「ダビデの戦いから学ぶ(2)」
歴代誌第一14章9節~17節
小林 智彦

【ダビデの戦いから学ぶ、信仰における勝利】

今週もダビデの戦いから、私達の信仰生活における勝利の秘訣を学びましょう。
先週も話しましたが、今は恵みの時代です。神は全ての人が救われることを願っています。
戦争で滅すべき国や民族はありません。神は全ての人が救われることを願っています。
今の時代においては決して聖書から、戦争が肯定されてはならないのです!
確かにテロや破壊的な活動をする集団に対して武力を用いることは避けられない。
しかし、武力をもって問題を解決しようとする戦闘行為は決して聖書から肯定出来ません。
私達は憎しみ、敵意を十字架に釘付けにしたのです!
私達クリスチャンは平和と和解の使者として召されているのであって、肉の戦いのためではありません。

ダビデの戦いからは決して肉的な戦いを学ぶのではなく、信仰における教訓を学ぶのです。
私達は肉の戦いを全て放棄しましたが、信仰の戦い、霊の戦いには召されているのです。
先週はダビデの戦いから霊の戦い、即ち世の価値観と神の国の価値観の戦いを学びました。
今週はダビデの戦いから、信仰生活における勝利の秘訣を学びたいと思います。

【神に聞き従うダビデの信仰】

「そこで、ダビデは神に伺って言った。『ペリシテ人を攻めに上るべきでしょうか。彼らを私の手に渡してくださるでしょうか。』すると主は彼に仰せられた。『上れ。わたしは彼らをあなたの手に渡す。』」:第一歴代誌14章10節

ペリシテ人、その当時ダビデの最大の敵であったペリシテ人が攻めてきた時、ダビデがまず始めにしたこと、それは神に伺うこと。神の御心を求めて祈ることでした。
ダビデの勝利の秘訣は、神に聞き従う、神の御心を求めて祈るところにありました!

このことから私達がまず第一に知らなければならないことは、私達の信じる神はお尋ねすれば、必ず答えて下さる神であるということです。尋ねればと言うよりも、主なる神は積極的に尋ね求めよ!わたしに聞け!と命じる方です。

旧・新約聖書を通して一番大切な戒めは先週も学びましたが申命記6章4・5節です。
「聞きなさい。イスラエル。主は私たちの神。主はただひとりである。心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」:申命記6章4・5節

中心的な命令は神を愛することです。しかし、その前提に神に聞くことがあるのです。
神に聞くことが信仰の基礎であり、土台なのです!
私達の神は私達に積極的に語りかけられる神であり、この神に聞くことが信仰なのです。
パウロも言っています。
「信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。」:ローマ人への手紙10章17節

神は私達が神の言葉を求めること、神に聞き従うことを求めておられます。
そして、神に聞き従う時、ダビデのように信仰の戦いにおいて勝利するのです!

「耳を傾け、わたしのところに出て来い。聞け。そうすれば、あなたがたは生きる。わたしはあなたがたととこしえの契約、ダビデへの変わらない愛の契約を結ぶ。」:イザヤ書55章3節

神は私達が御心を尋ね求めることを願っています。聞くことを命じています。
なぜなら神に聞き従う者はダビデのように信仰における勝利を得るからです!

【どのように神に聞き従うのか?】

神さまは私達に積極的に語りかけておられます。ではどのように神の声を聞くことが出来るのでしょうか?神は肉声をもって私達に語りかけられるのでしょうか?
神が時に肉声をもって、耳に直接語りかけられることを否定はしません。
しかし、もっと大切で重要な方法を私達は学ばなくてはなりません
これらの重要な神の語りかけよりも、特別な体験を重視するならば私達は信仰から迷い出てしまいます。ですから神が語りかけられる方法、手段を知ることはとても大切です。

神が私達に語りかけられる方法

(1)神の言葉である聖書を通して

「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。
 それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。」
:テモテへの手紙第二3章16・17 節

聖書は聖霊様に導かれて書かれた神の言葉です。私達の信仰の土台になるものです。
私達は聖書を通して、誤り無い神の言葉を聞くことが出来るのです。
しかし、その読み方がとても重要です。自分勝手な解釈を施すことは戒められています。

占いのように聖書をパラパラめくって、目に留まった所が神の御心だ!これはいけません
聖書のある特定の箇所だけを強調することも、偏った聖書理解になります。
聖書は神の言葉の寄せ集めではなく、一つの神の言葉です。
旧約・新約聖書を通読することを薦めます。全体として聖書を捉え、理解するためです。

聖書を通して、私達は神の人格を知るのです。正しい神さまのご性格を理解するのです。
神さまの人格を知ることが出来るに従って、聖書の一つひとつの箇所も正しく分かります。神さまの人格、それは愛であり正義です
聖書の言葉、一つひとつにそれが現れています。神の言葉を正しく聞き、正しく行う時に現されるのは必ず愛であり、正義、また平和です。

私達には神の言葉である聖書が、自分の国の言葉に多数訳されています。これは祝福です。
世界にはまだ聖書が翻訳されていない部族があります。また聖書が訳されていても、自由に読むこと、また高くて買うことが出来ない国々があります。
私達は信仰の自由が保障され、聖書を自分の国の言葉で読むことが出来るのですから、この祝福を感謝して受け、神の御心を聖書を通して聞き続けましょう!
神が与えて下さった恵みを無駄にしてはいけません。

(2)教会を通して、神は語られる

神は教会を通しても、私達に語りかけられます。教会とはもちろん、教会堂、建物ではありません
教会とは、イエス・キリストを救い主として信じ受け入れ、新しく生まれ変わった、聖霊なる神が心に住まわれる人たちのキリストを中心にした共同体のことです。
教会はキリストを頭とした、キリストの体、有機体的な共同体なのです
神はこのキリストの体である教会が正しく機能するために、牧師や教師、リーダーを備えられました。
私達はこれらの信仰の先輩たちから導きを受けることが出来るのです。
私達のエクレシアにはコイノニアというクリスチャンの交わり、また弟子作りを通して神の御心を求めています。もちろん中世の教会のように、教会の言うことは絶対誤りがないとは言いません。
キリストに間違いはなくても、構成しているクリスチャンは不完全です。いつも聖書に基づいているか、吟味されなくてはなりません。しかし、神は私達が主にある兄弟、姉妹の交わりの中でいのちを受け、成長することを願っています。信仰は交わりなしに決して成長することも、また維持することも出来ません
エクレシア、神の生ける体、兄弟姉妹の交わりの中で神の声を聞くことは健全なことです

(3)私達の理性、また常識を通して、神は語られる

皆さん、神の声に聞き従うと言うことは、いつも奇跡的なことを行うことではありません。
神の声に聞き従うとは、とても常識的であり、また理性的に生きることです。

時々、私は神の声が聞こえる。また自分の信仰の深さ、大きさを誇る人の中に常識を逸脱 している人、理性を軽視している人がいます。多くの人はそれが霊的と誤解しています
神の声を聞いて、心から神の声に聞き従っている人の行動はどのようなものかパウロはこの様に教えています。

「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。
 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、
 不正を喜ばずに真理を喜びます。
 すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。
 愛は決して絶えることがありません。」
:コ リント人への手紙第一13章4節~8節

特に強調したいのは5節の「礼儀に反することをせず」です。
信仰深いが非常識、いい加減、不作法になってはいけません。
自分の行動がいつも適切で、愛を目指しているか常識、理性で考えることも、神の声を聞いていることと同じなのです。

パウロは信仰、信仰と言いながらも自分の家の責任を果たさない者は信仰者でも何でもないと厳しく警告しています。

(4)置かれている状況

神さまからの声かどうかは、自分が置かれている状況からも判断されるべきです。
御言葉から何か行動することが示されても、今がそれに相応しい状況か、少し待つべきか、また自分がそれをするべきか、他の人がそれをするのを助けるべきか、状況によって判断することも大切な神の声を聞くことになります

(5)内面の声、平安をもたらすか?

神からの声、聖霊様の声は私達の内面の声として聞こえてきます。
しかし、同じようにサタン、悪霊どもも惑わす声を私達の心に投げかけます。
聖霊様の声はいつも平安に満ち、情熱と前向き肯定的な思いが伴って来ます

それに対しサタンの声は聖書の言葉を伴ったとしても、いつも攻める言葉、過去の罪を思い起こさせ、消極的、否定的な思いに自分を閉じこめさせようとします
それはまさにサタンの声であって、神の声ではありません。その声を聞いてはなりません。

神さまはこれらの方法を通して、私達に絶えず語りかけようとされています。
主に絶えず聞き従い、ダビデのように私達も信仰の戦いにおいて勝利しましょう
私達はあらゆる信仰の戦いに勝利して、神の栄光を現すことが求められています!

【絶えず、神の声を聞く】

「そこで、ダビデがさらに神に伺ったところ、神は彼に仰せられた。」:第一歴代誌14章14節

ダビデの素晴らしい点は、ココです!「さらに神に伺ったところ」とあります。
私達は一週間に一度、神の声を礼拝や聖書を通して聞けばそれで充分ではないのです。
日々神の声を聞く、毎日のディボーション、更に必要があれば信仰の兄弟、姉妹の助けが必要なのです。
イザヤ書に書かれているように「耳を傾け、わたしのところに出て来い。聞け。そうすれば、あなたがたは生きる」のです。
ディボーションを退屈、義務のように思わないで下さい私達を生かす、霊の糧です
毎日まいにち、また一瞬いっしゅん、神の言葉、神の御心を求めて歩みましょう。
これがダビデから学ぶ人生における勝利の秘訣です。