「遊女ラハブの信仰」
ヨシュア記2章1節から24節
牧師 小林智彦

【事前の偵察】

「ヌンの子ヨシュアは、シティムからひそかにふたりの者を斥候として遣わして、言った。『行って、あの地とエリコを偵察しなさい。』彼らは行って、ラハブという名の遊女の家にはいり、そこに泊まった。」ヨシュア記2章1節

エリコはヨルダンを渡るイスラエルを待ちかまえる最初の難関でした。
城壁に囲まれた堅固な町でした。ヨルダンを渡るイスラエルを待ちかまえていました。
初戦というのは大切です。エリコとの戦いは今後を左右しかねない大切な戦いでした。

ヨシュアは主に「強くあれ、雄々しくあれ」と命じられていました。
しかしこれは無鉄砲で無計画であっても良いという意味ではありませんでした。
何事でも事前の計画と準備は必要です!それは信仰の行動においても同じなのです。

私たちは主がともにおられるなら、計画や準備が不十分でも良いと考えてはいないでしょうか?私たちは信仰と無責任を混同してはならないのです。

もちろん、時には計画や事前の準備が整わない場合もあります。
私たちが最善を尽くしても、なお足りない場合は主が不足を補って下さいます。
しかし、最初から計画や事前の準備を怠っても「大丈夫、それが信仰!」ではないのです。

ヨシュアが偵察隊を遣わさなくても、主の約束通りに確かにエリコには勝てたかもしれません。しかし準備不足のために大切な同胞の血を無駄に流す結果になったでしょう。

ヨシュアは不信仰から偵察隊を遣わしたのではなく、主が与える勝利を確信しながら、最善の働きが出来るように、また同胞の命を犠牲にしないように偵察隊を遣わしたのです。

私たちはこのヨシュアの姿勢から学びましょう。
強く、雄々しく主が与えられた使命に取り組みましょう!
しかし、落ち着いて事前の計画を練り、しっかりした準備のもとに行動しましょう。

「その後、主は、別に七十人を定め、ご自分が行くつもりのすべての町や村へ、ふたりずつ先にお遣わしになった。」ルカ10章1節

イエスさまも宣教の働きが最大の実を結ぶように、先に働き人を遣わされています。

「いいですか。わたしがあなたがたを遣わすのは、狼の中に羊を送り出すようなものです。ですから、蛇のようにさとく、鳩のようにすなおでありなさい。」マタイ10章16節

私たちがこの世にあって神の働きを成し遂げるには熱く純粋な信仰と醒めた理性の両方が必要です!(醒めた信仰と熱い頭ではありません!)

一人でこの二つを持つのは難しいかもしれません。だからヨシュアもイエスさまも二人の偵察隊を派遣されました。賜物が協力し合うことが更なる実を結びます。

主から与えられた使命を成し遂げるために、@熱い信仰と冷静な理性を持ちましょう!
A一人で神の使命を行うのではなく、謙って協力者を求めましょう。

【遊女ラハブの信仰】

次に遊女ラハブの信仰を学びましょう。
ラハブは遊女でしたが新約聖書には信仰の女性として義人として取り上げられています。そしてイエスさまの系図の中にも含められている女性です。
なぜエリコの町の遊女であったラハブが信仰の人として認められ、救い主の家系に組み入れられたのでしょうか?


@神は私たちの過去ではなく、信仰のアクションを評価される!
ラハブが聖書の中で高く取り上げられている、それは即ち神がラハブを高く評価していることです。神はラハブの何を高く評価しているのでしょうか?彼女の行動の伴う信仰です。

神は私たちの過去の職業、学歴、財産などで私たちを評価しません。
私たちが信仰によって歩んだのか?信仰の歩みをご覧になるのです。

これは私たちが人を見る時にも当てはまります。
優秀な大学を出ている人を信用しますか?それだけでは裏切られることもありますよ。
大きな家に住んで高級車を乗っているから信用出来ますか?ヤクザかもしれません。

しかし、過去はどうであれ、いまイエスを信じ、神と隣人を愛する生涯に歩んでいる人は信用出来る人です。神は私たちが神のことばを聞いて行っているかをご覧になります。

Aラハブは自分の弱さを認め、天においても地においても主こそ神でることを認めた。

ラハブはとても潔い女性でした。自分とエリコの町の人々がイスラエルの前に震えおののいていることを素直に認めています。彼女は神さまがなされた話しを聞いて、主の前に降参したのです。

これは私たちが救われるために必要な心の姿勢です。
私たちは神さまの偉大さを認めず、自分の弱さと無力さを認めないなら救われません。

多くの人が神の偉大なことを認めません。神なしでも大丈夫と思い上がっています。
また自分の弱さを何としても見ないようにしています。
本当は不安なのに、本当は弱いのに、それを神と人の前に隠そうとして強がります。
神はこのような本心を隠して強がる人を救うことは出来ないのです!

しかし、自分の弱さ、罪深さを神の前に認め、告白し、主を自分の救い主として受け入れるなら遊女ラハブを優れた信仰者として認められた神は私たちも信仰者として認め、救って下さるのです。

Bラハブは主に従い、エリコの王に敵対した。
ラハブはイスラエルの偵察隊をかくまうことを通して、エリコの王に敵対しました。

私たちはイエスを信じ、イエスに従う時、それまで属していたグループと対立せざるを得ない時があります。それは時には家族の場合もあります。また学校の友達や職場の同僚の場合もあるでしょう。

しかしラハブは主を信じ、いままで属していたエリコとその王に逆らったのでした。
ラハブは主の前に自分の立場を明らかにしました。

私たちも自分の立場を明らかにすべきです。もちろん知恵と配慮が必要です。
しかし、どっちつかずの状態が続くと私たちの大切な信仰は実を結ばなくなります。

ラハブは命を懸けてイスラエルの斥候を自分の家に隠しました。神の側に立ったのです。
私たちも主の側に立ち続けましょう!

そして今は旧約の時代ではなく、新約の時代です。恵と神の愛がハッキリと表されている時代です。家族や親しい大切な友人たちと感情的に対立することがあっても、それは決して長く続くことはありません。私たちの内にイエスの愛が結ばれ、愛の動機が明らかになるうちに、必ずそれらの対立も取り除かれていきます!

Cラハブは家族を愛し、その救いを心から願った。
ラハブの優れた信仰は、自分の救いだけではなく家族の救いをも心から願ったことです。

ラハブは家族を心から愛していました。イスラエルの軍がやがてエリコの町を滅ぼすことを知って、自分と家族がどうしたら救われるか熱心に求めていたのです。

「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」使徒16:31

私たちも自分の救いを求めるだけではなく、家族の救いも真剣に求めましょう。
主は必ず私たちの家族にも救いの御手を伸ばして下さいます。
イエスは私たちの大切な家族が罪によって滅びることを救うことが出来るのです!

ラハブの大胆な信仰から私たちも信仰の本質を学び、自分の人生に適用しましょう。

【窓に結ばれた赤いひも】

「私たちが、この地にはいって来たなら、あなたは、私たちをつり降ろした窓に、この赤いひもを結びつけておかなければならない。また、あなたの父と母、兄弟、また、あなたの父の家族を全部、あなたの家に集めておかなければならない。」ヨシュア2章18節

ラハブのイスラエルの神に対する真実に答えて、斥候達はエリコ攻撃の際にラハブとその家族を救うことを約束します。赤いひもが結ばれたラハブの家は決して攻撃しないと誓ったのでした。

神がエジプトに下した裁きと災いも、家の柱に子羊の血が塗られている家は神の怒りが過ぎ超されました。エリコの攻略もカナンの地に対する神の裁きの表れでした。
しかし、赤いひもが結ばれたラハブの家だけは神の怒り、イスラエルの攻撃から救い出されたのです。

私たちクリスチャンには出エジプトの子羊の血よりも、ラハブの赤いひもよりもさらに優れた御子イエスの血潮が塗られています。

イエスの血潮は神の赦しの証です!私たちの罪はイエスの十字架によって赦されました。イエスを信じる者は、その犯した罪によって裁かれることはもはやないのです!

罪を犯した者は誰でも罰を受けます。罪から来る報酬は死であり、呪いです。
罪ある者には神の怒りが留まり続けるのです!

あなたは神が恵として与えて下さった救い主イエスを受け入れましたか?
イエスが十字架を背負われ、死の罰を受けたのは私たちの罪の身代わりです。
このイエスの救いを受け入れるなら、私たちは罪赦され、永遠の滅びからも救われます。

あなたには神の子の血が塗られていますか?神の怒りから救い出される赤いひもが結ばれていますか?イエスを救い主として受け入れることです!それがあなたの救いです。