「七つのラッパが吹き鳴らされる」
黙示録8章から11章
牧師 小林智彦

【黙 示 録 の 解 釈 A 】

黙示録を理解し、解釈する上で困難を覚えるのは、西洋的な価値観(世界観)を持つ私たちとヨハネが持つ価値観(世界観)の間にギャップがあるためです。
聖書は新約聖書のルカを除き、ユダヤ人によって書かれた。聖書の本当の著者は神の御霊であるが、聖霊さまはユダヤ人を通して聖書を書き表された。そしてユダヤ人の文化(世界観)が聖書に反映することを許しておられる。ユダヤ人の世界観と西洋的な世界観は以下の表のように顕著な違いが存在する。聖書、特に黙示録の読みにくさはここに原因があると考えられる。またこの相違を理解しないと、黙示録が伝えたいことを私たちは見落としてしまうことが考えられる。

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│西 洋 的 世 界 観              │      ユダヤ的(聖書)世 界 観

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│                1.範疇化、分類、論理

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│a)生活はきっちりしたカテゴリーに区分   │a)全てのものはぼんやりしていて区別が   │
│できる。                      │付きにくい。         

│b)自然と超自然の二元論。            │b)超自然が全てに影響を与える。      │
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│                  2.個人/集団

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│a)個人主義。集団の利益は、通常個人の  │a)集団は現実的なもの。個人の利益は、  │
│関心に従属する。重要な決断は、年齢、地 │通常集団の関心に従属する。重要な決断は│
│位にほとんど関係なく個人によってなされ  │集団としてなされる。        │
│る。                         │          
│f)人間中心の宇宙観。              │f)神と部族/家族中心の宇宙観。    │
│g)金銭と物質所有が人間の価値基準。    │g)家族の人間関係が人間の価値基準。   │
│h)生物学的生命は神聖。            │h)社会的生命が極めて重要。      │
├──────────────────┴───────────────────┤
│                   3.原因と力

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│a)「偶然」に対する驚くべき信仰。       │ a)神が全てのものの根本原因。      │
│因果律が鍵となり、また起こりえることの  │           
│範囲を限定。                    │           

│b)人間は科学によって自然を支配・管理  │b)神が全てを支配・管理している。       │
│している。                     │           

│c)科学的な方策と技術によって、人間は  │c)霊の領域での方策と技術が、得ること    │
│万物に勝るトータルな力を得る。        │の出来るあらゆるコントロールの源。      │
│                            │霊的技術によってコントロールすることを   │
│                            │学ぶのは重要。        

│d)事業体、政治などの組織を通して他者 │d)神によって定められた社会的パターン   │
│の上に力を振るうことが出来る。       │によって他者の上に力を振るうことが出来  │
│                           │る。           

│e)世界には目に見えない存在物(者)など │e)世界は非常に力ある見えない存在物    │
│いない。                      │(者)によって満ちている。      

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│                  4.時間/出来事

├──────────────────┬───────────────────┤
│a)直線的時間。きっちりした区分が可能。 │a)循環的、または螺旋状の時間。非常に   │
│生活の中で出会う一つひとつの出来事は新│似た出来事が絶えず繰り返される。     │
│しい。                        │           

│b)近未来思考。                  │b)過去思考。          

│c)「時間思考」。行事は時計と日程表に   │c)「出来事思考」。問われるのは出来事    │
│従って計画される。面会の約束をしたら、  │の時間ではなく質。行事は時刻にとらわれ  │
│前もって約束した時刻に来る。         │ず、来るべき人々が集まった時に始まる。  │
│d)歴史は過去の「事実」を客観的に記録  │d)歴史は、記されることが委細にわたっ    │
│する試みである。                 │て客観的事実でなかったとしても、重要な   │
│                            │真理を今日の我々にとって意義深い方法で  │
│                            │保存する試みである。      

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│                 5.空間、物質的領域

├──────────────────┬───────────────────┤
│a)世界は偶然の積み重なりによって進化  │a)世界は神によって創造された。      │
│した。          │           

│b)科学と技術によって世界を支配しコン   │b)世界は管理者である私たちが責任を持  │
│トロールすることが出来る。          │って管理すべきである。       

│c)世界は機械のようなもの。          │c)世界はもっと人格的なもの。       

│d)物質的繁栄は個人の努力達成。      │d)物質的繁栄は神の祝福の印。      │
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上記の表はチャールズ・クラフト著「力あるキリスト教:世界観としるしと不思議」から一部を抜粋し引用しました。

黙示録を理解し、解釈する上で大切な世界観の相違は、ユダヤ人の歴史観は「循環的、または螺旋状の時間。非常に似た出来事が絶えず繰り返される」である。
つまり、過去起きた出来事が、将来も必ず起こると考えることだ。西洋的な歴史観(この中に日本人も含まれる)では、未来は絶えず新しいと考える。明日起こることは、決して過去の繰り返しとは考えない。

黙示録では未来の警告に対して、過去の出来事を象徴的に語ることを通して預言している。しかし、これは単に世界観の相違と言うよりは、ユダヤ人に関する歴史を考えてみると現実にそった理解であると言える。ユダヤ人は過去四千年の間に祖国を追われたことが実に三度もある。激しい迫害を繰り返し受け、しかしそのたびに神の約束の地に帰ってきているのである。

【七つのラッパの災害】

「小羊が第七の封印を解いたとき、天に半時間ばかり静けさがあった。それから私は、神の御前に立つ七人の御使いを見た。彼らに七つのラッパが与えられた。」
黙示録8章1.2節

巻物の7つ目の封印が解かれました。すると神の御前に立つ御使いにラッパが与えられます。そして、このラッパが吹き鳴らされるたびに地上には恐ろしい災害が神の怒りと裁きとして加えられるのです。

ラッパは神の聖なる民が集められる時の合図であり、裁きの始まりを告げる合図として用いられています。このラッパは吹き鳴らされるごとに、神を拒絶する者には裁きへの絶望と悲しみを増し加え、神の民にはキリストの再臨に対する希望と喜びを増し加えるのです。

※黙示録のラッパ〈ギ〉サルピンクスは旧約聖書の角笛とラッパを両方とも表す訳語である。角笛は雄羊の角〈ヘ〉ショーファールで作られるが、やがては金属製の物も用いられるようになった。天使に与えられたラッパが角笛なのか、ラッパなのかは不明である。

イエスさまも世の終わりに関する預言のなかでラッパについて話されました。

「人の子は大きなラッパの響きとともに、御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで、四方からその選びの民を集めます。」マタイ24章31節

また使徒パウロも世の終わりに鳴り響くラッパについて語っています。

「聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみなが眠ってしまうのではなく、みな変えられるのです。終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。朽ちるものは、必ず朽ちないものを着なければならず、死ぬものは、必ず不死を着なければならないからです。しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、『死は勝利にのまれた。』としるされている、みことばが実現します。」
第一コリント15章51から54節

世の終わりに吹き鳴らされるラッパは私たちキリストを信じる物には希望と喜びです。
神のもとに集められる喜び、そして栄光の体へと復活し永遠のいのちを受ける時です。

しかし、神を拒絶し、イエスを信じない者には恐ろしい裁きの時であり、ラッパが吹き鳴らされるたびに絶望が増し加えられていきます。それはヨシュアがエリコ城を陥落させた時と同じなのです。

「七人の祭司たちが、七つの雄羊の角笛を持って、箱の前を行き、七日目には、七度町を回り、祭司たちは角笛を吹き鳴らさなければならない。祭司たちが雄羊の角笛を長く吹き鳴らし、あなたがたがその角笛の音を聞いたなら、民はみな、大声でときの声をあげなければならない。町の城壁がくずれ落ちたなら、民はおのおのまっすぐ上って行かなければならない。」                       ヨシュア記6章4.5節

ユダヤ人の歴史観は循環的な歴史観です。神の民を拒み、敵対したエリコの城が角笛の合図とともに崩れ去ったように、世の終わりにも同じことが世界的な規模で起こるのです。

私たちはラッパが吹き鳴らされる日を希望を持って待ち望みましょう!
そして決して滅んではならない人々、私たちの家族・友人・知人に希望の道を伝えていきましょう。神の裁きで滅ぶべきは、悪魔・サタンであり、人間は誰ひとりとして滅びてはならないのです!神は裁きの日を忍耐して遅らせているのですから、私たちは希望の道である主イエスを伝えていきましょう!

【この星の名は「苦よもぎ」と呼ばれ】

「第三の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、たいまつのように燃えている大きな星が天から落ちて来て、川々の三分の一とその水源に落ちた。この星の名は苦よもぎと呼ばれ、川の水の三分の一は苦よもぎのようになった。水が苦くなったので、その水のために多くの人が死んだ。」黙示録8章10.11節

今から20年前にロシアで起きたチェルノブイリの原子力発電所の事故を皆さんは覚えておられると思います。原発事故では最も大きな被害を出しました。約60万人が被爆し、20万人が放射能汚染のために死亡したと言われています。
このチェルノブイリですが、ロシア語では「苦よもぎ」を意味するのです。
これは偶然なのでしょうか?原子力発電所は大量の水を冷却のために使います。
事故が起きた時は確かに海や河川を汚染してしまうのです。

今年の新潟中越沖地震でも柏崎刈羽原子力発電所から放射能を含んだ水が漏れ出す事故が起こりました。世界には原子力発電所は約380あるそうです。
原子力発電所の事故による水質汚染が起こることを預言しているのかもしれません。

ヨハネがチェルノブイリの事故を預言していたのかは分かりません。しかし、単なる偶然とは思えません。主が来られる日、最後のラッパが吹き鳴らされる日はそれほど遠くないことを覚えるべきでしょう。

「そのように、これらのことのすべてを見たら、あなたがたは、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。まことに、あなたがたに告げます。これらのことが全部起こってしまうまでは、この時代は過ぎ去りません。この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。人の子が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだからです。44) だから、あなたがたも用心
していなさい。なぜなら、人の子は、思いがけない時に来るのですから。」
マタイによる福音書24章33節から37節、

最後のラッパが吹き鳴らされる日が近づいています!
私たちは主が来られる日を期待しつつ、待ち望みましょう。

【全地の主の御前にある二本のオリーブの木、また二つの燭台】

「それから、私に杖のような測りざおが与えられた。すると、こう言う者があった。
『立って、神の聖所と祭壇と、また、そこで礼拝している人を測れ。聖所の外の庭は、異邦人に与えられているゆえ、そのままに差し置きなさい。測ってはいけない。彼らは聖なる都を四十二か月の間踏みにじる。』」黙示録11章1.2節

第七のラッパが吹き鳴らされる前に、ヨハネは「礼拝している人を測れ」と命じられます。これは7章で神の民の額に印がされたように、神の御前に覚えられることを表しています。第七の封印が開かれる前に、神の民の額には印が押され、災いの中でも守られました。
第七のラッパが吹き鳴らされる前にも、神を礼拝する神の民は神の守りの中に入れられます。神の裁きに伴う災害が地上に下されても、神の民には守りがあります!
黙示録の神の裁き、神の怒りの災害は神の民には害を及ぼさないことを覚えましょう。

ただ私たちは神の守りとは何かを聖書的に理解するべきです。
チェルノブイリの原発事故は御使いの吹き鳴らしたラッパの災害の一つである可能性は考えられます。しかし残念ながら被爆して亡くなった方の中にクリスチャンは含まれます。
地震や津波、あらゆる災害が神の怒りと裁きとして下される時も、死亡するクリスチャンは少なくないかもしれません。それでは一体、神の守りとは何か?と思われるでしょう。

「しかしあなたがたは、両親、兄弟、親族、友人たちにまで裏切られます。中には殺される者もあり、わたしの名のために、みなの者に憎まれます。しかし、あなたがたの髪の毛一筋も失われることはありません。」ルカによる福音書21章16節から18節

イエスは神の毛一筋さえも失われることはないと約束しておられます。これは天において私たちに約束されている報いであり、天における私たちの命のことです。
私たちの地上に属する物は、この体も含めて財産も地位も名誉も地とともに滅ぼされます。
神は滅び行くものを守られるとは約束されていません。
しかし私たちの永遠の命、キリストの血によって洗われ、きよめられた私たちの霊と魂と栄光の体は決して滅ぼされたり、失われたりすることは亡いのです。これが神の守りです。

地上での災害や事故から守られることを私たちはもちろん願っていますが、もしそれらの災害に見舞われても、決して神の守り、天における報いを疑ってはなりません。
神は私たちの額に印を押され、また神を礼拝する私たちを測っておられるのです。

「彼らは聖なる都を四十二か月の間踏みにじる(2節)」

ヨハネにこの幻が与えられた時は、既にローマ軍によってエルサレムの神殿は破壊されていました。神に敵対する異邦人にエルサレムは踏みにじられるのです。その期間は42ヶ月とされています。これは実際の期間ではありません。AD70年にローマ軍にエルサレムを奪われてから約1900年後の1967年、ユダヤ人は第三次中東戦争によってエルサレムを取り戻すのです。しかしそれから40年たった今でも、神殿の丘は依然としてイスラム教徒の管理下に置かれています。

この「聖なる都を四十二か月の間踏みにじる」幻は実際のエルサレムだけに限定しない方が良いでしょう。この幻の始めに聖所で礼拝する者を測れと命じられていますが、ヨハネが黙示録の幻を与えられた時には既に実際のエルサレム神殿はローマ国破壊されて無くなっていたからです。この幻は実際のエルサレムと神殿を指しながらも、教会を指していると理解すべきです。ただし教会と言っても、異邦人教会だけではありません。
ユダヤ人を含む、キリストの体としての教会を指しています。

実際のエルサレム神殿は崩壊しましたが、神の御霊が宿るクリスチャンとその集合体である教会は守られるのです。教会の外は神を知らない者たちによって踏みにじられることがあってもキリスト教会を滅ぼすことは決して出来ないのです。そして四十二ヶ月はそれほど長い期間ではありません。短い期間でもありませんが、長すぎる期間ではありません。そして、これは象徴的な数ですが、神はこの期間を定めておられるのです。
苦難は決して永遠に続くことはありません!神はその期間を既に定めておられます。
個人的な苦しみも永遠には続きません。神は私たちを苦しめて喜ばれる方ではありません。解放の時、苦しみに勝利する時をも既に定めておられるのです。

「『それから、わたしがわたしのふたりの証人に許すと、彼らは荒布を着て千二百六十日の間預言する。』彼らは全地の主の御前にある二本のオリーブの木、また二つの燭台である。彼らに害を加えようとする者があれば、火が彼らの口から出て、敵を滅ぼし尽くす。彼らに害を加えようとする者があれば、必ずこのように殺される。この人たちは、預言をしている期間は雨が降らないように天を閉じる力を持っており、また、水を血に変え、そのうえ、思うままに、何度でも、あらゆる災害をもって地を打つ力を持っている。」
黙示録11章3節から6節

「わたしのふたりの証人」とはいったい誰なのか?と思われるでしょう。モーセとエリヤを指していると解釈する人もいます。なぜなら、この証人が持つ奇跡的な力は旧約聖書ではモーセとエリヤが行った奇跡だからです。その可能性もあるかもしれませんが、この二人の証人は教会を指していると理解すべきです。教会、つまり私たちこそ世の終わりまで主を証しする証人だからです!この証人は主の御前にある二本のオリーブの木、また二つの燭台である」と言われています。燭台とは黙示録の中では一番最初に教会を指す象徴として登場しました。なぜ一つではなく、二つの燭台なのか、それはユダヤ人教会と異邦人教会を指していると考えられます。

ユダヤ教ではなく、ユダヤ人教会(メシアニック・ジュー)と異邦人教会こそ、モーセとエリヤに代表される律法と預言を引き継ぐ者だからです!

この幻はエルサレム、神の聖なる都が踏みにじられようとも、それほどの危機的な状況においても私たち神の民が果たすべき使命が明らかにされています。
私たちに託されている使命とは主を証しすることです!それが証人の使命です。
証人は燭台に象徴され、また燭台に油を注ぐオリーブの木に象徴されています。
主を証しする力、暗闇に希望を灯す力は聖霊さまから来ます。
主を証したいと願う者、そして信仰を働かせて主を証しする者に聖霊は力を与えます。
また聖霊は私たちの証言が正しいこと、み言葉の約束が確かなことを証明されます。

あのエリヤやモーセが持っていたしるしと不思議を行う力が、終末が近づくにつれ再び教会に増し加えられていくことを預言していると思います。
暗闇が濃くなればなるほど、光もまたその明るさを増し加えていくのです。

数年前になりますが、ある年配の牧師が伝道が難しくなってきていると話されているのを聞きました。その牧師が言うにはオウム真理教の事件から、特に伝道に関しては難しさを覚えるとのことでした。オウム真理教の事件は確かに日本に大きな衝撃を与えました。
それは全ての宗教は危ない!という間違ったイメージを植え付けてしまったのでしょう。
オウムの事件は古いですが、最近では「聖神中央教会」のように牧師が女性の信徒に性的暴行を繰り返していたという信じられない事件も起こりました。
ますます主を証し辛い状況になりつつあります。

しかし私たちは神に希望を置きましょう!主を証しする力は神から来ます。
暗闇が濃くなれば、燭台には闇に覆われない力を主が与えて下さるのです。
聖霊さまを求めましょう!聖霊こそ教会を、また私たちクリスチャン一人ひとりを輝かせる原動力です。聖霊に満たされ、それぞれの賜物を通して熱く主を証しましょう。

「しかし、三日半の後、神から出たいのちの息が、彼らにはいり、彼らが足で立ち上がったので、それを見ていた人々は非常な恐怖に襲われた。そのときふたりは、天から大きな声がして、『ここに上れ。』と言うのを聞いた。そこで、彼らは雲に乗って天に上った。彼らの敵はそれを見た。」黙示録11章11.12節

キリストの体である教会は過去何回も迫害を受け、大打撃を被ってきました。
しかしそのたびに信仰が純粋になり、力を受けリバイバルしてきたのです!
この世を支配する悪しき者たちは世の終わりまで教会を滅ぼし尽くそうとするでしょう。そしてある時はその試みが成功したとおもえることが起きるかもしれない。
しかし、キリストの教会は必ず新しい力を受けて立ち上がるのです!
そして最終的には天におられるキリストのもとへと引き上げられていくのです。

私たちの信仰生活も試みを受け、躓き、「もうダメだ!」と思うような時が来るかもしれない。しかし!諦めないで下さい。「三日半の後、神から出たいのちの息が、彼らにはいり、彼らが足で立ち上がった」。神から出た命の息とは、神の聖霊です。自分では立ち上がれなくても、聖霊は私たちを立ち上がらせる力を下さるのです。今疲れている人、どん底の中にいる人、主を求めましょう!証しする力を主から頂きましょう。