「教会はキリストのからだ(2)」
エペソ人への手紙
牧師 小林智彦

【召しにふさわしく歩みなさい】

「さて、主の囚人である私はあなたがたに勧めます。召されたあなたがたは、その召しにふさわしく歩みなさい。」エペソ4章1節

ここから「良い行い」に歩むための具体的な勧めが始まります。
私たちはキリストの体を建て上げるために召されています。
キリストの体である教会を建て上げるためには、何が大切なのでしょうか?

「謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。からだは一つ、御霊は一つです。あなたがたが召されたとき、召しのもたらした望みが一つであったのと同じです。主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つです。すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのもののうちにおられる、すべてのものの父なる神は一つです。」エペソ4章2節から6節

キリストの体である教会を建て上げるために、最も大切なのは「平和の絆で結ばれる、御霊の一致」です。

この2節から6節までの短い文の中に、「一つ」と6回も繰り返されています。
キリストの体である教会は、一致が無ければ成り立たないのです!
3節の「熱心に保ちなさい」は言語では命令形で書かれています。
パウロは「熱心に努めろ、努力しろ」と言っているのです。
「保つ」と訳されている言葉も「守る」「見張る」とも訳される言葉です。

つまり、「平和の絆による霊の一致を守るように熱心に努力しろ」と言っているのです。一致が無ければ教会は成り立ちません!教会の平和な一致を壊す者、壊す教え、壊す言動や態度を私たちは努力して取り除かなくてはならないのです。

そのためにパウロは「謙遜と柔和の限りを尽くせ」と言っています。
「謙遜と柔和」の語源は「奴隷」です。教会の一致のために、進んで僕になる姿勢です。自分ではなく、相手の霊的成長のために自分を低くする姿勢です。

自分が正しいと思っても、教会の平和をかき乱し、一致を壊そうとするなら、自分は大きな間違いをしていると思ってください。それはキリストの体ではなく、自分のエゴを大きくするだけの行為です。もし自分の中に正しさがあり、そして教会の中に何か間違いを見いだしたら、まず謙ることです。まず僕になることです。

まず自らが謙り、進んで僕になれないのなら、決して教会を正すことは出来ません。

私たち船橋エクレシアは幸いにして歴史も浅く、メンバーも少数です。
今の段階から熱心に平和の絆で結ばれた霊の一致を保ちましょう!
一致を壊す考え、態度があったら捨て去りましょう。
また、キリストの体を建て上げるために熱心になって自分自身を教会に捧げてください。

【キリストのからだの役割】

「しかし、私たちはひとりひとり、キリストの賜物の量りに従って恵みを与えられました。
こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。」エペソ4章7節から11節

私たちはキリストの体を建て上げるために、キリストによって選ばれ、救われ、組み入れられたのです。私たちは一つのキリストの体を建て上げるために集められています。
しかしパウロはここで、それぞれには独自の賜物(与えられた役割)があると教えます。

もちろん体は一つであり、一つ体に組み入れられるので、誰が偉いとか、誰が劣っているかのような身分の違いはありません!一つの体であり、頭はイエス・キリストなのです。
栄光を受けられるのは頭であるキリストと父なる神、聖霊様だけです。

しかし一つの体でも、手の部分、足の部分、心臓や肺などの目に見えない内蔵の部分があります。一つの体でも複数の器官によって成り立っており、それぞれ役割が違うのです。
キリストの体も同じだとパウロは教えています。
そして各器官は働きが違うだけで、決して身分の上下などはないのです。
しかし、それぞれに与えられた役割と責任、その職務をキリストのために行うための権威は神から授かっているのです。

まずパウロは使徒と預言者、伝道者について書いています。
使徒とはイエスさまが直接に選ばれた12人の弟子たちです。ユダが抜けましたが、その代わりにマッテヤがその職を継承しました。そしてパウロとバルナバも使徒とされています。それ以外には明確な使徒の記述は聖書にはありません。
使徒は主イエスの十字架の死と復活の証人です。そして主に直接、任命された者たちです。
その理由から、今日では使徒は存在しません。預言者も、今日は存在しないと考えます。

この預言者と第一コリントで語られている預言の賜物は別です。
役職としての預言者は、神の言葉の代言者です。預言者の語る言葉は神の言葉として、聖書に組み入れられなければならないのです。しかし、聖書はヨハネ黙示録で私たちは完結していると信じています。

聖書66巻と同等、もしくはそれを上回る預言者は存在せず、それを主張する者は反キリスト、もしくは偽預言者です。

ただ、聖書66巻と聖霊様に従って教会と信徒の徳を高め、励ましと勧めをするために語る預言の賜物は今日も存在し、神が許される範囲内で将来と隠された過去を解き明かす啓示と知識の賜物も今日でも存在すると確信します。

パウロが教える使徒と預言者の働きは新約聖書27巻の完成をもって、その働きは終わったと私たちは考えます。聖書が今日でも語り続ける使徒と預言者なのです。
伝道者とはこの聖書とキリストの救いを人々に伝える働きです。
宣教師とはまさに伝道者です。私たちの教会の土台も宣教師の働きによって築かれました。

さてそれでは教師、牧師の働きは一体なんでしょうか?
私は現場監督に例えるのが一番、分かりやすい例だと思います。
キリストの体をビルに例えます。そして皆さんは鉄骨の柱の部分、柱、壁材、ドアやエレベーターなどの建築資材です。建築資材に例えてご免なさい。

そして設計図は使徒と預言者に書かれた聖書です。
そしてこの設計図をもとにキリストが集めた建築資材を組み合わせ、建物を建て上げる指揮を執るのが現場監督です。

それぞれの賜物、役割を見定めて、ふさわしい場所に設置し、定められた土台に固定し、他の柱と組み合わせていく、その指揮を執るのが現場監督なのです。

現場監督の第一の仕事は設計士が書いた建設図面を読みとることです。
それに基づいて指揮をすることです。
牧師の仕事は使徒と預言者が御霊の導きによって記した聖書を読み解くことです。
それによって皆さんを整え、組み合わせ、キリストの体を建て上げることなのです。

「それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。」エペソ4章12.13節

聖徒たちを整えること、奉仕の働きをさせること、そしてキリストの体を建て上げること、これが牧師、教師に委ねられた働きであり、責任なのです。

【聖徒たちを整え】

どのように「聖徒たちを整え」るのでしょうか?これは弟子訓練と言えます。
まず聖書の読み方です。聖書をどのように読むのか、これは礼拝後のバイブルスタディーで指導しています。次ぎに、祈ることです。これには祈祷会があります。
そして主を証しすることです。これも祈祷会の中で指導しています。
何よりも大切なのが礼拝です。これは日曜日のこの時間がそうです。礼拝であり、礼拝者として整えられる大切な時間です。

牧師の指導、訓練を積極的に受けてください。
整えられることなくして、奉仕の働きに携わることは出来ません!
教会の奉仕の働きに就くことなしに、本当に実を結ぶ働きは出来ないのです!

まず大切なのが日曜日のメッセージです。
現場監督の指導に従わないで、作業員がそれぞれ独自の解釈で設計図面を読むならば、一つの建物を建て上げることは出来ません。
プロテスタントにもルーテル派、長老派、アナバプテスト、バプテスト、メソジスト、ホーリネス、アッセンブリー、さまざまなグループが存在しています。なぜそのようなグループが存在するのか?聖書は同じです。

しかし、その聖書の解釈が異なるのです。またその神学が異なるのです。
また同じ聖書解釈、同じ神学を取りながらも、強調点の違いなどで分かれています。

このように多くの教団・教派に分かれていることは、決して悪いことではありません。
キリストの体には各器官が存在するとパウロが教えているように、これらの教団・教派の違いは、互いに尊重すべきものだと私は考えます。

しかし、個々の教団、教派、教会において牧師・教師と信徒の間に聖書解釈のズレが存在したり、神学が違ってはならないのです!教会を建て上げることが出来なくなります。

この教会がどのような神学を持っているのか、どのように聖書を解釈するのか、また何を強調し、どこに向かって進もうとしているのか?それが語られるのが礼拝でのメッセージです。神のみ言葉によって、霊と魂が養われ、そして教会を建て上げるために指導されていく大切な時になるのです。

キリスト教書店に行くと、沢山の信仰書が売られています。純粋に私たちの信仰心を励ます書物もありますが、中には自分が属している教会と違う神学や、異なる聖書解釈をしている物もあります。個人として、そこから学ぶことは良いのですが、その異なる神学や聖書解釈、強調点を教会に持ち込むことはすべきではありません。

一つの建設現場に、異なる設計図面を持ち込むなら、現場に混乱が起こります。
またオーケストラに例えるなら、指揮者は一人です。指揮者の指揮に従わない演奏者や、他の指揮者に従って演奏している人がいたら、ハーモニーを壊してしまいます。

自分が属している教会の神学、聖書解釈、強調点を第一にして下さい。これは自分が属している教会を力強く建て上げるためであり、その教会とは私たちなのです。

確かに他教会、他の教団の中にも優れた点、魅力的なものは沢山あります。
しかし、隣の家の奥さんや町で歩く女性が魅力的だからと言って、浮気してはならないのです。自分が組み入れられた教会をまず第一に建て上げていくこと、これがキリストによって与えられている使命なのです。