「アブラハムから学ぶ信仰」
創世記12章から25章
牧師 小林智彦

今週の聖書箇所、創世記12章から25章までは信仰の父と呼ばれるアブラハムについて書いてあります。私たちはアブラハムから信仰とは何か?を学んで行きましょう。

12章から25章まで、アブラハムの偉大な信仰と失敗があからさまに書かれています。神は私たちに信仰を学問的、また知的に理解することを願っておられません。
神は頭の中にスッポリと収まってしまうような信仰を喜ばれません。

信仰とは人生そのものです!そして信仰とは生きておられる真の神との関係です。
本当の信仰とは、信仰に生きた信仰者の生涯からこそ学ぶことが出来るのです。
そして私たちもその信仰に生きる時、初めて信仰を知り、理解することが出来るのです。

信仰を学ぶ上で大切なみ言葉をまず分かちあいます。

「たましいを離れたからだが、死んだものであるのと同様に、行ないのない信仰は、死んでいるのです。」ヤコブの手紙2章26節

信仰の父アブラハムは私たちを生きた信仰に歩めるようにと、自らの生涯の失敗も成功も明らかにして下さっているのです。私たちはアブラハムの信仰から学び、また信仰の生涯を歩みましょう。アブラハムの信仰に倣う者には大きな祝福が約束されています。

「とすれば、あなたがたに御霊を与え、あなたがたの間で奇蹟を行なわれた方は、あなたがたが律法を行なったから、そうなさったのですか。それともあなたがたが信仰をもって聞いたからですか。アブラハムは神を信じ、それが彼の義とみなされました。それと同じことです。ですから、信仰による人々こそアブラハムの子孫だと知りなさい。聖書は、神が異邦人をその信仰によって義と認めてくださることを、前から知っていたので、アブラハムに対し、「あなたによってすべての国民が祝福される。」と前もって福音を告げたのです。そういうわけで、信仰による人々が、信仰の人アブラハムとともに、祝福を受けるのです。」ガラテヤ書3章5節から9節

アブラハムの生涯から信仰を学び、またその信仰の生涯に私たちも従いましょう!

【信仰は自分に語りかけられた、神のことばを正しく聞くことから始まる】

信仰は神のことばを正しく聞くことから始まります!
アブラハムは自分に語りかける神のことばを正しく聞きました。

「その後、主はアブラムに仰せられた。『あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。
あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。』アブラムは主がお告げになったとおりに出かけた。ロトも彼といっしょに出かけた。アブラムがカランを出たときは、七十五歳であった。」創世記12章1節から4節

アブラハム(この当時はまだアブラム)は、神の声を聞くことが出来る謙遜な人でした。今日でも、神は私たちに聖書を通して救いと祝福を語られています!
神を求める謙遜な人だけが、神のことばを聞くことが出来るのです。

アブラハムと同じ祝福された信仰の生涯を歩みたいなら、日々、神のことばである聖書に耳を傾けましょう。神は何を私に語られているのか?正しく聞くことです。
神のことばを求め、謙遜な心の態度で聞くことです。これが信仰の始まりです。

【信仰は聞いたみ言葉を忠実に守り、行うこと@】

次ぎに信仰とは、聞いたみ言葉を行うことです!
いちばん始めに分かちあったように、行いがないなのなら、その信仰は死んでいます。
「知的な信仰」はありません!頭だけで理解する信仰は信仰と呼べないのです。

信仰は語られたみ言葉に従い、それを行う時に信仰と認められるのです。
そして行いのある信仰は祝福を受けます。行いのない信仰に祝福はありません。

神はアブラハムに「あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい」と語られ、「そうすれば・・・」と七つの驚くべき祝福を約束されました。
祝福は神のことばに聞き従う者にのみ約束されているのです。
神のことばを求めず、聞かず、聞いても行わない者には祝福はありません!

しかし、神のことばに従う者には驚くべき祝福が伴うのです。

イエス・キリストを信じ、救い主として受け入れても神と教会から離れていく人がいます。
ある人に理由を聞きました。その人は「イエスを信じれば、壊れた家庭が上手く行くと思った。でも何も変わらなかった!だから今は信じるつもりがない」とのことでした。
この方はイエスを信じても神さまの祝福、復活の力が流れてこなかったようです。
なぜ主はこの人を祝福しなかったのでしょう?

行いが伴っていなかったのです!

家庭が壊れているのなら、先ずすべきは妻に謝ることです。子ども達に謝ることです。
神のみ言葉は明確にこのことを教えています。

「だから、祭壇の上に供え物をささげようとしているとき、もし兄弟に恨まれていることをそこで思い出したなら、供え物はそこに、祭壇の前に置いたままにして、出て行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。それから、来て、その供え物をささげなさい。
あなたを告訴する者とは、あなたが彼といっしょに途中にある間に早く仲良くなりなさい。そうでないと、告訴する者は、あなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡して、あなたはついに牢に入れられることになります。まことに、あなたに告げます。あなたは最後の一コドラントを支払うまでは、そこから出ては来られません。」
マタイ5章23から26節

兄弟に恨まれているなら、礼拝よりもまず和解しなさいと主は教えています。
ましてや自分の体の半分である伴侶、そして子ども達に対してはそうするべきなのです!

そして主は、和解を拒絶するなら「牢にいれられることになる」と警告しています。
何の罪で牢に入れられるのですか?と思うでしょうが、この牢は感情の牢です。
失望と落胆、挫折の牢です。親しい者との和解を拒絶する者は必ずこの牢に落ち込みます。
だからイエスさまは、手遅れにならないうちに本当は一番大切な礼拝さえも後にして、和解しなさいと教えているのです!

しかし、この主のことばを自分のプライドを守るために拒絶して、行わないならば、神からの祝福など来るはずがないのです!自らが主の祝福を退けているのです。

聖書の信仰は御利益信仰ではありません!
儀式に参加して、適当に献金していれば不思議とハッピーになれる、祝福をいただける、そんなことはひと言も聖書に書かれてはいないのです!
イエスさまは、このような信仰を異邦人の信仰と呼ばれています。

私は愛する皆さんが、一人もこの教会から落胆して去って欲しくないのです。
だから厳しいのですが、信仰の真理を曲げることなく真っ直ぐに皆さんと分かちあっているのです。

信仰は神のことばを正しく聞くことです。そして忠実に従うことです!

「自分は家庭に問題がある、私は仕事に問題を抱えている、でも神は何を言っているか知らない、まだ聖書をぜんぶ読んでいないから!」
このような方は牧師である私に相談して下さい。
神はご自分のことばを正しく地域に教え、伝えるために、み言葉に仕える牧師を立てて居られるのです。ぜひ相談して下さい。神のことばを尋ね、求めて下さい!

【信仰は聞いたみ言葉を忠実に守り、行うことA】

アブラハムは神のことばに従いました。しかし不完全にしかみ言葉を守っていません。

「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。」
と神はアブラハムに言われました。
この箇所は新改訳聖書よりも、口語訳聖書の方が正しく訳されていると言えるので、口語訳を引用します。

「時に主はアブラムに言われた、『あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい。』」(口語訳)

アブラハムは「私が示す地に行きなさい」は守りました。しかし、主はそれだけではなく、「親族に別れ、父の家を離れ」と仰っているのです。アブラハムはこれは守りましたか?

「アブラムは主がお告げになったとおりに出かけた。ロトも彼といっしょに出かけた。」
12章4節では、ロトも一緒に出掛けたとあります。信仰の父アブラハムですが、この時は残念ながら不完全にしか神のことばを守りませんでした。その結果はどうですか?

アブラハムはこの12章2、3節で七つの祝福が約束されています。
この祝福をカナンの地で充分に受けられたでしょうか?祝福を充分には受けていません!

アブラハムはカナンの地に辿り着き、ほんの短い主の約束のことばを受けた後、何と祝福ではなく飢饉に見舞われるのです。

「さて、この地にはききんがあったので、アブラムはエジプトのほうにしばらく滞在するために、下って行った。この地のききんは激しかったからである。」創世記12章10節

何とアブラハムを待ち受けていたものは祝福と豊かさではなく激しい飢饉でした。
そして神が約束した地から離れ、エジプトでは妻サラを妹と偽りながら、肩身の狭い生活を強いられます。回りに神の祝福を分かちあう神の僕ではなく、回りに嘘を付いて、生き延びることだけに一生懸命になっている、世と妥協した信仰者の惨めな姿です。

なぜ神に選ばれたアブラハムがこのような惨めな状況に追い込まれたのでしょうか?
「あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい。」
アブラハムは「親族に別れ」で妥協し、神のことばに不完全にしか従わなかったのです。神はご自分のことばを都合良く理解し、適当にしか従わないものを祝福されないのです!

もしエジプトの王パロがアブラハムらを追い出さなかったら、彼らは豊かなエジプトで偶像礼拝者になっていたかもしれません。これはアブラハムの失敗でした。

13章では神のことばに逆らってまでも連れてきた甥のロトと問題が生じます。
甥のロトは叔父のアブラハムを差し置いて良い地を選び取り、そして二人は別れます。
やっとアブラハムはロトと別れ、主のことばを守ることが出来るのです。

「ロトがアブラムと別れて後、主はアブラムに仰せられた。「さあ、目を上げて、あなたがいる所から北と南、東と西を見渡しなさい。わたしは、あなたが見渡しているこの地全部を、永久にあなたとあなたの子孫とに与えよう。わたしは、あなたの子孫を地のちりのようにならせる。もし人が地のちりを数えることができれば、あなたの子孫をも数えることができよう。立って、その地を縦と横に歩き回りなさい。わたしがあなたに、その地を与えるのだから。」創世記13章14節から17節

主はアブラハムがロトと別れた後、直ぐにアブラハムにご自身を現されたようです。
そして、アブラハムと彼の子孫に見渡せる限りの地を全て与える約束をされました!
神はアブラハムがご自身のみ言葉を忠実に守った時に祝福を与え、大いなる約束を与えたのです。これは神ご自身がアブラハムに信仰とは何かを教えるための訓練でした。

私たちが信じる神は、ご自身のことばに忠実に従う者を喜ばれ、豊かに祝福されます。

預言者サムエルも教えています。

「するとサムエルは言った。『主は主の御声に聞き従うことほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。まことに、そむくことは占いの罪、従わないことは偶像礼拝の罪だ。あなたが主のことばを退けたので、主もあなたを王位から退けた。』」第一サムエル記15章22.23節

神が最も喜ばれることは、神のことばを良く聞いて、忠実に従うことです!
これが信仰であり、祝福を豊かに受ける道なのです。

そして神のみ言葉が守られるところには神の救いと正義が実現されるのです。
アブラハムは残念なことに、神のみ言葉に不完全に従い、甥のロトを連れてきてしまったために後々、その刈り取りをしなければならなくなります。
ロトからはモアブとアモンの二つの部族が生まれ、やがてイスラエルを呪い、偶像礼拝に誘惑するようになります。


今日はアブラハムから信仰とは何かを学びました。
神の語られるみ言葉,それは聖書です。聖書から神のことばを日々、聞きましょう。
そして忠実にみ言葉を守ることです。これが信仰です。
私たちには、しかし自分の力でみ言葉を完全に守ることは出来ません。
み言葉に逆らいたい思い、自分の考えが勝っていると思う高ぶり、素直に主の前に告白し、主の十字架の死が自分の内にある古い性質に死をもたらし、主の復活の命がみ言葉を守る原動力となるように願い求めましょう!聖霊様が主の復活の命を謙り、祈り求める者に力を与えます。聖霊様は私たちにみ言葉を守り、神の栄光を現す力を与えられるからです。