「福音を恥とは思わない」
ローマ人への手紙1章16節~32節
小林 智彦

ハレルヤ!主の御名を賛美します。今週はローマ人の手紙から福音の力を学びましょう。福音です。ゴスペルです!グッドニュース、良い知らせです!様々な呼び方が あります。
パウロはローマにいるクリスチャンたちにこの福音を正しく知って欲しいと願 いました。
「私としては、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を伝えたいのです。」 :ローマ人への手紙1章15節
パウロがローマに、いや世界の果てまで伝えたい福音とは一体なんでしょうか ?

「兄弟たち。私は今、あなたがたに福音を知らせましょう。・・・
 私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、
 また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと
、」
:コリント人への手紙 第一15章1~4節

これが福音、ゴスペルです!その内容は難しいことは何もありません。
これを信じるだけで、私たちは救われるのです!だから福音、良い知らせなのです。
私たちも皆、この福音を単純に信じるだけで救われたのです。
信じるだけで!罪と罪のもたらす滅び、即ち死から救われ、神との交わりを回復します。神との交わり、それが永遠の命であり、交わりを通し愛と愛を行う力が与えられるのです。信じるだけで救われるのです!
救われるに必要なすべての行いはキリストが十字架と復活を通して成し遂げたのです。

皆さん!この中に、自分は自分の努力でこの世に生まれ出てきたと言う人はいますか?
いませんね!私たちのこの尊い命、これは自分で努力して得たものではなく、 私たちの親が産みの苦しみをして産み出して下さったものなのです。
救いを通して与えられる永遠の命も同じなのです!キリストが代わって十字架の上で産みの苦しみをされたのです。私たちは信じるだけで、その救いを得るのです!
皆さん、単純に信じて、どうぞこの救いの世界に飛び込んで下さい!誰でも救われます!

【福音を恥と考える人々】

パウロはローマ人への手紙1章16節で「私は福音を恥とは思いません」と言っております。
当時、この福音を「恥ずかしい!」「それは可笑しい!」と考える人たちがいました。
それはギリシャの哲学の影響を受けている人々、ギリシャの思想を持つ人々で した。
ギリシャ哲学と聞くと私たちには縁遠いように思えますが、パウロがこのロー マ人への手紙を書いていたのはコリントにおいてでした。まさにギリシャの中心地であります。
ギリシャ人、またギリシャの哲学者たちが福音に対してどのように反応したか が使徒の働きの17章16節から18節、32節に書かれています。

「さて、アテネでふたりを待っていたパウロは、町が偶像でいっぱいなのを見て、心に憤りを感じた。・・・
 エピクロス派とストア派の哲学者たちも幾人かいて、パウロと論じ合っていたが、その中のある者たちは、「このおしゃべりは、何を言う つもり なのか。」と言い、ほかの者たちは、「彼は外国の神々を伝えているらしい。」と言った。パウロがイエスと復活とを宣べ伝えたからである。」:
使徒の働き17章16~18節
「死者の復活のことを聞くと、ある者たちはあざ笑い、ほかの者たちは、『このことについては、またいつか聞くことにしよう。』と言った。」
:使徒の働き17章32節

ギリシャの哲学者たちは福音、特に復活について「あざ笑(った)」とあります。
これはギリシャの中心地、コリントに住むギリシャ人も同じであったと考えられます。
また当時の地中海世界はほとんど、このギリシャ思想の影響を受けいていました。
ローマに於いても、福音に対して敵対し、あざ笑う人々は少なくなかったと思われます。

ギリシャ哲学とその思想は肉体の復活と創造主なる唯一の神に対して抵抗がありました。
ギリシャ人が誇る彼らの知性は、肉体が復活することはとても愚かに思えたのです。
ギリシャ人は霊魂の不滅は信じていました。しかし肉体は霊魂に劣るものと考えられていました。肉体が永遠に復活することは彼らの思想では受け入れられないことだったのです。肉体は霊や魂よりも劣ったものであり、永遠や真理を追究するものではない。
それが転じて、だから肉体は快楽を追求する手段のように考えられていったのです。
現代の私達には解り難いのですが、ギリシャ人はこれが最高の知恵であると考えたのです。
そして創造の唯一の神、また復活の希望をあざ笑い、愚かで恥と考えたので す。

パウロはこのギリシャ人の哲学、彼らが誇る知性について以下のように語っています。

「彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、」:ローマ人への手紙1章22節

ギリシャ人は知恵を誇った、しかしその知恵は最も大切な創造主なる神を見えなくさせる愚かな知恵であったのです。またキリストの復活をあざ笑う愚かな知恵であったのです。
いったいギリシャ人が誇る知恵はどのような実を結んだのでしょうか?

【ギリシャ人の知恵がもたらした結果】

「不滅の神の御栄えを、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。」:ローマ人への手紙1章23節

ギリシャ人は自分の知性を誇り、創造主を否定して偶像の神を拝み、仕えました。
その結果は性的な混乱であるとパウロは言っています。

「こういうわけで、神は彼らを恥ずべき情欲に引き渡されました。すなわち、女は自然の用を不自然なものに代え、
同じように、男も、女の自然な用を捨てて男どうしで情欲に燃え、男が男と恥ずべきことを行なうようになり、こうしてその誤りに対する当然の報いを自分の身に受けているのです。」
:ローマ人への手紙1章26・27 節

自分の知性を神に勝ると考える傲慢な人間は、性のモラルを守るよりも自らの欲望を追求するようになります。当時のギリシャは姦淫と不品行、同性愛の罪にまみれていました。

また自分の知性を神よりも勝ると高ぶる彼らの高ぶりは、彼らの心の態度をことごとく悪い思いで満たしました。

「彼らは、あらゆる不義と悪とむさぼりと悪意とに満ちた者、ねたみと殺意と争いと欺きと悪だくみとでいっぱいになった者、陰口を言う者、
 そしる者、神を憎む者、人を人と思わぬ者、高ぶる者、大言壮語する者、悪事をたくらむ者、親に逆らう者、
 わきまえのない者、約束を破る者、情け知らずの者、慈愛のない者です。」
:ローマ人への手紙1章29~31節

結局、創造主なる神を否定し、福音をあざ笑うギリシャ人の知性がもたらしたものは姦淫と不品行、性的な混乱、同性愛、あらゆる不義とむさぼりと悪意などでした。
その結果は何でしょうか?

「彼らは、そのようなことを行なえば、死罪に当たるという神の定めを知っていながら、それを行なっているだけでなく、それを行なう者に心から同意しているのです。」:ローマ人への手紙1章32節

それらのもたらす結果は死です。罪から来る報酬は死なのです

【私は福音を恥とは思わない】

それゆえパウロは言うのです!「私は福音を恥とは思わない」。
どんなにギリシャ哲学がその知性を誇り、当時の地中海世界がギリシャ思想の 影響を受け、 人々から重んじられていても、それがもたらすものは性的な混乱、心の高ぶり と悪意、反抗心であり、その結果は滅びであり死ではないか!
「確かに福音はあまりに単純、知者には愚かに見えようが、しかし福音こそ救 いを得させる神の力である!それは信仰により、義人を生かす命をもたらす」 とパウロは言うのです。

パウロは始め、この福音を愚かなものと考えていました。
福音に敵対し、教会を熱心に迫害するほど福音に敵対する者だったのです。
しかしパウロは愚かに見えるこの福音の内容を、その救いを保証する生ける神 であるキリストに出会った時、全く変えられたのです。彼は福音の内にある神 の力を体験したのです。

福音は、キリストを信じることは思想や哲学とは全く違うのです!
福音とは学ぶことでも、議論することでもなく、まず第一に神を体験することです!
それは頭ではなく、単純に信じることを通して、救いと力を受けるのです。
皆さんは福音を恥と思いますか?それとも恥とは思いませんか?

私達の文化は福音を恥とするでしょうか?この科学万能を誇る文化は福音を恥 とします。それは時代は違っていても、ギリシャの文化とさほど違いはありま せん。

創造主なる神を否定し、人間の知性こそ最高であると誇っています。
死者の復活、キリストの救いを真っ向から否定して、あざ笑う文化でありま す。

この文化もギリシャの文化同様に行き着く先は死と滅びなのではないでしょう か?
ギリシャの文化同様に、日本も性的な混乱が起きています。姦淫、不品行、同性愛。
ギリシャ人と同様に、あらゆる高ぶり、悪意とむさぼり、敵対心で心がいっぱ いではないでしょうか?福音に敵対する文化はすべて滅びます。 共産主義は 滅びました。
同じように、福音に敵対する人の人生も、滅びて行きます。
この日本と、日本に住むすべての人々には福音が必要なのです!
滅びから命に逆転させる神の力が必要なのです。福音の救いが必要なのです!

もし皆さんの中で、福音に対して恥じる思いがあるなら、どうぞ神の力を求めて下さい。
どうぞ知的なキリスト教理解ではなく、まず福音の力を体験して下さい。
単純なのです!「イエス様、あなたを受け入れます。イエス様あなたを求めま す。福音を体験させて下さい!神の力が解るように体験させて下さい。」と 祈って下さい。
福音の救いを約束して下さっている神さまが、あなたにその力を現して下さいます。

また最近、神さまとの関係が新鮮で無くなってきている人はいませんか?
あらゆる機会を通して御言葉を伝えていますか?それとも福音を恥じています か?
伝道は上手く行かない、誰も聞いてくれないと考えているなら大きな誤解で す。
福音は説得によって伝わるのではなく、神さまが救いの力を現されるのです。
私達がすべきことは生活で証し、御言葉の証をすることだけです。後は主が試されます。
主に委ねて御言葉を伝えるから、私達は主の試される業を、神の力を見るのです。
キリストの福音によって人生が変えられていくのを見るほど嬉しいことはありません。
福音を恥としない、福音宣教をとおして神さまとの生き生きとした関係を築きましょう。