「主にあって、その大能の力によって強められなさい」
エペソ人への手紙
牧師 小林智彦

【エペソ人への手紙の背景】

今週の聖書通読箇所はエペソ人への手紙です。エペソ人への手紙は使徒パウロによって書かれた手紙です。この手紙は先週学んだガラテヤ人への手紙やコリント人への手紙と違い、教会に起きている問題について答えるために書かれた物では無いようです。
このエペソ人への手紙はエペソの教会だけに宛てて書かれた手紙と言うよりも、パウロが開拓した教会全体に向けて書かれた手紙であり、各教会で回覧された手紙と考えられています。聖書の有名な写本には「エペソ」の宛先が書かれていません。

言い換えると、このエペソの手紙は全ての時代、全ての場所の、全ての教会に向けて書かれている使徒パウロからの手紙と考えて良いと思います。
つまり、この手紙は船橋エクレシアと、皆さん一人ひとりに当てて書かれているのです。

パウロはこの手紙をAD60年頃ローマの獄中で書き記しました。

「こういうわけで、あなたがた異邦人のためにキリスト・イエスの囚人となった私パウロが言います。」3章1節


「私は鎖につながれて、福音のために大使の役を果たしています。鎖につながれていても、語るべきことを大胆に語れるように、祈ってください。」6章20節

パウロが獄中に捕らえられていることを想像しながら、この手紙を読みましょう。
皆さんの中で、投獄された方はいますか?
そのような貴重な体験をされた方もおられるかもしれませんが、その原因は大抵が自分の犯した過ちによるものではないかと思われます。

しかし、パウロの場合は違いました。彼は犯罪は犯しませんでした。
彼は福音を宣べ伝えることで捕らえられ、獄に入れられたのです。
彼が獄中で見たもの、それはクリスチャン・ライフそのものではないかと思います。
彼の前には武装したローマ兵が24時間、彼を監視していたのです。

彼はクリスチャン・ライフとは戦いの真っ只中に置かれていることに改めて気付いたのでしょう。もちろん彼はその戦いの最前線にいました。しかし、全てのクリスチャンが同じように戦いの中に置かれていることを気付かせようとしてこの手紙を書いたのではないかと私は思うのです。

パウロはこのローマに来る前はカイザリアの牢獄で2年近く過ごしました。
厳しい船の旅を経てローマの牢獄に移されたのです。「使徒の働き」はパウロがまる2年のあいだ牢獄に入れられていたと記してあります。
4年ものあいだ牢獄の中で暮らすのは大変でしょう。長く、そして先の見えない時です。

パウロがこのような厳しい道を通ることは神の計画によることでした。
しかしパウロは私たちもキリストの福音のためには、時に暗く長い試練の道を通ることになるかもしれないと警告しているのです。また直接的な福音宣教に伴う試練でなくても、長いクリスチャン・ライフの中には先の見えない暗いトンネルの中を通らせられることもあります。突然の事故や病気、会社の倒産、家族の不幸などです。

もしそうなった時、決して信仰を失うことなく、却ってその逆境の中でも神の栄光を表すことが出来るように、パウロは私たちにこの手紙を書き送ってくれたのだと思うのです。

「終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。」6章10節

「終わりに」と言うのは、ここが「最も大切なこと」ですと言う意味です。
「主にあって、その大能の力によって強められ(る)」こと、これが大切なのです。

私たちは霊的な戦いの中に置かれている。それは比喩ではなく、現実の戦いなんだとパウロは教えているのです。その証拠にパウロは実際に牢獄の中から手紙を書いているのです。
この戦いを勝ち抜くには「主にあって、その大能の力によって強められ(る)」ことだと教えているのです。

【パウロの祈り】

このエペソ人への手紙は大きく二つの部分に分けることが出来ます。
一章から三章は神の恵みと愛について書かれています。
四章からは私たちがクリスチャンとしてどう生きるのか、実践について書いてあります。
そして六章に最後のまとめが書かれているのです。

この手紙の構成から言えることは、まず始めに神の恵みと愛を覚えることをパウロが強調していることです。六章のまとめも同じでした。
まず「主にあって、その大能の力によって強められ(る)」こと、これが大切なのです。

私たちがあらゆる面でキリストの栄光を表すために必要なのは、キリストの愛と恵によって絶えず心が満たされていることです。神の恵みと愛を見失ったらなら、私たちは簡単に打ち負かされてしまうからです。

キリストの愛と恵が分からなかったなら、信仰に伴う困難がやって来たら、直ぐに信仰を手放してしまうでしょう。


パウロはまず始めに私たちがどれほど神に愛され、恵まれているのか、キリストにある私たちの姿が書き記されています。そして、この神の恵みと愛が良く分かるようにとパウロは二度も手紙の中で私たちのために祈っているのです。

このパウロの祈りを見てみましょう。

1:15 こういうわけで、私は主イエスに対するあなたがたの信仰と、すべての聖徒に対する愛とを聞いて、1:16
あなたがたのために絶えず感謝をささげ、あなたがたのことを覚えて祈っています。1:17 どうか、私たちの主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。
1:18 また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、
1:19 また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。
エペソ1章15節から19節

このパウロの祈りを良く理解し、私たちも自らの口で祈ることが大切です。

パウロがまず私たちのために祈り求めているのは「神を知るための知恵と啓示の御霊(17節)」です。そして「知恵と啓示の御霊」によって「あなたがたの心の目がはっきり見えるようにな(る)18節」ことを祈り求めているのです。

先週、礼拝後のバイブル・スタディーで「いのちありがとう」のビデオを見ました。
第一巻目のタイトルは「当たり前のことに感動する」でした。
私たちの日常生活で当たり前と思えることも、よく調べると決して当たり前ではなく、驚くべきことに満ちていると何度も講師は繰り返していました。
見方を変えると、当たり前のものが当たり前には見えなくなるんですね。

私たちが毎日普通に起きてココアを飲めるのも、実は凄いことなのです。
なぜなら、私たちの足もとにある地球は何と秒速500メートルのスピードで回っているからなのです。時速1000キロのジェット機よりも速く、音速よりも早いのです。
そんな早さで回っている地球から放り出されないのは驚くべきことなのです!
遠心力と引力の絶妙なバランスの上に私たちの生活は成り立っているのです。
これは実に創造主の知恵を表しているのです。

当然と思い、何の感動も覚えないことでも、目が開かれるなら、驚くべき神の知恵が見えてくるのです。

パウロがまず「知恵と啓示の御霊」によって「あなたがたの心の目がはっきり見えるようにな(る)18節」ことを祈り求めているのはこのためです。

私たちも自ら「知恵と啓示の御霊」が与えられるように祈り求めましょう。
そして「心の目がはっきり見えるようにな(る)」ことを祈りもとめましょう。

決して、「自分はもう救いも神の恵みも知っている」と思ってはなりません。
もちろん、この知るとは学問的に、知的に知ることではありません。
もちろん知的に知ることも大切ですが、私たちの霊の部分で知ることです。
霊の部分で知るとはどういうことでしょうか?言葉で説明するのは難しいのですが、ひと言で言えば深い感動が伴うと言えるでしょう。またその知識によって私たちの人生が変えられ、導かれることであるとも言えるでしょう。

パウロは私たちの目が開かれ、神の愛と恵、そして偉大な祝福と計画に目が開かれるようにと祈り求めているのです。

パウロが私たちの目が開かれてまず知って欲しいこと、それは1章3節から7節です。

1:3 私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにおいて、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。
1:4 すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。
1:5 神は、ただみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられたのです。
1:6 それは、神がその愛する方によって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。

1:7 私たちは、この御子のうちにあって、御子の血による贖い、すなわち罪の赦しを受けているのです。これは神の豊かな恵みによることです。

この一つ一つのことばは驚くべき内容です。
神は私たちを神の子供とするために世界の歴史が始まる前から既にイエス・キリストの内に選ばれたと言っているのです。
あなたは世界が始まる前から、既に神によって選ばれていたのです!
このことは私たちに何を教えているのですか?
私たちが最も知りたい、私たちの存在の目的がここに書かれているではありませんか!
私たちは偶然に男性、もしくは女性に生まれたのではありません。
日本に、この時代に生まれたのも偶然ではないのです。全て神の計画です。
それは私たちが神の子として聖く、傷のない者とするための神の愛の計画なのです。

それなら、なぜ私たちは自分が置かれている状況を嘆くことが出来るでしょうか?
辛い状況や、言葉に出来ないような出来事が皆さんを待ち受けているかもしれない。
確かに全ての辛い状況に理性が納得する意味を見いだすことは出来ないかもしれない。
しかし、神は私たちを御前に聖く、傷のない者にするため、愛をもってあらかじめ定めておられたのです。

「知恵と啓示の御霊」によって私たちの「心の目がはっきり見えるよう」に祈り求めましょう。そして私たちが既にあらゆる霊的な祝福によって祝福されている現実も見えるようになるように祈り求めましょう。そうすれば一体何がその祝福を阻んでいるかも見えるようになるでしょう。

このエペソ1章3節から7節までには神の私たちへの愛、神が立てられた計画、私たちの人生の目的が明らかにされています。このみ言葉の真理が明らかにされ、皆さんの人生がキリストにあって確信を持って進むことが出来るように私も願います。

時間の都合上、メッセージはこれで切り上げなければなりませんが、パウロの祈りの言葉に注目しながら今週、エペソの手紙を通読して下さい。
パウロが私たちのために祈り求めていることに注目して下さい。

エペソの4章からはクリスチャン・ライフの実践が書かれています。
神の愛を実践し、またそれに伴う苦難や、時には迫害さえも跳ね除けて進むには、人間の頑張りは何の助けにもなりません。神の人知を越えた愛を知ること、信じる者の内に働く驚くべき信仰の力、これだけが私たちを進ませる力なのです!

「終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。」6章10節