「キリストの平和が、あなたがたの心を支配するように」
コロサイ人への手紙3章15節から17節
牧師 小林智彦

【コロサイ人への手紙が書かれた背景】

コロサイ人への手紙はパウロによって書かれた手紙で、パウロがローマの獄中にいる時に書かれた手紙です。コロサイ教会はパウロが開拓した教会ではありません。
手紙の中に名前が出て来るエパフラスによって開拓された教会だと考えられます。

エパフラスはわざわざローマの獄中にいるパウロを訪ねました。それはコロサイ、また直ぐ近くのラオデキヤの教会で起きている問題を相談し、導きを求めるためでした。

コロサイ、そしてラオデキヤ教会の問題は異端の教えによる悪影響の問題でした。
異端の教えを信奉するグループがコロサイ、ラオデキヤの教会に忍び込んで来たのです。そして一部の信徒は異端グループの偽りによって、真の信仰から離れ始めました。

エパフラスからコロサイとラオデキヤ教会の現状を聞き、教会が偽りの教えから守られるために書いた手紙が、このコロサイ人への手紙と呼ばれる手紙なのです。

「あのむなしい、だましごとの哲学によってだれのとりこにもならぬよう、注意しなさい。そのようなものは、人の言い伝えによるものであり、この世に属する幼稚な教えによるものであって、キリストに基づくものではありません。キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。」コロサイ人への手紙2章8.9節

キリスト教会は当初から、異端グループによって攻撃されていました。
コロサイ教会を混乱させていたグループについては、今となってはどのような教えであったのかを詳しく知ることが出来ません。しかし今日の異端と通ずる特徴を持っていました。

異端というのは異教とは違います。仏教やイスラム教はキリスト教に取っては異教です。
異端というのは、自分はキリスト教であると主張しながら本質的な部分が異なるのです。

キリスト教でもプロテスタントとカトリック、ギリシャ正教会など幾つかの大きな宗派があります。しかし、これらは本質的な部分においては同じです。ただ非本質的な部分において異なるのです。しかし、本質的な部分は同じなので互いを尊重します。

しかし異端は本質的な部分が違うのです!
今日の代表的な異端は、モルモン教、エホバの証人、統一協会などです。

コロサイの異端もそうですが、モルモンやエホバの証人に共通する本質的な違いというのはイエス・キリストがどのような方であるか?についての違いです。

私たちプロテスタント、カトリック、また正教会はイエス・キリストを神であると信仰しています。

しかし、異端であるモルモン、エホバの証人はイエスを神と認めないのです。
これが大きな違いです。神が人となられたことを否定するのです。

私たちはイエス・キリストの十字架の死と流された血潮によって私たちの罪が完全に赦されたこと、そしてキリストの恵によって救われ、神の子供とされたことを信じます。

しかし、異端は罪が完全に赦されたこと、恵によって救われたことを否定します。
エホバの証人が伝道に熱心なのは救われた喜びからではなく、その行いによって救われたいと願っているからなのです。

キリスト教異端には救いはありません!
彼らは自らの救いを求めて、行いによって救われようと努力しているのです。

コロサイ人への手紙にはまず第一にキリストが誰なのか?それがハッキリと書かれています。そして天地を創造した神が私たちを罪から救うために人となられ、私たちの罪を身代わりに背負われたこと。罪の罰である十字架の死を代わりに受けられ、血を流し、罪の赦しを完成して下さったことが書かれています。
私たちは神の恵みによって、信じるだけで無条件に罪赦され、救われたのです!

コロサイ人の手紙には福音がハッキリと記されています。
今週の通読箇所なので、これらのことを覚えながらぜひ通読してみて下さい。
そして自分が確かに救われていること、罪赦されていること、神の子供とされたことを改めて確信されるように願っています。

【キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい】

「キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。あなたがたのすることは、ことばによると行ないによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、主によって父なる神に感謝しなさい。」コロサイ人への手紙3章15節から17節

キリストの平和に心が支配されるようにと勧めるパウロの心は、キリストの平和に支配されていたのだと思います。コロサイ人への手紙には、感謝も繰り返し述べられています。
これは驚くべきことでしょう!なぜならパウロは牢獄につながれていたのですから!

パウロが不当に逮捕され、投獄されたことは先週もお話ししました。
彼には自由がありませんでした。裁判も不透明なため、人間的な希望も見いだせない状況に彼は置かれていたのです。
しかし、パウロの心は失望や落胆、不満と怒りに満たされていたのではなく、キリストの平和に満たされていました!いやキリストの平和に支配されていたのです!

キリストの平和に心が支配されるなら、どんな状況に置かれていても平安があります。
キリストの平和に心が支配されるなら、絶望の中にも希望が生まれ、感謝が生まれます。
キリストの平和に心が支配されるように願いましょう!

一体、どのようにすればキリストの平和が私たちの心を支配するのでしょうか?
私たちは、このような平和で迫害のない国に暮らしながらも、不平や不満に心が支配される時があります。怒りや憎しみ、また不安や心配に心が支配される時もあります。
キリストの平和に心が支配されるにはどうすればよいのでしょうか?
パウロは如何にして、キリストの平和に心を支配されるようになったのでしょうか?

@平和の土台を築くこと

コロサイ人への手紙を読むと、平和の土台が大切であることに気付かされます。
先ずキリストによって平和の土台を確かに築くことです。

平和の土台とは何でしょうか?それは私たちがキリストにあって確かに救われていることです。キリストによって罪が赦されている、キリストによって神の子供とされている、キリストによって永遠の命が与えられている!これが救いです。

天の父なる神がキリストにあって私たちをありのまま受け入れて下さっている!
私たちをありのまま受け入れ、キリストを与えるほどに愛して下さっている!
これが平和の土台です。それはキリストとの揺るがない関係です。

考えてみて下さい。私たちの地上生涯があと40年かも知れないとします。
その40年、決して短くはありませんが、40年が苦労に満ちた人生であっても、あとの永遠の人生は天において、神と永遠を暮らすのです!
黙示録の21章で学びましたが、天には死も涙も、悲しみや苦しみも無いのです。
私たちの永遠の住まいは、確かに約束されているのです。

この世がどんなに辛くても必ず終わりが来ます。
そしてこの世界は不完全で、決して良くならないことが聖書に預言されています。
この不完全な世界で問題なく、楽しく暮らすこと自体が不可能なのです。

楽しむことは決して罪ではありません。クリスチャンも楽しんで下さい。
でも忘れてならないことは、本当の喜び楽しみはこの世の中では見つからないことです。
天で私たちを待っている喜びに比べたら、この世の喜びは色褪せるのです。

一流ホテルで豪華なディナーを予約しているのに、その直前にカップラーメンで思いっきりお腹を満たす人はいませんね!

豪華なディナーを予約していたら、私だったら昼飯は抜いて、思いっきりお腹を空かせてからレストランに向かうでしょう。昼を抜いたからと言って惨めで、情けない空腹感に満たされるでしょうか?そんなことはありません。一流シェフの料理を思い描いて喜びで満たされます。空腹はよりいっそう期待を大きくするのです。

キリストの平和に心が支配されることも同じです!
キリストにあって罪赦されていること!そのままのあなたでOK!天のお父さんを私を自分の息子、娘にして下さった!私は全能の神の子供であり、私の住まいは天にある!
キリストにある自分の姿がハッキリ覚えることが平和の土台です。

A祈りによって平和に支配される。

「何事も心配してはなりません。むしろ、どんなことでも祈りなさい。神さまにお願いしなさい。そして、祈りに答えて下さる神さまに感謝するのを忘れてはなりません。
そうすれば、人間の理解をはるかに超えた、素晴らしい神さまの平安を経験できます。
キリスト・イエスに頼る時、その平安は、あなたがたの心と思いとを静め、安らかにしてくれるのです。」ピリピ4章6.7節(リビングバイブル訳)

このみ言葉に解説や何か付け加えることは不要ですね。
ピリピ人への手紙もパウロが牢獄にいた時、書いた手紙です。
パウロの心を支配していたキリストの平和は、祈りを通して神に信頼した時に訪れました。私たちも、苦しみ、悩み、痛みも不安も、全て神に祈りましょう。
必ず聞いて下さり、必ず解決の道を開いて下さることを確信して感謝しましょう!
神は必ず私たちの祈りを聞いて下さり、最善の答えを用意して下さっています。

B聖霊の満たしによる平安

「贈り物をあげましょう。そう、あなたがたの思いと心を安らかにしてあげる、それがわたしの贈り物です。わたしが与える平安は、この世が与える、はかない平安とは比べものになりません。だから、どんな時にも、おろおろしたり、恐れたりしてはいけません。」ヨハネによる福音書14章27節(リビングバイブル訳)

聖霊様は天の父なる神とイエスさまからの贈り物です!
聖霊様は私たちの助け主です。私たちが不安で怯え、どうしようも出来ない、そんなときに私たちの心を平安で満たすことがお出来になる方です。

心が不安でしょうがない!自分では、もうどうにも出来ない!
神の聖霊を求めて下さい。聖霊様に私たちの不安や恐れに打ち勝ってもらいましょう。
イエスの平和が私たちの心配や不安に勝利して、私たちの心を支配するように、聖霊様に祈り求めましょう。

全てに勝るキリストの平和、それは神からの贈り物です!