「神の子供は父なる神に似た者に変えられていきます」
聖書箇所:ルカ6章27節から49節
牧師 小林智彦

皆さんは、今読んだ箇所に書いてある驚くべき愛を行う人に必ずなります!

なぜなら36節「あなたがたの天の父があわれみ深いように、あなたがたも、あわれみ深くしなさい」とあるように、皆さんはイエス・キリストを救い主として信じることによって天の父なる神の子どもに、既になっているからです!

この箇所はキリスト教徒が守るべき、新しい戒めを書いているのではありません!
イエスの弟子として、苦労しながら守る戒律でもありません。

「あなたをのろう者を祝福しなさい。あなたを侮辱する者のために祈りなさい。
あなたの片方の頬を打つ者には、ほかの頬をも向けなさい。上着を奪い取る者には、下着も拒んではいけません。」:ルカ6章28.29節

皆さん、これは生まれながらの人間が守れる戒めではないのです!

「私はこの言葉を守り、実践しています!頑張れば何でも出来ます!」という人がいたらパリサイ人以上の偽善者だと私は思います。

ところで、聖書で「偽善者」(ギ:ヒュポクリテース)とは「俳優」を指す言葉です。
つまり本心ではなく演じている、演技していることは聖書では「偽善」になるのです。

だから、左の頬を殴られて「この野郎ぶっ殺してやる!と、怒りながらも、あっ自分はクリスチャンになったんだ、しょうがないから右の頬を向けてやろう」と我慢して、この言葉を行ってみても、イエスさまからは「偽善者」と言われるのです。

神の言葉は心から行わなければ、「偽善」にしかなりません!
だから頑張って、無理して、良いクリスチャンを演じることは罪でしかないのです。
皆さん、無駄な努力は止めましょう。

頑張って、努力して信仰生活を守ると神への怒りがたまり、また他のクリスチャンに対しては裁く思いがたまり、自分に対しては低いセルフ・イメージが蓄積されるのです。
だから信仰生活が辛く、面白くなくなってきたら、自分が偽善者になってないか自分の心を確かめてみて下さい。


律法を守ることで天の父の子どもになろうとすると、私たちは偽善者になります。
他のクリスチャンやまわりの人から良いクリスチャンと誉められようと頑張ると、偽善者になります。

皆さんは、既にイエス・キリストを信じる信仰によって天の父の息子・娘なのです!

カエルの子どもはカエルなのです!生き物は産んでくれた親の姿・性質に成長するに連れて変えられていくのです。これは真理です。
カエルの子はオタマジャクシです。オタマジャクシは大人のカエルと全然似てません。
が、そこが生命の神秘です!やがて足が生え、手が生えて、しっぽがなくなり、色まで変わってカエルになるのです。でもオタマジャクシは自分では変わる努力はしてません。
怠け者で、死ぬまでオタマジャクシのままのカエルは存在しないのです。
これがいのちの法則です!

だからイエス・キリストによって天の父、神の子になったことは驚くべき恵なのです!

私たちは誕生した時は、だれでも生まれながらの罪人として、罪人の親から生まれます。
これは私が言ってることではなく、聖書が教えている事実なのです。
罪人から生まれた私たちは、努力してもしなくても、頑張っても頑張らなくても、成長するにつれ、立派な罪人になるんです。いや罪人以外にはなれないんです!

だから罪人の私たちが左の頬を殴られたら、十倍にして返したくなるんです!
自分の右の頬も殴らせるのは、よっぽどの俳優、つまり偽善者しかできないんです。

パウロはキリストに出会う前の自分について、自分の本当の姿についてこう言ってます。

「(14)私は罪ある人間であり、売られて罪の下にある者です。(15) 私には、自分のしていることがわかりません。私は自分がしたいと思うことをしているのではなく、自分が憎むことを行なっているからです。(19) 私は、自分でしたいと思う善を行なわないで、かえっ
て、したくない悪を行なっています。(24) 私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。」
ローマ7章14.15.19.24節

パウロは努力家でした。頑張りやさんでした。良い人になろう、良い信仰者になろうと小さい頃から努力して来ました。その結果がこれです。

私たちは生まれながらの罪人なのです。悪いと分かっていながら止められない。良いと分かっていながらも、良いことが出来ない!本当にみじめな生き物、それが人間なのです。だれがこの死のからだから私を救い出してくれるのでしょうか?

それは罪人の努力や頑張りではなく、ただ神の御子イエスだけが救い出せるのです!

「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。」:ヨハネ1章12.13節

「イエスがキリストであると信じる者はだれでも、神によって生まれたのです。」
:第一ヨハネ5章1節

イエスを信じる者は、だれでも神の子供です!天の父なる神の子供になりました。
いのちの法則は単純ですが、絶対です。カエルの子は必ずカエルになるように、神から生まれた子供は、必ず産んで下さった神に似る者に変えられ、成長していくのです。

だからあなたは必ず、のろう者を祝福し、侮辱する者のために祈るように変えられていくのです。そして皆さんの中には気付かぬうちに、敵を愛する者に成長している人がいます。
皆さんはイエスを信じる信仰によって、愛の人に変えられ、このルカ6章に書いてある驚くべき愛の業を既に行っているし、これからますます行うものに成長するのです。

なぜなら皆さんは既に、イエスを信じる信仰によって生まれながらの罪人に死んで、天の父なる神の息子・娘に生まれ変わったからです!

オタマジャクシは努力・頑張りでカエルになるのではありません!
うちに働くいのちの力があのオタマジャクシをカエルに変えるのです。
同じように、皆さんの努力や頑張りではなく、皆さんのうちに働くイエスの復活のいのちの力が、聖霊の力が皆さんを天の父なる神に似た者に造りかえ、成長させるのです。

だから皆さん、安心して下さい!そして期待して下さい。
皆さんを愛の人に変えるのは、神の働きですから、神を信頼し、神にゆだねましょう。

【私たちのすること】

何度も言いますが、このルカ6章をクリスチャンの戒律、新しい律法として読むのは止めて下さい。戒めは私たちの古い性質、生まれながらの罪人の性質をよみがえらせてしまいます。努力して、頑張って戒めを守ろうとするのです。さっきも言ったように、偽善者になるだけです。また古い性質で生きるので、ゾンビ・クリスチャンと私は呼びます。

良いクリスチャンになるための努力・頑張りを捨てて下さい!

努力や頑張りは神を信じること、神にゆだねることを止めさせます。
努力や頑張りで正しい人になったと思い込んでいたパリサイ人・律法学者はイエスさまを受け入れることが出来なかったのです。

クリスチャンも同じです!一方的な恵によって神の子供になったのに、努力・頑張りに頼ると神からの成長する力を拒絶することになります。ゾンビ・クリスチャンです。

良いですか、赤ん坊が自分の飲むミルクを自分で稼ぐことはしないでしょう。
母親のミルクよりも、自分で選んだミルクを飲む赤ん坊はいませんよね。
親を信頼して、待つだけです!必要がある時は信頼して泣くだけです。それで良いのです。
子どもの成長に必要なものは親に責任があるのです!
そして天の父は完全な父なのですから。イエスは天の父を完全に信頼していました。
だからイエスもともと神ですが、天の父と同じく愛に満ち満ちた方なのです。

頑張り・努力は日本では美徳ですが、信仰の世界では父の愛を拒絶することになります。
日本でイエスの福音が広まらないのは、恵ではなく頑張り・努力で信仰生活を送る人が多いからなのではないでしょうか?

イエスを信じ、天の父に信頼して委ねましょう!
イエスの大きな赦し、ありのままで赦し、受け入れて下さる神の愛にゆだねましょう。

ただ私たちは、神の無条件の赦しと愛をいつも覚えましょう。
私たちは生まれた時からの罪人です。神はそれをご存じです。だから私たちが弱さの故に罪を犯しても責められません。イエスによって神の子供となり、性質が変わらなければ救いがないことをご存じだからです。天の父は私たちが成長するのに必要なのは、懲らしめや裁くことではなく、愛すること、赦すこと、その存在をありのまま受け入れることだと分かっているのです。愛された者が愛を知り、愛を行うことが出来ます。
赦された者が赦しを知り、人を赦せる者になるのです。