「ローマへの道」
使徒の働き19章21節
牧師 小林智彦

「これらのことが一段落すると、パウロは御霊の示しにより、マケドニヤとアカヤを通ったあとでエルサレムに行くことにした。そして、『私はそこに行ってから、ローマも見なければならない。』と言った。」使徒の働き19章21節

パウロはローマに行くことを長い間、願っていたようです。
パウロはイエスさまからユダヤ人ではなく、異邦人に伝道する働きが与えられています。
「すべての道はローマに通じる」と言われるように、ローマは当時の世界の中心でした。そこには世界中のあらゆる国から、あらゆる人がやって来たのです。
ローマで伝道することが出来たら、それは世界中の人に福音を伝えることになるのです。
パウロは長い間、ローマに行くことを願い、祈り、そして試みたようです。
パウロは使徒19章ではエペソに滞在していますが、このエペソ滞在中に「ローマ人への手紙」を彼は書きました。その中で彼はローマへの思いを書いています。

「兄弟たち。ぜひ知っておいていただきたい。私はあなたがたの中でも、ほかの国の人々の中で得たと同じように、いくらかの実を得ようと思って、何度もあなたがたのところに行こうとしたのですが、今なお妨げられているのです。」ローマ1章13節

パウロは祈りの人です。当然、彼はローマに行くことを神に祈ったことでしょう。
しかし彼は何度祈っても、ローマに行く道は開かれませんでした。
ローマ人への手紙の15章23節にも「あなたがたのところに立ち寄ることを多年希望していました」とあります。パウロは何年もローマに行くことを祈り、願っていたのです。

ローマに行くことは、福音を全世界に伝える上では最善の場所であるとのパウロの考えは正しかったのです。そして、それは神の御心に適うことでした。
しかし、何度祈っても妨げられ、何年も待ち続けても、その道は開かれませんでした。

パウロの祈りは聞かれなかったのでしょうか?
パウロの願いと祈りは始めから神に聞かれていました。

イエスさまは教えています。「あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。」マタイ6章8節。

私たちは自分の祈りが聞かれるだろうか?と決して疑ってはなりません。

「ただし、少しも疑わずに、信じて願いなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。そういう人は、主から何かをいただけると思ってはなりません。そういうのは、二心のある人で、その歩む道のすべてに安定を欠いた人です。」
ヤコブ1章6から8節

私たちは何かを願い祈り始めたら、疑ったり途中で諦めてはいけません。信じて祈り続けるのです。

祈り続けるなら、神は私たちの心に確信の伴う答えを与えてくれます。
もし私たちが神の御心に沿わないことを祈っているなら、神は祈りの中で平安のうちに手放せる思いを与えて下さいます。

そして神の御心に適うことを祈り求めているなら、確信と希望が与えられ、またその祈りが実現するために、今すべきこと、また具体的なステップを示されるのです。

パウロは使徒19章のエペソ滞在中に、次の宣教目的地であるローマのことを神に祈っていたのです。そして彼は前もってローマに向けて手紙を書きました。それが「ローマ人への手紙」です。パウロは今出来ることは、何でもやったようです。

彼はローマへの道が何度も妨げられながらも、祈りを止めなかったのは、祈れば祈るほど希望と確信、喜びと平安が心の中に生まれたからだと思います。

「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」
ピリピ4章6.7節

だから私たちはどんな時でも祈り続けましょう!
私たちの心には聖霊なる神が住まわれているのです!聞かれない祈りはないのです。

神が与えないもの、神の御心に沿わないことを願っているなら、神は平安の中に手放せる思いを与えて下さるのです。更に良い願いに祈りの中で変えて下さいます。

御心に適う願いを祈っているのなら、それが実現する前に確信と希望、喜びを平安の中に与えて下さるのです!だから祈りましょう。神は祈りの中で必ず答えられます。

しかし、もし祈れない、祈っても不安で心が一杯になる場合は、神さまとの関係に何か改善しなければならないことがあるはずです。

祈りの答えが神さまよりも大きい場合は、いくら祈っても不安や焦りだけが心に訪れます。
お金、この世の地位、異性との関係、自分の欲望を満たすためだけに祈っているなら、その人は祈っているのではなく、神を利用しようとしているだけです。
心の中でお金や地位や異性、快楽と言った偶像に仕えながら、天の父なる神に祈ることは出来ないのです。まず偶像を捨てて悔い改めましょう。

また自分が直面している問題が神さまよりも大きくなる場合があります。それも偶像です。祈りを妨げる最大の障害は偶像です。心に偶像がないか、神さまに調べてもらいましょう。

「人の子よ。これらの者たちは、自分たちの偶像を心の中に秘め、自分たちを不義に引き込むものを、顔の前に置いている。わたしは、どうして彼らの願いを聞いてやれようか。」エゼキエル14章3節

神との親しい交わり、神との関係を妨げる最大の障害は偶像です。
実際の偶像、仏像や異教の神々の置物でも、また占いの道具や本でも、また心の中の欲望という偶像でも、聖霊さまが示されたなら、すべて捨て去りましょう。


【エルサレムからローマ】

使徒19章21節でパウロが第一に祈っていたことはローマに行くことでした。
するとパウロは祈りの中で、聖霊さまによってハッキリとしたヴィジョンが示されました。
祈りの実現する時が近づくと、さらに明確に祈りの対象が見えてくるものです。

しかしそれは、エペソから直接ローマに行くのではなく、「マケドニヤとアカヤを通ったあとでエルサレム」「そこに行ってから、ローマ」でした。
何と遠回りな道を聖霊さまは示されたのでしょうか?

エペソから直接ローマに行った方が、地理的に考えると当然近いです。
当時は飛行機はなく、徒歩か船ですから、大変な遠回りです。
しかし聖霊さまはそうとうハッキリとパウロに示されたようで、パウロは従います。

パウロはエルサレムでやり遂げる仕事がありました。

「それで、私はこのことを済ませ、彼らにこの実を確かに渡してから、あなたがたのところを通ってイスパニヤに行くことにします。」ローマ15章28節

パウロはマケドニヤとアカヤ地方にある教会で集めた献金を、飢饉のために苦しんでいるエルサレムのクリスチャンに届ける働きがありました。

パウロはローマに行きたかったのです!何年も祈っていました。行こうと思えば行けるのです!ところが祈りの中ではマケドニヤとアカヤを回り、エルサレムに行ってからと示されました。「私はこのことを済ませ、彼らにこの実を確かに渡してから」と聖霊さまに示されたのです。パウロは従順に聖霊さまの示された道に従いました。

あなたがパウロだったらどうしますか?

近道をして先ず自分の行きたいローマに行きますか?それからエルサレムに行きますか?それともパウロのように、聖霊が示された通りに、先ず自分の委ねられた働きをしっかりとやり遂げてからローマに行きますか?

このような回り道を示されることが、クリスチャン・ライフの中には結構あります。

結局、ローマに行くなら近い方が良いと、聖霊さまの示される回り道を拒絶して近道を行く人が結構多いと思います。しかし、これが人生の重要な岐路だったりするのです。

パウロはエルサレムへ行く途上で、エルサレムでは不当に逮捕、拘束されることが示されていきます。それでも彼は聖霊さまの示された通りにエルサレムに行くのでした。
そして道々で予言されていたことは実現し、パウロはエルサレムで騒動に巻き込まれ、ローマ兵によって身柄を拘束されてしまうのです。

人間的には何とまずい道を選んでしまったのでしょうか。地理的には遠回り、自分の自由を奪われることが示されていながらも、エルサレムに進んだのです。

ところが結果的にはエルサレムの回り道を選んだことが驚くべき実を結んだのです。

彼はエルサレムで捕らえられますが、それを通してエルサレム中の人々にイエスがキリストであることをハッキリと証言する機会を得るのです。
またカイザリアに移され、そこでは2年間も監禁されるのですが、そこでもまたユダヤ総督にイエスがキリストであることを証します。また総督だけではなくアグリッパ王にもイエスを伝えました。そして不当な裁判を通して、カイザルに上訴することになり、聖霊さまが示された通り、エルサレムからローマへの道が開かれたのです。

船でローマに行く時も、嵐に巻き込まれますが、それを通してマルタ島にイエスを伝える道が開かれました。彼は裁判のためにローマに二年間、監視付きの家に住むことになりますが、ユダヤ人の過激派から命を狙われていたパウロにとっては安全な住居が確保されたことになるのです。

「こうしてパウロは満二年の間、自費で借りた家に住み、たずねて来る人たちをみな迎えて、大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。」使徒28章30.31節

聖霊さまの導きに従ったパウロには、遠回りが実は近道になり、逮捕監禁されることによって、より多くの人々に自由に福音を伝えることになったのです!

聖霊は時に、自分の進みたい方向と反対の道を示されることがあります。
しかし、それは決して意地悪をしているのではありません。
私たちの目には遠回りに見えても、実は近道があるのです。
私たちの目には不利に見えても、実は更に有利な道があるのです。

聖霊なる神は、パウロが自分に委ねられた働きを忠実に行うことを願われました。
神は私たちに委ねた働き、また学びを中途半端に終えるなら、次のステップには進ませないお方です。私たちは聖霊さまの導きの中で、心が一つ一つ整えられる必要があるのです。

神は決して大きな働きをすることを私たちに期待してはいません。
なぜならどんな大きな働きでも、人間の頑張りや、単なる偶然ならば神の栄光ではないからです。神はご自身で大きな働きをなされるのであって、私たちの努力ではないのです。

神が私たちに願っておられるのは、神のみ言葉と導きに忠実に従うことによって、私たちの心が整えられることです!

私たちはみ言葉と祈りを通して聖霊さまの導きに忠実に従いましょう!