが祈れない時、私たちの心のうめきを聞き取って下さる方です。
私たちが出来ない時は、神の家族が助けるのです。

主を待ち望む時間を知恵を尽くして作りましょう!
そして、主との交わりの時間が、どんなリゾートホテルや、どんなグルメよりも素晴らしいことを体験してほしいと願います。

40:28 あなたは知らないのか。聞いていないのか。主は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。
40:29 疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。
40:30 若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。
40:31 しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。イザヤ書40章28から31節

カレブは85歳でも若さと力を失いませんでした。この力は今日でも存在します。
この力はイエス・キリストの復活の力、聖霊の力です!
天の父なる神様はイエス・キリストを通して、この力であなたを満たしたい、この力であなたを覆いたいと願っておられるのです!主を待ち望みましょう。