「互いに愛し合うために大切なこと・教会内イジメ防止ルール」
聖書箇所:第一コリント13章1節から13節
牧師 小林智彦

【互いに愛し合いなさい】

「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。もしあなたがたの互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。」ヨハネ福音書13章34.35節

聖書の中で最も大切な戒めは、「互いに愛し合う」ことです。
愛こそ教会の中で最も大切なことです。なぜなら神は愛だからです。
教会はキリストの体、神の体です。教会は神の愛によって結ばれた者たちの共同体です。

イエス様は「互いに愛し合う」ことを戒めとして与えられましたが、ただ「愛し合え!」と新しい戒めを押しつけたのではありません。
「互いに愛し合いなさい」の前に、最も大切な言葉が加えられています。
それは「わたしがあなたがたを愛したように、そのように」です。

まず、イエス様は弟子たちに愛を示されました。弟子たちを愛しました!
弟子たちはイエス様の愛を知っていたのです。だから弟子たちは人を愛せたのです。

愛は愛されて初めて分かるのです!愛は理想や空想ではなく、実体験です。
そして互いの関係の中に生まれるものです。

愛されたことがない人は、どんなに愛が大切だと分かっていても、人を愛せません。
受けたことがないものを、他の人に分かち合うことは出来ないのです。
愛されたことがないのに、頑張って人を愛しても、自己愛の延長にしかなりません。
自分を愛するために、人を愛することにしかならないのです。
それは必ず見返りを求める愛です。自分が愛されたいから、他人を愛する愛なのです。
条件を付けている愛、見返りを求める愛、思い通りに行かないと憎しみに変わる愛です。

だから!本当の愛を知るには、愛そのものであるイエスに愛されることです!
まず神の愛を受け、体験することです。そして受けた愛を同じように分かち合うことです。
そのとき、私たちは本当の愛を知り、互いに愛し合い、愛で満たされるのです!

それではキリストはどのように私たちを愛して下さっているのかを聖書から見ましょう!

【わたしがあなた方を愛したように】

13:4 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。
   愛は自慢せず、高慢になりません。
13:5 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、
13:6 不正を喜ばずに真理を喜びます。
13:7 すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。
13:8 愛は決して絶えることがありません。:第一コリント13章4から8節

この愛をもって、イエス・キリストは私たちを愛して下さっています。
次にこの中から大切な愛の要素を幾つか分かち合いたいと思います。

【愛は寛容です】

「愛は寛容であり」の「寛容」は新約聖書のほとんどの箇所では「忍耐強い」、「待つ」、「猶予する」と訳されています。つまり、「神はあなたのために待ち続ける」、「愛は相手を待っあげる」とも訳せると思います。 
愛は待つことです!相手を忍耐強く待つことです!

イエス様はルカによる福音書15章で有名な放蕩息子のたとえ話を語られました。
父は財産を酒や女につぎ込んで放蕩している息子が帰ってくるのを忍耐して待ちました。息子が自分の罪に気付き帰ってきた時、喜んで息子を迎え、受け入れてくれたのです!

天の父なる神は、私たちが道を踏み外し、罪を楽しみ罪に溺れていた時も裁かないで、諦めないで、忍耐強く帰ってくるのを待ってくれたのです。あなたを待ってくれたのです!私たちが自分の罪に気付き、救いを求めて神を求める時、天の父は天で宴会を開き、私たちが帰ってくることを喜んで迎えて下さる方なのです。

私たちが神から受けた寛容な愛、、それは相手が自分のあやまちに気付くことを忍耐して待つ愛です。押しつけたり、強制したり、裁いたりしないで、相手を待って上げる愛です。

なかなか私たちは待てませんね。 時々買い物に行くと、小さい子どもを叱っているお母さん、お父さんの声が聞こえてきます。「ぐずぐずしないの!置いていくよ!早く!」
お父さん、お母さんも小さい子どもを抱えて大変なのが良く分かります。
でも、子どもは自分のことを待って欲しいんだよね。待ってくれる時、安心を覚えるから。

天のお父さんは、皆さん一人ひとりを愛し、待ち続けています!
この寛容な愛を持って、天の父なる神様は皆さんを愛しています。
イエス様も弟子たちを、この寛容な愛を持って愛し、赦し、受け入れました。

まず!赦されていることを覚えて下さい。神の寛容な愛を覚えて下さい。
罪に負けてしまう自分の弱さを責め立てているのは神ではないことを知ってください。

【愛は親切です】

「愛は親切です」。親切と言う言葉は、「慈悲深い」と訳せる言葉です。
神は「慈悲深い」かたです。 ある時ペテロがイエス様に質問しました。(マタイ18:21)

「主よ。兄弟が私に対して罪を犯したばあい、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。」イエスは言われた。「七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言います。」:マタイ18章21.22節
神は私たちを赦す神です。7を70倍まで赦されたのは神です。
イエス・キリストは自分を十字架に釘付けしているローマ兵の赦しを求めて祈りました。
私たちは驚くほど赦されています!  

しかし、神の赦しを実感している人は驚くほど少ないのは何故でしょうか?
また人を赦すことに多くのクリスチャンが困難を覚えるのは何故でしょうか?
私たちの中で神の赦しを拒絶している部分があります。
自分は赦されるに値しない人間であると頑なに信じている堅い心があります。

神の赦しを拒絶している堅い心が、過去の辛い思い出に根ざしているのだったら、神の赦しを受けるために、信頼出来る人に過去を分かち合って下さい。
そして「自分は赦されない!」思いこみを砕いてもらう祈りをして下さい。

神からの赦しを先ず受けなければ、人を赦すことは出来ません!

神の赦しを拒絶する堅い心には、罪を責めたてる声しか聞こえなくなります。
神は罪を責めません!過去の罪を責めるのは神ではなく告発者(サタンの意味)です。
神に心を開き、赦しを受け取りましょう!

【互いに愛し合いなさい】

私たちは神に無条件で愛され、赦され、受け入れられています!
これを恵みと言います。神は私たちが恵みの中で成長することを願っておられます。
神は寛容なお方ですから、私たちを急かせません。じっと待ってくださり、一歩いっぽの成長を待ってくださる神です。

私たちはこの神の愛を互いに行うことを戒めとして受けました。
まず体験することが、与えるために必要なのです。

だから、まず第一に私たちがすべきことがあります。
神の愛を正しく知ることです!神はあなたを裁きません。

それなのに何故私たちは、神に裁かれると思うのでしょうか?神を恐れるのでしょうか?
完璧ではない自分に苛立ち、自分を裁くのでしょうか?

心の中で裁く声は、神の声ではありません!
そして同じ声が教会のメンバーを批判しているのです。裁くことを許してはいけません!
その声が神からのものではないことに気付いてください。

私たちは神の恵みを知ることで、互いに裁き会うことを放棄しましょう!

【互いに愛し合うための実際的なルール】

日本の文化が教会を破壊することを何度かメッセージの中で語ってきました。
儒教思想から来る上下関係が、神の国の価値観と反すること等話しましたね。
上下関係は必ず弱いものいじめを産み出します!日本をダメにするのは「いじめ」です!
教会を破壊するのも「いじめ」です! 教会の中にも簡単に「いじめ」は起こります。

宗教的な人や聖書を知識が豊富な人が、そうでない人を簡単にいじめます。
パリサイ人・律法学者はイエス様をいじめました。

互いに愛し合うために、私たちは「いじめ」の問題に真剣に取り組まなくてはいけません。
それが互いに愛し合うために大切なこと、いじめのない安全な環境作りです!

そこで、教会内いじめ防止ルールを分かち合い、今日から実施したいと思います。
これはジョシーの牧会しているICBCのルールをそのままの適用です。
これは聖書に基づいたルールです。(:マタイ18:15-20を参照)
服部雄一氏が作成したものです。

その1:不満を本人に直接言うこと。
その2:不満は一対一で話し合うこと/仲間を連れて行かない/個人的に対立すること。その3:誰かが他人の不満を言う場合、「不満があるなら本人に直接言った方がいい」とアドバイスすること/同調してはいけない。
その4:自分がいじめを受けたり、他のイジメを目撃したら、教会のリーダーに報告す ること。
その5:教会のリーダーはメンバーの安全に責任を持つこと。
    コミユニティによるイジメを防止する。 

皆さん、イエス様は弟子たちに教えた祈りの中で、天の父なる神が崇められることと、その次に神の御国が来ることを祈り求めなさいと教えられました。
エクレシアの中から裁き合うことと、いじめが無くなったら、御国の喜びを体験出来ます。裁き合わない(自分も隣人も)、そしていじめがないコミュニティー、それを日本中探しても何処にもないんです。自分が育った家にだって無かったでしょう?
「礼儀に反することをしない」とあるように、○○しない!ことも愛することなのです。裁かない、強制しない、いじめない!これは大切なイエスの愛の実践です!