「天にたくわえられてある望み」
聖書箇所:コロサイ:1章1節から8節
牧師 小林智彦

「私たちは、いつもあなたがたのために祈り、私たちの主イエス・キリストの父なる神に感謝しています。(3節)それは、キリスト・イエスに対するあなたがたの信仰と、すべての聖徒に対してあなたがたが抱いている愛のことを聞いたからです。(4節)」

「私たちに、御霊によるあなたがたの愛を知らせてくれました。(8節)」

パウロはコロサイにある教会の報告をエパフラスから聞いて神に感謝しています。
なぜならコロサイの教会がキリストの愛に満ちていたからです。
パウロはこの愛の源は「天にたくわえられてある望みに基づくもの」だと言っています。

「それらは、あなたがたのために天にたくわえられてある望みに基づくものです。あなたがたは、すでにこの望みのことを、福音の真理のことばの中で聞きました。(5節)」

私たちの愛の源、それは何処にあるのでしょうか?
私たちの頑張りや努力に無いことだけは確かです。自力で愛そうとしても限界があります。
愛に満ちあふれたキリストの生涯を自分も送ろうと努力しても、演じるだけに終わります。

愛の源、それはまず、愛である神ご自身であります。
この神にイエス・キリストを通してつながれる時、神の愛が豊かに私たちに注がれます。
イエス様はたとえで教えられました。

「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。」:ヨハネ15章5節

神は愛であり、神の愛は絶えることがありません!
私たちが神に結び合わされ、神の愛が私たちに満ちあふれる時、私たちは神と隣人を愛さざるを得なくなるのです。内面から他者への愛へ押し出されていくのです。
皆さん、自分には愛がないと言って自分を責めることを止めましょう!
自分をいくら責めても、また頑張って愛に生きようとしても無理なのです。
いさぎよく諦めましょう。そしてキリストにつながることを心から求めることです!
私たちがキリストにつながっているのなら、無意識に愛に生きられるようになるのです!
キリストにつながることです!キリストに自分をつなげることです!

私たちは何につながっているのでしょうか?私たちは何に自分をつなげているでしょう?

何に自分がつながっているか?何に自分をつなげているか? これは自分の選択です!
何につながっているのかは自分が決めているのです。自分の選択の結果です。

この世の価値観、この世の優先順位、快楽主義、自己中心主義、刹那主義、そのようなものに自分をつなげているのなら、結ぶ実は快楽依存症、自分勝手、わがまま、短気です。

しかしコロサイ教会のクリスチャン達はキリストの言葉を心から信じて、世の価値基準から自分を切り離し、キリストに自分をつなげました。そして愛の実を結んだのです!

そして、私たちをキリストに強力に接続する力は「天にたくわえられてある望み」です。
そして、その確信はキリストの語られた言葉です。

私たちを世の価値観に強力に接続する力は一体なんでしょうか?
その確信は何処から来るのでしょうか?

私たちをこの世の価値観に強力に接続する力はこの世の中に対する希望です。
ヨハネはこのように私たちを教えています。

「世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。もしだれでも世を愛しているなら、その人のうちに御父を愛する愛はありません。すべての世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。世と世の欲は滅び去ります。しかし、神のみこころを行なう者は、いつまでもながらえます。」:第一ヨハネ2章15から17節
分かり易く言うならば、「おなかいっぱい食べて、美味しい酒に酔いつぶれて、美男・美女に囲まれて暮らせるなら、イエス様なんか別に必要じゃないんだよね!自分が好きなことがやりたいだけ出来て、みんなが自分の言うことを聞いてくれる世界なら永遠に続いて欲しいね。別に天国なんてどうでも良いんだよ!」

この世とは一体なんでしょうか?それは神さま抜きの天国を地上に造り上げること。
そして、神さま抜きで天国を地上に造り上げられる!と確信するのがこの世の価値観です。

「お金があれば何でも出来る!」そのように豪語するのが世の価値観であり希望です。
そこまであからさまではなくても「頑張れば何でも出来る!」これも同じですね。

この世を永遠の神のいない天国にする!そのような希望によってこの世に強力に結ばれているのなら、ヨハネが言っているように結ぶ実は滅びです。
そこには高ぶり、ねたみ、貪欲、敵意、憎しみ、あらゆる悪の実が生じます。

私たちは神に結びついているでしょうか?神と永遠を過ごすことが私たちの希望でしょうか?福音の価値観に私たちは生きているでしょうか?
それを選択するのは私たちです! そして、その実はキリストの溢れる愛です。

【天にたくわえられてある望みに生きる人の価値観】

「天にたくわえられてある望み」に生きる人の人生はどのようなものになるでしょうか?
まずこの世が永遠ではなく、永遠を過ごすための準備期間であること知ります。
そして、この準備期間は永遠のための選択をする期間でもあるのです。
人間は霊的な存在です。それは神と同じように永遠を生きるものとして造られたのです。
私たちは永遠を神とともに過ごすか、神が居られない場所で過ごすかの選択をするのです。

この世の価値観ではなく、キリストの言葉を信じた私たちは神と永遠を過ごすための準備期間としてこの世にある時を過ごすようになります。

聖書ではこのことをユダヤ人の結婚にたとえて私たちに教えています。
当時のユダヤでは結婚式を挙げて直ぐに新郎と新婦は生活をともにしませんでした。
結婚してから約一年の間、新郎と新婦は共に生活をするための準備に入るのです。
新郎は花嫁と暮らすための生活基盤を確保し、花嫁と住む家を建てます。
花嫁は花嫁修業に入るのです。そして準備が出来てから新郎は花嫁を迎えに行くのです。

私たちはイエス・キリストを信じ受け入れ救われました。
バプテスマ・洗礼は神と人の前に正式にキリストの花嫁になったことを証しする時です。そして直ぐに天国での生活が始まるのではなく、新郎も新婦もそれぞれが準備の期間に入るのです。
新郎であるイエスは花嫁である私たちと永遠を過ごす場所を備えに天に昇られました。
私たちはキリストが場所を備えるまで、地上で花嫁修業をするのです。

キリスト永遠を過ごすに相応しく、私たちの思い、考え、目的を整えるのです。
聖霊なる神が、キリストと永遠を過ごすに相応しく私たちを整えて下さるのです。

ユダヤの花嫁は愛する人と一緒に暮らす日を夢見て、花嫁修業に喜んで取り組んだと思われます。私たちも愛する主イエスと永遠に暮らすその希望が、私たちをイエスに相応しい愛の人へと造りかえるのです!

これが私たちの「天にたくわえられてある望み」なのです!
キリストと永遠を天で過ごしたいと願うキリストの花嫁はこの希望によって、キリストに結びつけられていくのです。そしてキリストの愛が私たちを満たします。

私たちは聖霊の助けによって目を天に向けましょう!
聖霊の助けによって今がどのような時なのかを示してもらいましょう。
今は永遠を天でキリストともに過ごすための準備の期間です。
聖霊の助けによって「天にたくわえられてある望み」がどれほど素晴らしいものであるのかを教えてもらいましょう。それを私たちも熱望するように!
そして、ますますイエスを求める熱い思いを聖霊から受けましょう!

キリストへの愛、キリストへの希望、キリストと永遠をともに過ごしたい願いだけが、私たちをキリストに相応しい者へと変えるのです!