「主イエスを知る」
ペテロの手紙第二1章1節~11節
小林 智彦

ハレルヤ!主を誉めたたえます。本日は神を知ることについて学びましょう。
神を知ることは何を私たちにもたらすのか?私たちをどのように変えられるの か?
神を知ることの目標は何か? これらのことを第二ペテロから学びましょう。

【主を知ることは、恵みと平安をもたらす】

「神と私たちの主イエスを知ることによって、恵みと平安が、あなたがたの上 にますます豊かにされますように。」
(2節)

主イエスを知ること、それは私たちに恵みと平安をもたらします!
皆さんが主を知ることによって益々、恵みと平安に満たされますように祝福し ます。

神と私たちの主イエスを知ること、それは私たちに恵みと平安をもたらしま す。
それでは恵みとは一体なんでしょうか?

恵みとは私たちの努力や頑張りで手に入れるものではなく、神が一方的に与え るものです。
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしは、あなたを愛している。」

神が私たちを愛して下さり、神が私たちの中に素晴らしい価値を見いだされる のは、私たちが神さまに対して何か素晴らしいことをしたからでしょうか?
神に褒められる素晴らしい行いをしたからでしょうか?
神に褒められる素晴らしい才能や、技術があるからでしょうか?

神が私たちを愛して下さるのは、私たちが神を愛したからでも、私たちに素晴 らしい能力があるからではありません。 神の愛は無条件で一方的な愛なので す!
自分では自分の価値すら忘れてしまっていても、神は価値ある者として見て下 さいます。
イエス・キリストを通して与えられた神の愛は驚くべき愛です!
神は私たちが神を知らず、神に敵対していた時ですら完全な愛をもって愛して 下さった。
その完全な愛とはキリストの十字架の死です。

キリストは私たちの罪を身代わりに背負って、十字架の上で私たちへの罰を受 けられた。
私たちが頼んだからキリストは私たちの罪を背負って下さったのですか?
そうではありませんね。神が私たちを愛し赦すために進んで十字架に架かられ たのです!

神の愛は無条件、一方的で、そして激しい愛の現れです。
十字架は神の愛の最高の表現です!命がけで私たちを愛する神の愛の叫びで す。
ここまで神が無条件、一方的に愛して下さる、これが神の愛、驚くべき恵みな のです。

アメイジング・グレースはゴスペルで有名な曲です。
この曲を作詞したジョン・ニュートンは素晴らしいクリスチャン、牧師です が、昔は奴隷を売り買いする奴隷商人でした。彼は航海途中に大きな嵐に遭 い、九死に一生を得る経験から母の残した聖書を読むようになりました。やが て自分のうちにあるあまりにも大きな罪が示されました。しかし、キリストの 愛はジョン・ニュートンの犯した罪を赦す驚くほど大きな愛であることに気付 いたのです。
ジョンはキリストの愛を知り、人生が変えられたのです。それが驚くべき恵み です。

自分で勝ちとった救いなら、失う危険が必ず伴います。
自分で勝ちとった愛ならば、必ず失う危険が伴うのです。

しかし皆さんはイエス・キリストを通して恵みの中にいるのです。
皆さんにキリストを通して与えられている愛と救いは誰も奪い去ることは出来 ません。
これが真の平安です! 失うことのない救いと愛、恵みは平安を心に満たしま す。

イエス・キリストを通して与えられている恵みを知ってください!
イエス・キリストを知ることを益々求めてください!
イエス・キリストを知ることは皆さんに恵みと、平安を増し加えます。

【キリストを知ることはキリストに似た者に私たちを変える】

「その栄光と徳によって、尊い、すばらしい約束が私たちに与えられました。 それは、あなたがたが、その約束のゆえに、世にある欲のもたらす滅びを免 れ、神のご性質にあずかる者となるためです。」(4節)

「神のご性質にあずかる者となる」とは、イエス・キリストに似た者になるこ とです。
キリストを知るとは、私たちがキリストに似たる者に変えられて行くことで す。

ここで「知る」という言葉について考えてみたいと思います。
「知る」という言葉は聖書ではとても深みのある言葉、幅のある言葉です。
ただ単に知識、情報として「知る」という浅い意味から、「アダムはエバを 知った」とあるように「性的な関係を持つ」、つまり「相手と一つになる」意 味まで含んでいます。

ペテロが私たちにキリストを知るように願っているのは、深い意味で知ること を願っているのです。単なる知識、教として知る段階で留まるのでなく、キリ ストと一つになる!

キリストならどの様に考え、どの様に行動したか?それが分かるほどにキリス トを知る。
さらにキリストが考え、キリストが行動したように自分も行動して行く!
思いと行動がキリストに似て行く、それがキリストを知ることであるとペテロ は言っているのです。

私たちはキリストに似るほどにキリストを知っていますか?
単なる知識としてではなく、体験としてキリストを知っているでしょうか?
キリストを知ることを求めましょう!キリストに似るほどにキリストを知りま しょう。

神は私たち人間をご自分に似た者になるように創造されたと聖書にあります。
キリストこそ神の姿です!神は私たちがキリストに似ることを願っているので す。
キリストを知ることを通して、キリストに似た者になりましょう!
キリストに似るまで、キリストと一つになるほどにキリストを知ることを求め ましょう!

【キリストを知る目標はキリストの愛】

「こういうわけですから、あなたがたは、あらゆる努力をして、信仰には徳 を、徳には知識を、 知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、敬 虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。これらがあなたがたに備わり、 ますます豊かになるなら、あなたがたは、私たちの主イエス・キリストを知る 点で、役に立たない者とか、実を結ばない者になることはありません。」:第 二ペテロ1章5節から8節

「兄弟愛には愛を加えなさい」と、クリスチャンの成長は愛が目標なのです。
キリストを、神を知っていると言っても、もし愛が無いなら役に立たない者、 実を結ばない者であるとペテロは厳しく私たちに教えています。

パウロも第一コリント8章1から3節でこのように教えています。
「しかし、知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を建てます。人がもし、何かを 知っていると思ったら、その人はまだ知らなければならないほどのことも知っ てはいないのです。しかし、人が神を愛するなら、その人は神に知られている のです。」

神を知る知識が人を高ぶらせ、無益な議論に走ることをパウロは何度も戒めて います。

その人は神を知るとは何かさえ、実は知らない人であるとパウロは言っている のです。
神を知るとは神を愛すること、隣人を自分のように愛すること!これが神を知 る目標です。

ペテロはこの愛を目指して5節で「あらゆる努力をし」なさいと私たちに命じ ています。キリストを知る努力の第一は、聖霊様に満たされ、聖霊様に委ねる ために祈ることです。
私たちの人間的な努力で、神の愛に生き、神の栄光を現すことは出来ません。

父なる神は私たちが神を正しく知り、神の愛を行い、キリストに似た者になる ために、助け主を一人一人のクリスチャンに与えられました。それが聖霊なる 神です。聖霊様により頼むなら、聖霊様は私たちにキリストの愛を注ぎ、それを行う力 をも与えて下さいます。これはイエス様の約束です。
キリストを知り、キリストの愛を行うために、聖霊様により頼む努力をしま しょう!