「無益な者から有益な者へ」
ピレモンへの手紙
牧師 小林智彦

今週はピレモンへの手紙から恵を分かちあいましょう。
ピレモンへの手紙は新約聖書の中で、パウロが書いた手紙の一番最後に置かれています。
まずピレモンという人物はどのような人物だったのでしょうか?

「キリスト・イエスの囚人であるパウロ、および兄弟テモテから、私たちの愛する同労者ピレモンへ。また、姉妹アピヤ、私たちの戦友アルキポ、ならびにあなたの家にある教会へ。」ピレモンへの手紙1章1.2節

ピレモンへの手紙の冒頭、宛先にはピレモンと姉妹アピヤ、そして戦友アルキポの名前が出てきます。姉妹アピヤという人物はピレモンの妻と考えられています。また戦友アルキポはピレモン・アピヤ夫妻の子どもで福音を伝える働きをしていたと考えられます。
そして「あなたの家にある教会へ」とあるように、ピレモンの家は礼拝のために解放されていました。

ピレモンの家は裕福であったようです。なぜなら集会を持つだけの大きな家を持っていたからです。そしてピレモンの家族は主に仕える模範的な家庭でした。

ピレモンは何処に住んでいたのでしょう?彼の家の教会は何処にあったのでしょうか?

「アルキポに、『主にあって受けた務めを、注意してよく果たすように。』と言ってください。」コロサイ4章17節

コロサイ人への手紙の中にアルキポとその働き対する注意が書かれているので、ピレモンの家の教会もコロサイにあったことが分かります。コロサイの教会と言っても、礼拝だけに使用する会堂があったのではありません。初代教会時代には教会堂はありませんでした。コロサイの教会というのは、コロサイに住む信徒の家々で持たれていた集会のことを指しています。ピレモンもコロサイ地方の信徒の群れに属する家の教会の一つでした。

コロサイ地方の教会には異端グループによる混乱がありました。
その問題解決のために書かれた手紙がコロサイ人への手紙です。
パウロは忠実な弟子であるテキコに、手紙を持たせてコロサイに遣わしました。

「私の様子については、主にあって愛する兄弟、忠実な奉仕者、同労のしもべであるテキコが、あなたがたに一部始終を知らせるでしょう。私がテキコをあなたがたのもとに送るのは、あなたがたが私たちの様子を知り、彼によって心に励ましを受けるためにほかなりません。また彼は、あなたがたの仲間のひとりで、忠実な愛する兄弟オネシモといっしょに行きます。このふたりが、こちらの様子をみな知らせてくれるでしょう。」
コロサイ4章7節から9節

テキコは手紙を携えてコロサイにやって来ました。そしてコロサイ地方の信徒を集めて、パウロの手紙を読み上げたと考えられます。そしてローマにいるパウロの様子も伝えました。そしてテキコは「あなたがたの仲間のひとりで、忠実な愛する兄弟オネシモ(9節)」にもローマで行われている働きについて分かちあうように勧めます。

しかし、その時、集まっていたコロサイの信徒の一部から驚きの声が湧き上がったのだろうと考えられるのです。


「え!オネシモだって!何でオネシモがここにいるんだ!忠実な愛する兄弟とは何事だ!」ピレモンとその家族、また彼の家の教会のメンバーにはオネシモに対する特別な思いがあったのです。怒りと苦々しい思いをオネシモに対しては抱えていたと考えられます。

なぜならピレモンの手紙の中心人物であるオネシモは、かつてピレモンの家の奴隷であり、ピレモンの家で悪事を働いて逃亡した、逃亡中の奴隷だったからです!

驚き当惑しているピレモンにテキコから手渡された手紙が、このピレモンへの手紙です。
この手紙の中には逃亡奴隷オネシモがどのように救われ、変えられたかが書かれています。

オネシモはピレモンの家で生まれ育った奴隷であると考えられます。
どのような悪事をピレモンの家で働いたのかは分かりません。逃亡のための資金としてお金、またお金に換えやすい貴重な物を盗んだのではないかと思われます。
そして彼は逃亡して国際都市であったローマへと逃げ延びたのです。

しかしピレモンの家で盗んだ金品も底をついたため、奴隷としての身分を隠してローマで職探しをしたのでしょう。そこで身元が怪しくても雇ってもらえるような、囚人の世話係の仕事をするようになったのかもしれません。そこで裁判のためにローマで獄に入れられた、パウロの世話をするようになったと考えられます。

パウロの獄中での生活はかなり自由が認められていました。パウロが悪質な犯罪を引き起こした犯罪者ではなかったからです。宗教の問題で訴えられている政治思想犯として取り扱われていたため、かなりの自由が認められていました。
外出の自由はありませんでしたが、家に人を招くことは認められていました。
使徒の働きにはユダヤ人のリーダーたちがパウロの家を訪れ、パウロが彼らに福音を語ったことが書かれています。またパウロの弟子たちがパウロのもとを訪ねて来ました。

オネシモはパウロの世話係、また家の雑用係として働きながら、パウロの語る福音に耳を傾け、心を開いていったと思われます。

「年老いて今はまたキリスト・イエスの囚人となっている私パウロが、獄中で生んだわが子オネシモのことを、あなたにお願いしたいのです。」ピレモンへの手紙1章9.10節

パウロの導きによってオネシモは心の中にイエス・キリストを救い主として受け入れました。彼はイエス・キリストが自分の罪のために、十字架で代わって罰を受け、死んで下さったことを信じました。そして罪と死を滅ぼし、永遠の命をもって復活されたイエスを信じたのです。彼は救われ、新生しました!彼は生まれ変わったのです。

パウロはオネシモを「わが子オネシモ(10節)」「彼は私の心そのものです(12節)」と言ってます。パウロはなぜここまでオネシモを愛し、信頼したのでしょうか?

私はオネシモの悔い改めが心の底から行われた真実な悔い改めだったからだと思います。
オネシモの信仰は口先だけでキリストを救い主と告白するものではありませんでした。

オネシモはキリストを救い主として信じ、自分の内にある全ての罪をキリストに背負って頂いたのです。彼は自分が逃亡中の奴隷であり、主人の家の物を盗んだことをパウロに告白しました。いやパウロだけに告白したのではないようです。この手紙がテモテとの連名であることを見ると、テモテもオネシモが逃亡中の奴隷であったことを知っていたようです。オネシモは自分の罪を言い表し、真実に神の前と人の前に悔い改めたのです。

自分が逃亡中の奴隷であることを表明することは危険の伴うことでした。
ローマ・ギリシャ世界は奴隷があって成り立つ社会構造でした。
そのため奴隷の反乱や逃亡には厳罰をもって対処し無ければなりませんでした。
主人の物を盗み、逃亡した奴隷は処刑されても当然だったのです。
奴隷の人権は認められず、奴隷は家畜と同じに扱われていたからです。
オネシモの罪の告白は、大変な危険の伴うものだったのです!

しかし、キリストの愛と赦しがオネシモを自分の問題に直面させました。
聖霊によって注がれる愛がオネシモを励まし、今まで隠し、逃げてきた問題に向き合う力を彼に与えたのです。

「自分のそむきの罪を隠す者は成功しない。それを告白して、それを捨てる者はあわれみを受ける。」箴言28章13節

キリストの愛と、どんな罪をも赦して下さる赦しに触れたオネシモ。
そしてキリストは死から復活した復活の信仰によってオネシモは変えられました。
キリストは死からよみがえりました!
そしてこのキリストの復活を信じる者にも、復活の偉大な力が注がれるのです!
死を打ち破った復活の力は、オネシモがどんなにどん底の状態にいても、立ち上がり、やり直せる力を与えることが出来たのです。

オネシモはありのままで受け入れられました。ありのままで赦されました。
そしてキリストの復活の力に触れられ、オネシモを死に縛り付けていた罪から解放されたのです。これが福音の力です!

この福音の力は今日でも、心を開いて求める者すべてに注がれるのです!

私たちもオネシモのように、何かの問題から逃げてはいませんか?
オネシモの名前の意味は「有益な者」という意味でした。
しかし罪を犯し、ピレモンの前から逃げ去ることで、彼は有益から無益な者になりました。

私たちはみな罪の故に神の前から離され、無益な者となっています。
しかしキリストに出会う時、私たちは変えられます。無益な者から有益な者へと。

オネシモをその名前通りに有益な者へと変えたキリストの復活、その力を信じましょう。
キリストが私たちの全ての罪を十字架の上で背負われたことを信じましょう。
罪の解決は隠すことでも逃げることでもありません!
キリストに背負っていただくことです。
私たちの罪、私たちが逃げている問題、苦しい状況をイエスに告白しましょう!

キリストがその罪をご自身の死によって滅ぼし、あなたには復活のいのちを注いで下さることを信じましょう!

祈りましょう。聖霊様の導きに、いま心を開きましょう。
解決しなければならない罪、和解しなければならない人はいませんか?
問題から逃げていませんか? 

どんなに大きな罪を犯していても、どんなに大きな失敗があっても、キリストはあなたを愛しています。キリストはそのままのあなたを大切にしています。
あなたが罪を犯し続けても、あなたが悔い改めを拒んでも、キリストの愛は変わらず、キリストはあなたを赦しています。このキリストの愛を受け入れて下さい。

そして、キリストの復活の力はどんな問題でも、どんな状況でもやり直す力と助けを与えることを信じましょう。


信じる気持が無くても、やり直したくなくても大丈夫です。
ただキリストの命があなたの傷を覆い、癒して下さることを求めましょう。

神の願いは、あなたが本来の姿に立ち返ることです。
あなたは罪に打ち負かされた敗北者ではありません。逃亡者ではありません。
あなたは神の似姿に創造され、神の栄光を反映させる存在です。
しかし罪があなたを覆い、あなたの本当の姿を覆っているのです。
キリストはその罪をあなたから取り除き、本来の姿を取り戻すために、ご自身の血であなたを洗い、ご自身の復活のいのちであなたを活かして下さるのです。

この復活のいのちがあなたに注がれるように祈ります!