「私の子どもたち」
ヨハネの手紙第一 2章1節から6節
牧師 小林智彦

【私の子どもたち】

「私の子どもたち。私がこれらのことを書き送るのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。もしだれかが罪を犯したなら、私たちには、御父の御前で弁護してくださる方があります。それは、義なるイエス・キリストです。」ヨハネの手紙第一 2章1節

ヨハネは私たちをも含めて、「私の子どもたち」と呼びかけています。
ヨハネはイエスさまによって選ばれた12弟子の一人であり、使徒であり、長老です。
彼は12弟子の一人に選ばれた時、最も若い弟子だったと考えられています。
兄のヤコブとともに、イエスさまから「雷の子」という名が付けられました。
これはヤコブもヨハネもとても短気で、荒い気性の持ち主だったからと考えられています。
今の言葉で言うならば、とてもキレやすい若者だったのかも知れません。

しかし、そんなキレやすい若者だったヨハネも、愛に満ちた偉大な霊的父になりました。
ヨハネはこの短い手紙の中で「愛」を56回も使っています。
ヨハネは愛に満ちた霊的な父親として初代教会を導き、養いました。
愛に満ちた父親の存在、いつの時代においても、最も必要なものだと私は確信します!

ジェームズ・ドブソンは刑務所に投獄されている人たちを調べたところ、一人として自分の父を敬っている囚人に出会ったことがないそうです。みな自分の父を憎んでいた。

私たちが健全に成長し、成熟するには父に愛される体験、父の愛情は不可欠です。
また父に対する怒りや憎しみ、否定的な感情や体験は私たちの心、体、そして霊的な成長さえも止めてしまうのです。

キレやすい若者であったヨハネは、どのようにして愛に満ちた父になったのでしょうか?
様々な伝承から、また手紙や福音書からも、ヨハネは生涯、独身でした。
自分の子どもたちを立派に育て上げることを通して、その経験から教会をも導く立派な父親になったのではありません。

「私たちの見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。」ヨハネ第一 1章3節

この中にこそ、答えがあると思います!ヨハネを愛に満ちた父へと成長させたのは、交わりです。「私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。」

父なる神、そして御子イエス・キリスト、そして聖霊なる神との交わり!
この交わりが私たちの霊を満たし、いのちを与え、愛の人へと成長させるのです。
これは残念ながら説明はできません。体験しなければ分からない世界です。
だからヨハネも神学校や聖書学校に行って学んできて下さいとは言いませんでした。
「あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです」と言ってます。

「交わり」とは何か?ギリシャ語では「コイノニア」ですが、この言葉の語源や、三位一体をいくら神学的に説明しても、神の愛は分かりません。神の愛は分かる物ではなく体験するものだからです。

どのように神の愛を受けるのか?その方法は聖書のあらゆる箇所に書かれてあります。

まず第一に、心から神を求めることです。自らが神を求めることです。
第二にイエス・キリストを天の父なる神が使わした救い主として、心に迎えることです。
イエス・キリストこそ、天の父なる神と私たちを結ぶ救いの道です!
「心に迎える」とは、声に出しても出さなくても「イエスさま、どうぞわたしの心にお入りください。歓迎します。私の神、救い主になってください」と祈り、願うことです。

神は私たちの祈りを聞かれます!神は私たちの心の願いを知っておられます!
神が全知全能ならばそうなのです。

神は必ず、信じる者の心に聖霊を遣わされます。
聖霊は救い主イエス・キリストを通して、信じる者の心に天の父なる神の愛を注いで下さるのです!これが交わりです。そして、これが救いの印です。

「そして、あなたがたは子であるゆえに、神は『アバ、父。』と呼ぶ、御子の御霊を、私たちの心に遣わしてくださいました。」ガラテヤ4章6節

イエス・キリストを心に信じ、受け入れた者には聖霊が訪れます!
聖霊は私たちの霊を再創造します。霊的に新しい命を注がれるのです。
そうすると私たちの霊には驚くべき変化が起こります。
神を、「お父さん!」と呼びたくなるのです。
さらに聖霊に満たされると、「お父ちゃん!父ちゃん!」と親しみを込めて叫びたくなります。これが交わりです。これがクリスチャンの祈りです。

イエスさまは、地上での救い主として活動されていた頃、どんなに忙しくても朝早く起きて祈っていたそうです。朝のお勤めではありません。
これは私の体験からの想像ですが、どのように祈っていたか分かります。
「お父ちゃん!」です。忙しくなり、困難になればなるほど、「お父ちゃん!」とイエスさまは祈られたのだと思います。イエスさまの活力の源、それは天のお父さんなのです。
父から来る聖霊が、イエスさまに力を与えました!慰めと励まし、希望を与えました。

「この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」ローマ5章5節

これはパウロの言葉です。パウロも「天のお父さん」との親しい交わりによって、困難な時にも心に希望が与えられました。父の愛に満たされました。聖霊様によって父の愛がどんどん注がれ、困難な状況に飲み込まれることがなかったのです。

ヨハネも「天のお父さん!」と祈り続けたのでしょう!だから「交わり」の大切さを私たちに教え、「交わり」を持つように勧めているのです。これが答えだからです!

祈りましょう!

聖霊様は来てくださいといちいちお願いしなくても、私たちに愛と希望を満たして下さいますが、もし、既にイエスさまを信じているのに「神の愛が感じられない」と思われる方は、声に出しも出さなくても結構ですが、聖霊様に頼んで下さい。
「聖霊様、歓迎します。天のお父さんの愛を心に注いで下さい。天のお父さん、心にあなたの愛を注いで下さい」と祈ってください。

【あなたがたが罪を犯さないようになるためです。】

「私の子どもたち。私がこれらのことを書き送るのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。」ヨハネの手紙第一2章1節

天のお父さんの願われることは、私たちが罪を犯さないようになることです。
なぜなら罪は私たちを不幸にするからです!
罪は私たちを不幸にするだけではない、それに関わる全ての人を不幸にします。

自分の子どもが不幸になることを放っておく親がいるでしょうか?
ましてや天の父は、私たちが罪を犯し、自分も回りの人をも傷つくことを願われません。
だから、何が罪であり、何が良いことなのかをハッキリと聖書に記されたのです。
聖書の戒めは、道路にあるガードレールと同じです。
ガードレールを飛び越したら、崖から落ちてしまいます。
神の戒めも、私たちが谷底に落ち込むことがないように備えてくださったのです。

父なる神の愛が分かる時、私たちは神の戒めを守りたいと思えるようになります。
父は意地悪をして、私たちを苦しめるために戒めを作られたのではないと分かるからです。
そうではなく父は私たちを心から愛しているから、私たちが幸せになるために、戒めを与えてくださったと心から分かるからです。

戒めを守る力、それは天の父なる神に愛されている!その愛の確信です。
戒めを破らないように、自分の力で頑張るよりも、父の愛に満たされ続けましょう!
自分の力で良いクリスチャンになろうとすると疲れます。そして気が付くとパリサイ人や律法学者のような、そう出来ない人を裁く、嫌なクリスチャンになってしまいます。
父の愛に満たされて、愛の人になるなら、戒めを守ることは難しくないのです!
天の父なる神の愛に満たされましょう!

【御父の御前で弁護してくださる方】

もしだれかが罪を犯したなら、私たちには、御父の御前で弁護してくださる方があります。それは、義なるイエス・キリストです。
2:2 この方こそ、私たちの罪のための、――私たちの罪だけでなく全世界のための、――なだめの供え物なのです。ヨハネの手紙第一2章1.2節

罪を犯したくない!誰もがそう願います。しかし、私たちは誰もが完全ではありません。弱さによって罪を犯してしまうことがあります。「ついカッとなって」とか、「気付いたら、もう引き返せなかった」。

罪を犯すと、自分が一番傷つきます。自分を責めます。落ち込みます。
そして父なる神は愛だと分かっていても、神を恐れ、罰を恐れます。

ハレルヤ!救い主イエスさまは私たちを弁護して下さる方です。
罪を犯すと、私たちの心を突き刺し、痛みを与えるのは神さまの罰ではなく、悪魔です。サタンは神さまの前に私たちを訴える者です。

サタンは私たちを罪に誘惑しておきながら、私たちが罪を犯すと、天のお父さんに訴えるのです。「神さま、こいつは罪人です!○○の罪を犯しました。もうあなたの愛を受けるに値しない者です。あなたが罪人を愛するなら、あなたは正しい神ではなくなります。神はこの罪人を罰するべきです」。サタンの訴えは私たちの心を突き刺します。自分が罪を犯してしまったので、もはや神さまには愛されないと思います。
もし私たちがイエスさまを救い主として信じていなければ、これで終わりです。
サタンの訴えが勝利して、私たちはサタンの訴えの通り、自分の罪を背負い、永遠の罰を受けなければなりません。


しかし、イエスさまの救いを受け入れた人には、イエスさまが弁護士として登場するのです。イエスさまは天の父なる神の前で私たちを弁護して下さいます。
私たちの弱さ、私たちのそうせざるを得なかった状況、気持を理解して下さるのです。
そして、最後にこのように弁護して下さいます。
「天の父なる神様、この者の罪がたとえどんなに大きくても、私が既に十字架の上で、代わりに罰を受けました。私の故に、この者の罪を赦して下さい!」
サタンが訴えていた告訴状には、イエスさまの血が塗られ、私たちの罪は覆われます。
天の父は私たちに、「イエスによってあなたを無罪とする!」と宣言されるのです。

キリストの血は私たちの罪を覆います。
キリストの弁護は、罪によって傷ついた私たちの心を癒します。
キリストの十字架の苦しみは、罪に対する抵抗力を私たちに与えます。
キリストの十字架は、神との交わりの動かされることのない土台です。

キリストの十字架の故に、私たちは罪赦され、神の子供とされたのです!