「祝福への回復の道」
申命記27章から30章
牧師 小林智彦

「その日、モーセは民に命じて言った。あなたがたがヨルダンを渡ったとき、次の者たちは民を祝福するために、ゲリジム山に立たなければならない。シメオン、レビ、ユダ、イッサカル、ヨセフ、ベニヤミン。また次の者たちはのろいのために、エバル山に立たなければならない。ルベン、ガド、アシェル、ゼブルン、ダン、ナフタリ。レビ人はイスラエルのすべての人々に大声で宣言しなさい。」申命記27章11節から14節

「祝福と呪い」、これはモーセ五書のなかで繰り返し語られ、強調されています。
約束の地を目前にして、モーセが最後に強調している教えが「祝福と呪い」です。
モーセは約束の地に入ったなら、イスラエルの民を二つに分け、ゲリジム山とエバル山に立たせ、そこで祝福と呪いを宣言するように命じました。

これは約束の地では二つの生き方しかないことを教えています。
神の言葉に従って、神の驚くほどの祝福のなかを歩む生き方。
もう一つは神の言葉に逆らって、恐ろしい呪いの中を歩む生き方の二つです。
神の選びの民であるイスラエルには祝福か、呪いかの二つの進路しかありませんでした。

これがゲリジム山とエバル山で宣言されたのは、この神の定めは山のように動かし難く、不変であることを意味しています。

「もし、あなたが、あなたの神、主の御声によく聞き従い、私が、きょう、あなたに命じる主のすべての命令を守り行なうなら、あなたの神、主は、地のすべての国々の上にあなたを高くあげられよう。」申命記28章1節

「もし、あなたが、あなたの神、主の御声に聞き従わず、私が、きょう、命じる主のすべての命令とおきてとを守り行なわないなら、次のすべてののろいがあなたに臨み、あなたはのろわれる。」申命記28章15節

この箇所はハッキリと祝福されるか、呪われるか、何が祝福と呪いを分けるのかを教えています。それは神が定めた戒めと命令、神の言葉に対する態度によるのです。
神の言葉に従うならば、神はイスラエルを祝福され、神の言葉に対して不従順ならば、神はイスラエルを呪われました。

今日、私たちが神からの祝福を受けるのも同じ原則です。
神は決して気まぐれな方ではありません。神は自分のお気に入りの者を気ままに祝福し、自分が嫌いな者を気ままに呪うような方ではありません。
神はご自分の言葉を信じ、従う者を豊かに祝福されるのです。

さて、申命記でイスラエル民族に語られた祝福と呪いは、まさしくイスラエル民族の歴史を左右します。祝福と呪いは語られた通りに、イスラエル民族の上に実現するのです。

イスラエルは小国でしたが、神を心から愛するダビデによって、当時の地中海世界、また中東を支配する強国に変えられます。ダビデ一代で変えられるのです。
ダビデは神を心から愛し、神の言葉に対して熱心であり、忠実に従いました。
神はダビデを羊飼いから王に、そして彼の王国を世界で最も豊かで強い国に変えられました。ダビデとその時のイスラエルは神の大きな祝福を受けたのです。

申命記28章1節の祝福の約束がダビデを通して実現したのです。

「もし、あなたが、あなたの神、主の御声によく聞き従い、私が、きょう、あなたに命じる主のすべての命令を守り行なうなら、あなたの神、主は、地のすべての国々の上にあなたを高くあげられよう。」申命記28章1節

ダビデの息子、ソロモンの時、イスラエルは最も富み、栄えます。
しかし、ソロモンは国が栄え、最大の祝福を受けている時、心が神から離れていきます。ソロモンは外国人の妻の影響で、主から心が離れ、偶像礼拝の罪を犯します。
この時から、イスラエルの国は傾き始めます。
ソロモンの息子レハベアム王は、神よりも父ソロモン王が残した莫大な財産を信頼します。
すると王国は分裂します。エジプトに侵略され、レハベアムが信頼していた莫大な富は、あっという間に奪われてしまいます。

その後のイスラエルの歴史は、王が神を信頼する時はイスラエルは祝福を受け、回復し、王が神に対して不信仰、不従順の時は国が衰退するを繰り返していきます。

神は預言者を遣わし、祝福の道に立ち返るように、神の言葉に従順であるようにと何度も呼びかけます。預言者のことばによって神に立ち返る王もいますが、ますます不従順、不信仰の道に歩む王も現れます。

そして遂に、王国滅亡の呪いを受けるに至るのです。
実は、このことも申命記の中には預言されていました。

「主は、遠く地の果てから、わしが飛びかかるように、一つの国民にあなたを襲わせる。その話すことばがあなたにはわからない国民である。」申命記28章49節

呪いの言葉通りに、北イスラエル王国はBC721年にアッシリヤ帝国によって滅ぼされ、住民はアッシリヤ、またさらにその東へと強制的に連れて行かれました。
また南ユダ王国もBC586年にバビロニア帝国によって滅ぼされます。
彼らもバビロンへ捕虜となって連れて行かれるのです。

「主は、地の果てから果てまでのすべての国々の民の中に、あなたを散らす。あなたはその所で、あなたも、あなたの先祖たちも知らなかった木や石のほかの神々に仕える。」
申命記28章64節

申命記に書かれてある呪いについて、この場で全てを語ることは時間の都合上出来ません。
しかしたとえ細かな点であっても、一つ一つイスラエルの歴史において実現しました。

歴史が嫌いな人もいるでしょうが、わざわざ年号までも取り上げるのは、これらのことが歴史的な事実であることを理解して欲しいからです。
占い師やノストラダムスの大予言のような、当たっているのか外れているのかどっちとも取れるようなインチキな占い、予言と、聖書の預言は全く違うのです。
モーセを通して語られた神の言葉は、千年後のイスラエルにおいてことごとく実現したのです。そして、今日でも神の言葉は変わらずに実現・成就しています。

滅びと呪いの言葉はイスラエルの上に実現しました。
イスラエルが神の言葉に対して不従順であり、まことの神である主を捨てて、偶像礼拝を選んだからです。

しかし、憐れみに富んでいる真の神は、イスラエルの回復をも既に約束されていました。

「私があなたの前に置いた祝福とのろい、これらすべてのことが、あなたに臨み、あなたの神、主があなたをそこへ追い散らしたすべての国々の中で、あなたがこれらのことを心に留め、あなたの神、主に立ち返り、きょう、私があなたに命じるとおりに、あなたも、あなたの子どもたちも、心を尽くし、精神を尽くして御声に聞き従うなら、あなたの神、主は、あなたを捕われの身から帰らせ、あなたをあわれみ、あなたの神、主がそこへ散らしたすべての国々の民の中から、あなたを再び、集める。たとい、あなたが、天の果てに追いやられていても、あなたの神、主は、そこからあなたを集め、そこからあなたを連れ戻す。あなたの神、主は、あなたの先祖たちが所有していた地にあなたを連れて行き、あなたはそれを所有する。主は、あなたを栄えさせ、あなたの先祖たちよりもその数を多くされる。あなたの神、主は、あなたの心と、あなたの子孫の心を包む皮を切り捨てて、あなたが心を尽くし、精神を尽くし、あなたの神、主を愛し、それであなたが生きるようにされる。」申命記30章1節から6節

この回復の約束、呪いから祝福への約束も、神は実現されました。
バビロニア帝国によって、約70年も奴隷にされていたイスラエルの人々は、バビロニア帝国を滅ぼしたペルシャ帝国によって解放されるのです。イスラエルに変えることが許されたのです!70年もの間だ祖国を離れていた国民が解放され、祖国に帰還した!
このような話しは、イスラエルの他に聞いたことがありません。
そして、その捕囚と解放が千年も前に約束され、預言されていたのです。

しかし驚くべきことに、このことは一回だけではなく、二回も繰り返されたことです。
そして、それが私たちが生きている、今、現代において繰り返されていることです!

BC536年に祖国イスラエルに帰還したユダヤ人はエルサレムに神殿を再建します。
その後も様々な苦難に出会いますが、国は以前のように栄えていきます。
そして旧約聖書の全体が約束していた王、救い主キリストが預言通りに登場します。
神はご自身が語られた言葉を必ず守られます!イエス・キリストは神からの約束でした。

しかし、またもやイスラエルは自分の王であり、神である方、イエス・キリストの言葉に対して不従順を選びます!そればかりか、自分に与えられた王であり救い主、そして神ご自身を捨てて、十字架に釘付けてしまったのです。

神とその言葉に対する不従順はイスラエルに対し、呪いと国からの追放をもたらします。
AD70年に、イスラエルに対する呪いと追放が実現します。
ローマ帝国の将軍ティトスによってエルサレムは徹底的に滅ぼされます。
そしてイスラエルは70年ではなく、何と千九百年に渡って追放されたのです。

そして今回も申命記28章に書かれている呪いが、そのまま実現しました。
外国の軍隊によって攻め滅ぼされ、地の果てにまでも散らされたのです。
ユダヤ人がヨーロッパでどれ程の迫害を受けたか、ロシアでも迫害され、大勢のユダヤ人が虐殺されました。そしてドイツによる迫害、アウシュビッツでの大量虐殺をしない者はいません。ユダヤ人に対する祝福と呪いは全世界、全ての人に明らかにされています。

このような大迫害のなかにあっても、申命記30章にある回復の約束が実現しました!
1948年、イスラエルは再び約束の地パレスチナに国を建国したのです。

一度ならば偶然と言うこともあるかも知れません、しかし、二度も!
それもモーセを通して語られた言葉の通りに滅亡と回復が実現したのです。
これは偶然でしょうか?決して偶然ではありません!

「神がいるのなら見せてみろ!証明してみろ!」と、言う方がいますが、まさにこの歴史的な事実こそ、生きて働かれる神を証明しています。


【申命記の「祝福と呪い」、回復の約束は私たちに何を教えているのか?】

申命記に書かれてある「祝福と呪い」、そして回復の約束は私たちに何を教えているのでしょうか?

@まず第一に神の実在を証明しています!
言葉を語られ、その言葉を必ず守られる神が確かにおられることを証明しています。
このような神は他に聞いたことがありません。聖書の神こそ、唯一でまことの神なのです!

神は言葉を語り、天と地に満ちる全てのものを言葉で造られました。
神の言葉は必ず実現する!神は約束されたことを必ず守られる方です。

A第二に、神は愛と正義に満ちた方であることが分かります。

神は正義を愛される方です。神の戒めは、神が正しいお方であることを表しています。
神が戒めを通して願うことは、私たちが神と隣人を自分自身のように愛することです。

日本でも、世界でも神々と呼ばれるもの、また神話を学んでみて下さい。
どれほど神々と呼ばれるものが気ままで、悪をも行い、理不尽であるかが分かります。

しかし、聖書の神は正義を愛し、私たちが互いに愛し合うことを喜びます。
また正義を行い、愛を行う者を神は祝福されるのです。
神は自分のお気に入りの者だけを愛したり、気ままに人を祝福し呪うことはされません。

だから!私たちは聖書の神、天の父なる神を信頼することが出来るのです。
お賽銭を投げて、お願い事を聞いてもらうような神々と、天の父は全く異なります。

私たちは聖書の神、天におられる父だけを神として、心から信頼することが出来るのです。なぜなら、天の父は愛であり正義に満ちており、語られた言葉を必ず守られるからです。

B第三に、神は今日でも律法を守る者を祝福されることです。

旧約聖書と聞くと、何か古い聖書のことと思われるかも知れませんが、そこに書かれている言葉は今日に於いても真理であり、神の約束は変わりません。

確かに旧約聖書は第一にユダヤ人に対して書かれた書物です。
そのため、旧約の戒めや命令の中にはユダヤ人だけが守るものもあります。
例えば割礼です。またイエスさまによって食物に関する戒めも終わりました。
祭りや儀式に関することも、私たちは守り行う必要はありません。
イスラエルの土地に関する約束や祝福も、これはユダヤ人に与えられたもので、ユダヤ人ではない私たちには当てはまりません。

旧約聖書の戒めと命令はユダヤ人ではない、私たちには当てはまらないものもありますが、戒めの中心である十戒は普遍的な真理です。私たちに当てはまらないと思える戒めや、命令にも、神の愛が表されています。私たちは聖霊様の導きのもとに戒めを学ぶ必要があります。

そして十戒に代表される、神の愛と義を私たちが守り、行う時、私たちは確かに神の祝福を受けるのです。

C第四に、神は呪いから祝福への道をも備えておられることです!

呪いから祝福への道、回復の道、それはユダヤ人にとっても、私たちにとってもイエス・キリストです!イエス・キリストこそ呪いから祝福への回復の道です!

「キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、『木にかけられる者はすべてのろわれたものである。』と書いてあるからです。このことは、アブラハムへの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人に及ぶためであり、その結果、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです。」ガラテヤ人への手紙3章13.14節

ユダヤ人の霊的な回復はまだです。彼らは約束の地に帰りましたが、まだ完全な回復、約束された祝福を手にしていません。それはイエス・キリストを受け入れることなしには、あり得ないのです。

同じように、私たちもイエス・キリストなしに呪いから祝福に、また永遠の滅びに向かう人生から、永遠のいのちに至る人生に変えられることはないのです。

イエス・キリストはユダヤ人にも、私たち異邦人(非ユダヤ人の聖書における呼び方)にも等しく、救いの道であり、呪いから祝福への回復の道なのです!

ユダヤ人には選びの民としての、特別な呪いが課せられました。
しかし、ユダヤ人も私たちも等しく、死の呪いが課せられています。

死こそ、罪のもたらした最大の呪いであり、すべての人が死の呪いのもとにあるのです。しかし、イエスは私たちの死を十字架の上で身代わりに背負われました。
そして復活によって死の力を、死の支配を打ち破られたのです!

誰でもイエスを救い主、神の一人子として信じ、受け入れるのなら、キリストの救いの力、復活のいのちがその人に臨むのです。死の呪いは過ぎ去り、復活のいのちに覆われます!

キリストはあらゆる呪いからも私たちを自由にします。呪いから祝福に変えて下さるのです。キリストによって呪いから解放されましょう!アブラハムの祝福を受けましょう。
そして、一番の祝福!聖霊の満たしを今、受けましょう。

祈りましょう。