「悪魔の試みを受けられるイエス」
マタイによる福音書4章1〜11節
牧師 小林智彦

【悪魔・サタンはクリスチャンを誘惑してくる】

「さて、イエスは、悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。」
マタイ4章1節

聖書は悪意をもった霊的な存在、悪魔・サタンが存在するとハッキリと教えています。
この悪魔・サタンは人類の祖先であるアダムとエバを騙し、罪を犯すように誘惑しました。アダムとエバが悪魔・サタンの誘惑によって罪を犯したため、罪の呪いと死が人類を苦しめるようになったと聖書は教えています。

この死と罪の呪いから私たちを救うために、神が遣わした救い主がイエスさまです!
しかし悪魔・サタンは大胆にも救い主イエスさまをも罪に誘惑しようとします。
神をも誘惑しようとするのが悪魔・サタンです。

神の御子であるイエスさまですら、悪魔・サタンは誘惑しようとしたのですから、当然、私たちをも罪に誘惑するためにやって来ます!

イエスさまはバプテスマのヨハネから洗礼を受けられて直ぐに、悪魔の試みを受けられました。イエスさまは神の御子であり、救い主ですが、私たちクリスチャンの信仰の模範でもあります。イエスさまは私たちと同じように肉体を持ち、私たちと同じようにこの世を歩まれたからです。

イエスさまは悪魔・サタンの試練を受けて、これを見事に通過することが、救い主としての働きのためには必要でしたが、これは私たちクリスチャンへの模範を示すためでもあったと確信します。私たちクリスチャンにも悪魔・サタンは誘惑してきます。
バプテスマを受けて直ぐ、信仰を表明して直ぐに悪魔・サタンとの戦いは始まります!

悪魔・サタンはクリスチャンを誘惑します!
悪魔・サタンがアダムとエバを誘惑し、イエスさまを誘惑したのは罪を犯させるためでした。罪を犯させ、罪の奴隷にして、神さまの働きをさせないためでした!
悪魔・サタンは神を憎んでいます!しかし、悪魔・サタンは直接神と戦っても敗北することは目に見えています。だから、神の愛する、神の似姿に創られた人間を攻撃するのです。

悪魔・サタンは人間が神を賛美し、神のみ言葉を聞いて神を愛すること、神に従うことを何よりも憎みます。だから私たちを罪に誘惑して、神への礼拝を妨げようとするのです!

【悪魔・サタンの誘惑に負けるとどうなるか?】

悪魔・サタンの誘惑に負けるとどうなるのでしょうか?
悪魔・サタンの誘惑に負けると私たちは罪を犯します。
罪を犯した罪責感で悪魔は私たちの良心に攻撃してくる時があります。
罪責感は心にブレーキを掛けます。神さまの御前に出ようとする時、私たちの心にブレーキが掛かるのです。

悪魔・サタンの誘惑に負け、罪を犯すと、ある人は聖書が読めなくなります。
また聖書を読んでいるのに、神の愛に触れることが出来ません。

悪魔・サタンの誘惑に負け、罪を犯すと、祈れなくなります。祈ることすら忘れてしまいます。賛美することが退屈になります。神を褒め讃えることに無関心になります。

私たちも悪魔・サタンの誘惑に負ける場合があります。
早めに気付いて、自分の罪を言い表し、神からの明確な赦しを受けて進みましょう!
アダムも罪を犯し、ダビデもペテロも大きな罪を犯しました。
罪を犯さない者、悪魔・サタンに負けたことがない人はいません。
誰もが弱く、罪深い者です。だから主イエスは救い主として悪魔・サタンに完全に勝利して下さったのです。それは私たちに赦しを与え、救いと解放を与えるためでした。
主に罪を告白して、赦しと回復の力を頂きましょう。

【悪魔・サタンの誘惑に勝利するために】

「身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。」第一ペテロ5章8.9節

攻撃は最大の防御と言います。悪魔・サタンの誘惑に対しては、恐れて逃げ出すなら敗北しか待っていません。聖書は逃げないで立ち向かいなさいと教えています!

「終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。」エペソ6章10から13節

私の好きな聖書箇所ですが、パウロは悪魔・サタンの誘惑をただ我慢しなさいとは言いませんでした。「立ち向かうことが出来るために、神のすべての武具を身につけなさい」と私たちに勧めているのです。神の武具で私たちも身を固めたら、悪魔・サタンの誘惑に立ち向かうことが出来るのです!パウロは私たちに神の武具を取りなさいと勧めています。

私たちはイエスさまがどのような神の武具を取られたのかを学びましょう。

@聖霊様に満たされる。

「さて、聖霊に満ちたイエスは、ヨルダンから帰られた。そして御霊に導かれて荒野におり、四十日間、悪魔の試みに会われた。」ルカによる福音書4章1.2節

ルカによると悪魔の試みに会われたイエスさまは「御霊に満ちた」とあります。
聖霊様は決して武具のような物質ではありません。聖霊は神ご自身ですが、聖霊様に満たされることこそ最も重要なことです!

聖霊に満たされるとは決して感情ではありません。
イエスさまはなぜ聖霊に満たされたのでしょうか?それは天の父なる神の御心に従ったからです。イエスを遣わしたのは天の父です。天の父はイエスさまがご自分の計画に従ってバプテスマのヨハネからバプテスマを受け、救い主としての働きを始めた時に助け主である聖霊様をイエスさまに遣わされたのです。

聖霊様は私たちが天の父から委ねられている働きに就いているとき、私たちを豊かに満たし、助けて下さるのです。


神が私たちに委ねている働きとは一体なんでしょうか?

先ずは神を礼拝することです! 私は朝起きて、神に祈ります。神を賛美し、神のみ言葉を読むことから一日を始めます。そして献身の祈りを捧げます。「今日も神さまの栄光を表すことが出来るように、私を用いて下さい。神の御心を行えるように私を用いて下さい。御心を行う力、知恵、必要な助けを与えて下さい!」と祈ります。

そして神さまの御心を良く知るためにみ言葉を学びます。
聖霊様は聖書のことばを通して私たちの心に語りかけて下さいます。
そして示された神のことばを行う知恵と力を与えて下さるのです。

どうぞ、朝、もしくは夜でも良いです。神さまとの静かな時間を確保して下さい。
それが聖霊様に満たされる生活を送るために最低限必要なのです!
忙しい方もいらっしゃるでしょう。しかし、全能の神に知恵を求めて下さい。

神の御前に謙遜で従順な姿勢を身につけて下さい。

「しかし、神は、さらに豊かな恵みを与えてくださいます。ですから、こう言われています。『神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる。』ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。」ヤコブ4章6.7節

ヤコブが言うように、謙遜と従順の態度こそ、神に喜ばれ、悪魔に対しては堅固な心の態度なのです。父なる神に対し、いつも謙遜で従われたイエスさまは聖霊様に満たされていたのです。

A荒野に行く

イエスさまはサタンの誘惑を荒野で受けられました。
サタンは場所を選びません。サタンはアダムとエバをエデンの園で誘惑し、ダビデ王を王宮で誘惑しました。イエスさまは聖霊様の導きによって荒野でサタンの試練を受けたのです。これは聖霊様の知恵だと思います。

サタンはエデンの園では蛇に化けてアダムとエバを誘惑しました。ダビデを誘惑した時はバテシェバと言う美女を通して誘惑しました。エデンの園では蛇が一番美しい動物だったのではないかと考える人もいます。私も呪いが掛けられる前の蛇は美しかったのではないかと思います。私たちは美しいもの、美味しいものに騙されやすいのです。

しかし、荒野には美しいものはありません!私もイエスさまがサタンの試練を受けたと言われる荒野を実際に見てきました。エリコに近い場所です。岩の他、何もない場所です。

私たちもサタンの誘惑に勝利するために、定期的に荒野に出ていくべきだと思います。
私たちの生活の場は、テレビ、インターネット、ポータブル・ステレオ、マンガ、雑誌、ゲームと言った情報に溢れています。これらのものは大抵の場合、私たちの内面の声をかき消してしまいます。また自分の置かれている状況、直面している課題、これから進むべき進路などを見え無くさせます。

アブラハムは荒野の夜空に輝く星々の中に神の声を聞いたのです。
東京で夜空を見上げてもごく僅かな星しか見えません。星の数は変わらないのに、東京の夜空が明るすぎるのです。家庭から漏れる照明、街路灯、繁華街の明かりが、夜空を明るくし、星の光をかき消しているのです。しかし、山や人里離れた寂しいところに行けば、私たちは日本でも、アブラハムが見た星々を見ることが出来るでしょう。

サタンの誘惑は私たちを取り巻く美しく見えるもの、価値あると思われるものを通してやって来ます。静かな場所で、心を静めて見つめ直す時が私たちにも必要だと思います。
サタンの巧妙な嘘、誘惑を見抜くことが出来なくなります。

忙しくて荒野に行けないと言う人もいるでしょう。毎日のディボーションがそれを補うことも出来ます。早朝の静かな時間、夜遅くても良いですが、テレビもパソコンも消して、静かに神さまとの時間を持つことです。

B断食

イエスさまは四十日四十夜の断食をされました。これは奇跡の断食です。
この時は水を飲まれなかったようですが、人間は三日間水を飲まないと大変危険な状態になります。水を飲みながら四十日間の断食をする人もいますが、体重が十キロぐらいは減るそうです。

しかし、断食に神秘的な力があるのではありません。ここを勘違いしないで下さい。
それならば断食は無意味なのでしょうか?

断食はただ食を断つことではありません。食を断つとは、人間的な力を放棄することを意味します。自分の力に頼らず、ただ神に寄り頼むこと、これが断食なのです。

イエスさまは悪霊と格闘して勝利したのではありません。
イエスさまは神のことばで悪魔の誘惑に勝利しました。
自分の知恵、自分の力、自分の何かではなく、ただ神のことばによって勝利したのです。

断食を勧めますが、その前に皆さんに勧めたい断食は神との時間を確保することです!
み言葉を読むために自分の時間を削ること、祈りのために自分の時間を削ることです。
自分のやりたいこと、自分の活動時間、それを主に捧げ、主との交わりの時間を確保することです。そのようにして、主を第一とする習慣を身につけて下さい。

大きな問題が起きて、その時だけ一大決心をして断食しても無意味です。
神との親しい交わりを確保していない人が断食をしても、断食中に考えていることは神さまのことではなく食事のことばかりです。それは無意味な断食です。

先ず神さまを愛するために、主との時間を確保しましょう。
そのためにテレビの時間を減らす、雑誌を読む時間を減らす、インターネットやゲームの時間を減らす。これは立派な断食です。これは霊的な断食です。
そして、その時間を聖書を深く読むこと、祈ることに用いて下さい。