「あなたの王は誰ですか?」
士師記19章から21章
小 林 智 彦

【士師記19章から21章の要約】

士師記19章から21章は一つの物語が発展し、悲劇と混乱で終わっていま す。
士師記は妥協で始まり悲劇と混乱で終わり、読んでいても面白くないかもしれ ません。
士師記はイスラエルの失敗の歴史が書かれています。教訓は失敗からこそ学べ ます!
「幸いな人」と、ともに長らく士師記を学んできましたが「良く分からなかっ た」、「面白くない」、「気分が暗くなる」、方は失敗から教訓を得る!視点 で読み返してみて下さい。
なぜこんな失敗が起きるのか?なぜこんな悲惨な出来事が起こったのか?
その観点で見直すならば、多くの教訓を得ることの出来る素晴らしい書であり ます。

19章からの物語には、妾に逃げられるレビ人が登場します。
「そばめは彼をきらって、彼のところを去り」(1節)とあります。
妾と関係が良くなかったことが分かります。大体、奥さんが沢山いて上手く行 くわけがありません。旧約は一夫多妻が登場しますが、幸せな家庭は一つもあ りません。

妾に逃げられたレビ人は、4ヶ月もたってから妾の実家に説得に行きます。
話がまとまり、妾はもう一度レビ人の下で暮らすことになります。
しかし妾の父親が人の都合も考えず、レビ人を家に引き留めてとうとう五日に もなった。
これでは何時まで経っても帰れないと、夕暮れにもかかわらず思い切って帰途 に就いた。
家にたどり着くまでに日は沈み、宿を求めてギブアの町にやって来ました。

このギブアはイスラエル12部族の一つベニヤミン族に属する村でありまし た。
レビ人の一行はイスラエルではない異民族の支配する村よりもギブアで泊まる 方が安全と考えたのでした。親切な村の老人の家に泊めてもらえることになり ました。

しかしこのベニヤミンのギブアはソドムとゴモラのような男色、ホモ・セク シャルの罪にまみれた恐ろしい村でありました。男色のならず者たちが家を取 り囲みました。
レビ人を強姦しようとと、レビ人を引き渡すことを要求してきました。
レビ人は自分ではなく自分の妾を引き渡し、「これで我慢してくれ」と言うこ とになりました。ならず者たちは朝までこの妾に暴行し、妾は死んでしまうの です。
レビ人はこのギブアのならず者たちに報復を求めるために、何と妾の死体を切 断し、それをイスラエルの部族に送り届けました。
イスラエルの部族は兵隊をギブアに送り、ならず者たちを滅ぼすためにベニヤ ミン族に引き渡しを求めます。ところがベニヤミン族はならず者の引き渡しを 拒み、部族間の戦争に発展します。そして山に逃げた男性600人を残して、 ベニヤミン族は皆殺しになります。

イスラエルの同族を絶滅させたことに気付いたイスラエルは、残ったベニヤミ ン人を救出し、子孫を残すことを考えます。そのためにベニヤミンとの戦争に 兵士を送らなかった村を襲い、男性を滅ぼし、未婚の女性をベニヤミンに当て がうことに決めます。
まだ女性が足りない!シロで開かれる祭りにやって来る女性を略奪しようと決 まります。
これが士師記19章から21章の内容です。

結局、一人の女性が殺された事件が、部族の滅亡と、多くの女性が略奪される 結果につながったのです。

【19章から21章は、何を私たちに教えようとしているのか?】

3章に渡って書かれている物語は、一体何を私たちに教えようとしているので しょうか?一夫多妻の悲惨さを教えているのでしょうか?戦争の恐ろしさで しょうか?
ただイスラエルの歴史には、この様な悲惨な出来事がありましたとそれだけで しょうか?

この19章の始めと、21章の終わりには同じ言葉が書かれています。

「イスラエルに王がなかった時代のこと」19章1節

「そのころ、イスラエルには王がなく、めいめいが自分の目に正しいと見える ことを行なっていた。」21章25節
「王がいない!」と最初と最後で繰り返し語られています。
王がいないために、それぞれが自分勝手な行動を取っている。
著者の私たちに伝えたいことは、このことです! 王がいない!めいめいが自 分勝手に行動するなら、国はどんなに混乱と悲惨な出来事を体験するか!それ を言いたいのです。

その問題を解決したのが、ダビデ王であります。
イスラエルを国として確立したのがダビデ王でありました。
国の混乱を治め、部族をまとめ上げ、イスラエルから異国人を追放しました。
イスラエルには王が必要であることを、その失敗から士師記は教えているので す。

それでは私たちにとって王とは誰でしょうか?教会の王とは誰でしょうか?
ハレルヤ!それは私たちの王であり、主であるイエス・キリストであります。

皆さんはイエス・キリストを王として心に迎え入れていますか?
この教会の王はイエス・キリストであり、教会生活を王であるキリストの言葉 に基づいて送っているでしょうか?

キリストが私たちの王であるならば、私たちの人生には平安が訪れ、成長があ ります。
しかし、自分が自分の王であるなら、めいめい自分の目に正しいと見えること を行っているのなら、混乱が混乱を生み出し、争いは争いを生み続けるので す。

皆さん、イエス・キリストは私たちを悲惨と混乱に満ちた状況から救い出すた めに、私たちの王として来られた方です。イエス・キリストこそ王の王、主の 主であります。

私たちはイエスを主と呼びます。主とは、王よりも更に私たちの人生に権威を 持ちます。
ローマ時代、ローマ皇帝は主、キュリオスと呼ばれていました。
その当時、誰もローマ皇帝には逆らえなかったのです。
しかし、クリスチャンはイエス様を「主の主」と呼んでイエスに従いました。
もちろんローマ皇帝にも従いました、しかし、決して皇帝をキリストに勝る者 とはしなかった。クリスチャンは当時行われていた皇帝に対する礼拝を拒絶し ました。
なぜなら、イエスこそ主の主であり、礼拝されるべきは唯一イエス・キリスト だけだからです。この信仰のために何万というクリスチャンが迫害され、殉教 しました。

多くの人はその様なクリスチャンを馬鹿にします。ローマ皇帝に頭を下げるぐ らい何でもない。そんなことで殺されるのは何とばからしいことかと。
しかし、その人たちは知らないのです。イエスを徹底的に主とすることの平安 と幸せを!
イエスを主とし、全ての者に勝る主とする時、私たちの心には真の平安が来ま す。
それはこの世の限られた命よりも、遙かに尊い永遠の命から来る平安なので す。

皆さん、キリストを人生の王として、主として心に迎え入れて下さい。
混乱は消え、不安は退き、真の平安と心に豊かな成長が訪れます。
その平安は自分だけに留まらず、多くの人に和解と赦し、平和を造り出します !

クリスチャン・ライフの成長はキリストを主とすることからもたらされます。
あらゆることにキリストの御心を求め、み言葉に基づいて決断していくことで す。

キリストが主であり、王であるなら、その場所こそ神の国です!
神の国であるなら、神の国の豊かさと繁栄、祝福が溢れ出すのです。

家庭を神の国にしましょう!キリストの言葉に基づいて家庭を建て上げましょ う。
職場を神の国にしましょう!キリストの言葉に基づいて仕事をするのです。
キリストが主であるならば、主が責任を取り、導いて下さるのです!
キリストを王とする、主とする平安と繁栄、祝福を体験して下さい!

【キリストに聞き従わない心は被害を拡大する】

キリストを王、主とするとき、心にも家庭にも職場にも、そして社会にも平安 が来ます。しかし、自己中心に歩むとき、心にも家庭にも、あらゆる場所に混 乱と破滅が来ます。

聖この士師記でレビ人を襲った悲劇は大変に心痛む事件であります。
しかし一つの暴行事件が、民族の滅亡にまで発展したのはなぜでしょうか?
それはこのレビ人が抱えていた復讐心であり、赦せない心のためであります。

「彼は自分の家に着くと、刀を取り、自分のそばめをつかんで、その死体を十 二の部分に切り分けて、イスラエルの国中に送った。それを見た者はみな言っ た。『イスラエル人がエジプトの地から上って来た日から今日まで、こんなこ とは起こったこともなければ、見たこともない。このことをよく考えて、相談 をし、意見を述べよ。』」:士師記19章2 9.30節

レビ人が最初からイスラエルの部族の怒りを煽動しようとしたことは明らかで す。
人々の正義感を煽って、ベニヤミン人全体に復讐しようと最初から考えていた のです。

復讐心が正義の衣を着ると大変なことが起こります。そして復讐は復讐を呼ぶ のです。
今日のイスラエルとパレスチナの問題はまさに、その例ではないでしょうか?
自爆テロに対する報復、パレスチナ側は報復に対するテロ、終わりがありませ ん。
双方に自らの正しさを訴えています。しかし一番喜ぶのは悪魔でありサタンで す。
一番悲しまれるのは父なる神です。

ヤコブ書にはこのように書いてあります。
「人の怒りは、神の義を実現するものではありません。」:ヤコブ1章20節

「目には目を、歯には歯を」は復讐を肯定する戒めではなく、復讐心を否定す る戒めです。神は人間の罪深い心から出る復讐心は正義ではなく、滅びにいた ることを知っています。

私たちの王であるキリストは、私たちに赦すことを命じています。
赦すことです!赦すことです。 キリストが王であることを認めて自らは赦す ことです。キリストがあなたの王であるなら、あなたは王のものです。
王は自分の者が傷つけられたなら、王自身が復讐されるのです。

パウロはこのように聖書で教えています。

「愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それ はこう書いてあるからです。『復讐はわたしのすることである。わたしが報い をする、と主は言われる。』もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさ い。渇いたなら飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃え る炭火を積むことになるのです。悪に負けてはいけません。かえって善をもっ て悪に打ち勝ちなさい。」ローマ12章19から21節

皆さん!キリストを王とすることはキリストの言葉に従うこと、キリストを信 頼することです。キリストを知識としてだけではなく、生活のあらゆる場所に おいて王とするのです。キリストが王ならばそこは神の国です。憎しみと報復 の鎖は断ち切られ、平安があります。

キリストを主、王の王、主の主として歩む皆様の上に豊かな祝福を祈ります!