「友よ。あなたの罪は赦されました。」
聖書箇所:ルカによる福音書5章17節から26節
牧師 小林智彦

【彼らの信仰を見て】

「彼らの信仰を見て、イエスは・・・」(20節)

イエス様は彼らの信仰を見られたとあります。イエス様はこの中風の人を運んできて、屋根の瓦をはがした人たちの何を信仰としてご覧になったのでしょうか?

中風というのは脳の出血などによって、体が麻痺して動けない状態です。
今でも中風になると大変です。本人も体の自由が奪われとても苦しみます。
また家族も身の回りの世話をする必要が出て来るので、家族も大変になります。
今の日本には完全看護の病院もあれば、ヘルパーさんを頼むことも出来るでしょう。
しかし2千年前のイスラエルには病院もなければ、リハビリ施設、医療保険もありません。中風になった人は、その本人も家族も含めて、絶望に打ちひしがれたのではないかと思います。自分たちでは、どうしようもない問題を抱えてしまった。

しかし、この人たちには希望がありました!イエス様のもとに行けば解決がある。
イエス様のもとに行けば癒しがある。イエス様のもとに行けば何とかなる!

彼らは中風の人を床のままで運んできました。屋上に上り、屋根の瓦をはがしてイエス様の前に中風の人をつり降ろしたのです。イエスのもとに解決があると期待して!
これをイエス様は信仰であると認めて下さったのです。

私たちは何か良いことをしたから救われるのではありません。
何か出来るから、能力があるから救われるのでも、神の子にされるのでもありません。
ただ、イエスを信じる信仰によって救われ、神の子供になるのです。

信仰です!そして、その信仰とは自分には自分で解決出来ない問題があることを認めて、イエス様のもとに来ることなのです。これが信仰なのです。

罪はどのようにして私たちの中に入ってきたのでしょうか?
私たちの先祖アダムが、悪魔から神のようになれると、そそのかされて善悪の知識の木の実を食べたことが始まりです。アダムとエバは神のようになれば、もはや神を必要としなくなることを知っていたのでしょう。そしてその実を盗んで食べたのです。
彼はこの罪を犯した後も、神を求めませんでした。神から隠れました。
自分には問題がない!自分は大丈夫です!
深刻な問題を抱えつつも見ないようにする。心の深いところを隠して大丈夫な振りをする。神にも人にも、自分の問題を隠す。自分の本当の姿を隠す。これが罪です。

信仰はこれとは全く反対のことです。
自分には解決出来ない問題がある!それを認めて神のもとに来ることです。
「自分にはどうしようもない問題がある、イエス様助けて下さい!」
神はご自分を求めてくる者を愛し、受け入れて下さり、信仰を認めて下さるのです。

今日、神を求めて来られた一人ひとりを神さまはご覧になっています。
ホーム・ページを通してメッセージを呼んで下さっている人も、神はその信仰を認めて下さっています。
神は「良く来たね!あなたと会えて嬉しいよ。」と一人ひとりに呼びかけておられます。

神は私たちが祈るときも耳を傾けて聞いて下さり、賛美するときも、神を求めて聖書を開くときも、いつも私たちを見て下さり、受け入れて下さるのです。
神は天におられる私たちの父ですから、いつでも私たちの心が父に向くことを喜んでおられます。放蕩息子が家に帰ってきたとき、走って迎え入れたようにです。

私たちは問題を抱えて隠すのではなく、そのままの状態でイエスのもとに行きましょう!
イエスには解決があります。

【友よ。あなたの罪は赦されました。】

「彼らの信仰を見てイエスは「友よ。あなたの罪は赦されました」と言われた」(20節)

イエス様は開口一番、「友よ。あなたの罪は赦されました。」と言われました。
中風の人も、その友人、家族も一番求めていたのは病気が癒されることでした。
「罪を赦して下さい」とお願いもしていないのに、イエス様は罪の赦しを宣言しました。

イエス様はなぜ一番始めに「友よ。あなたの罪は赦されました」と言われたのでしょうか。

罪の赦しこそ、全ての人が求めている一番深い欲求だからです。
全ての人は神に赦される必要があるのです!

聖書では死も、病も、苦しみも、全て私たちの問題の原因は神から私たちが離れてしまったことにあります。神からの分離が死をもたらし、病も苦しみもそこから始まりました。

神に立ち返り、神と再び関係を築き直すとき、私たちに神の命が流れ込み、癒しと平安が心に訪れるのです。

しかし、罪の赦しを宣言出来る方はイエス・キリスト以外にはおられません!
「人の子が地上で罪を赦す権威を持っている・・・(24節)」とあるように、天の父は人に赦しを与える権威を御子イエスにのみ与えられたのです。
イエスは私たちの罪の代価をご自身のきよい血潮で支払われ、私たちの罪の罰である死を私たちに代わって受けて下さいました。イエスだけが完全に私たちの罪を赦せるのです。
イエスを信じる者、イエスのもとに来るものは誰でもこの完全な罪の赦しを受けることが出来るのです!

罪の赦しこそ、神との関係の基礎です!
皆さんの全ての罪はイエス・キリストの十字架の死と復活により完全に赦されています!このことを心に受け入れて下さい。それが救いの始まりです。

この完全な赦しの基礎の上に、私たちはこれからの豊かな信仰生活を築いて行くのです。

「友よ。あなたの罪は赦されました」 これはイエス様からあなたへの語りかけです!

【信仰の友を持つ大切さ】

今日の箇所から学べる信仰生活における大切なことは、信仰の友を持つことです。
中風の人は友達、もしくは家族に助けられてイエス様のもとに来ることが出来ました。
私たちも長い信仰生活を歩む上で、信仰の友、神の家族が必要です。

私たちはあと何年、この地上で信仰生活を送れるかは分かりません。
長い信仰生活の中では、時に肉体的に困難時も、精神的に困難な時もあるかもしれません。
そのようなときに、支え合い、助け合う信仰の友、神の家族が必要です。

信仰の友、神の家族を主に求めましょう!

しかし皆さん、頑張って友達作りに励まなくても大丈夫ですよ。
努力して、気を遣って、やっと友達関係が維持できるようなら、それは表面的な関係にしか過ぎません。パフォーマンスで友人を作ってはならないと思います。

本当の信仰の友、神の家族は私たちがありのままの時に生まれます。
私たちが弱いとき、困っているとき、ありのまま分かち合うことです。

「友はどんなときにも愛するものだ。兄弟は苦しみを分け合うために生まれる。」
箴言17章17節

弱さを見せても裁かれない、苦しいときに自然に助け合える、それらを通して信仰の友、神の家族は生まれます。


信仰の友達関係を維持する上で大切なことがあります。
信仰の友の間では、裁かない、教えない、支配しない、秘密厳守のルールを守ることです。そしてNOが尊重されることが大切です。
一緒にいて緊張しない、思ったことを言い合える雰囲気が築けたら最高です。
良いクリスチャンの振りをしていないと、裁かれるような関係は築かないで下さい。

そして仲間が困っているときは助けましょう!
困っているときは助けを求めて下さい。どのように助けて欲しいのかも言ってください。
自分の弱さ、自分の問題を分かち合いましょう。