「キリストの人格に似た者になる」
ガラテヤ人への手紙4章12節から20節
牧師 小林智彦

「私の子どもたちよ。あなたがたのうちにキリストが形造られるまで、私は再びあなたがたのために産みの苦しみをしています。」:ガラテヤ4章19節

パウロの一番の願いは、ガラテヤのクリスチャンの内に、ガラテヤだけでなく全てのクリスチャンの内にキリストの人格が形作られることでした。
パウロが福音を宣べ伝える目的も、全ての人にキリストの人格が形作られることでした。

キリストの人格が私たちの中に形作られること!これこそ救いの完成です。
キリストの人格が私たちの中に形作られること、これこそ人生の目的です!

神は創世記の中でハッキリと人間をご自身に似た者としてお造りになったと言ってます。

「そして神は、『われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。』と仰せられた。神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。」創世記1章26.27節

私たち人間は外見は猿とあまり変わらないかもしれません。
しかし、動物には無くて、人間にはあるものが霊の部分です。
猿がいくら人間を真似ても、神さまに祈ることは出来ません。霊の部分が無いからです。

私たちの人格は心と霊から本来は成り立っています。
そして霊の部分は神とのコミュニケーション、交わりによって成長するのです。

人間は食べるだけでは、本当には人生に満足を見いだせないのです。
動物は食べるものが豊かにあり、居心地が良い場所ならそれだけで満足です。
しかし、人間は衣食住が足りても、霊の部分が満たされなければ満足しません。
霊の部分というのは、夢や希望、そして愛と正義のように神さまのご性格の部分です。

パスカルが「私の心には、本当の神以外にはとても満たすことの出来ない、真空がある」と言いました。イエスさまも「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。」と言われました。

人間が本当に満たされて生きるには、物質だけではなく、霊が満たされなければ、その霊が神であるイエスに似た者に形作られなければ本当の満足は無いのです。

物質は人を完全には満たしません!高級な外国車を乗り回しても、豪邸に住んでいても、高い学歴、使い切れないお金を持っていたとしても、心の中には必ず空しさがあります。

しかし、霊がイエスに似た者に形作られるならば、心の満足のために物質は必要なくなります。生活を維持するために最小限で住むようになるのです。イエスさまは高級外車も高級ブランドの服も、学歴もお金も豪邸もありませんでした。パウロも同じです。
しかし、彼らは世界で最も心が満たされていた人たちでした。

私たちの内にキリストが形作られること、それが人生の目的です!
それは私たちをおかしな宗教家にすることではなく、本当に満たされた人に成長させます。

イエスが地上に来られたのは、真の神の姿を私たちに見せるため、またイエスを信じることによって、イエスに似た者になるための新しい歩みを私たちに与えるためでした。

イエスの人格が私たちの内に形作られることを目指しましょう。
イエスに似た者になる!これが私たちの人生の目的です!

その為には、イエスが言われたように、「神の口から出る一つ一つのことば」である聖書のことばを食べることです!神の言葉を食べるとは、信仰を持って神の言葉を受け取り、聖霊様の導きを受けながら良く理解し、自分自身に適用することです。
御言葉を聞いて、そして行うことです!

また私たちはイエス・キリストを信じることによって神の子供とされました。
いつでも天の父なる神様と祈りという会話をすることが出来るのです。
祈りと賛美(賛美も優れた祈り)によって神に私たちは近づくのです。

御言葉と祈りが私たちの内にキリストの人格を形作ります。

どうぞこのことを耳で聞いただけでなく、日々の生活で実行して下さい!
私たちは信じ受け入れることによって救われますが、祝福は行いを通してやって来ます。
天の父がイスラエルの人を養った天からのマナは、彼らが荒野に踏み出した時に降ってきたのです。紅海が分かれた時もモーセが信じて杖を差しのばした時でした。

知識だけが私たちの内にキリストを形作ることはありません!
御言葉を行うことによってのみ、キリストの人格は私たちの内に形作られます。
御言葉と祈りを彫刻に用いるノミに喩えた牧師がいます。彼は御言葉を実行し、祈ることは自分の霊をキリストの似姿に彫り込むことだとよく言っていました。

祈ることを通して、私たちは更に天の父の御心、そしてイエスの姿をハッキリと見るのです。そして御言葉を行うことによって、私たちの人格が削られ、彫り込まれてキリストに似た者へと形作られていくのです。

【教会が存在するのは教会自体がキリストを現すため】

皆さん教会が存在するのは一体何の為でしょうか?
それは私たちの人生の目的と全く同じです。世にキリストを現すために存在しています。
居心地の良い、楽しい遊び場所を提供するのが教会の使命ではないのです!
その為に牧師が存在しているのではありません。

教会を構成する一人ひとりにキリストが形作られなら、教会はキリストの体になります。
しかし、皆さんの中にキリストが形作られないなら、ここに千人でも万人でも人が集まったとしても教会にはならないのです!

牧師はパウロと同じように、皆さんの中にキリストが形作られるように仕える者です。
ですから私に心の慰めや、楽しみを求めないで下さい!
そうではなく、皆さんの中にキリストが形作られるように、私を使って下さい。
また私がその働き更に仕えられるように、お祈り下さい。

皆さんにお願いしたいことがあります!それは祈りのリクエストです。
私は教会に集う一人ひとりの名前を挙げていつもとりなしの祈りをしています。
それは私の神から与えられた努めだからです。

皆さんに同じことを求めません。しかし、どうぞ皆さんの魂の監督として建てられている私のためにお祈り下さい。この働きが更に祝福され、福音を真っ直ぐに語り、また皆さんの中にキリストの人格が形作られるように、その働きをしっかりと出来るように。

また皆さんも教会の中で、兄弟や姉妹を助け、奉仕することになるでしょう。
その時にもなぜ人を助けるのか、奉仕をするのかその目的を忘れないで下さい。
一番の人助け、一番の奉仕はその人の中にキリストが形作られることです。
何をするにしても、この目的に添って兄弟・姉妹を助け、奉仕して下さい。
そうするならば助けたことも、奉仕も無駄にはならず、必ず実を結ぶようになります。

優しいだけのクリスチャンで終わらないで下さい!ただ相手への感情サービスだけで終わる良い人クリスチャンで終わらないで下さい。愛と配慮の中にも、しっかりと塩味の聞いた言葉を語り、私たちの生きる目的をいつも明確にするクリスチャンになって下さい。

【目的を間違えた熱心さは神に敵対することにもなる】

「それでは、私は、あなたがたに真理を語ったために、あなたがたの敵になったのでしょうか。あなたがたに対するあの人々の熱心は正しいものではありません。彼らはあなたがたを自分たちに熱心にならせようとして、あなたがたを福音の恵みから締め出そうとしているのです。」:ガラテヤ4章16.17節

先週もお話ししたように、ガラテヤの教会には割礼派と呼ばれるグループが悪影響を与えていました。彼らも自称クリスチャンです。イエスは信じていました。
しかし、正しい目的に向かって進んでいないばかりか、他の人をも巻き込んでいました。

日本では熱心さや努力、頑張りはとても評価されます。しかしいくら熱心で努力していても間違った目的のために努力しているのなら、それは無駄なばかりか、神に敵対することにもなるのです。

初代教会でも、この割礼派のように目的の定まらないクリスチャンたちを食い物にする悪い指導者たちが現れていました。教会の歴史を見ると一目瞭然です。
世界史を学ぶとキリスト教に嫌気が差してくるのは、イエスさまが原因ではなくて、偽の働き人に教会が振り回された結果なのです。

しかし、私たちは誰が偽の働き人なのかあら探しすることはせず、先ず自分を吟味しましょう。私たちがキリストに似た者になることを目指していないなら、簡単に偽の働き人になる危険性があります。

ですから牧師や奉仕者がキリスト似る者となる目的から逸れることがないようにお祈り下さい。牧師の努めは真理を語ることです。皆さんが聞きたくなくても、怒っても、真理を語ることです。皆さんの中にキリストが形作られるために真理を語り続けることです。

もしこの目的から逸れて、みんなから「今日のメッセージ良かったですよ!」と言われることを目的に、耳障りのよいメッセージだけ、リップ・サービスのような、皆さんのご機嫌取りのようなメッセージをしていたら、これが偽りの働き人です。

賛美の奉仕もそうです。キリストが内に形作られるように、キリストの素晴らしさを誉めたたえるのです。それがワーシップ・リーダーが栄光を受けようとして、賛美を導いたらそれは悪魔が生まれるのです。堕天使ルシファーは神を賛美する役目の天使だったと言われています。彼が神への賛美を自分に向かうように、神の栄光を盗んだ時、彼は堕天使になりました。

私たちの信仰の目的も奉仕の目的も一つです。それは私たちの内にキリストが形作られることなのです!この目的から逸れることがないように、互いに励まし合って進みましょう。