「憎しみから赦しへ!」
ホセア3章1・2節
小 林 智 彦

【姦淫の女をめとり】

「主は私に仰せられた。『再び行って、夫に愛されていながら姦通している女を愛せよ。ちょうど、ほかの神々に向かい、干しぶどうの菓子を愛しているイスラエルの人々を主が愛しておられるように。』
 そこで、私は銀十五シェケルと大麦一ホメル半で彼女を買い取った。」
:ホセア書3章1・2節

先週は預言者ホセアが売春婦で子連れのゴメルを妻にめとることを学びました。
それは愛される資格のないイスラエルを愛し続けた神の愛の表れでした。
ホセアは神の無条件の愛、価値のない者に価値を見い出し、愛し続ける愛を体験 しました。神の愛はホセアを感動させ、常識では考えられない女性を妻として迎え入れました。

私たちは神の愛を受け、神の愛に押し出されるとき、驚くべき愛を表すことが出来ます。クリスチャンの愛は、頑張りや努力の結果ではなく、神の愛を受けることの結果です。
もちろん愛を行うとき、大変な努力と忍耐が要求されます。
しかし、それに耐えさせ、諦めずに愛を行い続けさせる力は神から来るのです。
神の愛を体験すること!これが私たちが先ず第一にすべきことです。
神の愛を体験せずに自分の力で愛を行うとき、私たちは疲れ果て、行き詰まります。
神は愛です!私たちは神の愛に留まり、神の愛を豊かに受け、神の愛を行いま しょう。

さて、今週は「赦し」についてホセア書から学びましょう。

ホセアは神の愛をもってゴメルをめとり、愛しました。
しかしゴメルはホセアの愛に、愛を返すことはしませんでした。
神はゴメルのことを「夫に愛されていながら姦通している女」と呼んでいます。
ゴメルは夫ホセアを裏切り、他に愛人を作り、性的な関係まで持っていたのです。
不倫です。そして不倫の結果、身を持ち崩し、自らを奴隷として売り飛ばしていました。
「私は銀十五シェケルと大麦一ホメル半で彼女を買い取った。」(2節)とあります。
ゴメルはどうやら、もといた場所、神殿娼婦に戻ってしまったようであります。

今度ばかりはホセアも愛し、赦すことは難しいのではないかと思います。
私たちは愛する者に裏切られるとき、一番心が傷つけられるのです。
裏切られることは誰でも心痛み、心傷つきます。
特に愛し、信頼している人からは破滅的な傷、ダメージを私たちは受けるのです。

イエス様は離婚についてどのように教えておられるでしょうか?

「また『だれでも、妻を離別する者は、妻に離婚状を与えよ。』と言われています。
 しかし、わたしはあなたがたに言います。だれであっても、不貞以外の理由で妻を離別する者は、妻に姦淫を犯させるのです。また、だれでも、離別された女と結婚すれば、姦淫を犯すのです。」:マタイ5章31・32節

イエス様の生きておられた時代は、聖書の解釈の間違いから離婚が頻繁に行われていました。
男性が妻を気に入らないと離婚状さえ書けば、簡単に離婚できることになっていました。
それに対してイエス様は気ままな離婚は姦淫の罪と同じである!
離婚は神の御心に反すると教えられ、気ままな離婚を禁じられました。
簡単に別れ、別れて直ぐに結婚できる、それは結婚ではなく姦淫と同じです。
そして離婚は必ず私たちの心に、また子供たちの心に大きな傷を与えます。
イエス様は愛の基礎である家庭が崩壊し、親しい者が傷つけ合うことを赦されません。
それゆえ、離婚を禁じられたのです。

しかしイエス様は「不貞以外の理由」、つまりどちらか一方が姦淫の罪を犯した場合はやむを得ない場合もあるとおっしゃっています。
どちらかが姦淫の罪を犯してしまうなら、すでに家庭は崩壊しているのです。
それをやり直すことは、もう一度関係を始めから作り直すことよりもある意味大変です。
なぜなら、心に大きな傷が残っているからです。

それゆえ、不倫の罪とは恐ろしいものです。不倫という言葉が流行りました。
テレビ・ドラマの恐ろしい悪影響です。子供ですら不倫という言葉を知っています。
不倫がファッションのように、何かスリルある遊びのように捉えられています。
それは恐ろしいことです。サタンの嘘にまんまと乗せられているに過ぎません。

皆さん、日本人は嘘をつくことを嫌いますね。嘘は人間関係を壊します。裏切ることも同じです。
嘘つき呼ばわりされたり、裏切り者呼ばわりされることは大変な不名誉ですね。
誰もが悪いことと知っている。
それなのに不倫はどうでしょうか?不倫は嘘と裏切りを足したようなものです!
そして不倫は愛すると誓った者に対する嘘であり、裏切りです。
社会全体が不倫を認めるようになったら、その社会は既に崩壊しつつあるのです。
私たちはこのサタンの策略に気付かなくてはなりません。
家庭が憎しみで満ち、愛の誓いが互いを傷つけ、子供たちにも傷を残している。

愛し、信頼していた者に裏切られる時、受ける傷はあまりにも大きい!
これを乗り越えることは、私たちにはあまりに難しく、不可能に近い。
イエス様が「不貞以外の理由」でと言われるほど、この傷を乗り越えることは人間には難しいのではないでしょうか?

【赦せない自分を受け入れる】

私たちは恐ろしくモラルが崩壊している社会に住んでいます。
多くの人々が心に深い傷を抱えて、痛みながら、また憎しみと怒りを抱え生きています。私たちの心の傷が癒され、怒りと憎しみから解放されるにはどうすれば良いのでしょうか?

皆さん!自分の中にある赦せない思いをそのまま認めて下さい!
自分の中にある怒り、相手に対する復讐心、そのまま認めることです。
赦せない自分、相手を憎み、怒り続けている自分をありのまま認め受け入れることです。そして赦せない自分、憎しみと怒りで満ちている自分であっても神は愛し、受け入れていることを認めることです。

皆さん、どうか自分で良いクリスチャンを演じないで下さい。
クリスチャンだから赦さなくてはダメ!いつも笑顔で何があっても肯定的でなくては!
そのように自力でよい子を、良いクリスチャンを演じてはいけません。必ず無理が来ます。
怒り、憎しみ、復讐心、自分の力で心の中に押し込んでも必ず出てきます。

怒りや憎しみ、復讐心の否定的な力は恐ろしいほど強いのです!
心の中に押し込めても、そこから毒々しい膿が心の中にしみ出してきます。
正しく表現されない怒り、憎しみ、復讐心は自分の心を破壊していきます。
心の中に押し込めた怒り、憎しみ、復讐心は暗闇を造り、その中に悪魔が留まります。
悪魔、サタンは心の中の憎しみや怒りを増幅させる力を持っています。

私たちは自分の中にある傷を、怒り、憎しみ、復讐心を認め、正しく表現しなくては癒されないのです!
自分の中にある否定的な思いを知って、膿を出すことが必要です。

では、どうしたら怒り、憎しみ、復讐心を、心の膿を出すことが出来るでしょうか?
心に傷をもたらした相手に直接訴えることでしょうか?確かに、それがベストです。
直接、相手に面と向かって自分の痛み、心の傷を伝えることは大切です。
しかし、相手が自分の訴えを受け入れてくれない時は、その傷は更に広がります。
ストーカーがストーカー行為を繰り返し、やがて殺人まで犯すのは正にこの為です。
ストーカーは自分の存在と思いを相手に理解して欲しい、存在を認めて欲しいと願っています。
しかし相手に無視されたり、拒絶されるとき、さらにその思いが激しくなるのです。私たちも心の傷を表現しても、それが受け入れられない時、更に大きな傷になります。

それではいったい、誰に心の傷、怒り、憎しみ、復讐心を表現すれば良いので しょうか?

心を注ぎ出して父なる神に表現するのです。痛み、怒り、憎しみを神に注ぎ出すのです。詩編を開いてみましょう。ダビデが自分の心をどのように注ぎ出したか分かります。

「どうか、悪者を彼に遣わしてください。なじる者が彼の右に立つようにしてください。
彼がさばかれるとき、彼は罪ある者とされ、その祈りが罪となりますように。
彼の日はわずかとなり、彼の仕事は他人が取り、その子らはみなしごとなり、彼の妻はやもめとなりますように。
彼の子らは、さまよい歩いて、物ごいをしますように。その荒れ果てた家から離れて、物ごいをしますように。
債権者が、彼のすべての持ち物を没収し、見知らぬ者が、その勤労の実をかすめますように。
彼には恵みを注ぐ者もなく、そのみなしごをあわれむ者もいませんように。
その子孫は断ち切られ、次の世代には彼らの名が消し去られますように。
彼の父たちの咎が、主に覚えられ、その母の罪が消し去られませんように。
それらがいつも主の御前にあり、主が彼らの記憶を地から消されますように。」:
詩編109章6節~15節

信仰の勇士ダビデ、神に愛されているダビデが敵を呪い、神に訴えているのです。
ダビデは彼の心の正直な思いを、父なる神にいつもストレートに表現していま した。
怒った時、赦せない思いに満ちた時、もちろん喜び、感謝もありのまま表現しました。

ダビデは神は父であり、ありのままのダビデを、良いも悪いもありのまま受け入れてくれることを知っていたからです。父なる神にはすべてを現していました。
そして、ありのままを父なる神に受け入れられていたのです。ダビデは癒しを受けました。私たちの心はどんなに大きな傷を受けても、それを分かち合い、受け入れてくれる人がいる時、驚くほど強くなれるのです。ダビデは良い部分だけでなく、悪い部分も神に受け入れられ、変わらない神の愛を受けたのです。

私たちの怒りも、憎しみも、復讐心も、完全に受け入れてもらう時、ネガティブな毒が消え去ります。膿出しが済んだ怒りは、相手と正しい関係を結ぶための動機に変わります。復讐心も、悪に対し愛と正義をもって、倒れている相手も引き上げる愛に変えられます。憎しみも、和解と赦しの積極的な動機に変えられるのです。

皆さん!神に心を注ぎだしていますか?心の膿を神様に取り去ってもらっていますか?祈りましょう!神にありのままの姿を受け入れてもらいましょう!それが始まりです。

ホセアも神に心を注ぎ出して祈り、ありのままの姿を神に受け入れられていたのです。
彼は裏切られた心の傷を、赦せない心の思いを父なる神に注ぎ出したのです。
心の膿を出し切り、否定的な思いがすべて神に受け入れられる時、怒りと憎しみは愛への力に変化します。ホセアはその時、ゴメルに対して一番良い和解の道を歩んだのです。

皆さん!皆さんの心を神に注ぎ出しましょう!
表現されない怒りは決して心から消えることはありません。いつまでも膿と毒を流します。そこにサタンと悪魔共に住み、憎しみは更なる憎しみにふくれあがります。
ありのままを受け入れて下さる父なる神に、皆さんの怒り、憎しみ、復讐心を注ぎ出して下さい。ダビデのように、またイエス様のように!ありのままを祈り、ありのまま受け入れられて下さい。その時、皆さんの心は変えられ、なすべき正しいことが示されます。