「測り知れない神の力」
コリント人への手紙第二4章5節から18節
牧師 小林智彦

【測り知れない神の力】

「私たちは自分自身を宣べ伝えるのではなく、主なるキリスト・イエスを宣べ伝えます。私たち自身は、イエスのために、あなたがたに仕えるしもべなのです。『光が、やみの中から輝き出よ。』と言われた神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです。」コリント人への手紙第二4章5節から10節

パウロはキリストの福音が放つ「測り知れない神の力」(新共同訳では「並外れて偉大な力」)について語っています。イエス・キリストの福音には、驚くべき力があります!

パウロはこの箇所で福音を色々な表現で表しています。
「神の栄光を知る知識(6節)」、「宝の詰まった箱(7節)」、「測り知れない力(7節)」、これらの表現はみなキリストの福音についての表現です。
パウロにとってイエス・キリストの福音とは、「神の栄光を知る知識」であり、それは「宝」です!そして福音は「測り知れない力」をパウロに与え、四方八方から苦しめられても窮することがなく、途方にくれても行き詰まることがありませんでした。

どんな苦しい状況でも、乗り越えさせ、決して人生を諦めない!
人生の問題に決して飲み込まれることがない力を、イエス・キリストの福音は与えます。

この福音の力に満たされることを、神ご自身が願っておられます。
私たちも、人間的な頑張りや努力だけでなく、決して尽きることのない神の力にまず満たされましょう!頑張りや努力も素晴らしい。でも、それだけだと燃え尽きます。
福音の力は「測り知れない力」であって、神の聖霊によって注がれる力なのです!

「測り知れない力」、それはキリストの福音の力ですが、この力を二つに分けることが出来るでしょう。

@イエス・キリストの福音を知り、体験することによって与えられる力

Aイエス・キリストの福音を伝えることにより、絶えず注がれる神の力

【福音を知り、体験することによって与えられる力】

福音が与える「測り知れない力」は、福音を知り、体験することによって与えられます。

キリストの福音、それはひと言で言うならば神の愛です!
神の愛はイエス・キリストの教え、イエス・キリストの十字架の死と復活によってハッキリと私たちに現されたのです。

イエス・キリストは皆さん、一人ひとりを心から愛しておられます!
イエス・キリストは皆さんを苦しみ、悩み、問題から解放するために、一番大きな問題、苦しみの原因である罪を私たちの代わりに背負って下さいました。
私たちを苦しめる病も死も呪いも、イエス・キリストが代わって背負われたのです。

子どもが熱を出して苦しんでいる時、親は子どもの病を代わって上げたいと願います。
神は私たちの人生の苦しみをご覧になって、その苦しみをともに十字架で背負って下さったのです。キリストは私たちの病と死を背負われ死なれました。
私たちから罪の呪いと滅びを取り去るためです。
キリストは三日目に死からよみがえりました。私たちに罪に負けない復活のいのち、勝利の力を与えるためです!


キリストの復活のいのち、復活の力、これこそ「測り知れない神の力」です。

信仰はキリストの復活のいのちと私たちとを結ぶパイプです!
信仰のパイプをキリストにつなげるなら、勢いよく私たちの心にキリストの命は流れてくるのです。

また信仰は電気のコンセントのようなものです。コンセントをキリストに差し込めば、電気のように、キリストの復活の力は私たちに流れてくるのです。

信仰は単純です。心を開いてキリストに祈るだけでよいのです。
神が分からない信じたいけれども信じられない人がいるのなら、そのままを祈って下さい。
「神さま、イエスさまが本当に私のために死んで復活したのなら、私に分かるように示して下さい」と祈って下さい。

また神さまを信じたい!神の力を体験したい!と願われる方も、心から神さまに向かってそのように祈って下さい。口に出しても出さなくても、教会でも自分の部屋の中でも大丈夫です。神は全能の神ですから、皆さんの心の願いを聞いて下さいます。

母親は赤ん坊の泣き声一つで、何が欲しいのかが分かるそうです。素晴らしいですね!
これが愛です。神はあなたを愛しているので、心の真剣な願いをしっかりと分かって下さるのです。祈ってみて下さい!願ってみて下さい!神を待ち望んで下さい!

既にイエス・キリストを信じている人は、さらに神の愛を深めて下さい。
愛は一度きりの体験ではありません!愛は日々、深まっていくものです。
聖書を神の愛を覚えるために読んで下さい!聖書は神のラブレターです。
聖書が分からないと言う人もいるでしょう。
しかし、聖書全体は難しくても、神の愛についてハッキリと語られている箇所もあります。通読は難しいと思われる方は、心にジーンと来る聖書の箇所を何度も何度も読み返して、毎日、神の愛に満たされて下さい。神の愛に満たされながら聖書を読むと、段々と分かってくるようになります。福音の中心は神の愛です、愛に満たされて聖書を読みましょう。

神の愛こそパウロを満たし、困難な中にあってもへこたれない力を彼に注ぎました。
神の愛は私たちをも満たし、慰めと励まし、信仰と希望を与え続ける「測り知れない神の力」です!

【福音を伝えることにより、絶えず注がれる神の力】

Aイエス・キリストの福音を伝えることにより、絶えず注がれる神の力

キリストの福音の力は、福音を知り、体験することによっても心の中に満ちあふれ、尽きることがありませんが、それを分かちあうことによって更に大きな喜びになり、流れになります。

「福音を伝える」と言うと、「伝道」と言う言葉が直ぐに頭に浮かぶでしょう。
「伝道」ほど、クリスチャンにも未信者にも不快感を与える言葉はないようです。
「伝道」が好きなクリスチャンは少ないです。
「伝道」されることが好きなノン・クリスチャンも、これまた少ないようです。

なぜこれほどに「伝道」が嫌われるのでしょうか?
これにはちゃんとした理由があります。「伝道」と言うと、まず思い出すのがエホバの証人やモルモン教徒、統一協会です。また新興宗教も思い浮かべます。
これらの人は「伝道」に熱心だからです。
「伝道」と言うと同じことをしなければならない、そんなイメージがあるのでしょう。

皆さんに知って欲しいことは、神は宗教を伝える宗教の宣伝をしなさいと願っているのではありません。宗教を伝えることは、あまり喜びではありません。

福音を伝えることはキリスト教という宗教を宣伝することでも、人をキリスト教徒にすることでもありません。

福音を伝えると言うことは宗教の宣伝ではなくて、神の愛を伝えること、神の愛でその人を愛することです!

日本の99%の人は自分が神から命がけで愛されていることを知りません!
その99%の人に、「あなたは神に愛されています!」と伝えることです。
99%の人が心の底では自分の罪が裁かれることを恐れています。
その99%の人に「あなたの罪はキリストによって赦されました!」と伝えることです!日本の99%の人々は人世にまことの目的、生きる意味を見失っています。
お金や能力や、この世の地位で自分を測り、ある人は不安を抱えながらも高ぶり、ある人は妬みの中で自分の人生を呪っています。
その99%の人に、「あなたはそのままで価値があります!神の目にはあなたは高価で貴い!」と伝えることなのです!

福音を伝えると言うことは、神の愛を伝え、神が私たちを愛されたように、人々を愛することなのです。

宗教の宣伝は止めましょう!
また相手をキリスト教徒に変えようと努力するのも止めましょう。それは神の聖霊の働きだからです。聖霊様の働きを奪ってはいけません。
もちろん、聖霊様が平安をもって心に示して下さる時は別です。
聖霊様が平安をもって、その人がイエスを救い主として受け入れるように願っていると教えて下さったら、その人に信仰を持つことを勧めて下さい。

しかし、強制的に相手をキリスト教徒にすることは神さまご自身も願われません。
頑張り(自分の力)で福音を伝えると、燃え尽き、伝道アレルギーになります。

しかし神の愛に押し出されて、神の愛を分かちあっていると、心には喜びが湧き上がります。聖霊様とともに神の国のために働いている充実感が心に満ちます。
聖霊様の語りかけが良く分かるようになります。
人々が救われることを通して、更に喜びに満たされるようになります!

神の愛を分かちあいましょう!これは「測り知れない神の力」です。

自分の仕事も神の愛を分かちあうことを目標にして下さい!
自分の働きがお金を稼ぐことが第一なのではなく、人々に神の愛をもって仕えていることを第一にして下さい。目標が神に定められるなら、どんな職業も福音を伝える働きとして聖別されます。
学校での学びも、神の愛を分かちあうことを目標にして下さい!
子育ても、地域でのボランティアもみな神の愛を分かちあうことを目標にして下さい。

神の愛が「測り知れない力」、私たちの「宝」なのです。