「永遠の愛をもって愛される神」
聖書箇所:エレミヤ書31章1節から6節
牧師 小林智彦

【神は回復の時を定めておられる】

「その時、――主の御告げ。――わたしはイスラエルのすべての部族の神となり、彼らはわたしの民となる。」(1節)

エレミヤは今から2600年も前に南ユダ王国で活躍した預言者です。
彼が主によって預言者として用いられる約100年前に北イスラエルは滅亡しました。
イスラエルはレハベアム王の時に北イスラエル王国と南ユダ王国に分裂しました。
国が分裂すること自体悲劇ですが、北イスラエル王国はアッシリア帝国に滅ぼされました。ただ戦争に負けただけではありませんでした。
北イスラエル王国に属していたイスラエルの10部族は祖国を追放され、捕虜としてアッシリヤ帝国の各地に移住させられたのです。
さらにアッシリヤは北イスラエルの部族を追い出したあとに、戦争で滅ぼした他国人を連れてきて住まわせました。北イスラエルに属していたユダヤ人達は帰る所を失ったのです。

人間的に考えるのなら、一つの国が滅びたのです。歴史から一つの民族が消えたのです。
アッシリヤが滅ぼした他の国々、他の民族のように歴史からその存在が消えたのです。

しかし、イスラエルを選ばれた神は言われます!

「その時、――主の御告げ。――わたしはイスラエルのすべての部族の神となり、彼らはわたしの民となる。」(1節)

その時!イスラエルの12の部族は再び集められ、一つの国となり、神の民となると驚くべき回復を神は約束されているのです!

「その時!」と神は回復を計画される神です。
人間的には終わりであり、滅亡であり、回復なんて考えられない状態でも、神は回復させることが出来るのです!世界地図を広げてみて下さい。そこにはイスラエルが存在します。
皮膚の色、髪の毛の色、目の色は様々ですが、ユダヤ人国家としてのイスラエルは存在しているのです。神は「その時!」と時を定め、それを実現される神です。

北イスラエルを滅ぼした当時世界帝国だったアッシリヤは今日存在するでしょうか?
バビロンはどうですか?これらの国々は滅び去り、その都は瓦礫の山です。

ユダヤ人が凄いのではありません。ユダヤ人を選び、ユダヤ人に約束を与え、その約束を忠実に守られる神が偉大なのです!
神がユダヤ人を選ばれたのは歴史的な国と民族を通して、生きて働かれ、ご自分が語られた言葉を必ず守る神が存在することを客観的な事実として人々に証明するためです。

そして大切なのは!この真実な神があなたを!御子イエスにあって神の子とするために選ばれたこと、御子イエスを通して神の子供として定めて下さったことなのです!
そしてイエス・キリストの復活のいのちをあなたに与え、あなたの人生にも回復を約束して下さっていることなのです!

「その時、――主の御告げ。――わたしはイスラエルのすべての部族の神となり、彼らはわたしの民となる。」(1節)

この約束を忠実に守られる神が、イエスにあってあなたの人生も回復されるのです!
この約束を信じる方は主にアーメン(主の言葉は真実ですという意味)と答えましょう。

【荒野での恵みの計画】

「主はこう仰せられる。『剣を免れて生き残った民は荒野で恵みを得た。イスラエルよ。出て行って休みを得よ。』」(2節)

アッシリヤに滅ぼされた北イスラエルの部族は捕虜となって外国に散らされました。
人々が困難を覚える荒れ地を開墾するための労働力として利用されたのです。

普通はこのように考えるでしょう。「自分の人生は終わった!」と。
しかし、主にあっては荒野は必ずしも終わりを意味しません、敗北を意味しないのです!
主なる神にあっては、荒野でも恵みがあるのです!

モーセは40歳までエジプトの王子としての英才教育と訓練を受けて育ちました。
しかし彼は自分の優れた能力と頑張りでイスラエルを解放しようとした時、失敗しました。
彼は捕まることを恐れシナイの荒野に逃げました。彼は荒野で40年間を過ごしました。
人間的には彼の人生は終わり以外は考えられません。しかし、神には計画が有ったのです。
荒野での40年の経験がモーセを神を知る偉大な指導者に育て上げたのです!

同じくイスラエルの民族もエジプトを出て荒野を通らなければなりませんでした。
イスラエル民族は荒野で40年を過ごさなくてはならなかったのです。
荒野での40年がイスラエルを清め、神を知る国に変えたのです。

「いま自分は人生の荒野を歩いている。敗北の人生、惨めな人生を歩いている。」
そのように感じている人はいませんか?
「神はなぜ自分をこのような惨めさの中に追いやるのか?」 
そのように感じている人はいませんか?

覚えて下さい、神にあっては荒野にも恵みがある!のです。

神が導かれる人生においては荒野にも意味があります。
シナイの荒野で40年を過ごしたイスラエルは、荒野で天から降るマナを食べました。
荒野には、荒野でしか食べられない天からのパン、恵みがあるのです。
荒野には荒野でしか学べない貴重な神の訓練があり、貴重な教訓と意味があるのです。
それは私たちを真に成長させる霊の糧です!

いま人生の荒野を歩いていると思われる方は、信仰をもって荒野に降る神の恵みを探して下さい。神の訓練される意味を見いだして下さい。
荒野は人生の終わりではなく、素晴らしい収穫の前に通らなくてはならないステップです。

【永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した】

「主は遠くから、私に現われた。『永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた。』」(3節)

「主は遠くから、私に現れた。」

天の父なる神は、私たちがどんなに神から離れていても、もしあなたが心を開いて神を求めるのなら直ぐに現れて下さいます。

神が私たちから遠いのではないのです!いつも私たちが神を遠ざけているのです。
自分の力、自分を誇っている間は、私たちは神からいつの間にか遠ざかっています。
自分の限界を知り、弱さ足りなさを認め、神を求めるのなら神は必ず現れて下さいます。

「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。」

「永遠の愛」とは、いつまでも変わらず、いつまでも無くならない愛です。
神はイスラエルを「永遠の愛」をもって愛されました。この世の歴史が続く限り、イスラエルは存在し続けることでしょう。なぜなら神が永遠の愛をもって愛したからです。

イエス様は「天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。(マタイ5章18節)」と言われました。
天地が滅びうせない限り、永遠に神のイスラエルへの愛は変わらないのです。

これが神の愛です!神はこの永遠の愛をもって、御子イエスを通して神の子になった私たち一人ひとりをも同じように愛しているのです。神の私たちへの愛も、永遠の愛です!
天地が滅び去っても、決して変わらない永遠の愛をもって私たちを愛しています。

パウロはイエス・キリストを通して現された神の愛についてこのように書いています。

「私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。(36節省略)しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」:ローマ8章35から39節

神が皆さんを愛しているが故に、皆さんを圧倒的な勝利者へと変えるのです。
自分が抱え込んでいる苦しさ、問題をいま天の父に委ねましょう。
自分の解決や方法をひとまず置いて、私たちを勝利者へと導かれる天の父が何と仰っているのか聞いてみましょう。