「神との平和」
ローマ人への手紙4章、5章
牧師 小林智彦

【ローマ人への手紙はリバイバルの書】

今週の聖書通読箇所はローマ人への手紙1章から8章になります。
ローマ人への手紙はリバイバルの書です。リバイバルとは信仰の復興を意味します。
ローマ人への手紙はキリスト教会を何度もリバイバルさせました。
マルティン・ルターはローマ人への手紙から、救いは信仰のみによることを発見しました。
これがプロテスタント教会を生み出す原動力になりました。
中世カトリック教会の堕落からキリスト教会をリバイバルさせたのです。
ジョン・ウエスレーの信仰の覚醒もローマ人への手紙の学びから始まりました。

ローマ人への手紙はなぜ教会と私たちの信仰をリバイバルさせる力があるのでしょうか?

「私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。『義人は信仰によって生きる。』と書いてあるとおりです。」ローマ人への手紙1章16.17節

ローマ人への手紙には福音とは何かが明確に述べられています。
福音こそ、私たちを救う神の力です!また福音の理解こそが私たちの信仰を強めるのです。
ローマ人への手紙から、信仰から信仰に進ませる神の力を受け取りましょう。

【神との平和】

「ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。」ローマ5章1節

私たちはイエス・キリストに対する信仰によって、神に義と認められました。
そして神に義と認められた私たちは、神との平和を持っているとパウロは教えています。
イエス・キリストによって神との平和を持っている!これが神と私たちの関係です。

「義と認められる」とは、神さまとの関係が元通りになること、和解することです。
私たちは生まれながらの罪人でした。罪ある人間はそのままでは神さまと和解することは出来ません。神を求めながらも、神さまと正しい関係を持つことが出来なかったのです。

しかし、イエス・キリストに対する信仰が罪の赦しをもたらし、神に義とされるのです。
イエス・キリストに対する信仰によって、罪無しと!義と認められた私たちは、神さまと正しい関係、本来の関係を持つことが出来るのです。

神さまとの正しい関係、本来の関係、それが神との平和を持っている関係です。

平和はギリシャ語ではエイレーネ、ヘブル語ではシャロームです。
ヘブル語のシャロームは平和を意味しますが、それは争いがない状態の平和の意味だけではなく、繁栄、健康、和解を意味し、私たちの肉体的にも精神的にも満ちあふれる恵を意味する言葉です。平和(シャローム)はユダヤ人にとってもとても大切な概念です。
ユダヤ人の挨拶はシャロームと言って挨拶します。
またイスラエルで最も大切な町はエルサレム、それは「平和の町」です。
そしてこの平和は、神との正しい契約関係によってのみ与えられるのです。

パウロはこの神との平和についてローマ人への5章で更に詳しく私たちに教えています。

先ずパウロは私たちが神と平和があるのなら、心には大きな喜びがあると教えています。

「またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。」ローマ5章2節

神との平和から流れる喜びは試練に打ち勝ち、苦難をも乗り越える力になります。

「そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。」
ローマ5章3.4節

また神との平和は失うことのない希望と愛を心に与えます。

「この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」ローマ5章5節

神との平和、それは私たちの心に大きな喜びをもたらし、確かな希望を与え、試練に打ち勝つ力、神の愛を心に注ぎます。これが神との平和を保っている状態です。

さて、ここで皆さんに尋ねたいことがあります。
皆さんは、神との平和を持っていますか?

神との平和、それはすべての平和の基礎です。
神との平和なくして夫婦の平和、家庭の平和、学校や職場での平和はありえません。
神との平和は心に平安を与えます。神との平和がないなら、心は不安や恐れに満ちます。

パスカルは私たちの心には神でしか満たすことの出来ない穴があると言いました。
私たちはこの穴を恋愛や友情、お金や物質で塞ごうとします。しかし、すべてこの穴から出ていくのです。恋愛や友情で心が一時満たされても、この穴が塞がれていないなら、やがては無くなり、空しさが心を覆うようになります。
神との正しい関係が無ければ、心の平和は来ないのです!

神との正しい関係、神との平和、それはどのように持つことが出来るのでしょうか?

「ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。」ローマ5章1節

パウロはその答えは信仰にあると教えています。信仰です!
信仰によってのみ私たちは義と認められるのです。義と認められた者のみ神との平和を持つのです。神に義と認められる信仰を持つこと、これが重要なのです。

信仰によって神に義と認められるなら、神は私たちに平和の橋を架けて下さるのです!
そして聖霊様を送って下さり、愛と励まし、希望で私たちを満たして下さるのです。

私たちのすべきこと、それは神に義と認められる信仰を持つことです。

信仰にも色々な信仰があります。日本は多神教です。すべての神々を認め、信じます。
だからキリストを神々のうちの一人だと考えている人がいます。
神社仏閣に手を合わせるように、キリストも拝みます。これは日本人の考えではキリストを信仰していることになるのでしょうが、神の目からはNo!です。
神々を拝みながら、イエスさまを拝んでも、それは義と認められる信仰ではないのです。

神はお一人しか居られない、そしてそのお一人の神は父・子・聖霊の三位にして一つの神のみである。これでなければ神から義とは認められないのです。

またこういう信仰もあります。「唯一の神を信じます!だから神さま、この願いを叶えて下さい。あの願いも叶えて下さい。この時までに絶対に叶えて下さい。もし祈りに答えて下さらなければ、もう信じませんからね!」。
こういう人は最初から信じていないんです。自分の願望を叶えさせる神は、神ではなくてただの僕です。こういう人の本当の神はその人の願望です。願望が神なのです。
このような信仰も、決して神からは義と認められないのです。

神は祈りに答えて下さいます。しかし、自分の願ったように答えて下さるかどうかは神さま次第なのです。神さまが自分の願うように答えて下さらなくても、私は変わらずに神を敬い、神を信じつつづけます。これが義と認められる信仰です。

【義と認められる信仰】

ローマ人への手紙の4章から、更に詳しく義と認められる信仰について学びましょう。

「何の働きもない者が、不敬虔な者を義と認めてくださる方を信じるなら、その信仰が義とみなされるのです。」ローマ4章5節

義と認められる信仰を持つには、第一に自分を「何の働きもない者」と認めることです。
「何の働きもない」とは、自分は神にも人にも何にもよいことが出来ない存在であることを認めることです。神なしに義と認められるようなよい働きは何も出来ない者だと認めることです。神が居られなければ自分はどうしようもない存在であることを認めることです。

第二に自分は「不敬虔な者」であることを認めることです。
「不敬虔な者」とは自分は罪人であると認めることです。自分は罪の誘惑に負ける弱い存在であり、この罪から自分を解放してくれる救い主を心から必要としていることを認めることです。

第三に、このようなどうしようもない自分に、神は完全な解決を与えて下さった。それが私たちの罪のために死に、私たちを義とするために甦ったイエス・キリストであることを信じることです。

「・・・すなわち、私たちの主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信じる私たちも、その信仰を義とみなされるのです。主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。」
ローマ4章24.25節

キリストは私の罪のために身代わりに死んで下さり、私たちに新しい命と神との正しい関係を与えるために復活されたことを信じること、これが神との平和の土台です!
私たちのために甦ったキリストを見上げる時、私たちの心には喜びが沸いてきます。
どんな問題も死よりも難しい問題はありません。その死に勝利した方が私たちの神だからです。死に勝利した方が私たちとともに居られるなら、何を恐れる必要があるでしょう。死に勝利した方が、その復活のいのちを私たちに注いで下さるならなぜ悲しんでいられるでしょうか?

復活の主を見上げましょう! 神との平和を堅く持ち続けましょう。