「進んでしもべになる」
マルコによる福音書10章35節から45節
牧師 小林智彦

弟子たちは誰がイエスさまの次にリーダーになるか争っていたとあります。
ヤコブとヨハネはイエスさまに、自分たちをリーダーにして欲しいと頼み込んだのです。
この箇所はイエスさまがエルサレムに入城される直前の出来事でした。
弟子たちはイエスさまを政治上のメシア(救い主・改革者)と考えていたので、エルサレムで御自分を真のイスラエルの王と宣言することを期待していました。
ヤコブとヨハネはその時に自分を右大臣、左大臣に任命して欲しいと願い出たのです。
他の弟子たちはヤコブとヨハネの抜け駆けに、腹を立てました。
他の弟子たちも、自分こそイエスの次ぎにリーダーになるべきと考えていたからです。

イエスさまは弟子たちの心が出世欲、また支配欲で一杯なのに気付かれました。
互いに比べ合い、競い合うことが弟子の共同体を壊してしまうことに気付かれました。
そこで弟子の共同体に相応しいリーダーの態度、姿勢を教えられたのです。

「しかし、あなたがたの間では、そうでありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、みなのしもべになりなさい。」マルコ10章43.44節

イエスさまの教えに弟子たちは驚きました。
なぜなら弟子たちが考えていた指導者、リーダーの姿と大きく違っていたからです。
ヤコブとヨハネはイエスさまに右大臣、左大臣と認められれば他の弟子たちを支配できると考えていたました。他の弟子を自分に仕えさせることが出来ると考えていました。

しかし、イエスさまの共同体の中では全くの反対です。
指導者、リーダーはみなに仕える者、みなの僕であると教えられたのです。
イエスの教えは当時の常識とは全くの反対でした。
イスラエルでもローマでも武力のある者が弱い者の上に立ち、弱い者を支配する。
誰もが力を持ちたい、人を支配したいと願っていました。
ローマの歴史を学ぶと、権力争いの繰り返しです。武力を持った将軍たちが権力争いを繰り返しました。そしてローマ皇帝は武力で民衆を支配しました。
ローマは武力で回りの国々を滅ぼし、自らの支配下に置きました。

このような時代にあって人に仕えるしもべと言うのは何の魅力もない人でした。
強さを求める時代にあって、僕というのは敗北者、人世のレースで落伍した者と見なされたでしょう。

しかしイエスは進んで僕となり、人々に仕える者こそ神の国ではリーダー、指導者として相応しいと教えられたのです。
そして進んで人に仕える者こそ、キリストの弟子に相応しい態度、姿勢なのです。

初代教会の時代、ローマでも沢山の人々が救われてクリスチャンになりました。
ローマでクリスチャンになった多くの者たちは奴隷であったと言われています。

奴隷たちの多くは、ローマとの戦争に敗れて奴隷になりました。
自分たちの国を滅ぼした者に仕えなければならない屈辱感、復讐心、怒り。
奴隷たちは肉体ばかりでなく、心までも怒りと憎しみによって縛られていたのです。

しかし福音は奴隷たちの心を解放しました。
イエスの恵と愛によって、奴隷たちは神の子に変えられ、怒りと憎しみを十字架に付けて捨て去りました。そしてイエスの教えに生きたのです!敵を愛し、自分を苦しめる者を祝福するキリストの愛を実行しました。そして主人に積極的に仕えることを通して、心理的に奴隷からリーダーへと変えられたのです。

奴隷の主人の目には、自分の奴隷の変化は良く分かったはずです。
今まで鞭や暴力によってしか押さえられない奴隷たち、主人の目を盗んで怠けてばかりいる奴隷、怒りと敵をむき出しにする奴隷たちが、なぜか変えられて積極的に仕える者、主人を愛する者に変えられた。

奴隷たちを変えたものは何か?その答えがキリストにあることを知った時、奴隷の主人たちも次々にイエスを救い主として受け入れ、救われていったのです。
やがてはローマ全体がイエスを主として受け入れるまで変わったのです。

「しかし、あなたがたの間では、そうでありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、みなのしもべになりなさい。」マルコ10章43.44節

もし私たちが、このイエスの教えを守り、僕の心、僕の態度で人々に仕えるなら、ローマが変えられたように、この日本も必ず変えられてキリストのものになると信じます!

イエスの教えは真理です!だから誰でも進んで僕になり、仕える者になるなら、その人はやがて必ず指導者になり、真のリーダーとして認められるようになるのです。

しかし自分の力や策略をもって、人を蹴落としてリーダーになる者はやがては本当の敗北者になるのです。ローマも武力で巨大な帝国に成り上がりましたが、権力争いを繰り返し、やがて内部は腐敗し、衰退していったのです。

この日本もかつては軍事力を誇り、アジアの国々を戦略しました。しかし最後には徹底的な敗北で終わりました。しかし現在も軍事力が経済力、産業力に取って代わっただけで、僕の心を持っていません。力に頼る者はやがては衰退し、滅びるのです。
僕の心、仕える心だけが、人々を建て上げ、また自分も立て上げられるのです。

この日本を変え、日本を救うのはクリスチャンです。それも仕える心、僕の心を持った真のクリスチャンリーダーが日本を変えていくのです!

しかし、偉大な変革はまず私たちの心から始まり、私たちの家庭から始まります。
まず私たちが人々に仕える心を持ちましょう。僕の心を持ちましょう。
そして家庭の中で実践して下さい。

結婚しているなら、妻に仕えて下さい。妻の僕になって下さい。
また夫に仕えて下さい。夫の僕となって下さい。夫婦でまず仕え合うことです。
結婚していない方は、両親に仕えて下さい。両親の僕になり、心から仕えることです。

あなたが本当に人に仕えるなら、仕えられた人はキリストの愛を知ります!
あなたが本当に誰かの僕に進んでなるのなら、仕えられた人はやがてキリストのしもべになるでしょう。

教会もキリストの家です。教会の中でも互いに進んで仕え合いましょう。
仕え合うことは、キリストの弟子の姿勢でもあります。仕えられることを求めず、進んで僕になり、進んで相手に仕えましょう。

私たちが進んで相手の僕になり、進んで仕え合うのなら教会は変えられます。
教会が本当にキリストの体として機能するようになります。

よく教会を非難する人がいます。「教会のここが悪い、あそこが悪い。誰々が悪い、牧師が最低!」。こうやって、自分を裁判官、また神の座につく人が多いのです。
なぜなら教会はキリストの体だからです。教会を批判する人、他の信者を批判する人は神を批判しているのです。そして自分が仕え、僕になることを忘れています。

あなたが進んで僕になり、仕える時、あなたの回りは変わるのです!しかし、あなたが自分のまわりを変えようと主人になる時、あなたは人世の敗北者になるのです。

最近はサーバント・リーダーシップという言葉がビジネスの世界でも使われています。
今まではトップダウンで運営されていた会社の形態を、もっと部下の意見を聞き、取り入れていこうという考えです。経営も突き詰めていくと、聖書の価値観に通じるのです。

私たちはイエスの言葉が真理であると知っているのですから、進んで僕となり、進んで人に仕える者になりましょう。卑屈な心からではなく自発的に仕えましょう。

【仕えることを拒む心】

進んで仕えること、僕になることに対して消極的な思いはありませんか?

「しかし、あなたがたの間では、そうでありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、みなのしもべになりなさい。」マルコ10章43.44節

自分は偉くなりたいと思わないから、誰にも仕えたくないなどと考えないで下さい。
人に仕えること、そして進んで僕になることはキリストの弟子に相応しい態度です。

「人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」
マルコ10章45節

私たちの主であるイエスさまは進んで弟子たちの足を洗い、僕となって仕えられました。
イエスさまは私たちの罪を進んで背負い、私たちを助けて下さったのです。
主が僕となり、仕える者となり、私たちの罪の代価を代わりに支払って下さったから、私たちは救われたのです。イエスを主とする者は、主の歩んだ道を歩むべきなのです。
ですから、キリストの弟子は進んで人に仕え、進んで僕となりましょう!

また自分の問題にばかり心が奪われ、人に仕えることが難しいと思う人もいるでしょう。また家庭や職場で問題がある時も、進んで嫌な人に仕えることは確かに難しいです。
しかし相手が変わることを期待しても、決してよい方向には進みません。
先ずは自分が変わることです!自分が僕になることです!

仕えやすい人にだけ仕えなさいとは聖書は教えていません。
ただ私たちが誰に対しても、進んで仕え、僕になることを教えています。
私たちが進んで変われば、相手も変えられ、状況も変えられていきます。
先ずは私たちが信仰の一歩を踏み出すことです。信仰は常に自分から動くことです。

消極的、受け身的な信仰は止めましょう。それでは何も変わりません。
み言葉を積極的に行う人になりましょう。

先ずは家庭で実践して下さい。両親に進んで仕え、また夫婦で互いに仕え合いましょう。職場でも学校でも、進んで僕になることです。