「すべての事について感謝しなさい」
第一テサロニケ5章16~18節
小林 智彦

【神の子供としての相応しい態度】

「いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」
:第一テサロニケ5章16~18節

ハレルヤ!主の御名を賛美します。2003年も最後の日曜礼拝になりました。
私たちは一年を振り返り、神さまのすべての恵みに心から感謝を捧げたいと思います。
感謝の心を持つこと、感謝に溢れることは真の神を知るものに相応しい態度です。

しかし私たちは容易に恵みを忘れ、感謝よりも不平や不満を口にしてしまいます
キリストを知らない私たちの古い性質は、とても否定的で自己中心的です。
足りることを知らない貪欲な心で、いつも「もっと欲しい!」と叫んでいます。
これが生まれついての私たちの性質であることを聖書は教えています。

私たちはキリストによって新しい神の子としての性質に生まれ変わった今で も、この古い性質に流されてしまう時があります。
私たちはイエス・キリストを救い主として受け入れた瞬間に、キリストと一緒に十字架につけられたのです。古い性質はキリストの十字架につけられ死ななくてはなりません

しかし、自分がキリストによって神の子であることを忘れると古い性質が生き返ってしまうのです。まるでゾンビのように十字架から離れて、私たちの心に生き返ります。

怒りや憎しみによって喜びがかき消される時
自分の力に頼って祈りを怠る時
感謝を忘れる時
それは古き性質がゾンビのようによみがえって、私たちを支配しているのです。
皆さん!ゾンビ・クリスチャンになってはいけません。
ゾンビ・クリスチャン(古い性質に支配されているクリスチャン)はゾンビに相応しい態度をとり、ゾンビに相応しい暗闇の中をさまよい歩きます。
それは主が願っていることではありません。
主が願っていることは私たちが光の子供らしく、光の中を歩むことです!
光の子供として相応しい態度、それは賛美と感謝に溢れる賛美クリスチャンです!

「しかし、兄弟たち。あなたがたは暗やみの中にはいないのですから、その日が、盗人のようにあなたがたを襲うことはありません。
あなたがたはみな、光の子ども、昼の子どもだからです。私たちは、夜や暗やみの者ではありません。
ですから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして、慎み深くしていましょう。」
:第一テサロニケ5章4節~6節

それゆえパウロは光の子供らしく日々歩むために、古い性質を十字架につけ続ける為に、いつも喜ぶこと、絶えず祈ること、すべての事について感謝することを命じています!
それが光の子供として相応しい態度であり、古い性質が十字架につけられている者の姿、キリストとともに復活した神の子供として相応しい態度、性質なのです!

この態度は私たちに安全を約束します。光の子供らしく歩むなら、神との交わりの中に生きているからです。神とともに人生を歩むなら、決して穴に落ち込むことなく、栄光から栄光へとやがてはキリストの再臨の時、まっすぐに天にまで引き上げられるのです!
光の子供らしく、神の子供らしく歩みましょう!古い性質を日々十字架につけましょう!

【いつでも感謝するために】

神の子供として相応しく「すべての事について感謝」するにはどうしたら良いでしょうか?エペソ5章20節には「いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい」とあります。
「いつでも」感謝するにはどうしたらよいのでしょうか?

一つや二つのことならすぐに感謝することが出来るが、いつでもは難しい!目を自分に向けるなら、感謝の思いはすぐに尽きてしまうかもしれません。
しかし、目を神さまに向けるなら感謝の思いは尽きることがありません。
感謝の心を失いそうな時、感謝すべき事が思い浮かばない時、十字架を見上げましょう

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」:ヨハネ3章16節

イエス・キリストは私たちを罪と罪のもたらす滅びから私たちを救って下さいました。
私たちが犯したすべての罪の罰を、代わりに十字架の上で背負い、死んで下さいました。
私たちはキリストの十字架と復活によって罪赦され、神の子とされたのです!
十字架を見上げる時、私たちの心に喜びと感謝が沸き上がります。
それは決して古くなることはありません。
神との交わりにより、感謝は日々新しく、深くなって行くのです。

キリストの愛のしるしである十字架を見上げ、いつでも神に感謝しましょう!

【賛美を通していつでも感謝する】

十字架を見上げると、確かに感謝の思いが沸き上がる。
しかし、どうしたら感謝を表現できるのだろうか?
「イエス様ありがとうございます。十字架を感謝します」だけではすぐに感謝の言葉が尽きてしまうのではないだろうか?
皆さん、私たちには賛美という素晴らしい感謝を表す手段が与えられています!
感謝と賛美は実は同じであります。マルティン・ルターは「賛美は神のすべての恵みに対する応答であり、感謝の捧げものである」と言っています。
私たちは賛美を通して、「いつでも」神さまに感謝を捧げることが出来るのです!

なぜ礼拝で賛美をするのだろうか?そのように考えている人はいませんか?
それは感謝を神さまに捧げるためなのです!
旧約聖書の時代には神殿で祭司たちが感謝の供え物を神さまに捧げていました。
新約聖書の時代、即ち今の時代はクリスチャンが祭司であり、神の神殿です。
神はクリスチャンが賛美を通して感謝の供え物を捧げることを求めているのです。

「ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。」 :ヘブル人への手紙13章15節

皆さん、いつでも賛美を通して感謝の供え物を主に捧げましょう!2004年は、いつでも賛美に溢れる賛美クリスチャンを目指しましょう!

【すべてのことについて感謝する】

さて、神さまの恵みを思い起こす時、私たちの心には感謝が溢れます。
しかし、自分の人生に目を向ける時はどうでしょうか?
今年一年を振り返って感謝できること、いや感謝どころか、はらわたが煮えくりかえる!
様々な出来事があったと思います。パウロはそのすべてを感謝するように命じています。

どうしたらそんなことが出来るのか?
感謝どころか、はらわたが煮えくりかえる!二度と思い出したくない!それらのことをどの様に感謝することが出来るのでしょうか?
誤解されたり、否定的な言葉を言われたり、いじめられたり、仲間はずれにされたり
それらのことをどの様に感謝することが出来るのでしょうか?

ところで皆さん、お正月も近づいてお正月映画は何を見に行きますか?
映画の中で主人公が全く事件のない、苦しみのない毎日を送っていたらつまらない映画ですね。
アクション映画で悪役が登場しない。刑事コロンボで事件が起こらない。
それはつまらない映画です。しかし主人公が絶えず危機に瀕する映画は面白い!

私はロッキーを見るとアドレナリンが吹き出して来ます。
ロッキーが相手にダウンされ、立ち上がる度に私の中にも闘志が沸き上がってきます。
そして最後にロッキーが勝利をつかむ時、自分の事のようにガッツポーズをとります。

皆さん、人生は映画ではありません。しかし映画なんか比べものにならないくらいに本当はドラマティックです!神さまが脚本を書いておられるのです。
皆さんが主人公です

神が皆さんの生涯に辛いこと、苦しいことを時として赦されるのは皆さんがその苦しみを乗り越えて信仰の勝利者となるために、訓練として赦されるのです !
この暗闇の世にあっても、キリストにあって輝くために試練や苦難を赦されるのです。

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」:ローマ人への手紙8章28節

皆さんが受けた苦しみ、痛み、拒絶、それらはキリストにあって益と変えられます
それらは皆さんを更にキリストに似た者へと成長させるステップなのです!キリストを信じて感謝しましょう!感謝を表すことで、私たちは立ち上がれるのです。
主はその上に、更にキリストにある勝利を約束して下さっているのです。

キリストにある勝利を信じ、すべてのことを感謝しましょう!