「あなたがたこそ私たちの誉れであり、また喜びなのです」
テサロニケ人への手紙2章20節
牧師 小林智彦

今週の聖書通読箇所はテサロニケ人への手紙第一です。

【手紙が書かれた背景】

テサロニケに教会が誕生し、パウロがこの教会に向けて手紙を書いた背景は、使徒の働き17章1節から15節に詳しく書かれています。

ピリピで迫害されたパウロたちが宣教のために、次ぎに訪れた町がテサロニケでした。
パウロたちは三週間に渡ってユダヤ教の会堂で、イエスがキリストであることを論証したと書いてあります。その宣教によってユダヤ人の間からも、ギリシャ人の間からも多くの者がイエスを救い主として信じました。

しかしユダヤ人の中でイエスを認めない者たちが暴動を起こし、パウロたちを迫害しました。この迫害が大規模で執拗なため、パウロはテサロニケに留まることすら危険になりました。そのためパウロは少し離れたベレヤに移動し、そこで宣教を継続しましたが、テサロニケのユダヤ人たちはベレヤまでパウロを追いかけて迫害しました。
パウロはさらに下って、アテネまで避難することになったのです。

パウロはテサロニケで誕生したばかりの教会のことが心配でなりません。
短い期間でありましたが、テサロニケで信仰に入ったユダヤ人、そしてギリシャ人たちは非常に熱心でした。

「神に愛されている兄弟たち。あなたがたが神に選ばれた者であることは私たちが知っています。なぜなら、私たちの福音があなたがたに伝えられたのは、ことばだけによったのではなく、力と聖霊と強い確信とによったからです。また、私たちがあなたがたのところで、あなたがたのために、どのようにふるまったかは、あなたがたが知っています。
あなたがたも、多くの苦難の中で、聖霊による喜びをもってみことばを受け入れ、私たちと主とにならう者になりました。」第一テサロニケ1章4節から6節

パウロはテサロニケのクリスチャンたちが「神に選ばれた者である」と確信していました。彼らが福音を受け入れた時、聖霊にある喜びが伴い、彼らの人生が変えられたからです。

パウロはテサロニケのクリスチャンたちに、短い期間でしたが親心を持って熱心に関わりました。

「私たちがあなたがたのところで、あなたがたのために、どのようにふるまったかは、あなたがたが知っています(5節)」

パウロはどのようにテサロニケのクリスチャンたちに関わったのでしょうか?

「それどころか、あなたがたの間で、母がその子どもたちを養い育てるように、優しくふるまいました。このようにあなたがたを思う心から、ただ神の福音だけではなく、私たち自身のいのちまでも、喜んであなたがたに与えたいと思ったのです。なぜなら、あなたがたは私たちの愛する者となったからです。」テサロニケ人への手紙第一2章7.8節

パウロはテサロニケのクリスチャンを心から愛し、母親のような愛情を持って、献身的に彼らを霊的に養い、育てたのです。

「また、ご承知のとおり、私たちは父がその子どもに対してするように、あなたがたひとりひとりに、ご自身の御国と栄光とに召してくださる神にふさわしく歩むように勧めをし、慰めを与え、おごそかに命じました。」テサロニケ人への手紙第一2章11.12節

また母親の愛情だけでなく、父親の愛を持っても彼らに接しました。
パウロは時には母親になり、時には父親になってテサロニケのクリスチャンたちに愛を持って熱心に関わり、仕えたのです。

ところがイエスを受け入れないユダヤ人たちの迫害によって、テサロニケの愛するクリスチャンたちからパウロは引き離されてしまうのです!

親が愛する子どもから引き離されたら、どれほど辛く悲しいでしょうか!
子どものことを思って、どれほど心配になり、悩むことでしょう。
まさにパウロがテサロニケのクリスチャンたちに抱えた思いがそれでした。

パウロは何度もテサロニケに帰ろうと努力しました。
迫害のなかに飛び込んで、自らの命を失っても惜しくないほど彼らを愛していたのです。

「兄弟たちよ。私たちは、しばらくの間あなたがたから引き離されたので、――といっても、顔を見ないだけで、心においてではありませんが、――なおさらのこと、あなたがたの顔を見たいと切に願っていました。それで私たちは、あなたがたのところに行こうとしました。このパウロは一度ならず二度までも心を決めたのです。しかし、サタンが私たちを妨げました。私たちの主イエスが再び来られるとき、御前で私たちの望み、喜び、誇りの冠となるのはだれでしょう。あなたがたではありませんか。あなたがたこそ私たちの誉れであり、また喜びなのです。」第一テサロニケ2章17節から20節

どれほどパウロがテサロニケのクリスチャンたちを愛していたか!
親の一番の喜びが、子どもたちが無事に成長することであるように、パウロもテサロニケの信徒が迫害のなかを守られ、信仰を保ち続けることを切に願っていたのです。

パウロはテサロニケに引き返すことを決意しました。「二度までも心を決めた」とあります。これは彼の中で決定し、実行に移したことを意味しています。しかしテサロニケに向かう矢先に、更なる大きな迫害によってベレヤからも追い出されてしまったのです。

アテネまで追いやられたパウロは後から合流してきたテモテを直ぐにテサロニケに派遣します。何よりもテサロニケの信徒、神の家族のことが心配で堪らなかったからです。

そしてテサロニケからテモテが帰ってきて、その様子をパウロに報告します。

「ところが、今テモテがあなたがたのところから私たちのもとに帰って来て、あなたがたの信仰と愛について良い知らせをもたらしてくれました。また、あなたがたが、いつも私たちのことを親切に考えていて、私たちがあなたがたに会いたいと思うように、あなたがたも、しきりに私たちに会いたがっていることを、知らせてくれました。このようなわけで、兄弟たち。私たちはあらゆる苦しみと患難のうちにも、あなたがたのことでは、その信仰によって、慰めを受けました。あなたがたが主にあって堅く立っていてくれるなら、私たちは今、生きがいがあります。」第一テサロニケ3章6節から8節

テモテの知らせを聞いたパウロは、心の底から喜びました!
良い知らせだったからです。迫害の中、テサロニケの信徒たちは信仰を守り通し、またパウロたちに対する愛情を確認することが出来たからです。
パウロはこの喜びから手紙を書きました。
またテモテはテサロニケの信徒たちの問題もパウロに報告しました。
キリストが再臨する前に亡くなった信徒は復活の希望がないのか?
また再臨があまりにも近いと意識して、仕事や日常の責任を怠っている信徒たちの問題がありました。それらの問題に答えるためにもパウロはこの手紙を書いたのです。

【あなたがたこそ私たちの誉れであり、また喜びなのです】

さて、手紙が書かれた背景を話しましたが、ここで皆さんに気付いて欲しいことはパウロの愛です。パウロがどんなにテサロニケの人々を愛していたか!

「それどころか、あなたがたの間で、母がその子どもたちを養い育てるように、優しくふるまいました。このようにあなたがたを思う心から、ただ神の福音だけではなく、私たち自身のいのちまでも、喜んであなたがたに与えたいと思ったのです。なぜなら、あなたがたは私たちの愛する者となったからです。」テサロニケ人への手紙第一2章7.8節

「自分のいのちまでも、喜んであなたがたに与えたい」。この深いパウロの愛。

そして、テサロニケの人々はパウロにとって喜びであり、宝でした。

「私たちの主イエスが再び来られるとき、御前で私たちの望み、喜び、誇りの冠となるのはだれでしょう。あなたがたではありませんか。あなたがたこそ私たちの誉れであり、また喜びなのです。」テサロニケ人への手紙第一2章19.20節

テサロニケの信徒はパウロにとって「望み、喜び、誇りの冠」そして「誉れ」でした。

これほど大きく深いパウロの愛、この愛は一体どこから来るのでしょうか?
パウロが愛情深い人で、誰に対してもこのような愛を持っていたからでしょうか?
そうではありません。パウロは教会を迫害し、お年寄りから女性まで縛り上げて牢屋にぶち込む人間でした。パウロは冷酷非道な人間だったのです。

そのパウロがテサロニケの教会を愛し、信徒一人ひとりを愛し、彼らのためなら命をも喜んで与えるほどに変えられたのは何故なのでしょうか?

パウロの愛は、天のお父さんから来る愛です!イエス・キリストから流れる愛です!
聖霊の満たしに伴う愛です!神の愛がパウロを愛の人に変えたのです。

「私たちは、あなたがたの顔を見たい、信仰の不足を補いたいと、昼も夜も熱心に祈っています。」第一テサロニケ3章10節

この願いはパウロの願いだけでなく、天におられるイエスさまの願いです!
イエスの聖霊に満たされたパウロは、イエスさまと同じ愛に心を満たされたのです。

イエスさまはテサロニケのクリスチャンだけに会いたい、顔を見たいと願っているのではありません。私たち一人ひとりに早く会いたい!顔を見たいと願っておられるのです。
再臨の日が早く来るようにと一番強く願っているのはイエスさまです。
そして地上に残されている私たちの信仰が満たされるようにと昼も夜も熱心にとりなして下さっているのです。

ご一緒に19.20節を読みましょう。

「私たちの主イエスが再び来られるとき、御前で私たちの望み、喜び、誇りの冠となるのはだれでしょう。あなたがたではありませんか。あなたがたこそ私たちの誉れであり、また喜びなのです。」テサロニケ人への手紙第一2章19.20節

お隣の人に言って下さい。「あなたこそイエスさまの誉れであり、喜びなのです」と。

神がどれ程までに、皆さん一人ひとりを愛しているか、貴い存在として下さっているのかを知ってください。

「あなたがたが主にあって堅く立っていてくれるなら、私たちは今、生きがいがあります。」第一テサロニケ人への手紙3章8節

このパウロの思いも、天のお父様から来る思いです。
天の父は私たちを愛し、一人子であるイエスさまを私たちに与えて下さいました。
それは御子イエスにあって私たちが救いを得るためです。
そのために天の父も、イエスさまも大きな代価を払って下さったのです。
全ての人が救われること、そして救われた者が最後まで信仰を保つこと、これは天のお父さんの願いです!

せっかく救われたのに、途中で信仰から離れてしまう、神から離れてしまう、それは天の父さんにとっては大きな悲しみであり、痛みです。
一人子イエスを私たちに与えたのは、私たちが救われて天の父と和解するためです。
しかし、もし御子を拒絶し、また信仰を途中で放棄するなら天の父はどれほど苦しまれるでしょうか?自分の一人子イエスさまの死が無駄になってしまうのです。

天のお父さんの願い、イエスさまの願い、そしてパウロを始め福音に生涯を掛けてきた者の願いは同じです。

「あなたがたが主にあって堅く立っていてくれるなら、私たちは今、生きがいがあります。」第一テサロニケ人への手紙3章8節

自分がどれほど神に愛されている貴い存在であるのかを、先ず覚えましょう!
天で主イエス様がどれほど熱心に私たちとの再開を願っているか、私たちの信仰のために熱心に祈っておられるかを覚えましょう。

天のお父様の願いは、私たちが主にあって堅く立つことです!
そして、そのために天のお父様は助け主聖霊を一人ひとりに与えて下さっています。
私たちが心を開くだけで、私たちが助けを願うだけで、聖霊は私たちを助けて下さいます。聖霊に満たされることは父の約束であり、願いなのですから。

いま聖霊に満たされることを求めましょう!神からの約束の力に満たされ、また天の父の愛にいま満たされましょう!祈りましょう。