「信仰のために戦え」
ユダの手紙
牧師 小林智彦

【著者・執筆の理由】

今週の通読箇所はユダの手紙です。手紙の差出人は「イエス・キリストのしもべであり、ヤコブの兄弟ユダ」となっています。この兄弟ヤコブはヤコブの手紙を書いたヤコブです。ヤコブはイエス・キリストの異父兄弟です。つまりユダもイエスさまの弟のユダです。

「この人は大工の息子ではありませんか。彼の母親はマリヤで、彼の兄弟は、ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではありませんか。」マタイによる福音書13章55節

イエスさまには父の異なる兄弟が4人と、聖書には名前の出て来ない妹たちがいました。

イエスさまの肉親たちは、イエスさまが公の活動をされていた頃はイエスさまを信じていませんでした。しかし、イエスさまの十字架の死と復活を通して信仰に入りました。
ヤコブはエルサレムの教会でとても大きな役割を果たす人物になります。
弟のユダがどのような働きを初代教会の中でしていたのかは分かりません。
しかし、兄のヤコブと同様に初代教会の中で大切な働きをしていたことが伺えます。

宛先は「父なる神にあって愛され、イエス・キリストのために守られている、召された方々」になっています。これは特定の教会に向けて書かれた手紙ではなく、全ての信仰者に宛てて書かれた手紙です。

ユダが手紙を書いた理由は3節と4節にあります。

「愛する人々。私はあなたがたに、私たちがともに受けている救いについて手紙を書こうとして、あらゆる努力をしていましたが、聖徒にひとたび伝えられた信仰のために戦うよう、あなたがたに勧める手紙を書く必要が生じました。(3節)というのは、ある人々が、ひそかに忍び込んで来たからです。彼らは、このようなさばきに会うと昔から前もってしるされている人々で、不敬虔な者であり、私たちの神の恵みを放縦に変えて、私たちの唯一の支配者であり主であるイエス・キリストを否定する人たちです。(4節)」

ユダは大切な内容を伝える時、手紙の中で3回「愛する人々」と読者に呼びかけています。
始めの「愛する人々」の呼びかけが、この3節です。

ユダはこの手紙を「信仰のために戦うように勧める手紙」として書いたと言っています。

理由は4節にあるように、イエス・キリストを否定する人たち、恵を放縦に変える不敬虔な者が預言されていたように現れ、教会にひそかに忍び込んで来たからです!

ユダの手紙はペテロの手紙第二と非常に内容が似ています。ぜひ読み比べて下さい。
ユダの手紙の中にはペテロの手紙第二からの引用された例話と文がとても多いです。
しかし、これはユダがペテロの手紙を真似て書いたと言うことではありません。
ユダの手紙はペテロの手紙第二の優れた注解書であり、そしてペテロが先に警告していた不敬虔な者たちが現実に現れた、だから信仰のために戦えという勧めなのです。

「しかし、イスラエルの中には、にせ預言者も出ました。同じように、あなたがたの中にも、にせ教師が現われるようになります。」ペテロの手紙第二2章1節

ペテロは「にせ教師が現れるだろう」と未来形で書いています。これは近い将来に教会に訪れる危機として警告しているのです。しかし、ユダは「ある人々が、ひそかに忍び込んで来たからです。(3節)」と過去形で書いています。つまりペテロが警告していたことがいま現実になった。だから注意するだけではなく、戦いなさいと言っているのです。

しかし信仰のために戦えとは、戦争しなさいと言っているのでは決してありません!
パウロが教えているように、私たちの戦いは血肉の戦いではなく霊的な戦いです。
霊的な戦いというのは、キリストの教えを正しく守り、偽りの教えに惑わされないことであり、またキリストの教えを実践することです。

戦うというと相手を攻撃することを思い浮かべるかもしれませんが、新約聖書では主イエスは敵さえも愛しなさいと命じています。ユダが言う戦いも、不敬虔な者(ヨハネの言葉では反キリスト)に対する攻撃の勧めではなく、彼らの惑わしから自分たちに与えられた聖い信仰を守る戦いなのです。このことは後半で更に具体的に分かちあいます。

【不敬虔な者に対する確実な裁き】

ユダは5節から17節まで、信仰を守るために戦う理由を書いています。

その理由の第一は、不敬虔な者は確実に裁かれてきたからです。
ユダは旧約聖書で良く知られている三つの物語を引用しています。
神が不敬虔な者を容赦なく確実に裁き、滅ぼされた、歴史的な事実を取り上げています。

ぜひ5節から7節を良く読んで、神が憎まれる罪とは何かを学んで下さい。
そして決して自分が同じ過ちに陥らないように、神に助けを求めることが大切です。
なぜならこの旧約の歴史的な出来事を知りながらも、不敬虔な者は同じ過ちを繰り返しているからです。

「それなのに、この人たちもまた同じように、夢見る者であり、肉体を汚し、権威ある者を軽んじ、栄えある者をそしっています。(8節)」

不敬虔な者の特徴は高ぶりです!彼らの高慢にあります。
自分たちは裁かれるはずがない、自分たちが間違っているはずがないという高ぶった態度を持っています。高ぶる者は決して、歴史の教訓から学ぶことをしません。
そのために同じ過ちを繰り返し、同じように神から罰せられ、最後は滅びるのです。

聖い信仰を守る者だけが、神の前に謙遜になり、旧約の歴史から学び、自分も同じ過ちに陥らないように、神に助けを祈り求めるのです。

【不敬虔な者の姿、その特徴】

○夢見る者であり(神の言葉である聖書よりも、自分の神秘的な体験やオカルト、魔術、占いを信じる罪)
○肉体を汚し(他宗教の性的な儀式に関わる罪、また不品行、姦淫の罪:不敬虔な者はそれらを肯定し、悔い改めることを拒絶していた)
○権威ある者を軽んじ、栄えある者をそしっています(聖書の権威、教会の指導者たちの権威を軽視している高慢の罪。神が喜ばれる信仰者を批判し、引き下げる態度)(8節)

○自分には理解もできないことをそしり(批判的で否定的な言葉が習慣的に口から出る)
○わきまえのない動物のように、本能によって知るような事がらの中で滅びるのです(善悪の正しい判断が着かない。快楽だけを追い求め、快楽の慢性中毒。そこには同性愛、性的な放縦、逸脱し倒錯した性がある。アルコールや麻薬や薬物の乱用。)(10節)

○カインの道を行き(崩壊した家庭、弟を妬みで殺害。親しい関係が築けない呪い)
○利益のためにバラムの迷いに陥り(神よりも富みに仕える。優先順位の狂い)
○コラのようにそむいて滅びました(神の立てた権威、秩序に敵対する罪)(11節)

○彼らは、あなたがたの愛餐のしみです(不敬虔な者も外見は一般のキリスト教徒)
○恐れげもなくともに宴を張りますが(自分の罪を覆い隠し、問題ないように振る舞う)
○自分だけを養っている者であり(神の家族の交わりの中でも自分の利益しか考えない)
○風に吹き飛ばされる(自分の信念、考えがコロコロ変わる。世の流れに流される)
○水のない雲(見かけは立派でも、隣人を潤し、他者を成長せることが出来ない)
○実を結ばない(キリストの人格に、まるで似ることがない。愛の実を結んでいない)
○枯れに枯れて(霊も心も体も、日々、滅びに向かっていく)
○根こそぎにされた秋の木(キリストとその体である教会に根付いていない)(12節)

○自分の恥のあわをわき立たせる海の荒波(その滅びと恥は誰の目にも明らか)
○さまよう星です(人々を惑わし、滅びに導く軌道を逸れた滅びの星)(13節)

まっ暗なやみが、彼らのために永遠に用意されています。(13節)

世の中の流れは、ユダが不敬虔な者の特徴として書いた事柄を肯定し、また推し進めています。私たちはこの流れに流されて不敬虔な者と同じ裁きを受けないように、聖い信仰を守るために戦わなければならないのです。不敬虔な者の惑わしと誘惑の力は非常に強いです。私たちの心の中に不敬虔な者の悪影響が無いか聖霊さまに吟味してもらいましょう。
そして、もし示されたら悔い改める祈りを神に捧げましょう!

「自分のそむきの罪を隠す者は成功しない。それを告白して、それを捨てる者はあわれみを受ける。幸いなことよ。いつも主を恐れている人は。しかし心をかたくなにする人はわざわいに陥る。」箴言28章13.14節

【勧めの言葉:信仰を守るために具体的な勧め@】

「愛する人々よ。私たちの主イエス・キリストの使徒たちが、前もって語ったことばを思い起こしてください。彼らはあなたがたにこう言いました。『終わりの時には、自分の不敬虔な欲望のままにふるまう、あざける者どもが現われる。』(17.18節)」

ユダが大切なことを語る時には「愛する人々よ」と呼びかけていることを覚えて下さい。17節が2番目の「愛する人々よ」で始まっています。

聖い信仰を守るために戦う時が来たのだと、ユダは私たちに呼びかけています。
そして具体的には「使徒たちが、前もって語ったことばを思い起こしてください」と勧めているのです。使徒ペテロは不敬虔な者の出現を予告し、警告したばかりでなく、第二の手紙には私たちがすべきことも書き記してあります。

不敬虔な者の出現、彼らが聖い信仰を破壊する者であると伝えているのはペテロだけではありません。ヨハネもその手紙の中で警告しています。
私たちはペテロの手紙第二、そしてヨハネ第一、第二の手紙を良く学んで、使徒たちが私たちにどのように戦うべきか、その教えを整理して学ぶことが大切です。
「使徒たちが前もって語ったことばを思い起こしてください」と勧められているからです。

説教の中で分かちあいましたが、ペテロの手紙第二でペテロが強調していたことは正しい知識でした。キリストに対する正しい知識が恵と平安を私たちに満たすと教えています。

ヨハネ第一の手紙と第二の手紙でヨハネが強調していることは、光の中を歩むこと、キリストとその教えの中にとどまること、互いに愛し合うことでした。

「使徒たちが前もって語ったことばを思い起こしてください」。
ユダの勧めの言葉に従いましょう!私たちは誰もが聖書を手に出来る素晴らしい時代に生きています。この恵を無駄にしないようにしましょう。

【勧めの言葉:信仰を守るために具体的な勧めA】

「しかし、愛する人々よ。あなたがたは、自分の持っている最も聖い信仰の上に自分自身を築き上げ、聖霊によって祈り、神の愛のうちに自分自身を保ち、永遠のいのちに至らせる、私たちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。」(20.21節)

最後の「愛する人々」の呼びかけが20節です。20節から23節まで、ユダは信仰を守るための具体的な勧めにを語っています。

「最も聖い信仰の上に自分自身を築き上げ(20節)」とは、最も聖い信仰を土台として、自らを建て上げなさいという勧めです。最も聖い信仰とは使徒たちから受け継いでいる正統的信仰のことです。聖書を誤り無い神の言葉として信じ、三位一体の信仰、キリストが私たちの罪のために十字架で死んで下さり、しかし三日目に復活したこと。誰でもイエスを主と信じ、罪を悔い改めるなら救われ、罪赦され、神のことされること。単純ですが、これが私たちの最も聖い信仰です。そしてこの信仰を土台としている神の教会に組み入れられ、立て上げられなさいとユダは命じているのです。

不敬虔な者や反キリストのように崩れた土台の上に自分自身を築き上げてはなりません!

そしてユダは「聖霊によって祈り(る)」ことを強調しています。
聖霊によって祈るとは、まず自発的な祈りであると言うことです。祈ることに何の関心も、飢え乾きも無くなっているのなら、自分の内におられる聖霊さまを悲しませていないか、自分の信仰生活を吟味して下さい!
聖霊さまを悲しませているとは、何らかの罪によって聖霊さまを心から閉め出していることです。神よりもサタンの嘘を信じていないか?神ではない物を愛し、心が奪われていないか?光の中を私たちが歩んでいるなら、互いに交わりを保つのです。
それは喜びに満ちた礼拝です。教会の礼拝だけでなく、個人の礼拝です。
礼拝の中に心からの祈りがあり、賛美があり、心の注ぎ出しがあるのです!

「疑いを抱く人々をあわれみ、火の中からつかみ出して救い、またある人々を恐れを感じながらあわれみ、肉によって汚されたその下着さえも忌みきらいなさい。」22.23節

信仰を守るために戦いなさいとユダは私たちに勧めるために手紙を書きました。
しかしそれは不敬虔な者を攻撃することでは決してありません。信仰を守るための戦いを勧めているのです。不敬虔な者に対し、どのような態度で接するべきかはこの23節だけに述べられています。

まず、まだ不敬虔な者の惑わしに完全には陥っていない者に対しては「火の中からつかみだして救(え)」と命じています。
もし、皆さんのクリスチャンの友人、知人の中でエホバの証人、モルモン教、ニューエイジ、オカルト、占い、また反キリスト思想に満ちた映画、音楽、芸能人から影響を受けている人がいるのなら、「火の中からつかみだして救い」ましょう!
しかし、「疑いを抱く人々をあわれみ」とあるように、決して責めたり、裁いたりせず、愛の心を持って助けることが大切です。そして何よりも祈りをもって取り組むべきです。
悪霊の惑わしから解放され、その人が真理を悟れるようにとりなすことです。

次ぎに完全な反キリスト、不敬虔な者に対してユダは「肉によって汚されたその下着さえも忌みきらいなさい」と命じています。
使徒ヨハネも「家に受け入れては行けません。その人にあいさつの言葉をかけてもいけません。」と命じています。それらの人々の悪影響を受けないためです!

しかしユダは、そのような不敬虔な者、反キリストであっても、その人格を愛しなさいと勧めています。「またある人々を恐れを感じながらあわれみ、肉によって汚された・・・」とあるからです。私たちは行為と人格を分けて考えるべきです。

エホバの証人、モルモン教、そして聖書が神の誤り無いことばであることを否定する自由神学者たちも、彼らの教え、信仰を決して見習ったり、影響を受けては行けません!
それに対しては恐れを持って接するべきです。しかしその人々に対してはあわれみの心を持ちましょう。憎しみや怒り、敵対心ではなく、あわれみの心を持ちましょう。

キリスト教会の歴史の中には教会が宗教戦争を指導した悲しい過去もありますが、それは明らかに間違いです。主イエス、そして使徒たちは敵さえも愛し、あわれむことを命じました。憎しみや敵対心を肯定する教えは聖書の中にはありません!

しかし、私たちは彼らの悪影響を受けないように、流されないように、聖い信仰を守り続けるために、その背後で働く悪しき霊たちとの戦いに勝利を収めましょう!

【勝利の鍵は神の守り】

「あなたがたを、つまずかないように守ることができ、傷のない者として、大きな喜びをもって栄光の御前に立たせることのできる方に、すなわち、私たちの救い主である唯一の神に、栄光、尊厳、支配、権威が、私たちの主イエス・キリストを通して、永遠の先にも、今も、また世々限りなくありますように。アーメン。」(24.25節)