「主体的な信仰者ダビデ」
第一歴代誌11章1~9節
小林 智彦

【指示待ち人間】

皆さん、「指示待ち人間」という言葉を聞いたことがありますか?
指示待ち人間とは・・・人に言われてから行動する。人に言われないと何も出来ない人です。
自分のやりたいこと、自分がどんなことに適しているのかも分からない。
大きな夢を描いて、その夢に向かって歩み出すことが出来ない。これが指示待ち人間です。日本には指示待ち人間がたくさんいると思います。

なぜなら、日本の教育が指示待ち人間を造り出す教育だからです。
・小・中・高・大・一流企業とレールが引かれている。
・みんな同じレールを走らせられる。何のために勉強するのか?そんなこと考えさせない。
・子供の適正よりも、能力や偏差値を重視するだけの教育。
・与えられた問題だけをより早く、より正確に答えるだけの教育。
それは人格を育てる教育ではなく規格に合わない製品を作らないための教育です。
先生の言うことをよく聞く、そのまま批判せずに受け入れるよい子を作る教育です。

しかし、このよい子が、素直で優しいよい子が社会に出ると問題児になる場合がある。
年功序列、終身雇用の成長を続けていた頃の日本経済ではあまり問題にならなかった。
しかし、バブルが弾けてサバイバル状態に突入した時、指示待ち人間では通用しないのです。今まで起こらなかった問題が発生する。前例がない問題が発生した時、自分で考え、行動しなくてはならない。今は問題を自ら見つけて対処しなければならない時代なのです。
指示待ち人間ではなく、主体的に行動する人間が求められている時代なのです。

今の日本はこの学校と社会のギャップが大きいのではないか?と思います。
ゆとり教育などと言われながらも、親の有名校に受験させたい思いは加熱しています。
しかし受験教育は指示待ち人間、型にはまった人間しか産み出さないのです。
しかし社会に出ると自分の意見を訊かれることになります。
「あなたはどう思うのか?」「あなたはどう考えるのか?」「あなたの適正は何か?」
このギャップに耐えられなくなり、多くの若者が自分とは何か?自分探しの旅に出たり、もしくは自分の家に引きこもり、自分の世界だけで生きようとしています。
実に30代までの年齢で引きこもっている人は100万人とも言われています。
主体的に生きることが求められている時代なのです!

【日本でカルト宗教が成長する原因】

日本ではキリスト教が成長しません!プロテスタントの宣教が始まって100年以上になりますが、プロテスタントとカトリックを合わせても1%の壁を越えられません。
しかし、それに比べて新興宗教、カルト宗教はとても成長が早いのです!
日本において教祖として認められるには100万人以上の信徒が必要だそうです。
日本ではカルト宗教が成長する下地があるのです。それが指示待ち人間、受け身人間です。
カルト宗教、新興宗教では教祖は絶対です。信者に考えさせない。批判させません。
普通に考えると、それは人権無視だ!コントロールだ!なぜそんなものを信じるのか疑問に思います
しかし、受け身的な人、指示待ち人間には心の落ち着くところなのです。

キリスト教はなぜ成長しないのか?神は主体的な信仰に歩むことを求められるからです。
神は主体的な信仰、自ら考えその適正にあった信仰生活を願っておられるのです。
具体的に言うなら、礼拝を例として考えることが出来るでしょう。
宗教の場合、礼拝はしっかりとした順序や方法が細かく書かれています
しかしクリスチャンの礼拝はどうでしょうか?もちろん神が礼拝を求めておられることはハッキリと聖書に書かれています。そして何よりも神を愛することを求めておられます。しかし、新約聖書には私達が具体的にどのように神を礼拝すべきかは書いてありません

イスラム教の場合、一日に5回、メッカに向かって礼拝する。
宗教の場合、祈りの言葉や祭司の着る衣装まで事細かな規則があるのです。
しかし、クリスチャンの場合は何も具体的な決まりが聖書に書かれていない!
だからワーシップ・リーダーも大変ですね。何を歌うか毎回、考えなくてはならない
牧師もそうです。毎回、何をメッセージするか考えなければならない
しかし皆さん、これが大切なのです!主体的な信仰なのです。主に訊く信仰なのです。
主は何を求めておられるか?何が礼拝で何が賛美なのか?聖霊様とともに考えるのです。

クリスチャンの生き方も同じですね!神は愛しなさいと命じている。
しかしどのように人を愛すべきかは聖書にいちいち書いていない。その通りですね。
私達が置かれている場所・状況は人によって様々です。すべての状況で私達は愛するのです。
聖霊様に訊くのです。聖霊様とともに考えるのです。何が愛ですか?
この状況に於いて、相手が最も必要としていることは何ですか、何が愛になりますか?
聖霊様に訊き、ともに考えるのです。これが主体的な信仰、生ける信仰なのです。

指示待ち、受け身的な信仰では宗教の域を超えることが出来ないのです。
宗教に留まるなら、そこには本当の自由、本当の愛はありません。
キリストを信じる信仰によって聖霊様が心に住み、聖霊様とともに歩む時、信仰は主体的となり、自由が与えられ、本当の愛がそこに生まれるのです。
それは宗教ではなく、神との人格的な交わりです。主体的な信仰を求めましょう。
キリストにあって主体的にこの人生を生きていきましょう!
この世は主体的に生きる人を求めています。真に主体的に生きる生き方を見たいと願っているのです。私達がキリストにあって主体的に生きる時、生き方が福音を現します。

【ダビデは主体的な信仰者】

主体的な信仰に生きた人物として、私達は真っ先にダビデを挙げることができます。
ダビデこそ主体的な信仰者であり、イスラエルの国に繁栄と平和をもたらしました。
ダビデは神の言葉を愛し、神の言葉に忠実に従った人であることが分かります。
神の言葉を基礎とする人生、神の言葉に忠実に従うことが主体的な生き方を可能にします

 全イスラエルは、ヘブロンのダビデのもとに集まって来て言った。「ご覧のとおり、私たちはあなたの骨肉です。
 これまで、サウルが王であった時でさえ、イスラエルを動かしていたのは、あなたでした。しかもあなたの神、主は、あなたに言われました。『あなたがわたしの民イスラエルを牧し、あなたがわたしの民イスラエルの君主となる。』」
 イスラエルの全長老がヘブロンの王のもとに来たとき、ダビデは、ヘブロンで主の前に彼らと契約を結び、彼らは、サムエルによる主のことばのとおりに、ダビデに油をそそいでイスラエルの王とした。
:第一歴代誌11章1~3節

「これまでサウルが王であった時でさえ、イスラエルを動かしていたのはあなたでした。」ダビデは王として正式に認められる前から、王としての働きをしていました。
それはサムエルがダビデに油を注ぎ、神はダビデを王として選んだと伝えたからです。
サムエルがダビデに油を注ぎ、ヘブロンで正式に王となるまでは20年近い歳月が過ぎていました。しかしダビデはその長い年月、神の言葉と約束を疑うことをしませんでした。人々からは認められなくても、王に相応しい生き方を彼は行ったのです。
もちろん王としての特権を人々に要求したのではありません。
そうではなく王として国のことを憂い、イスラエルに最善のことを願い行っていたのです。これが主体的な生き方です!王と認められてから王として振る舞ったのではありません。神の言葉に基づいて、彼は歩んだのです。神の言葉に相応しく歩んだのです。
人から認められたのでも、人に言われたのでもなく、神の言葉によって歩んだのです。

キリストにある皆さんはダビデと同じように聖霊様のそそぎを受けていますね?
どの様な聖霊様の油そそぎを受けていますか?

 しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです:第一ペテロ2章9節

皆さんはキリストにあって王です!祭司です!福音を委ねられた預言者です!
アーメンですか? 初めて聞いた? 自分のことだとは思わなかった?
これは皆さんに与えられている役職です!聖なる務めなのです!
「自分が王だなんて!誰も認めてくれませんよ!」
皆さん、ダビデも羊飼いの少年でした。しかしダビデは信じて、王に相応しく行動し始めたのです!キリストにあって自分が何であるのか?人に認められてから、人に言われてからではなく、神は何を自分に言われているのか?何を願われているのか?
それを求めて下さい。皆さんが神の言葉に従って、主体的に、ダビデのように主体的に生きなくては何も変わらないのです!何も始まらないのです!

皆さんはキリストにあって誰ですか?どんな働きを委ねられていますか?
主に聞いて下さい!人に言われなくても、認められなくてもそのように生きて下さい。

私は教会の牧師ですが、牧師として正式に認められる前から同じことをしていました。
礼拝を導き、メッセージを語っていました。もちろん牧師として正式に認められることは大切です。しかし私にとって人から認められる認められないかなどは小さなことでした。私には神さまから牧師として選ばれた!その働きを委ねられた確信が明確にありました。神の言葉である聖書から、その確信が与えられたのです!
人から頼まれたり、人から言われたのではありません。御言葉(みことば)から確信を得ました。
その確信通りに歩みました。ティム牧師からブラジル行きの話があった時も喜んで参加しました。大学生の時でしたが、すぐに休学して短期宣教に行きました。
帰ってきてからすぐに船橋での開拓の話があり、加わったのです。
なぜ自分の話をしているかというと、体験から、主の言葉に従って歩む時はとても楽しいということを分かち合いたいのです。

 こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。:エペソ4章1 1節

この中に、皆さんの本当の働きが書かれているかもしれません!
教会に牧師一人では充分ではないのです。牧師はまだまだ必要なのです。
それはあなたかもしれません。また伝道者として主は皆さんを選んでいるかもしれません。
主に求めて下さい!主はあなたの心に必ず確信を与えます。

 キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。:エペソ4 章16節

キリストを信じるなら、誰でもキリストの生ける体の一部です!
キリストの体の一部なら、あなたにしか出来ない素晴らしい働きが備えられています。
それはダビデのように、始めは周りの人には分からないかもしれない。
神さまとあなただけしか分からない。しかしあなたが信仰と確信を持って進む時、その賜物と働きは輝き出すのです!主体的に歩み出す時、輝き出すのです!

さあ!主に聞いてみましょう!主よ、私は何ですか?何の働きを委ねています か?