「世を愛することは神に敵すること」
ヤコブの手紙
牧師 小林智彦

【手紙の背景】

「神と主イエス・キリストのしもべヤコブが、国外に散っている十二の部族へあいさつを送ります。」ヤコブの手紙1章1節

まずヤコブの手紙の著者、手紙ですから差出人になりますが、「主の兄弟ヤコブ」として知られるヤコブです。彼はイエスさまの弟でした。ヤコブはイエスさまが活動されていた時はイエスさまを救い主と信じませんでした。しかしイエスの復活を目撃し、イエスを信じる者に変えられました。ヤコブはエルサレム教会で重要な働きを担う人物になりました。

宛先は「国外に散っている十二の部族」となっています。十二の部族とは直接にはイスラエルの十二部族を表しています。この手紙は先週学びましたヘブル人への手紙と同じようにユダヤ人クリスチャンを第一の読者として書かれた手紙です。
この手紙はもちろん、私たちユダヤ人でないクリスチャンにとっても大切な手紙であり、すぐれた信仰の書物であります。ただ一番最初の手紙の受取人としては当時のユダヤ人クリスチャンに向けて書かれた手紙だと言うことです。
ですから私たちがこの手紙を自分の信仰と生活に適用するためには、なぜこの手紙が書かれたのか?その背景は一体何なのか?を整理して理解する必要があります。
その上で私たちは手紙に書かれてある教えを私たちの現在の生活に適用できるのです。

この手紙が書かれた背景は、教会に入り込んできた「貧富の差」です。
日本も「格差社会」になったと言われていますが、当時のユダヤ人社会は更にそうでした。

冒頭の宛先は国外に散っている十二部族になってますが、手紙の内容からは三種類のユダヤ人に宛てて書かれていることが分かります。
その一人目は大金持ちのユダヤ人です。富裕な地主階級です。安い賃金で労働者を雇い、労働者を不当に酷使する一部の金持ちです。彼らは剰ったお金を海外に投資して、少しでも多くの金を稼ごうとしている人たちです。

二人目はこの大金持ちに搾取されている労働者です。
そして三人目は教会で主の言葉を教えている教師に宛ててこの手紙は書かれています。

この「貧富の差」、「社会における格差」が教会の中にも大きな悪影響を及ぼしていたのです。なぜならこの三者はともに同じ会堂(ユダヤ教のシナゴーグ、この当時はユダヤ人クリスチャンがシナゴーグを礼拝のために利用できた)で礼拝を守っていたからです。

ヤコブはこの貧富の差がもたらす悪影響を教会から取り除き、人々の信仰を正すためにこの手紙を書きました。

【ユダヤ人教会の問題】

貧富の差がどのような悪影響を教会にもたらしていたのでしょうか?

「私の兄弟たち。あなたがたは私たちの栄光の主イエス・キリストを信じる信仰を持っているのですから、人をえこひいきしてはいけません。あなたがたの会堂に、金の指輪をはめ、立派な服装をした人がはいって来、またみすぼらしい服装をした貧しい人もはいって来たとします。あなたがたが、りっぱな服装をした人に目を留めて、『あなたは、こちらの良い席におすわりなさい。』と言い、貧しい人には、『あなたは、そこで立っていなさい。でなければ、私の足もとにすわりなさい。』と言うとすれば、あなたがたは、自分たちの間で差別を設け、悪い考え方で人をさばく者になったのではありませんか。」
ヤコブの手紙2章1節から4節

どんな時代でも、どんな地域でも貧富の差が無くなることはないでしょう。
しかし、貧富の差が「えこひいき」や「差別」を生み出すことが大きな問題なのです。
キリスト教会の中で貧富の差が原因で「えこひいき」や「差別」があるなら、ヤコブが指摘しているように「悪い考え方」に教会が支配されているのです。

「悪い考え方(4節)」とは優先順位の乱れ、また価値観の乱れです。
「御国の価値観」よりも「この世の価値観」が重んじられているため競争や比較が信者の中で行われている。信仰・希望・愛に生きるよりも、物質的な物をより多く蓄えた者が評価され、教会の中で影響力を持つようになっているのです。
教会はキリストの体です。キリストとその言葉、つまり神の国の価値観が教会に一致を与えるのです。神の国の価値観で教会が一致を保ち、み言葉を実践するとき、教会の中には愛・喜び・平安の聖霊の実を結びます。

しかし御国の価値観がこの世の価値観に取って変えられる時、差別やえこひいき、いがみ合いや憎しみが教会の中にも生まれるのです。

「もし、兄弟また姉妹のだれかが、着る物がなく、また、毎日の食べ物にもこと欠いているようなときに、あなたがたのうちだれかが、その人たちに、『安心して行きなさい。暖かになり、十分に食べなさい。』と言っても、もしからだに必要な物を与えないなら、何の役に立つでしょう。」ヤコブ2章15.16節

教会の中では愛の実践さえも行われなくなっていました。ただ口先だけの信仰。
神の国の価値観ではなくこの世の価値観に支配され、行いのない口先だけの信仰にもかかわらず、自分たちの信仰を誇っている彼らにヤコブは厳しい口調で指摘しています。
「行ないのない信仰は、死んでいる(26節)」と。

【教会が間違った価値観に支配される原因】

ヤコブは教会が間違った価値観、間違った優先順位に支配され、行いの伴わない上辺だけの信仰になってしまった原因を3章と4章で語っています。

3章では、その原因は教会の指導者の霊性にあると指摘しています。

「しかし、もしあなたがたの心の中に、苦いねたみと敵対心があるならば、誇ってはいけません。真理に逆らって偽ることになります。そのような知恵は、上から来たものではなく、地に属し、肉に属し、悪霊に属するものです。ねたみや敵対心のあるところには、秩序の乱れや、あらゆる邪悪な行ないがあるからです。」ヤコブ3章14節から16節

教会の指導者、教師の霊性、霊性とはその人と神さまとの関係、また隣人との関係、価値観、優先順位を含んでいます。それが如何に大切かをヤコブはまず指摘しています。

指導者や教師が「苦いねたみと敵対心」に縛られたまま教会を導くなら、そこには「秩序の乱れや、あらゆる邪悪な行ない」が生じるのです。

カルト化する教会はほとんど例外なく信徒を差別しています。献金を多く捧げる信徒や、教会に沢山の人を連れてきた信徒を表彰し、そう出来ない信徒を辱めます。
なぜそうするのか?それは大きい教会の牧師になりたいからです。
日本では牧師の霊性よりも、ただ単純に教会の大きさだけでランク付けされます。
これはもちろん神の国の価値観ではなく、この世の価値観です。
しかし牧師、霊的指導者がこの世の価値観で認められたいと言う誘惑に屈する時、教会はカルト化していくのです。


「ねたみや敵対心のあるところには、秩序の乱れや、あらゆる邪悪な行ないがあるからです(16節)そのような知恵は、上から来たものではなく、地に属し、肉に属し、悪霊に属するものです。(14節)」

皆さんにお願いしたいことがあります!それは牧師、ならびに教会の働きに仕える全ての人々の心と霊が守られるように祈って欲しいのです。牧師も人間です。人々の評価という誘惑に弱い者です。人々の評価ではなく、いつも神の評価を第一にすることが出来るように祈って下さい。

4章では教会のメンバーたちに向けて書かれています。彼らが間違った優先順位と価値観に生き、信仰を実践していない原因について指摘しています。

「何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いがあるのでしょう。あなたがたのからだの中で戦う欲望が原因ではありませんか。」ヤコブの手紙4章1節

ヤコブは私たちを神の国の価値観、優先順位を狂わせる原因は「あなたがたのからだの中で戦う欲望が原因」であると指摘しています。

ヤコブはここで禁欲主義を勧めているのでは決してありません。ヤコブはとてもバランスの取れた信仰者です。

「あなたがたは、ほしがっても自分のものにならないと、人殺しをするのです。うらやんでも手に入れることができないと、争ったり、戦ったりするのです。あなたがたのものにならないのは、あなたがたが願わないからです。願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとして、悪い動機で願うからです。」ヤコブ4章2.3節

ヤコブは私たちの生活に必要な物は願いなさいと勧めています。
神の国を第一とする者の必要が満たされることは神の約束です。
だから私たちは生活に必要な糧、着る物や住居に関して主に祈り願うべきです。
また休息も必要です、時には気分転換に旅行に出掛けること、遊ぶこと、運動することなども必要です。趣味を持つことも必要でしょう。これらは主が備えて下さる物です。

しかし「自分の快楽のために使おうとして、悪い動機で願う(物)」に関しては、神は与えて下さいません。悪い動機とは一体なんでしょうか?

「貞操のない人たち。世を愛することは神に敵することであることがわからないのですか。世の友となりたいと思ったら、その人は自分を神の敵としているのです。」
ヤコブ4章4節

「世を愛すること、世の友となること」それが悪い動機です。
ヤコブは世を愛することは、神に敵対することであり、世の中で誰からも受け入れられることは神の敵となることだと指摘しています。

神よりも人から評価されたい、神よりも人から愛されたい、これらはすべて世を愛することです。神が憎むような価値観に生きるグループから離れたくない、そのような人たちからも認められたい、それは神に敵対する生き方なのです。

神に喜ばれたいと願っているのか?それとも神を知らない人々、また神を否定する人々に認められ、喜ばれたいと願って生きているのか?

私たちも耐えず自分の心を神の前で調べなければなりません。

暮らして行くには必要な物もお金もありながら、更に人々から誉められたい、認められたいと願って更に高価な物、更に高級な物を願う心。そこには本当の満足も平安もありません。当然神に生かされていることを感謝する心も生まれないでしょう。

人からの評価を第一とするなら、すでに神の国を目指す道からは逸れてしまっています。

ヤコブは当時のユダヤ人教会に属する者たちが、教師も、裕福なユダヤ人も、また搾取されている労働者たちも皆、神よりも金を高く評価している、神に認められるよりも人に認められることを求めている、神よりも世を愛していると鋭く指摘しています。

金持ちのユダヤ人は富を分け合う信仰を忘れ、富を築くことだけを第一優先順位にしている。そればかりか自分の畑で働く兄弟たちに賃金を払い渋ることさえして金儲けをしている。また搾取されている労働者のクリスチャンたちも、金が全てを解決するんだと、信仰よりも金や物質的な物に解決を求めようとしている。教師たちも同じでした。

全ての問題は神よりも金を愛し、世を愛する誘惑に負けてしまったことにあるとヤコブは言うのです。誘惑です!神よりも世を愛するように私たちを誘惑する者がいるのです。

私たちを誘惑する者、また試みる者とも訳されていますが、これは悪魔・サタンを指しています。悪魔・サタンの最大の武器は何ですか?嘘と惑わしの力です。
悪魔・サタンには死の力もありますが、イエスを主とする者にはサタンの持つ死の力はキリストの復活の命により守られ、解放されています。

しかし依然として悪魔・サタンには惑わしの力があります。
神を信じるクリスチャンに対しても、嘘と惑わしを用いて攻撃してきます。
悪魔・サタンの持つ嘘と惑わしの力を軽く見てはなりません。

アメリカのクリスチャン・ファミリーでも離婚率はとても高いと聞きます。
離婚の多くの原因は不倫です。
なぜ一生を苦しみの時でも離れないと誓ってくれた伴侶を裏切って、他の異性に走るのでしょうか?家庭を壊し、妻子を裏切ってまでも関係を持ちたい異性というのはどれ程の魅力があるのでしょうか?
魅力なんか無いんですよ!その魅力は悪魔から来る惑わしの力です!
家庭が崩壊し、価値あるものを全て失ってから、ようやく騙され、惑わされていたことに気付くのです。

人生を破壊する麻薬、アルコール、スピード、買い物中毒、それらは何処に魅力があるんですか?全く価値がない物が優れた物に見える!これが悪魔・サタンの惑わしの力です。

多くの人が競馬や麻雀、パチンコで一ヶ月や二ヶ月分の給料を擦ってしまう。
妻に与える家計費が、子ども達の学費が賭け事に費やされている。
ギャンブルに何の価値があるんですか?これも惑わしの力です!

滅びに向かって加速度を上げているこの世を愛するのは何故ですか?
変わりやすい人の評価を一心に求め縛られてしまうのは一体なぜですか?
なぜ意味のない物、滅びるだけの空しい物に心が奪われるのですか?
悪魔・サタンに誘惑されているのです!

私たちはどうしたら悪魔・サタンの誘惑に打ち勝ち、世を愛するのではなく、神を愛する者になれるのでしょうか?

「それとも、『神は、私たちのうちに住まわせた御霊を、ねたむほどに慕っておられる。』という聖書のことばが、無意味だと思うのですか。しかし、神は、さらに豊かな恵みを与えてくださいます。ですから、こう言われています。『神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる。』ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば悪魔はあなたがたから逃げ去ります。」ヤコブの手紙4章5節から7節

神の愛です!神がどれほど大きな愛をもって私たちを愛しているかを覚えることです。
この世が与える偽りの愛などとは比べられないほどの大きくて強い愛です。
ヤコブは神の愛を「ねたむほどに慕っておられる」と表現しています。
これは旧約聖書で神の愛を表す表現です。ユダヤ人には民族の歴史として体験してきた愛です。それは真の神を知りながら、何度も偶像礼拝に走り、異教の神々を礼拝してきたユダヤ人、それは霊的な不倫、霊的な姦淫です。しかし、それにもかかわらずユダヤ人を捨てずに愛し続け、そしてご自分の一人子さえ惜しまずに与える神!
この神の愛を覚えることです!

ご自分の御子をさえ惜しまずに与える神が、私たちの幸せのために物惜しみをするでしょうか?されません!もし必要なら、私たちのために全宇宙さえ与えて下さいます。
何故なら全宇宙でさえ、神の御子イエスに比べたら遙かに価値が劣るからです。
御子をさえ、私たちの救いのために与えられた父なる神の愛を覚えましょう。

私たちが神の愛を覚え、神に従って光の中を歩むなら、何が偽りで、何が闇なのかが分かります。神の愛に触れ続ける時、私たちは何が偽りの愛なのかを見極めることが出来るのです。本物に触れる時、偽物は簡単に見抜くことが出来るのです。

「神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。(7節)」


ユダヤ人教会の問題は金持ちユダヤ人も労働者も教師も、悪魔の誘惑に流され、神よりも世を愛する間違いを犯していることにありました。全ての問題の解決を神ではなく、金に求めたのです。その根本はいつの間にか神の大きな愛から目が離れていたことにあります。

私たちは私たちの救いのために御子さえ与えて下さる偉大な父なる神の愛を見続けましょう。神の愛と恵の中を歩み続けましょう。神の愛を知るものは、決して悪魔・サタンの誘惑に騙されることはありません。

(宿 題)

メッセージでは悪魔・サタンの誘惑(聖書では試練とも訳されている)に勝つ力は神の愛を覚えるところにあると強調しました。今日は時間の関係でヤコブ1章を分かちあいませんでした。ヤコブ1章も誘惑(試練)に打ち勝つ秘訣について書かれてあります。
私たちはどのように誘惑(試練)に対処すべきかをヤコブの1章を良く読んでまとめてみて下さい。