「主にかなった歩みの実践!(前半)」
書箇所:コロサイ人への手紙3章1節から4章6節
牧師 小林智彦

「また、主にかなった歩みをして、あらゆる点で主に喜ばれ、あらゆる善行のうちに実を結び、神を知る知識を増し加えられますように。」:コロサイ1章10節

今回はパウロが祈り求めている「主にかなった歩み」を私たちの生活のなかで、どのように適用していくかを学んでいきましょう。

私たちは「あらゆる点で主に喜ばれ、あらゆる善行のうちに実を結(ぶ)主にかなった歩み」を心から祈り求めていきましょう!
なぜなら私たちは日本の文化的な弱さとして、人の顔色を伺ってしまうからです。
「神に喜ばれるか?神の前に正しいか?」を考える前に「回りの人はどう思うか?こんな事を言ったらどう思われるか?」を中心に考えてしまうからです。

これがイエス様の福音を日本の中で押しとどめています!

なぜなら聖書の価値観はこの世の価値観とは違うからです。
しかし私たちが人からどう思われるか?を第一にする時、聖書の価値観、すなわち真理に生きることが出来ません!そうなるとクリスチャンの魅力は無いに等しいです。
消極的な生き方を送る変わり者ぐらいにしか日本では認められなくなります。
それは「神の国と神の義」を第一に求める生き方とは根本的にズレています。

イエスの生き方は魅力的でした!そして世を変え、いつまでも残る愛の実を結びました。イエスがいつも天の父に喜ばれ、受け入れられる歩みをしていたからです。
人の顔色を伺うようなことはしませんでした。そして私たちはイエスの弟子なのです!

神よりも人に受け入れられること、神よりも人から誉められること、神よりも人に喜ばれたいと願う生き方、これがパウロの言う古い人の性質です。
私たちは誰もがこの性質を持っています。
しかし私たちはイエス・キリストの十字架の死と復活を信じる信仰によって、この古い性質に死んで、人よりも神を喜ばせ、人よりも神に受け入れられることを願い、行う、新しい人にキリストとともによみがえったのです。これが私たちの信仰です。

私たちは「人の顔色を伺う」、「人の意見に振り回される」、「人の拒絶を恐れる」この古い性質に既にイエスによって解放されているのですから、神を喜ばせ、実を結ぶ、主にかなった歩みに生きましょう。そこには自由があります!喜びがあります!

【主にかなった歩みの実践】

パウロは四つの面において「主にかなった歩み」とは何かを教えています。

①個人の信仰生活において:コロサイ3章1から11節

「こういうわけで、もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこにはキリストが、神の右に座を占めておられます。(1節)あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。(2節)あなたがたはすでに死んでおり、あなたがたのいのちは、キリストとともに、神のうちに隠されてあるからです。(3節)私たちのいのちであるキリストが現われると、そのときあなたがたも、キリストとともに、栄光のうちに現われます。(4節)」

1.2節に繰り返し同じ事が強調されています。
「上にあるものを求めなさい(1節)」、「天にあるものを思いなさい(2節)」。

個人の生活において「主にかなった歩み」は天にあるもの、上にあるものを求めるところから始まります。「上にあるもの」、「天にあるもの」とは一体なんでしょうか?
私たちの主イエス・キリストのことです!

個人の生活において「主にかなった歩み」はイエスを強烈に求めるところから始まります。イエスです!イエスを求めるのです!イエスを知ること、イエスの生き方、考え方、イエスの語られた言葉を味わい、黙想し、自分もイエスと同じように歩むことです。
アイドル歌手に夢中になるファン以上に、私たちはイエスに夢中になることです!

私たちの霊・魂は一つの器です。この器は絶えず何かで満ちているのです。
私たちは自分の内にある霊・魂をイエスで満たすのか?この世のもので満たすのか?
これが私たちの個人の信仰生活における課題であり、戦いなのです!
イエスで満たしましょう!私たちの霊・魂をイエスで満たしましょう!

なぜならこう書いてあるからです。
「キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。」2章9節

私たちの心がキリストで満ちる時、私たちの心の中には神の愛と正義が満ちます!
神のの平和と自由が心に満ちます。そして私たちを通して神の栄光が現されます。
イエスに夢中になりましょう!イエスに惚れ込むことです!
それが主にかなった、主に喜ばれ、あらゆる点で実を結ぶ歩みの始まりです。

②教会生活(信仰者の関係)において:3章12節から17節

「それゆえ、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。(12節)」

これがクリスチャンの関係、教会(信仰者の集まり)における「主にかなった歩み」です。
まずパウロが私たちをキリストにあってどのような者だと言っているか注目しましょう。

○神に選ばれた者です!
○聖なる者です!
○神に愛されている者です!

これがキリストにある私たちです。隣の人に「あなたは神に選ばれた、聖なる、愛されている者です!」と言ってあげて下さい。神はこのように私たちを見て下さっています。

私たちは神に選ばれた者、聖なる者、神に愛されている者、だからその立場に相応しく生きよう!これがパウロが教えていることです。
「良いことをして神に選ばれよう、愛されよう!」ではないのです。
既に神に選ばれ、愛され、聖なる者とされたのだから、それに相応しく生きようなのです。

だから教会における「主にかなった歩み」は疲れません。無理しません。比較しません。
なぜなら減点法ではなく、加点法だからです。

減点法は100点を取るのがゴールです。ですからいつも間違いに目が行きます。
しかしクリスチャンの歩みは既にキリストによって100点です。
既に選ばれ、聖なる者、神に愛されている者だからです。

だから少しでもキリストに相応しい行いが身に付くならそれが主に喜ばれます。
既に主によってOKと認められているのですから、無理をしません。
また皆が主によってOKと受け入れられているのですから比較しません。

イエスを信じる者は自分たちが既に!選ばれ、聖なる者とされ、愛されていることを忘れてはなりません。これを忘れるといつも自分の欠点や人の欠点にばかり目が行きます。
比較すること、無理して演技すること、喜びのない信仰生活になります。

キリストにある自分の姿を常に覚え、既に受け入れられていることを感謝しましょう。

「互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。」13.14節

教会内での主にかなった歩み、それは「キリストから受けた愛を行う」そして「キリストに赦されたように互いに赦し合う」ことです。

キリストの愛と赦しが充ち満ちている場所、それがキリストの体である教会です。
この秘訣はまずキリストに満たされること、キリストから充分に受けることです。

私たちは受けたものを分かち合うために一緒に集まるのです。これが教会の姿です。
受けたものを分かち合うなら疲れませんね。それに自慢する人もいないはずです。
ただ天の父と御子イエス、そして聖霊様だけが褒め讃えられるのです。

キリストの愛をまず受けましょう!どれほど私たちを愛しておられるか知りましょう。
キリストの赦しを受けましょう。全ての罪が赦されていることを覚えましょう。
自分が愛されていることを知るなら、私たちは人を愛せます。
自分が赦されていることを知るなら、私たちは人を赦せます。

そしてさらに私たちが目指す教会の姿が描かれています。

「(15)キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。(16) キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互
いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。(17)あなたがたのすることは、ことばによると行ないによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、主によって父なる神に感謝しなさい。」15から17節

キリストの平和に支配された教会!それは怖い人、威張っている人がいない教会。
規則や伝統に縛られない教会。人の目を気にしない教会。皆がキリストにある平和に支配され、互いの違い、互いの意見を尊重する教会!それがキリストの平和に支配された姿です。キリストの平和に支配されましょう。それ以外のものに支配されてはいけません。
教会からキリストの平和を奪っているものは何でしょうか?
それを取り除くことです! 私たちの教会には上下関係はないでしょうか?
私たちの教会に何か強制はないでしょうか?NO!と言える自由は守られていますか?
神の言葉よりも伝統や人間の考えが尊重されてはいないでしょうか?

キリストの平和を壊す人間の支配すべてを私たちの教会の中から取り除きましょう!

そして、感謝に溢れた神への礼拝を捧げましょう。
感謝に溢れた人、それは心がキリストの言葉によって満たされた人の特徴です。

キリストの言葉が単なる知識ではなく、生きて働くようになること!これが鍵です。
互いに教え、互いに戒める教会こそ生きて働いている教会です。
生きて働いている教会には活き活きとした礼拝が流れ出していきます。
私たちはこの様な教会を目指しましょう。

以下については来週、分かち合います。

③家庭において:3章18節から21節
④教会外の人びと(主従関係:職場において)に対して
⑤教会外の全ての人びとに対して