「わたしが去って行くことは、あなたがたにとって益なのです」
ヨハネの福音書
牧師 小林智彦

【イエスは、その愛を残るところなく示された】

「さて、過越の祭りの前に、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時が来たことを知られたので、世にいる自分のものを愛されたイエスは、その愛を残るところなく示された。」ヨハネ13章1節

イエスさまはこれからご自分に起こることを、全てご存じでした。
ユダヤ人のリーダーたちによって捕らえられること、拷問と不正な裁きを受けること。
そして全人類の罪を身代わりに十字架を通して背負い、罪と死に捕らえられている全ての人を解放するために、自らが犠牲となることを知っておられました。
しかしそれは死で終わるのではなく、全人類に罪の赦しと永遠の命を与えるために、先ず自らが死から復活されること、そして天に昇り、父なる神の右の座に着かれることもご存じでした。

そしてこの苦難と死を通してもたらされる復活の大勝利の間に、弟子たちは飼い主を失った羊のように彷徨い、不安の中を過ごすであろうことも知っておられました。
また復活され、イエスが天に帰った後、残された弟子たちが御国の働きを前進するために、彼らに明確なヴィジョンと助けが必要であることを知っておられました。

そこで、イエスは残される弟子たちのために「その愛を残るところなく示された」のです。

イエスさまは良い牧者です。羊のためにご自身の命を投げ出すほど愛に満ちたお方です。イエスは弟子たちの弱さ、足りなさ、そして助けが必要なことを良くご存じでした。
その必要の全てをイエスさまはしっかりと知り、それを用意されたのです。

イエスさまは皆さんの必要もご存じです!
イエスさまは天におられますが、皆さんを地上で孤立無援にはしません!
イエスさまは皆さん、一人ひとりの必要をご存じで、それを満たされる方です。
イエスさまは残された弟子たちが、イエスさまと一緒にいる時以上に力強く、神の働きを出来るように素晴らしい約束を与えられました。
その約束は私たちにも同じように与えられているのです!

地上に残された弟子たちが、イエスさまが一緒の時以上に力強く神の働きをするために、イエスさまは何を与え、どんな助けを約束をされたのか聖書から見ていきましょう。

【弟子たちの足を洗われるイエスさま】

「イエスは、父が万物を自分の手に渡されたことと、ご自分が父から来て父に行くことを知られ、夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。それから、たらいに水を入れ、弟子たちの足を洗って、腰にまとっておられる手ぬぐいで、ふき始められた。」ヨハネ13章3節から5節

父のもとに帰られる時がまさに近づいていることを確信されたイエスさま、つまり弟子たちを残して帰らなければならないと言うことですが、先ずされたことは弟子たちの足を洗うことでした。

イエスさまは弟子たちが不完全であることを知っておられました。
確かにイエスさまの救いを受けているので、全身は既にきよいのです。
しかし日常生活に於いては、足は泥を踏んで汚れてしまいます。
弟子たちも、難しい状況や試練において、完璧であることは不可能です。
イエスさまはそれをご存じで、前もって弟子たちの足を洗われたのです。

私たちのクリスチャン・ライフもイエスの赦しの中に、初めて歩めることを覚えましょう。イエスさまは私たちに完璧を求めて厳しい裁きをする方ではありません!
小さな過ち、弱さによって犯してしまう罪をひとつ一つ取り上げて、厳しく責め立てるお方では決してありません!そうではなく、イエスさま自ら私たちの足を洗われるのです!

私たちの弱さ、不完全さを責めるのは神の霊ではありません!
それはサタン(ヘブル語で神の御前に「訴えるもの」)です。
サタンは私たちの小さな過ちを一つひとつ取り上げて、私たちを惨めにさせ、私たちがイエスさまにあって完全に赦されている神の子であることを忘れさせようとします。

イエスさまはあなたの大きな罪!そうです、自分の力では決して赦されない罪をご自分の血潮で完全に洗い流し、赦して下さいました。あなたの身代わりに死ぬことによって、どんな大きな罪、赦されない罪を犯していても私たちは解放され赦されたのです!
そして日常に起こる小さい罪も、イエスは洗い清めて下さるのです。

弟子たちが、特にペテロやパウロのように、神を裏切る大罪を犯しながらも用いられたのは、彼らがイエスにある赦しの大きさ、広さ、深さを良く知り、体験したからです。
私たちは神の赦しがなければ、何もすることが出来ません!
イエスはそれをご存じで、まず弟子たちに大きな赦しを示されたのです。
私たちもイエスにあって赦されています!赦しの確信の中に進みましょう。

「それで、主であり師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです。わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしはあなたがたに模範を示したのです」ヨハネ13章14.15節

初代教会が力強く前進し、成長した原因のひとつはこの「互いに赦しあう」ことを実行したからだと思います。完璧主義、互いに対する批判、これは教会の力を奪います。
確かに罪は憎まなければなりません!これは誤解無いように。
罪は徹底的に憎み、悔い改めなければなりません!
しかし、泥の付いた足を、泥が汚いからと言って足ごと切り落とす人はいません。
泥は徹底的に落としても、泥が付いている足は大切な足です。
罪を憎んでも、罪人を憎んではなりません。罪は赦さず、罪人を赦すことです。

私たちは互いに赦し合いましょう!欠点を見つめ合うことを止めましょう。
もし泥が付いているなら、切り落とすのではなく、謙って互いに足を洗い合いましょう。

これが地上を去る上でイエスさまが弟子たちに残した素晴らしい教えの一つ目です。

【父のもとに帰る理由を説明されたイエス】

「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのためにわたしは場所を備えに行くのです」ヨハネ14章1.2節

弟子たちはイエスが離れていくことを聞いて、ペテロを始め動揺しました。
そこでイエスさまは弟子たちを離れる理由、その目的をハッキリと説明されました。
これは私たちも弟子たちと同じように動揺することがないため、またイエスさまが帰られるまでの間、私たちが希望と確信と確かな目的をもって歩むための教えです。。

イエスが弟子たちを離れるのは父なる神のもとに帰るためです。
そしてなぜ父のもとに帰るのか、それは私たちのためなのです。
私たちの永遠の住まいを用意されるために、イエスは天の父のもとに帰られたのです。
そして準備が出来たら、私たちを花嫁として迎えに戻ってこられるのです!ハレルヤ!

「わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。(3節)」

私たちの人生は、この世の短い、80年ぐらいで終わる人生ではないのです!
この世の人生はキリストが私たちを花嫁として迎えに来るための準備期間なのです。

だから私たちはこの世の人生の荒波、問題を見て、希望を失わないようにしましょう!
キリストが私たちを永遠の人生に迎えて下さるのです。それこそが本当の人生です。
この世での評価も大切ですが、一番大切なのは花婿であるイエスさまの評価です。
主に喜ばれる生き方を目指し、永遠を生きるために自らを整えましょう。

【さらに大きなわざ】

「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしを信じる者は、わたしの行なうわざを行ない、またそれよりもさらに大きなわざを行ないます。わたしが父のもとに行くからです。」ヨハネ14章12節

イエスさまが父のもとに行かれるふたつ目の理由は私たちがイエスさまが行われたわざを行い、またそれよりもさらに大きなわざを行うためです!

イエスは天で私たちのために永遠の住まいを整える働きについておられます。
イエスを待つ私たちは、イエスが地上を去る前に行われていたわざを引き継ぐのです。
そして、そのわざを拡大することをイエスは願っておられ、この働きを私たちに委ねられました。

「わたしの行なうわざ」とは一体なんでしょうか?これについては来週、詳しくメッセージします。来週はペンテコステです。

私たちがイエスのわざを行い、さらに大きなわざを行うためにイエスは私たちに助け主を送られたのです。その助け主である聖霊様が弟子たちに臨まれ、弟子たちを満たした日、それがペンテコステです!

私たちがこの地上で、イエスのわざを行い、またイエスに相応しく整えられるためには聖霊なる助け主によらなければ何も出来ません。イエスは私たちにこの素晴らしい助け主を喜んで送って下さるのです!この助け主が弟子たちに臨まれて、教会は誕生しました。

聖霊なる助け主なくして、教会は生まれなかったのです!
また聖霊の助けなくして教会に前進はありません。つまりイエスのわざを行うことは出来ないのです。来週はこの聖霊様についてさらに聖書から学びます。
そして聖霊様の助けをさらに求めていきましょう。