「生きることはキリスト、死ぬこともまた益です」
ピリピ人への手紙1章12節から21節
牧師 小林智彦

【ピリピ人への手紙が書かれた背景】

今週の聖書通読箇所はピリピ人への手紙です。
ピリピにある教会はパウロにとって、喜びと感謝に満たされる模範的な教会でした。
ピリピのクリスチャンたちは、パウロの宣教活動を祈りと物質的な物をもって支えました。パウロが福音のために捕らえられ獄中にいる間も、変わらずパウロの働きを支えたのです。
ピリピ人への手紙は、ピリピのクリスチャンに対する感謝のお礼状であります。

ピリピの教会は模範的な教会でしたが、完璧ではありません。
完璧な教会などは存在しないからです。ピリピ教会の問題は、指導者たちの不一致でした。
この不一致の問題を乗り越えられるように、パウロは暖かいアドバイスを与えています。ぜひこの背景を覚えながら、ピリピ人への手紙を通読して下さい。

【私の身に起こったことが、かえって福音を前進させることになった】

「さて、兄弟たち。私の身に起こったことが、かえって福音を前進させることになったのを知ってもらいたいと思います。」ピリピ人への手紙1章12節

「パウロの身に起こったこと」とは、何を指しているのでしょうか?
これはパウロの逮捕と投獄を指していると考えられます。
パウロはキリストの福音を宣べ伝えることで、迫害を受け、不当にエルサレムで逮捕されました。彼は何一つ法に触れるような犯罪行為はしていません。
彼は不当に逮捕され、そしてカイザリヤで二年も獄に繋がれ、遂にローマにまで移送されます。ローマでも獄に繋がれ、皇帝の裁判を受けることになりました。
この経緯に関しては、「使徒の働き」21章から28章に詳しく書かれてあります。

逮捕される前のパウロの活動を「使徒の働き」から見ると、実にスケールの大きな働きをしていたことが分かります。地中海世界を二回にわたって福音を伝える宣教旅行に出掛け、アジア地域(今のトルコ)、そしてギリシャへと教会の基礎を築き上げていったのです!

誰もがパウロの逮捕を驚き、そして悲しみました。
パウロが捕らえられ、いつ釈放されるか分からない、それは福音の宣教に関してはマイナスです!彼にはローマに、そしてスペインに宣教しようと大きな夢がありました。
多くのクリスチャンもパウロのこれからの活動に期待していました。
しかし!そのパウロの活動の絶頂期に、彼は不当に逮捕され、自由が奪われたのです。

パウロ自身も、またパウロの弟子たちも失望と落胆のどん底に突き落とされたと思います。「なぜだ!神のために、福音のために生きているのに、なぜ逮捕されるのか?」
「神はなぜ、神を愛し、神のために生きている者を守られないのか?」
このような当然の疑問をパウロも弟子たちも抱いたのではないかと思うのです。

ピリピのクリスチャンたちも同じように考えたのではないでしょうか?
悪人、罪人が自分の悪い行いのために苦しむのは当然かも知れない。しかし、善人がなぜ不当に苦しめられるのだろう?神はなぜ不当な苦しみを許されるのか?
これは信仰者に必ず訪れる大きな疑問です。信仰を続けていく上での危機にもなります。

パウロは自分の不当な逮捕と投獄、この不当な苦しみをどのように乗り越えたのでしょうか?このような苦しみの中で、どのように神を信じ続けることが出来たのでしょうか?

パウロは人間的には自由を奪われ、希望が見えない状況に置かれながらも、その中に働かれる神の力強い御手を見たのです!

「私の身に起こったことが、かえって福音を前進させることになった(12節)」

何と神はパウロが自由でのびのびと活動するよりも更に大きな働きを、彼の不当な逮捕を通して行われていることにパウロは気付かされたのです!

パウロはこの不当な逮捕と裁判を通して、ローマの千人隊長に福音を伝えました。
また二人のユダヤ総督に対しても確かに福音を伝えたのです。
ユダヤ総督です!イエスさまを十字架に付けたのもユダヤ総督でした。

この逮捕、裁判というチャンスがなければ、パウロはユダヤ総督に福音を伝えることは許されなかったでしょう。面会することすら認められなかったと思います。
またエルサレムでは祭司長やパリサイ人、サドカイ人、宗教指導者たちにハッキリと福音を伝えました。イエスさまを罪に定め、十字架に引き渡した人たちにです!
パウロはローマの市民権を持っていたため、イエスさまのように十字架に付けられることはなかったのです。ローマ兵に守られながら、福音を伝えることが許されたのです。

パウロはアグリッパ王とその妻にも福音を伝え、信仰を持つまであと一歩のところまで導きました。そしてローマ皇帝にも裁判の席を通して福音を伝えるチャンスが開かれようとしたのです。これは適わなかったようですが。

パウロの不当逮捕は福音がローマ帝国の中心に流れ込む道筋をどんどん開きました。

「私がキリストのゆえに投獄されている、ということは、親衛隊の全員と、そのほかのすべての人にも明らかになり(13節)」

どのようにしてローマ皇帝の親衛隊に福音が伝わったのでしょうか?

「さて、私たちが船でイタリヤへ行くことが決まったとき、パウロと、ほかの数人の囚人は、ユリアスという親衛隊の百人隊長に引き渡された。」使徒の働き27章1節

パウロをカイザリヤからローマに護送するために派遣されたローマ兵が、親衛隊に属する百人隊長だったのです。この百人隊長はパウロをローマに護送するまで、よく観察していたのでしょう。パウロを乗せた船は嵐に巻き込まれ漂流してしまうのですが、その中でパウロがどのように行動したのか?それは使徒の働きに詳しく書かれてありますが、普通の犯罪人とは全く違う言動をパウロはしました。
親衛隊の百人隊長はパウロがどのような人物なのか、彼の行い、態度、言葉を通して理解したのです。まさに神の僕、そして目には見えないけれども神が確かにパウロとともに居られることを百人隊長は知ったのです。生ける真の神がおられることを知ったのです!

この親衛隊の百人隊長ユリアスを通して、ローマ皇帝の側近たちに福音が伝えられていきました。これもパウロの不当な逮捕と投獄を通して行われた神の不思議な業です。

パウロはなぜ不当に逮捕、投獄されたのか?
神はなぜご自分の僕であるパウロを、悪人から守られなかったのか?
その理由を分かって頂けたと思います。

「私の身に起こったことが、かえって福音を前進させることになったのを知ってもらいたいと思います。」ピリピ人への手紙1章12節

パウロにとってマイナスと思えること、絶望と思える状況を通して、神は驚くべき業をなされたのです!だから神はパウロが不当に逮捕され、投獄されることを許されたのです。

パウロはこの隠された神のご計画があることをピリピの信者に知って欲しかったのです。
パウロに訪れた人間的な不幸を通して、神を疑ったり、不信仰になることが無いためです。

そして更に愛するピリピのクリスチャンたち、また私たちに知って欲しいこと、それは私たちに訪れる不当な苦しみ、マイナスと思える出来事をも神はプラスに変えることが出来ることです!

星野富弘さんをご存じだと思います。
若い頃は体操の選手で、小学校で体育の教師をしておられました。
しかし、授業中の事故によって頸椎を損傷し、首から下が動かなくなってしまいました。
これほどのマイナスがあるでしょうか?ご自身も絶望のどん底に投げ込まれた。

しかし、彼はこのどん底の状況で真の神に出会った。彼は永遠の命を受けました。
彼はキリストを知って、一つ一つの出来事を感謝し、今出来ることを心込めて行った。
口が動く! 動く口に絵筆をくわえ、神の作られた花々を描き、詩を書き始めた。
その絵と信仰に溢れる詩が、多くの人々を励まし、キリストに導いたのです。

もし彼が健康で体育教師を続けていても、決して影響を与えることが出来ないほどの人々に、彼はその事故による怪我を通して影響を与え、人生を変えることに用いられたのです。

神は神を信じる神の子供を愛しています!神は私たちを守られます。これは約束です。
しかし、時に神の守りが見えない時がやって来ます。
不当な苦しみ、マイナスと思える状況が私たちを襲うことがあります。
しかし、それは決して神が私たちを愛していないのではないのです!

「私の身に起こったことが、かえって福音を前進させることになった」とあるように、神はそのマイナスをプラスに変え、私たちの苦境や困難を驚くべき神の方法で用いるためなのです!

私たちが現在置かれている状況はどのような状況でしょうか?
順境でしょうか、それとも逆境でしょうか?神はそのどちらをも用いることが出来ます。

神を信じましょう。神にあっては不幸な過去はあり得ません!
私たちの全てを用いて、ご自身の栄光を神は表すことが出来ます。信じましょう。

イエスは言われました。「信じる者は神の栄光を見る!(ヨハネ11章40節)」と。

パウロがもし自分の苦境を嘆き、神を呪っていたならば牢獄で心を病み、病気で死んでいたでしょう。しかし彼は神を信頼し続けました。死者を復活させる神を信じたのです。
死人を生き返らせる神に不可能はないと信じたのです。
そして信仰の目を持って、自分の人生を見渡した時、神の驚くべきご計画、不思議な神の御手を見たのです!

神は私たちの良い面も、弱い面も、成功も失敗も、ご自身の栄光を表すために用いられます!私たちの人生を神に委ねましょう!

【私たちの証は、人々を励ます】

1:14 また兄弟たちの大多数は、私が投獄されたことにより、主にあって確信を与えられ、恐れることなく、ますます大胆に神のことばを語るようになりました。

パウロの投獄は、回りの信仰者にも強い影響を与えました。
パウロが投獄され、命の危険にさらされてもなお、福音を語り続ける姿に、多くの人々は信仰の確信を得たのです。


私たちが逆境を生き生きと生きる姿こそ、人々を信仰に導き、励ましを与えます!
クリスチャン一人ひとりの人生こそ、神がおられることを証明する証なのです。

だから私たちは他の人々にも希望を与えるため、自分の人生を生き生きと歩みましょう。イエスさまを伝えるために、何か特別の学びや学問は必要ありません。
それぞれの人生に与えられた神からの課題に真剣に取り組む時、信仰を持って前向き生きる時、証が生まれるのです!主の栄光が現されるのです!

福音を上手に説明するより、人生を通して福音の恵に生きることの方が素晴らしいのです。私たちの弱さの内に働かれる神を信じましょう!
私たちの苦しい状況に、困難な状況に働かれる神を信じましょう!
私たちの人生を通して、神の栄光が現されることを信じましょう!

【復活の力、マイナスをプラスに変える原動力である聖霊を求めよう!】

さあ!それでは神の力を求めましょう。
マイナスをプラスに変えるのは私たちの努力ではありません。
私たちが死んで、復活するのも私たちの努力や頑張りでないのと同じです。
それを可能にするのはイエスを復活させた聖霊なる神に依るのです!

いま聖霊に満たされることを求めましょう!
信仰を堅く持ち、肯定的に考え、物事を信仰を通して捉えることが出来るように聖霊の助けを願いましょう。私たちの思うところ、願うことを遙かに超えて豊かに施すことの出来る神を、聖霊を求めましょう。

聖霊が、苦境をプラスに変える神の驚くべき力です!
キリストを救い主と信じる者には、誰でも聖霊は助け主として、助けて下さるのです。
パウロに働いたのと同じ、神の力を受けましょう!
私たちの人生を通して神の栄光が現されるように、聖霊を求めましょう!