「イエスの右の手に握られた七つの星と七つの金の燭台」
ヨハネ黙示録1章9節から20節
牧師 小林智彦

今週から三週間に渡って、ヨハネ黙示録を通読します。説教も黙示録からになります。
黙示録は難しい、分かりづらいと言われるのを良く聞きます。
また世の終わり、裁きや滅びと言った恐ろしいことが書かれていると思われるでしょう。
確かに、世の終わりや裁きについて書かれていますが、キリストを信じている私たちには大きな励ましと慰めを与える書です。
黙示録から、キリストにある慰めと励まし、希望をしっかりと受けとめましょう!

【わたしの右の手】

「わたしの右の手の中に見えた七つの星と、七つの金の燭台について、その秘められた意味を言えば、七つの星は七つの教会の御使いたち、七つの燭台は七つの教会である。」
ヨハネ黙示録1章20節

黙示録は様々な象徴(イメージ)を用いて、書かれてあります。黙示録に書かれている象徴を聖書的に正しく理解することが、黙示録を理解する上で大切です。
黙示録の象徴は決して理解不可能なものではなく、また謎やミステリーでもありません。
そして、間違って理解しないようにイエスさまが説明して下さっているところもあります。
この1章20節の箇所もそうです。

天におられるイエスさまは、再臨されるまで何もしないで待っておられるのでしょうか?そうではありません!イエスさまは天において、私たちいつも見守っておられます。

「しかし、キリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。」ヘブル人への手紙7章24.25節

ヘブル人では天におられるイエスさまは私たちのために祭司の努めを果たしておられ、私たちのために父なる神にとりなし祈って下さっているのです。

「私の子どもたち。私がこれらのことを書き送るのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。もしだれかが罪を犯したなら、私たちには、御父の御前で弁護してくださる方があります。それは、義なるイエス・キリストです。」第一ヨハネ2章1節

天におられるイエスさまは、私たちが弱さから罪を犯す時、弁護して下さいます。
私たちの弱さを憐れみ、罪を犯さないように助け主を送って下さる方です。

そして黙示録では、イエスさまはその右の手に七つの星と七つの金の燭台を持つお方として登場されます。

そしてイエスさまご自身が、七つの星と七つの金の燭台の意味を説明しておられます。
七つの星とは七つの教会の御使いたちであり、これは私たちクリスチャンのことです。
「御使い(ギ)アンゲロス」はほとんどの場合、天使を指して遣われていますが、人にも用いられてる箇所があります。この箇所も天使にむけて書かれている箇所とは考えられないので、神の使命を帯びた者として私たちクリスチャンを指していると考えられます。
そして七つの金の燭台(ろうそく立て)は、七つの教会を意味しています。

天におられるイエスさまは、七つの星である私たちクリスチャンと七つの金の燭台に象徴された教会を、右の手に握っておられるのです!

神の右手は神の支配と権威を表すことばとして旧約聖書の詩編では用いられています。
イエスの右の手に私たちが握りしめられているとは、神の支配と権威の中で私たちは守られ、そして導かれていることを表しています。

私たちはイエスにしっかりと握りしめられているのです!
キリストの満ちあふれる愛の中から、誰ひとりとしてはぐれる者はありません。
キリストは私たちを悪しき者から、災いから確かに守って下さる方です。

そしてキリストは確かなご計画を持って、私たちと私たちの教会を導いて下さる方です。
主の御手の中に安らぎましょう!神の右の手に握られている者を誰が奪い取ることが出来るでしょう。神の守りの中にいる者を、誰が攻撃することが出来るでしょう。
神の右の手に守られていることを覚えて、あらゆる恐れや不安を主に委ねましょう。
主が守り、導いて下さるのですから!

「あなたの奇しい恵みをお示しください。立ち向かう者から身を避けて右の手に来る者を救う方。私を、ひとみのように見守り、御翼の陰に私をかくまってください。」
詩編17章7.8節

イエスの右の手には救いがあり、守りがあります。その右の手が私たちを救い、私たちを守っておられるのです!


「あなたは御手をもって、国々を追い払い、そこに彼らを植え、国民にわざわいを与え、そこに彼らを送り込まれました。彼らは、自分の剣によって地を得たのでもなく、自分の腕が彼らを救ったのでもありません。ただあなたの右の手、あなたの腕、あなたの御顔の光が、そうしたのです。あなたが彼らを愛されたからです。」詩編44編2.3節

イエスは私たちを愛しています。だからご自身の右の手で私たちを導き、私たちに約束された全ての良きものを私たちに与えて下さいます。

主の右の手にあることを覚えて、イエスを誉めたたえましょう!主に感謝しましょう。

【七つの星と、七つの金の燭台】

「わたしの右の手の中に見えた七つの星と、七つの金の燭台について、その秘められた意味を言えば、七つの星は七つの教会の御使いたち、七つの燭台は七つの教会である。」
ヨハネ黙示録1章20節

次ぎに七つの星と七つの金の燭台の象徴から、教えと私たちの役割について学びましょう。

星も燭台(ロウソク立て)もともに昼間は役に立ちません。
昼は星を見ることが出来ませんし、日の光があるのにロウソクに火を灯す人もいません。
しかし、日が沈み闇が深くなると星は輝き、暗くなればなるほど輝きを増していきます。
ロウソクも昼ではなく夜に必要な物です。暗ければ暗いほど、明るい光が必要です。

私たちクリスチャンと教会の役割も同じです。
平和で明るい世界では、あまりクリスチャンの存在は目立たないかも知れません。
偽りの光が輝いていて、どれが本当のなくならない光なのか分からないのです。
今の日本はこのような状況かも知れません。

しかし、闇の時代がやって来るのです。
その時、イエスを信じるクリスチャンが暗闇の中で輝き出すのです!
多くの人が人生に絶望し道を失っても、イエスを信じる者は命と希望の光を失いません。

「わたしは光として世に来ました。わたしを信じる者が、だれもやみの中にとどまることのないためです。」ヨハネ福音書12章46節

黙示録に書かれてある神の神罰が世界に下り、人々が希望を失う時、クリスチャンには光があることに気付きます。そして私たちの証を通して、キリストこそまことの光、まことの救い主であることに気が付くようになるのです。

教会も同じです。暗闇の世界で希望を失わずに輝き続ける存在が教会です。
人々はこの世の中では得ることの出来ない、命の輝き、希望を求めてやって来るのです。

私たちと教会の役割は内にある光を輝かし続けることです!
今は偽物の光が回りに輝いているので、人々は気が付かないかも知れない。
しかし、闇の時代は必ず来るのです。

巻物の封印が一つずつ解かれる度に、恐ろしい災害、天変地異が人々を襲うことが預言されています。その災害はエスカレートしていくのです。
黙示録は私たちの住む地も天も過ぎ去り、滅び行くことを教えています。
目に見える物、手で触れられる物は必ず滅びるのです。
目に見える物、手で触れられる物だけに希望を置き、この地上が永遠に続くことを願う人は絶望に打ちひしがれるのです。希望を見いだせないのです。

しかし、私たちはこの地上に希望を置いてはいません!
私たちは目に見えない神の言葉により、新しい天と新しい地を待ち望んでいるのです。
このキリストにある希望が失われることはあり得ないのです!
なぜなら私たちはキリストの右の手に堅く握られているからです。
私たちはキリストにある希望を堅く保ち続けましょう。これが私たちの光です。

【星が輝き続けるために】

星の輝きはとても美しいです。星はどうして輝くのでしょうか?
星の輝きには二種類あるそうです。太陽のように自ら輝く星と、月や金星、火星のように、太陽の光を反射させて輝く星の二種類です。

キリストの手に握られている七つの星の輝きは、キリストの栄光を反射させて輝くのだと思います。私たちクリスチャンの輝きは自分の頑張りや努力ではなく、キリストの栄光を反映させた輝きなのです。

「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」第二コリント3章18節

私たちクリスチャンの輝きの源は主イエス・キリストです!

私たちが主の栄光を反映さえ、人々に主イエスの証をするために必要なことは、
@キリストを見上げること。これは礼拝です。礼拝は日曜日の礼拝だけではありません。
朝起きて、神を礼拝しましょう。ベッドの上で主の愛と約束を覚えましょう。
天の父なる神がどれほど大きな愛を持って、自分を愛しているかを覚えることです。
神の愛に感謝し、神に賛美する時、私たちの霊は輝き出します。聖霊様に溢れます。

そして聖書を読むことです。聖書の読み方にも色々あります。個人礼拝では自分の好きな聖書箇所を繰り返し読んで力を頂くのも良い方法です。聖書通読が理想ですが、難しい箇所を意味が掴めないまま、ただ読むだけだと辛くなります。朝の個人礼拝の時は、分かりやすく、励ましと希望に溢れる箇所を読むか、分かりやすいディボーション・ガイドを使うことをお勧めします。

Aキリストの栄光を妨げている覆いを取り除く。
キリストの栄光を妨げている覆いが何か、それは人それぞれでしょう。
罪を犯し続けている、勝利できない、それも大きな覆いです。思い煩い、不安、怒り、憎しみなどのような心の間違った態度もキリストの栄光を妨げてしまいます。

自分ではどうしようも出来ないこと、祈ることも難しい、悔い改める気分にもなれない時、
牧師やクリスチャンの友人に早めに話すことです。
罪は自分の力では勝つことが出来ないから、罪なのです!
イエスさまの力が注がれるように祈ってもらうことが大切です。

また霊的な問題の場合もあります。否定的な霊、引き下げる霊、怒りや破壊的な思いに誘惑する霊から解放されるように祈ってもらうことが大切です。

祈りは大切ですが、自分で祈ることだけでなく、祈ってもらうことも同じように大切です。
天ではイエスさまが私たちのために祈っているのです。私たちもお互いのために祈りましょう。