「聖霊による新生と更新との洗い」
テトスへの手紙
牧師 小林智彦

【テトスへの手紙:背景】

今週はテトスへの手紙から神さまのみ言葉を学びましょう。
テトスはパウロの弟子でした。テトスはユダヤ人ではなく、ギリシャ人でした。
テトスがどのような働きをしたのか、それはパウロの手紙から知ることが出来ます。
以前学びました第二コリントの手紙の中では、テトスの活躍が記されています。

パウロがテトスへの手紙を書いたとき、テトスはクレタ島で活動していました。
そして手紙の最後では、ニコポリにいるパウロのもとに来るようにと言われています。
また先週学びました第二テモテではテトスはダルマテヤ(ユーゴスラビア)に遣わされています。テトスはパウロにとって信頼できる弟子であり、パウロとともに神の国を拡大した素晴らしい信仰者でした。

パウロがクレタ島にいるテトスに手紙を書いた理由は大きく二つありました。

@長老(監督)の任命

一つ目はクレタ島内に形作られた教会(建物ではなく集会)の長老(監督)を任命することでした。

「私があなたをクレテに残したのは、あなたが残っている仕事の整理をし、また、私が指図したように、町ごとに長老たちを任命するためでした。」テトス1章5節

長老(監督)は、現在の教会の牧師と同じような働きをする人と考えて良いでしょう。
「町ごとに」とあるのは、ある特定の教会の牧師というのではなく、当時の礼拝は信徒の家で行われていましたので、その家々で持たれた礼拝を地区ごとに監督する働きを委ねられたようです。

初めはテトスがこれら全ての働きを担っていたようですが、福音や教会の基礎的な教えが伝えられたのを見て、信頼できる人々にその地域での働きを委ねるようになったのでしょう。テトスとパウロには地域教会の成長だけが委ねられていたのではなく、まだ福音の伝えられていない地域に福音を伝えることが彼らの第一の使命でした。
テトスは次の宣教地に移動するために、信頼できる人々にその働きを委ねて行ったのです。

Aクレタ島で活躍していた偽教師への注意

パウロがテトスに手紙を書いた二つ目の理由は、クレタ島で活躍していた偽教師への注意のためです。この偽教師たちの偽りの教えが教会に悪影響を及ぼさないようにとの注意のためでした。

パウロは偽教師の悪影響をこのように書いて注意を促しています。

「実は、反抗的な者、空論に走る者、人を惑わす者が多くいます。特に、割礼を受けた人々がそうです。彼らの口を封じなければいけません。彼らは、不正な利を得るために、教えてはいけないことを教え、家々を破壊しています。彼らと同国人であるひとりの預言者がこう言いました。『クレテ人は昔からのうそつき、悪いけだもの、なまけ者の食いしんぼう。』この証言はほんとうなのです。ですから、きびしく戒めて、人々の信仰を健全にし、ユダヤ人の空想話や、真理から離れた人々の戒めには心を寄せないようにさせなさい。」テトス1章10節から14節

当時はユダヤ教の巡回教師たちが海外に住むユダヤ人のところを定期的に回っていたようです。当時のキリスト教会は家で礼拝を持ち、そしてまだ明確にユダヤ教からは分離していませんでした。そのためユダヤ人の巡回教師たちもクリスチャンの集会で教えを伝えていたようです。その結果福音以外の教え、ユダヤ教の伝統や本質から外れた教えが教会の中に広がり、一部の信徒たちはパウロやテトスの教えに対して反論するようになりました。

「家々を破壊しています(11節)」とパウロが言っているのは、その偽教師たちの悪影響のために、幾つかの家の教会が機能しなくなっていると言っているのです。
つまりパウロやテトスの教えが正しいのか、それともユダヤ教の巡回教師たちの方が正しいのかと空しい議論のために、神を見上げ礼拝することが妨げられていると言うことです。

【長老(監督)の条件】

パウロはユダヤ教の偽教師の悪影響から教会を守るために長老(監督)を立てることが大切であると書いています。

そしてパウロは手紙の中で長老(監督)を選ぶ基準、また条件をを明確に書いています。
一つ一つを見ていきたいのですが、その中で重要な二つの点だけを分かちあいます。

@自分の家庭を健全に養っていること。

「それには、その人が、非難されるところがなく、ひとりの妻の夫であり、その子どもは不品行を責められたり、反抗的であったりしない信者であることが条件です。監督は神の家の管理者として、非難されるところのない者であるべきです。」テトス1章6.7節

パウロは長老(監督)の条件として、健全な家庭生活をあげています。
まず「ひとりの妻の夫」とあります。新約聖書においては一夫多妻を認めないことが旧約よりも明確になっています。また結婚外の性的な関係を一切持っていない人です。

夫婦の関係は、一番大切な人間関係です。最も嘘が付けない関係です。
私たちはあまり会わない人の前では、まるでイエスさまのような愛の人を演じることが出来るかもしない。しかし生活をともにする妻の前では演じ続けることは不可能です!
必ず本性が出て来るのです。人は騙せても、神と妻を騙すことは出来ません。
夫婦の関係は一番大切で、疎かに出来ない関係です。
夫婦関係がギクシャクしているのに、教会の働きのように人の霊と心に触れる働きを健全に行うことは難しいと言えます。夫婦げんかをして直ぐに神の愛と赦しを語ることは難しいのです!一度や二度は演じることが出来るでしょう。しかしそれが続くと精神的に必ず参ってしまうと思います。

またパウロは子ども達の行状についても条件にしています。
これは厳しい条件だとと思います。しかし、夫婦の関係は子どもの心に直接影響を及ぼすことを良く聞きます。子どもの心にとって大切なのは父親と母親が愛し合うことです。
夫婦がいつもいがみ合うとき、家庭は安心できる場所ではなくなります。
子どもにとって大切な居場所が失われてしまうのです。

長老(監督・牧師)は「神の家の管理者」なので、まず自分に委ねられた家庭を、霊的、精神的、物質的に健全に養うことが条件になっているのです。つまり裏表なく神の愛を実践する人物、つまり父なる神の愛を体験し、それを分かちあう事が出来る人なのです。

A神のみ言葉を実践し、教える能力のある人

「教えにかなった信頼すべきみことばを、しっかりと守っていなければなりません。それは健全な教えをもって励ましたり、反対する人たちを正したりすることができるためです。」テトス1章9節

大切なふたつ目の条件は神のみ言葉を実践している人、そして神のみ言葉を教える能力のある人です。教える能力があるだけでなく、そのみ言葉を守っている人が条件です。

長老(監督・牧師)の条件としてパウロがあげたものの中から二つだけを取り上げましたが、パウロが強調しているのは実生活で神の愛を行っている人であるのか、実生活における行いの部分であることが分かります。

パウロが実生活での行いを強調し、条件としたのは、神の家である教会が偽教師から守られるためでした。

偽教師と言うと大したことがないように聞こえるかもしれませんが、その逆です。
偽教師の影響はとても大きく、強く、クレテの教会に悪影響を及ぼしていたのです。
偽教師は教え方が上手く、知的で、人間的な魅力があったのでしょう。
しかしパウロは偽教師の表面的な魅力ではなく本当の姿をこのように表現しています。

「彼らは、神を知っていると口では言いますが、行ないでは否定しています。実に忌まわしく、不従順で、どんな良いわざにも不適格です。」テトス1章16節

パウロは表面的な魅力や神学的な知性に優れた人が神の家の監督(長老・牧師)に相応しいとは考えませんでした。パウロが一番大切にしたのは実生活における行いです。
そして一番相応しい人は家庭の中で神の愛を行っている人なのです。

妻を愛し、妻を理解し助けること、夫婦の愛で子ども達が養われている家庭。このような家庭を治める自分物こそが神の家である教会を導くに相応しい人物であるとしたのです。

船橋エクレシアを支えるのは、皆さんの家庭です。
妻子ある男性は全て、その家の教会の牧師です。どうぞまず神の愛を家庭で行って下さい。まず奥さんを愛し、理解し、助けて下さい。いつも良い関係を保つように努力して下さい。
その結果は子ども達の霊と魂、そして体の中にも表れます。

神のみ言葉を実行する場所はまず皆さんの家庭です。皆さんがみ言葉を家庭の中で実践し、実を結ぶなら、神はやがて更に大きな家を管理させて下さるのです。

【パウロの牧会姿勢】

長老(監督・牧師)の条件として厳しい条件を課したパウロですが、自らはどのように使徒として生きたのでしょうか。彼自身とテトス、またテモテには家庭はありませんでした。

「また、すべての点で自分自身が良いわざの模範となり、教えにおいては純正で、威厳を保ち、非難すべきところのない、健全なことばを用いなさい。そうすれば、敵対する者も、私たちについて、何も悪いことが言えなくなって、恥じ入ることになるでしょう。」
テトス2章7.8節

パウロは自分の家庭はありませんでしたが、彼は自分自身にみ言葉を実践することを厳しく課していたようです。彼は自分が教えることと、自分の行動に食い違いはありませんでした。そのことを証明しているのは彼の霊的な子どもであるテトスやテモテと言った弟子たちです。神の愛を実践するなら、家庭が無くても、多くの人を霊的に養うことが出来るのです。

【聖霊による、新生と更新との洗い】

長老(監督・牧師)の条件、またパウロ自身の使徒としての姿勢を学びましたが、どちらも厳しいものでした。皆さんも、同じように感じているのではないでしょうか?

長老(監督・牧師)の条件として、パウロがまず示したのは家庭でした。
しかし、問題のない家庭など存在するのでしょうか?

旧約聖書に登場する信仰の模範とされる人物を見るときに、驚くべき事に彼らのほとんどが家庭に問題を抱えていることが分かります。

信仰の祖とされるアブラハムも正妻サラと妾のハガルの間に争いを抱える家庭でした。
イサクとリベカは長男エサウが選んだ妻によって悩まされ続けました。次男ヤコブは母リベカと一緒になって父を騙し、家を出ていきました。
イスラエルと名付けられるようになるヤコブも4人もの妻を抱え、正妻であるラケルとレアは絶えず夫の愛を勝ちとるために競い合いました。
ヤコブには12人の息子がいましたが、弟に嫉妬してエジプトに売り飛ばすほど怒りに満ち、愛のない家庭だったのです。

信仰の祖と言われるアブラハム、イサク、イスラエルはその家庭に大きな問題を抱えていました。彼らは決して家庭における成功者とは呼べないでしょう。
しかし、なぜ彼らは信仰者の代表として聖書に書き記されているのでしょうか?

ダビデはどうでしょうか?
ダビデも家庭に大きな問題を抱えていました。彼は不倫しました。そして不倫相手の夫を殺害する罪まで犯しました。子ども達は誰が跡取りかを争い、弟は兄を殺害し、また父親に反旗を翻し、国に分裂の危機をもたらした子どももいました。
信仰の勇者と言われるダビデも、家庭においては成功者と言えないのではないでしょうか。

しかし、なぜ彼らは信仰の模範、代表として聖書に書き記され、神ご自身が彼らをイスラエルを導く長老(リーダー)として国を委ね続けたのでしょうか?

同じく、神が大切な御子イエスの福音を伝える器としてご自身で選ばれた使徒パウロはどのような人物だったのでしょうか?愛に満ち、優しさと寛容に満ちた人物だから神は彼を使徒として選ばれたのでしょうか?そうではありませんでした!
パウロは教会を迫害するものであり、イエスの御名に激しく逆らうものでした。
しかし神はパウロが教会を迫害しているときに、彼を使徒として選ばれたのです!

パウロ自身がテトスの手紙の中で告白しています。

「私たちも以前は、愚かな者であり、不従順で、迷った者であり、いろいろな欲情と快楽の奴隷になり、悪意とねたみの中に生活し、憎まれ者であり、互いに憎み合う者でした。」
テトス3章3節

旧約聖書に登場する信仰の代表者たちも、そしてパウロも家庭に問題を抱え、罪を犯し、沢山の問題を抱える人物でした。

それなのに神はなぜ彼らを信仰の代表者、国を治めるリーダー、教会を建て上げる使徒として選ばれ、神の民を委ねられたのでしょうか?

彼らに共通して言えることは、彼らは自分の罪を隠さなかったことです!
彼らは自分の罪、問題、弱さを神と人の前に隠さず、へりくだって神に憐れみを求めた人たちです。だから神は彼らをリーダーとして立てられたのです。

「しかし、私たちの救い主なる神のいつくしみと人への愛とが現われたとき、神は、私たちが行なった義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊による、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました。」テトス3章4.5節

私たちはどんなに人間的に能力があっても、また道徳的に正しい生き方をしていても、それだけで神に用いられることは決してないのです!
パウロが言うように「私たちが行なった義のわざによってではな(い)」のです!

私たちは「聖霊による、新生と更新との洗い」によらなければ、神に用いられる器には成れないのです!

聖霊による新生とは、人間的な性質ではなく、キリストの十字架の死によって人間的な罪深い性質に死んで、キリストの復活の力によって神の子の新しい性質に活かされることです。聖霊によって新しくされた人を神は用いて下さるのです!

更新の洗いとは、私たちは新生してもなお肉体にある間は罪に負けるときがある。弱さによって罪を犯してしまうことがある、その度ごとに神に罪を告白し、憐れみを受けて、聖霊による罪の赦しと罪に打ち勝つ力を受けることです。

そして私たちがキリストの神性と更新の洗いを受けられるのは、神のあわれみによるのです。神のあわれみを受けるものが新生と更新の洗いを受け、自分の力ではなく神の恵みによって神の働きを成すことが出来るように変えられるのです。

神のあわれみを受けるものは誰でしょうか?

「自分のそむきの罪を隠す者は成功しない。それを告白して、それを捨てる者はあわれみを受ける。」箴言28章13節

旧約聖書の信仰の代表者たちは家庭に問題を抱え、沢山の過ちを犯し、弱さもありました。使徒に選ばれたパウロも同じでした。そんな彼らを神が神の民の長老とし、リーダーとされたのは、彼らが自分の罪を神と人の前にも隠さず告白する、砕かれた謙った心を持っていたからです。彼らは人間的な力によらず、神のあわれみによって内面から変えられ、神の国の働き人として、神は用い続けられたのです!

私たちはこのテトスにある長老(監督・牧師)の条件を見るときに、どう思うでしょうか?「厳しい!自分は不的確だ、とてもこの条件を満たせない」、そう思うなら神の働き人への道は開かれています。但し、そこで留まらないで、更に進んで神のあわれみを受けることです。自分の罪、弱さ、家庭の問題を神と信頼できる人々に告白し、祈ることです。
神はへりくだる者をあわれみ、聖霊さまがその人を内面から変えて下さいます。

しかし、このリストを見て、「大丈夫だ!自分の家庭はそんなに問題はない。多分、神の前にも人の前にも隠すことが出来るだろう。自分は結構上手くやってるから」そのように思うなら、その人の進む先に待っているのは偽教師の烙印だけです。

ユダヤ教の偽教師たちは知的なだけで、実を結ばないものでした。
なぜなら彼らは神の前に謙ることがなかったからです。彼らは神のあわれみによって変えられることを拒んだのです。偽教師は自分の罪と弱さを神と人の前に言い表すことをしなかったのです。

しかし、私たちは家庭に問題があっても大丈夫です!弱さがあっても大丈夫です!
そのままを神に申し上げましょう。神の前に自分の罪を告白し、弱さをさらけ出し、聖霊様のあわれみを受け続けましょう。