「正義の種を蒔き、耕地を開拓せよ!」
ホセア書10章9節~12節
小 林 智 彦

【ギブアの日々よりこのかた、あなたは罪を犯してきた】

「イスラエルよ。ギブアの日々よりこのかた、あなたは罪を犯してきた。彼らはそこで同じことを行なっている。戦いはギブアで、この不法な民を襲わないだろうか。
 わたしは彼らを懲らしめようと思う。彼らが二つの不義のために捕えられるとき、国々の民は集められて彼らを攻める。」:
ホセア10章9・10節

「幸いな人」のディボーションを皆さんも続けておられると思います。
ホセア書の前は士師記を学んでいました。ちょうど一ヶ月前にギブアを学びま したね。
旧約聖書はとても厚い本ですね。士師記とホセア書との間に千ページ近い開きがあります。士師記とホセア書に何の関連があるのか?と思いますが、実は密接につながっています。

士師記は神の言葉に対する不従順と妥協、偶像礼拝の罪、不道徳と混乱の物語でした。
それらの罪の始まりは、イスラエルの民がエジプトから出た時に始まったものです。
イスラエルはエジプトを出た時、偶像礼拝、姦淫と不品行、暴虐の種を持ってきたのです。シナイの荒野でそれらの罪はすでに芽吹き、約束の地、カナンにおいて根を張ったのです。それらの罪はどんどん成長し、ホセアの時代に刈り取りを迎えたのです。

不品行と暴虐の罪はギブアで現れました。ギブアの罪とは士師記の19章から21章に書かれています。レビ人とその妾(めかけ)がギブアで暴行を受け、死んだ妾の死体を12個に切り分け、イスラエルの各部族に送りつける。そしてギブアに住む男色のならず者の引き渡しをベニヤミン族が拒否したために部族間の戦争に発展し、何と六百人の男性を残し、ベニヤミン族は皆殺しになるという事件でした。

しかし、ギブアの罪はベニヤミン族の壊滅によって取り除かれたのでしょうか?
イスラエルの10部族がギブアを囲み、徹底的に滅ぼし尽くすことが出来たでしょうか?確かに一時的にはギブアは焼き討ちに遭い、その町で行われていた男色の罪や姦淫の罪は途絶えたことでしょう。ところが、その罪の根は枯れずに残っていたのです。
男色の罪、不品行、姦淫、それらの罪はホセアの時代、ギブアの町で更に行われました。
「彼らはそこで同じことを行なっている。」(9節)と書いてある通りです。

愛する皆さん!罪は決して時間の経過や環境の変化では、なくなることはありません!
時間が経てば経つほど、罪はますます大きくなります。
また環境を変えれば罪がなくなるものでもありません。
罪を環境のせいにする人がいます。確かに悪い環境は罪を更に促進します。
しかし環境を良くしたところで、罪は決してなくならないのです。
イスラエルは奴隷状態から解放されました。しかし荒野で罪が芽生えました。
そして約束の地、乳と密が流れる地カナン、その素晴らしい約束の地で罪は成熟しました。

「戦いはギブアで、この不法な民を襲わないだろうか。
 わたしは彼らを懲らしめようと思う。」
(9・10節)

罪には必ず神からの懲らしめが伴います。しかし、それは滅ぼすためではありません。
罪が結ぶ実がどれ程恐ろしいか、私たちに教えるために主は懲らしめを与えられるのです。

私たちは主に懲らしめられる時、直ぐに悟らなくてはなりません!
直ぐに罪を悔い改め、罪から離れなくてはなりません!
罪は悔い改める以外に、罪から離れる方法はありません。
罪を悔い改めるとは神に自分の罪を言い表し、キリストの十字架の赦しと清めを確信し、聖霊様の助けを得て罪を犯さなくなるように心から願うことです。
また、自分の弱さを兄弟、姉妹に謙(へりくだ)って告白し、罪に陥らないよう祈ってもらうことです。

皆さん!教会に来るたび、悔い改めのメッセージを聞かされると嫌がらないで下さい。
皆さん!悔い改めが出来ることほど大きな恵みはありません。
神の怒りと、裁きと滅びが待ち受けている人生から永遠の命と愛に満ちる人生に方向を変えようとしているのです!方向転換、これこそが悔い改めの意味です。

教会以外で、何処で悔い改めのメッセージを聞くことが出来ますか?
キリストの恵みの中でこそ、真の悔い改めがあるのです。そして悔い改めは恵みです!

皆さん!悔い改めの恵みを軽んじないで下さい。
ギブアはあの大変な懲らしめを受けても、その罪の性質を悔い改めなかったのです。
それ程、私たちの内にある罪の性質は根深いものです!

皆さん、パリサイ人や律法学者とイエス様の弟子の違いは一体なんでしょうか?
人間的に見るなら、パリサイ人や律法学者の方が良い人に見えると思います。
しかし、神は自分で自分を正しいと思うものを、決して喜ばれないのです。

パリサイ人、律法学者は人間的には正しくても、神の前には決して完璧ではない。
しかし彼らは自分の正しさを誇って、イエス様の助けを拒んだのでした。
彼らは決してイエス様の弟子にはなれなかった。

イエス様の弟子はペテロのような見栄っ張りの嘘つきや、トマスのような疑り深い者、ヤコブやヨハネのように怒りやすい者もいた。決して褒められた人格者は少なかった。
しかし弟子たちに共通することは、進んで変えられることを願う者たちでした!
主よ!み心を行うために、どうぞ私を変えて下さい。これが弟子の心です。

ギブアのならず者は、何時でも心を頑な(かたくな)にし、悔い改めの勧めを拒絶しました。
懲らしめを受けても、一時は罪が無くなった様に見えても、根っこは残りました。
最終的には、アッシリヤによって完全に滅ぼされてしまいました。
私たちはギブアのならず者の心を捨て、主の弟子の心をもって進んで悔い改めましょう!

【正義の種を蒔き、耕地を開拓せよ】

「エフライムは飼いならされた雌の子牛であって、麦打ち場で踏むことを好んでいた。わたしはその美しい首にくびきを掛けた。わたしはエフライムに乗り、ユダは耕し、ヤコブはまぐわをひく。
あなたがたは正義の種を蒔き、誠実の実を刈り入れよ。あなたがたは耕地を開拓せよ。今が、主を求める時だ。ついに、主は来て、正義をあなたがたに注がれる。
あなたがたは悪を耕し、不正を刈り取り、偽りの実を食べていた。これはあなたが、自分の行ないや、多くの勇士に拠り頼んだからだ。」
:ホセア10章1 1~13節

イスラエルが神に選ばれた理由は、アブラハムに約束された様に国々を祝福するためです。真の神、天地の造り主なる神がともに居られる民族がどれ程素晴らしいか見せるためです。イスラエルの祝福を慕って、周りの民族がイスラエルの神を崇(あが)めるようになる!
神を知る真の知識と祝福がイスラエルから伝えられることを神は計画されました。

そのために神はイスラエルを選び、神の言葉を委ね、豊かな地を彼らに与えたのでした。神がイスラエルに求めたことは正義の種を蒔き、誠実の実を刈り入れ、耕地を開拓することでした。しかし、イスラエルは悪を耕し、不正と偽りの実を刈り入れました
イスラエルは神のご計画、神の願っていることを知りながら背いたのでした!
彼らは神から考えられないくらい大きな祝福と恵みを与えられました。
エジプトの奴隷から解放され、世界で最も麗しい地をタダで与えられたのです。
イスラエル、ユダヤ人こそ神から目に見える形で恵みを与えられた民族です。
そして与えられた恵みと祝福を通して、イスラエルの神が真の神であることを宣べ伝える、証しする役割が与えられていたのです。

96:1 「新しい歌を主に歌え。全地よ。主に歌え。
96:2  主に歌え。御名をほめたたえよ。日から日へと、御救いの良い知らせを告げよ。
96:3  主の栄光を国々の中で語り告げよ。その奇しいわざを、すべての国々の民の中で。
96:4  まことに主は大いなる方、大いに賛美されるべき方。すべての神々にまさって恐れられる方だ。
96:5  まことに、国々の民の神々はみな、むなしい。しかし主は天をお造りになった。
96:6  尊厳と威光は御前にあり、力と光栄は主の聖所にある。
96:7  国々の民の諸族よ。主にささげよ。栄光と力を主にささげよ。
96:8  御名の栄光を主にささげよ。ささげ物を携えて、主の大庭にはいれ。
96:9  聖なる飾り物を着けて、主にひれ伏せ。全地よ。主の御前に、おののけ。
96:10 国々の中で言え。『主は王である。まことに、世界は堅く建てられ、揺らぐことはない。主は公正をもって国々の民をさばく。』」:
詩篇96章1~ 10節

多くの詩篇に、主の栄光を国々の中で語り告げることがイスラエルに命じられています。
イスラエルはその受けた恵みの素晴らしさ、素晴らしい祝福を通して、主こそ真の神であり、天地を造られた唯一の神であることを祝福として伝えることを神は願ったのです。

ところがイスラエルは受けた恵み、祝福を国々の救いのために用いなかった!
大いなる恵み、祝福をもって神の栄光を国々に語り告げることをしなかった!
それどころか、祝福がまるで足りないかのように偶像の神々にまで繁栄と祝福を求めた。偶像の汚れた神々を拝み、創造主なる神を忘れ、神の御心を踏みにじったのです。

神は今日、イエス・キリストを通して恵みと祝福を私たちに与えられました
神は私たちに真の神を知る恵みと、救いを宣べ伝えることを委ねられました。

「あなたがたは正義の種を蒔き、誠実の実を刈り入れよ。あなたがたは耕地を開拓せよ。」この12節のみ言葉は、今、私たちクリスチャンに語られている言葉なのです。
私たちも主イエスにあって、どれほど驚くべき祝福と恵みを受けているでしょうか?
罪の奴隷から解放され、神の子とされ、赦しと愛と永遠の命を神から受けました。
そして助け主であられる聖霊様が私たちの心の中に住んでおられるのです。
これ以上の祝福と恵みがあるでしょうか?ユダヤ人に勝る祝福を教会は受けています。

しかし私たちは覚えなくてはならないのです!
この恵みと祝福はもちろん私たちのものであり、大いに喜ぶべきですが、この恵みと祝福を人々に伝え、救いの良き知らせを伝える働きも委ねられているのです
私たちは、イスラエルが犯した同じ過ちを犯してはならないのです!

「福音の種を蒔き、まだ福音の伝えられていない耕地を開拓せよ!」と主は言われます。

【クリスマスこそ、福音を宣べ伝える最高の時!】

クリスマスは嬉しい、楽しいクリスマスですが、そう思えない人々もいます。
クリスマスが一番寂しさを覚える人々もいます。
家庭のない人、独身で友達がいない人、伴侶に先立たれた人。
みんなが楽しくしているほど、仲間はずれにされたような寂しさを覚えます。
その人たちに本当のクリスマスの意味を伝える役目を私たちは与えられています。

皆さん!クリスマスをどのように過ごしますか?恵みを受けている私たちが、更に喜びと楽しみを求めて自分のために過ごしますか?
それともキリストにある慰めと励ましを必要とする人々に仕えるために過ごしますか?

ホセアの預言から教訓と使命を受け取って下さい。
主はこのクリスマス、私たちに福音の種を蒔き、耕地を開拓することを願っています。
そして救いの喜ばしき実を刈り取ることを願っているのです。