「信仰のもたらす平和と喜び」
ローマ人への手紙5章1~11節
小林 智彦

【人を活かすものは何か?】

「人の心は病苦をも忍ぶ。しかし、ひしがれた心にだれが耐えるだろうか。」:箴言18:14

本日はまず、この箴言の御言葉から学びたいと思います。
「人の心は病苦をも忍ぶ」。箴言とは、人生における教訓、知恵を書き記した書物です。
箴言の著者は聖霊様に導かれながら、忍耐について回想しています。
病は箴言が書かれた3千年前も、そして今も変わらず私達にとっては脅威です。
病は私達に苦痛と不安を与え、時には職を奪い、自由を奪い、命さえ奪います
しかし、箴言の著者は聖霊に満たされ、また深い人生への洞察から「心は病苦をも忍ぶ」力があると教えているのです。ここで言う心とは、心の深い部分、「霊」を指しています。
心、その根底の部分である「霊」が健全であるのなら肉体の病も耐えられると言うのです。

箴言の著者は「霊」の健全性、その大切さと価値について私達に教えています。
「霊」が健全なら、私達にとって最も脅威である病苦をも忍び、耐えることが出来る。
「しかし、ひしがれた心にだれが耐えるだろうか。」
「ひしがれた心」というのは、心のどの様な状態でしょうか?
英語聖書のTEV(Today's English Version)では「最後の希望まで失った心」。NKJV(New King James Version)では「壊れた魂」。日本語聖書の新共同訳では「沈みこんだ霊」。口語訳では「心の痛むとき」と訳されています。
「ひしがれた心」とは希望を失った心、罪悪感により責められている心と言えるでしょう。
箴言の著者は「霊」が希望を失い、また責めを感じて痛む時、平安を失った時、病苦が無くとも生きていく力がなくなる、人生に耐えられなくなると教えているのです。
聖霊様に満たされた箴言の著者による鋭い洞察です!健全な「霊」が人を活かすのです。

日本における社会的な問題の一つは自殺です。自殺に関する本、ビデオが売れている。
インターネットでは自殺に関するホームページが溢れ、一緒に死のうと呼びかけている。
若くて健康な青年の男女が集まって、練炭を車で炊いて集団自殺をしている!
まだ若いのに、健康なのに、教育も受けているのになぜ?なぜ彼らは死を選ぶのか?
彼らの「霊」がひしがれているからです!希望を失い、落ち込み、責められ、不安なのです!

世の中には病院が溢れ、健康を維持するためのあらゆるものが売られている。
娯楽、レジャー、ありとあらゆる快楽が溢れている。車に、ファッション、あらゆる見栄を満足させるものは満ちあふれている!しかし「霊」を満たすものは何もない!
カルト宗教、異端宗教は溢れている、しかし、それは更に「霊」を蝕(むしば)むものに過ぎません

【霊を満たすものは何か?】

私達の「霊」を満たすものは何でしょうか?希望を失い、健全さを失った心、霊を再び希望に満たし、力づけるにはどうすれば良いのでしょうか?
壊れた時計は、それを作ったメーカーに持ち込むのがベストな解決ですね。
壊れたラジオやテレビもそれを作ったメーカーに持ち込めば、直すことが出来ます。
壊れた心は何処に持ち込めば治せるのでしょうか?
私達の霊を、心を、体も全てを造られた創造主なる神のもとに行くべきです!
私達の霊も含めて、全てを造られた創造主なら私達の霊を再び活かすことが出来ます!

「ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。」:ローマ人への手紙5章1節

私達の霊を再び活かすのにまず必要なことはイエス・キリストへの信仰です!
イエス・キリストを信じる信仰だけが、私達を神と和解させるのです。
義と認められるとは、犯した罪を責められることなく神の前に出られることです。

なぜならキリストが私達の罪を十字架の上で背負い、罰を代わって受けられたからです
私達はキリストの十字架の身代わりの死によってのみ、神と和解することが出来るのです。
パウロはこの5章1節で信仰によってキリストの義を受けた者は神との平和を持っていると言っています。
霊が壊れたら霊を造られた神の御前に、イエス・キリストを通して出られるのです!
私達を造られた創造主なる神との交わりがキリストを通して再会されるのです。
その時、神との「平和」を持つのです。「平和」とは平安、もしくはヘブル語のシャロームに置き換えられる言葉です。シャロームとはあらゆるものが満たされた状態です。
創造主なる神との交わりは、霊に平安を与え、あらゆる良きもので満たして下さるのです。

「またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。」:ローマ人への手紙5章2節

またキリストへの信仰は私達を恵みに置きます。恵みとは神は無条件に私達を愛して下さるということです。神の愛が無条件であることを知る時、心に喜びが生まれるのです。

皆さんに知っていただきたいこと、それはクリスチャンを動かす原動力は神との交わりから来る心の満たしであり、喜びなのです!クリスチャンを動かすものは平安と喜びです!
神との和解がもたらす平安と喜びはどれほど力強いでしょうか?
それは実に「患難さえも喜(ぶ)」喜びなのです!

「そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、
忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。」:
ローマ人への手紙5章3・4節

この聖書の言葉はとても美しいですね!希望と感動を与えます。
この言葉の通り生きるクリスチャンは、多くの人々に感動を与え、神の栄光を現します。
練られた品性、それは決して努力や頑張りといった人間的な力では生まれません
努力や頑張りは大切ですが、長く続かないものです。
クリスチャンのこの世での働きは時に長く、辛いものです。頑張りだけでは燃え尽きます。
練られた品性、苦悩と矛盾に満ちた人生さえ意味を見出し、喜ぶことが出来る品性は神との交わりから来る平安と喜びだけが造り上げるのです。
そして神から与えられた希望の炎を燃やし続けるのは、聖霊様が注ぐキリストの愛です!

「この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」:ローマ人への手紙5章5節

「ひしがれた心」、落胆し、沈み込んだ霊を再び活かし、希望に満たすのは神の愛です!
キリストを信じる信仰による神との交わりです。そこから平安と喜びが湧き上がるのです。

【日々の個人礼拝の大切さ】

皆さん、クリスチャンライフは平安と喜び、希望に満ちたものです!
これらは全て私達を造られた神さまから流れ出て、私達の心に溢れ出すのです。
神と生ける交わりを絶えず持たなくてはなりません!神を離れては何も出来ないのです。
どんなに素晴らしいスポーツカーもガソリンが切れたら、動かなくなります。

始めは喜びに満ちたクリスチャン・ライフが段々と喜びが失われ重荷になってませんか?
ガソリンが切れた車を、頑張りと自力で押して動かしているようなものです。
ガソリンを絶えず補充するために、忙しくてもスタンドには寄らなくてはなりません。
クリスチャンの個人礼拝も全く同じなのです。

世との戦い、また苦難を通して練られる品性、自分の力でなんかとても出来ません!
神さまから毎日、力を戴かなくては出来ないのです。

毎朝、是非一日を始める前に神さまとの時間を持って下さい。朝難しい人は夜でも、電車の中でもシャワーを浴 びている時でも良いです。
神さまと交わる時、神さまから愛と赦し、希望の約束を受ける時を持ち続けて下さい。
ディボーションは決して聖書勉強ではないのです。喜びと平安を受ける時です。
ディボーションの時が祝福されたものとなるように、聖霊様から導きを受けて下さい。
またクリスチャンの兄弟姉妹から、どのように個人礼拝を持っているか聞いてみて下さ い。

どのように個人礼拝を持つのか?どのように聖書箇所を読むのかが分からない人、ローマ人への手紙5章6節~11節、この箇所をしばらく読み返すことをお勧めします。
ここには神の恵み、神の愛、和解と喜びが豊かに現されている箇所です
まだ聖書をあまり読み慣れていない方は、神の愛がハッキリと書かれているところを何度も何度も、聖霊の語りかけが聞こえるまで読み続けることです。
聖書をどのように読むべきなのかを体験することが出来るようになります。