「幸いな人生への8つのステップ」C
マタイによる福音書5章8節・10節
牧師 小林智彦

【心のきよい者は幸い】

「心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです。」マタイ福音書5章8節

心のきよい者は幸いです!その人は神を見るからです。
神が近くに居られることを知的な理解ではなく、体験として理解できるからです。
もちろんいくら心がきよくても、肉眼で神を見ることは出来ません!
しかし心がきよいならば、肉眼で見る以上に神を(霊の目で)見ることが出来るのです。

私も神がそばに居られることが分からなくなる時があります。
不安な時、怒りや憎しみに心が満たされている時、罪を認めたくない時、高慢な時です。
神を見え無くさせるもの、それが罪なのです!

私たちは罪の仕切によって神を見失うと、さらに神の願われない道に進んでしまいます。
皆さんは今、神を見ていますか? 神さまの心が見えますか?

心をきよめるには、自分の罪、自分の弱さを神の前に告白することです。

「私は、自分の罪を、あなたに知らせ、私の咎を隠しませんでした。私は申しました。
『私のそむきの罪を主に告白しよう。』すると、あなたは私の罪のとがめを赦されました。」
詩編32編5節

そして私たちの罪のために十字架で血を流されたイエスを覚えることです。

「まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行ないから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。」ヘブル9章14節

私たちは絶えず自分の罪、自分の弱さを神の前に告白し、キリストが私たちの罪のために流された血潮を覚えましょう!私たちの心はきよめられ、神を仰ぎ見るのです!

【義のために迫害される者は幸い】

「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。」
マタイ5章10節

この山上の垂訓(宣教)は私たちが本当の幸せを得るためのステップです。
このステップを一つ一つ実行することで、私たちの人生が変わります。
神の御前に謙遜に生きる者になります。自分の内面がイエスの助けを受けて変わります。
この世の価値基準ではなく、神さまのことば、聖書に従って人生を歩みます。
人を赦し、また壊れた人間関係を修復する人になります。
罪と弱さを告白し、神とともに歩む人に変えられていきます。
これが義に生きることです!

しかし、なぜ神の義に生きる者が迫害されるのでしょうか?
それはこの世の価値観が神の国の価値観と異なるからです。
私たちは古い生き方に死んで、イエス・キリストにある新しい生き方が始まったのです。
当然、この世の価値観に従って生きている人たちは私たちを過去の生き方に引き戻そうとします。御国の価値観に従って生きるのなら必ず、この世の価値観と衝突が起きます。

これは関係が近い人たちの中で顕著に現れてきます。まず家族の中で、友人の中で、学校や職場の中で私たちの新しい生き方を否定し、攻撃し、過去に引き戻そうとする衝突が起きてきます。

その時はイエスさまが言われるように、喜びましょう!すでに私たちは天国人です。
決して、過去の生き方に引き戻されないようにしましょう。
また神よりも回りの人の目を恐れて、回りに合わせるだけの古い生きたは止めましょう。
私たちは神の子供です!神の子供らしく生きましょう。
聖書の価値観と異なる価値観との衝突、迫害を受けているなら、自分がイエスに従っている証拠であると喜びましょう。あなたの人生はイエスにあって確かに変わったのです!

「世の終わりに臨む私たちの生き方」
マタイによる福音書24.25章

聖書箇所:マタイ24章の朗読

イエスさまはマタイ24章でハッキリとエルサレム神殿が跡形も残らずに破壊されること、そしてご自身が再臨されること、再臨される前に起きる出来事を預言されました。

これらのうちの幾つかは既に実現しました。

まずエルサレム神殿の破壊です。これはイエスさまが語られた40年後にローマによって実現されました。イエスが預言されたように跡形も残らず徹底的に破壊されたのです。
ヘロデ大王が40年掛けて建てた中東で最も美しい神殿はイエスが預言されたとおりに跡形もなく破壊されたのです。

他の預言についてはどうでしょうか?

「わたしの名を名のる者が大ぜい現われ、『私こそキリストだ。』と言って、多くの人を惑わすでしょう。」(24章5節)

この偽キリストもたくさん現れています。統一教会の文鮮明は最も分かり易い偽キリストです。彼は自分を再臨したキリストであるとしています。多くの日本人が騙されています。

またイエスは24章の6.7節で戦争と民族間の争いが激化することを前兆としています。
20世紀には人類がかつて経験しなかった世界戦争が2度も起こりました。
今もイラクを始め、アフリカでもアジアでも紛争が絶えません!
これもイエスの預言が実現していると言って良いでしょう。

24章9節にはユダヤ人に対する大迫害が預言されています。この箇所は直接は弟子たちに向けて書かれました。イエスの弟子は全てユダヤ人でした。ただこの箇所はユダヤ人以外のクリスチャンも含んでいると考えても良いでしょう。

この預言も実現しました。アウシュビッツでのユダヤ人大量虐殺を筆頭に、第二次世界大戦ではドイツによって600万人のユダヤ人が虐殺されました。
1948年にイスラエル共和国が建国されましたが、建国以来イスラエルはイスラム諸国からの攻撃を受け続けています。

このようにイエスが預言された世の終わりのしるしの幾つかは既に実現しているのです!
しかし、まだ実現していない預言もあります。

「この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。」(24章14節)

世界には言葉が2200カ国語あるそうです。なんと2100カ国語に聖書は翻訳されています。残り100カ国語を切っているのです。近いうちにこれらの言葉にも聖書は必ず翻訳されるでしょう。私たちの教会もロジャー夫妻をサポートすることによって、この働きに加わっているのです。このイエスの預言が実現するのも間近なのです!

「それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす憎むべき者』が、聖なる所に立つのを見たならば」(24章15節)

この中の二つはまだ実現していません。
それは聖なる所(即ちエルサレムに建てられる神殿)の再建と「荒らす憎むべき者」の登場です。

現在、エルサレムの神殿が建っていた場所には有名な岩のモスクが建てられています。
あの黄金のドームがそれです。これはローマによって神殿が壊された跡に建てられているのです。黄金のドームはイスラム教徒によってマホメットの昇天した場所として信じられています。イスラム教徒にとっては聖地なのです。これがユダヤ教徒によって破壊されたなら、第五次中東戦争が必ず始まるでしょう。
しかしイエスの預言ではこの上に神殿が再建されているのです!
また嘆きの壁で熱心に祈るユダヤ人の祈りは神殿の再建なのです。

そして神殿が再建され、そこに世界の諸国を代表する人物が立ち、自らを神と宣言します。

「彼は、すべて神と呼ばれるもの、また礼拝されるものに反抗し、その上に自分を高く上げ、神の宮の中に座を設け、自分こそ神であると宣言します。」第二テサロニケ2章4節

この三つがイエスさまが世の終わりの時のしるしとして預言された中で、まだ実現していないしるしです。しかし世界宣教に関しては非常に近いうちに実現するでしょう。

私たちが生きている間にエルサレムの神殿が再建される可能性も大きいのです!
ユダヤ人の過激なグループは神殿再建に必要な石材などを準備し始めているのです。

皆さん!世の終わりは急速に近づいていることに気が付いて下さい!
クリスチャンがこの世に存在する目的は何でしょうか?
この世に永遠の楽園を築くことでしょうか?心地良い生活を確保することでしょうか?
そうではありませんね!

神の目的から離れて、自分たちの永遠の楽園を築きたい!それは罪です。

「すべての世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。世と世の欲は滅び去ります。しかし、神のみこころを行なう者は、いつまでもながらえます。」:第一ヨハネ2章16節

世の終わりに急速に近づいている私たちは、改めて神が私たちに定めて下さった目的に向かって進まなければなりません!

神が定めた私たちの目的とは一体なんでしょうか?私たちはどのような態度で世の終わりに臨むべきなのでしょうか?イエスさまの喩えの中からその答えを見つけましょう。
(また今週の聖書通読箇所を何度も読み直して、考えてみて下さい)

「主人から、その家のしもべたちを任されて、食事時には彼らに食事をきちんと与えるような忠実な思慮深いしもべとは、いったいだれでしょうか。」マタイ24:45

これは私が聖書通読をしている時に、心に強い印象を残したみことばです。
私は忠実な思慮深い僕として、エクレシア・メンバーに仕えることが神の願いだと思いました。それには皆さんにきちんと食事を提供することだと確信しました。
きちんとした食事とは皆さんの肉的な思いを満足させる教えではなく、神の真理を分かり易く、真っ直ぐに語ることです。皆さんの霊の部分が成長する教えを分かちあうことです。
私はこのことを世の終わりに臨む私の使命として受け取りました。
皆さんも、ぜひ通読箇所から神さまが自分に何を願っているか見つけて下さい。

【花婿を出迎える十人の娘】

25章には世の終わりに臨む私たちの態度を教える三つのたとえ話があります。
先ずは花婿を出迎える十人の娘のたとえ話です。不思議なたとえ話です。

どうぞ何度も何度も読んで、このたとえから教訓を学んで下さい。
ただ、大切なポイントがありますので分かちあいます。それは13節です。
「だから、目をさましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないからです。」
見落としてはならないポイントです。
つまり、「目を覚ましていなさい!」です。今現在の世の繁栄を目にして、イエスがこの世は近いうちにも滅びると語られたみことばを忘れないように!と言う警告です。

そして「その日、その時を知らないから」です。いつでもイエスを迎えられる準備を私たちはすべきです。いま来てもらったら困る状態ではいけないのです。

【タラントのたとえ】

次はタラントのたとえが出てきます。信仰を持って自分に与えられた能力を用いることを教えています!一人でも多くの人が福音に応答して、救われるように私たちは自分に与えられた能力を働かせましょう!用いれば用いるほど、神はさらに能力を与えられます。

【羊と山羊のたとえ】

私はこのたとえ話から、イエスは大きい者も小さい者も変わらず愛する態度について教えておられると思いました。それは神の無条件の愛の実践です。

世の終わりに臨む私たちの態度、また私たちクリスチャンの目的、それはイエスの愛を行うことです。また信仰と賜物を用いて、滅びる世のためではなく、滅びない永遠の御国のために仕え続けることです。

今週の聖書通読箇所から、個人的に神さまの語りかけを聞きましょう!